ハグニムチュウ
「鬼」。それはこの世の万物に宿りし邪悪なる精霊しょうりょう。人々に死の恐怖と災いを齎す異界異質なる存在であり、憎悪や怨恨、憤怒や嫉妬といった人間の不の感情が生み出した産物。
ー風上だったせいか今になってようやくを邪気の匂いを微かにだが感じ取ることができた。私が鬼の出現場所をハグに問おうと口を開き声を出そうとするよりも前にハグの可愛らしい声が耳に入ってきた。
「町北西部にある鬼北公園南入り口近く、園外の車道脇に出現したみたい。超足の速い麗ちゃんなら1分もかからない距離だね。」
ー確かにその辺りから気配がする。そこに現れたのなら、このデタラメバカの言う通り1分もかからない距離だ。ーと思った矢先、微々たる殺気を感じた。もちろんそれはハグから放たれたもので、私に向けてのものだ。
「デタラメ…バカ…?やっぱ麗ちゃん私のこと貶してるよね。バカって褒め言葉じゃないよね。それわざと思ってるよね。しかもデタラメまでつけて。」
あら、バレちゃった。
「バレちゃったじゃないわよ!よくもこの私を散々コケにしてくれたわねー。いくら麗ちゃんでも今度という今度は許さないんだから!」
あなたが私の心を読むからいけないのよ。身内のプライバシー覗くなんて良い趣味とは言えたもんじゃないわ。これに懲りたら身内以外の人間と鬼の情報だけを収集して、身内のプライバシーは保護するようにしなさい。
「嫌だよーだ!麗ちゃんの言うことなんて聞かないもーんだ!その性悪な性格には負けないんだから!プンスカブゥー。」
あらあら、拗ねちゃった。…あ、そうだ。ハグは拗ねるって漢字、どうやって書くかわかる?「な、なによ。そんなこと急に…も、もちろんわかるわよ。あ、当たり前だよねー。ナハッ…ナハハ。」ーわかりやすい子だわ。ー「拗」は手のかかる幼(児)って書くのよ。「…ムキッ!」鬼愛が知ったらガッカリするだろうなぁ。バカで世話のかかる幼児が私のお勤めを邪魔しに来たって知ったら。
「なっ、なっななな…。なめんなさぁーい!!!」
ーなめんなさい?ふふっ。新しいわね。ー
「麗子様のおっしゃる通りにいたします!だからそれだけはそれだけは…どうかご勘弁をー!!!」
ーハグったら鳥居の上で必死に土下座なんかして可愛いわね。それに謝罪の時だけは達者になるとこも相変わらず。ーいいこと?今回は許してあげるけど次はないわよ?わかったかしら?と私は微笑みながら土下座をするハグに問いかけた。顔を上げ、半べそをかきながら「しゅみましぇん。」と一言ハグが言う。
ーいつの間にか立場が逆転したみたい。少しやりすぎたかしら。かなりダメージ受けたみたいだし。仕方ない。少し慰めてあげようかしら。ー※麗子は超一級の天然ドS。からかっているつもりなのだが度を超えていることに自分自身気づいていない。
ハグはホント素直でいい子ね。嘘偽りを知らない分、簡単に惑わされ騙される。弱みに付け込みやすくて、揚げ足も取りやすい。そして何よりそのリアクションがいいわ。
「まったく、これぽっちも慰められた気がしないよ。皆無だよね。ただ追い討ちかけてるだけだよね。」
皆無なんて失礼ね。ちゃんとそこには愛があるのよ。お姉さんはハグのことが可愛くて可愛くて仕方ないの。討ち殺したいぐらいに。
「麗ちゃん、露骨過ぎて怖い。本性が露わになりすぎてる。あと、まったくその表現から愛を感じられないんだけど。悪意しか感じられないよ。」
悪意だなんて人聞きの悪い。実際、愛情表現なんて人それぞれよ。気持ちを言葉に変えて表現したり、身を以て表現したり、はたまたお金や物で表現したり。そしてそれらを量で表現するか質で表現するか。ちなみに私はハグの困った顔を見るが大好きなの。なんだかハグを見てるとちょっと意地悪したり、からかいたくなっちゃうのよ。
「何がちなみに!?歪んだ愛情、全然嬉しくないです!!…というか!こんなことしてる場合じゃないよ!麗ちゃん行かなくていいの?!鬼さん放ったらかしだよ!」
…。あ、そうだったわ。ハグいじりに夢中ですっかり忘れてた。
「そんなこと夢中にならなくていいの!被害が出たらどうすんのよ!はやくやっつけてきちゃって…!ってあれ…?さっきまであんなでかい鬼さん、いたかな?」
目の前には電波塔以上の高さまでに巨大化した[鬼]の姿があった。一つの決まった形を成さず闇夜に蠢くその姿は人々の不の感情の集合体であり、実体のない嘆き叫ぶ怨嗟の塊のようなもの。これが私たちが退治する邪悪なる精霊[鬼]である。
あらホント。随分と大きくなったわね。あの鬼。
「久しぶりに会った知り合いの子供みたいな言い方だね。って、言ってる場合じゃないよ。小者だから放っておいたら見た目だけあんなにでかくなってたなんてぇー。あれじゃとっても目立つよ!一目瞭然だよ!」
きっと町中に散らばっていた恨み辛みの残りカスのようなものを集約して纏っただけでしょうのね。あの大きさだと…ハグがプンスカブゥっなんてぶりっ子発言をした辺りから大きくなり始めてたようね。
「ハグはぶりっ子じゃないー!プリティーな女の子!」※こちらも自覚はありません。超ド天然のプリブリっ子です。
…(無視)。それれにしても。「あぁー!麗ちゃんが無視したぁー!」鬼を放っておくなんてこれまた随分とらしくないことするじゃない。
「私は麗ちゃんに付き合ってあげただけ。麗ちゃんがそうさせたも同然だね。」
誰も頼んだ覚えはないし無理強いもしてない。「いーや!させたよ!雰囲気がさせた!」ー…これはキリがないわね。ー。だけどあの鬼、期待外れもいいとこだわ。少しは楽しませてくれるかと思ったのに、ただ大きくなっただけなんて…残念だわ。
<ゔおおおおおおおおおおおおお
「ただ大きくなっただけで済まされない勢いで吠え滾ってるんだけど。今にも町を襲おうとする勢いなんだけど。まったくもう、被害が出るようなら私が退治するからね!というか実際、私がいるから被害なんて微塵たりとも出ないんだけどねー。麗ちゃんわかった?」
安心しなさい。ハグの出る幕なんて最初から用意してないわ。あの鬼を殺るのは…私の務め。あれは私の舞台。