退屈な2人
さっきまで点いていた住宅の灯りもほとんど消えて、闇夜に飲み込まれないよう街を照らすは一定間隔の距離に設置された街灯の光と月明かりだけ。
静まり返った町、夜風がまだ冷たい3月下旬の真夜中12時。
緋色ではなく、桃色の袴が特徴の桃花源神社の巫女装束を身に纏い、背中に背負うはなんの変哲も無い箒、鳥居の上に片膝ついて座りながら町を見下ろす。今宵は風上。
私は毎晩、この鳥居の上から鬼桜町を監守している。それが私に与えられた役割の一つ。とはいったものの…今は町の明かりをただ眺めているだけ。それにしても、今夜はとても静かね。夜風のそよぐ音がどこか心地良く私の騒きを鎮めてくれる。気配を研ぎ澄ましても…僅かな【邪気】すら感じない。私の場合、第六感で感じる前に先に嗅覚が反応するのだけれど、臭いすら感じない。これはこれで望ましいことなのだろうけど…何もないのはつまらない。
「相変わらず欲求不満そうな顔だね。」
相変わらずは余計。それに私が欲求不満なのは仕方のないこと。なんならあなたが満たしてくれてもいいのよ?
「相変わらず餓えてるね。」
そう言うと、私の挑発染みた誘いをあっさり断るかのように彼女はニッコリと微笑んだ。そして、何もない場所にあたかも段差があるかのよう鳥居の上まで上がってくる。チョコンと私の左横に腰を下ろし、足を鳥居の上から投げ出した。ーきちゃったみたいな顔して。ー
私と同じ格好をしたアイドルのような童顔少女の名は【紅雉 ハグ】。
[桃花源神社]巫女見習いの1人。私と同学年で歳は一つ下の16歳。日本人の父親とイギリス人の母の間に産まれた日本育ちのハーフ。少し肌寒い夜風に靡く漆黒の髪は艶やかで品に満ち溢れ、その瞳は青の洞窟のような紺碧の光を放つ。3人の巫女見習いの中で、鬼愛と付き合いが一番長く、鬼愛が巫女見習いとして選んだ最初の人間だ。ちなみに巫女見習いになった順番で言えば私は2番目で、ハグとはいわゆる姉妹弟子の長女と次女の関係。
それで一体どうしたのかしら?わざわざこんなとこまでこなくても[カンナギ]を使えば離れていても会話できるじゃない。
「麗ちゃんが欲求不満オーラを垂れ流しにしてつまらないーって叫んでたから、遊びに来てあげたのよ。鬼愛ちゃんと空ちゃんどっかいっていないし。ちょうど私も1人で退屈だったしね。」
まったく。人の心を勝手に覗き込んで。ハグの前じゃプライバシーもあったもんじゃないわ。ーそれにしても「退屈」か…。約30㌔m2近くある町全体を包んでいるこの膨大な[守護結界]。結界外からの鬼の浸入、及び攻撃を許さず、結果内に出現した鬼を結界外へと逃がさないためのこの結界。加えてハグはこの守護結界に感知能力を組み込んでいるため結界内に出現する鬼の位置や属性などの情報を知ることができる。ー維持するだけでもかなりの[カンナギ]を消費するはずなのによく退屈なんて言えたわね。さすがは私のお姉様。
「お姉様じゃないっていってるじゃん。ハグ、お姉様ってキャラじゃないし、どう見ても末っ子キャラって感じだし、それに歳だって麗ちゃんの方が上なんだからね!」
それでもあなたはわたしの姉弟子なの。あなたより一つ歳上だとしてもあなたには多少なりとも敬意を払わないといけないわ。それに…ー私は一度ハグと対峙して敗北している。だから、姉弟子関係なく敗者が勝者に敬意を払うのは当然のこと。ー「それに?」ーニコニコしちゃって、読心術で私が何を思っているのかわかってるくせにーなんでもないわ。やっぱり考えたらハグはお姉様ってキャラじゃないわね。「でしょでしょ?だから言ったじゃん私は末っ子キャラだって。」そうね。何せハグはおバカだから。
…。
「麗ちゃん。今、私のことバカっていった?」
ー怒ったのかしら?まぁそれはそれでおもしろいかも。ーいったわよ。バカって。あら?私、何か間違ったこと言ったかしら?ついこの間だって必死で腹痛を訴えながら…『麗ちゃん…お腹が…痛い…。』、全力で頭を抱えていたり。『ぬぅ…ぅ痛いぃぃぃ!!!』。雷が鳴った時も『おへそ隠さないと雷様に取られちゃうー』と言いながらおへそを隠さずになぜか親指を立てたり…。他にも。
「やめてぇぇぇー!バカバカバカバカー!麗ちゃんのバカァァァ!!!私バカじゃないもん!!!面白いからって私をバカ扱いして…!バカって言ったほうがバカなんだもん!!!グルルルル…。」
ごめんなさい。悪気はなかったのよ。「あったじゃん。」バレてたのね。「わかってて言ったでしょ。」さぁどうかしら。でもいいじゃないバカで。猿も鬼愛もバカなあなたを信頼し、期待している。それにみんなあなたの明るいバカな性格に救われている部分が少なからずどこかにあるはず。バカというこに誇りを持って胸を張りなさい。バカは天から与えられし素晴らしき才能なんだから。
「なによ…。人のことをバカバカバカバカバカ…バカ呼ばわりして…。」
ーさすがにごまか…。ー
「バカってそんなにすごいんだ…。」
ハグは感慨深そうに納得していた。
私もよかったわ。あなたが本物のバカで。
「じゃぁじゃぁ!麗ちゃんも私のこと信頼して期待してくれてるの? 」
…もちろんしてるわよ。…いろんな意味でね。そう言って私はハグに微笑みかけた。ハグはすぐに何かしらのリアクションをするだろう。そう思っていた私。しかし、さっきまでとは一転、喜怒哀楽の表情で私の目を見つめながら話しをしていたハグが無表情で町の方をじっと見下ろしていた。私はやっとかと言わんばかりに微笑みながらゆっくりと立ち上がった。
「麗ちゃん…きたよ…鬼。」
ハグは立ち上がった私に居場所を伝えるように町の中心部を指差し言った。さぁ始めましょうか。真夜中の鬼退治を…。