灰と白の月明りー4月6日
<「只今より、平成◯◯年度、鬼桜高等学校、第◯◯回、入学式を挙行致します。国歌斉唱。一同ご起立ください。」>
ライトグリーンのフロアシート。横と縦がきっちりと見栄え良く並べられたパイプ椅子。起立の合図で体育館内に座っていた全ての人が椅子から立ち上がる。希望と不安を胸に抱く新入生達とその保護者、誰かも知らないどうでもいい来賓、その他関係者が全員起立する。
新入生の中の一人に私がいる。
しかし、周りの生徒達とは違って私に希望や不安なんてものはなかった。
この時の私にあったのは、喪失と敗北。
そう、今の私は…ただの屍のようだ。
「だ、大丈夫ですか…?具合でも…。」
隣の席の女の子が屍のような私を心配して声をかけてくれた。普通の屍であれば、「返事はない、ただの屍のようだ。」と、返事をしないところだが、生ける屍である私は重たく垂れ下がった口角を必死で上にあげ笑顔を作り、「…大丈夫です。」と答えた。そんな私の笑顔を見た隣の席の女の子は驚き、軽く引いていた。
『同じクラスの女の子。…席が隣ってことは、私の一つ前の出席番号の子だ。出席番号が近いと何かと近くで過ごすことが多いっていうのに、いきなり引かれちゃった…。』
<「ご着席ください。」>
国歌斉唱が終わり、一同が着席する。
私は着席すると同時に体育館ステージ右横にある時計をチラッと見た。
時計の針は9時を少し過ぎた辺りを指している。
あれから一時間経った。
ー入学式、1時間前。閑静な住宅街で。ー
巫女装束の女の子が彼女を叱っていた。
「キメちゃんはいっつもいっつもいっつも人の話聞かないんだからー!ハグがあれだけキメちゃんに忠告しておいたのになんで忘れちゃうかなー!今日は入学式!始業式は明日!」
彼女は一つ上の学年で、同級生というのは私の勘違いだった。けれど、勘違いするのも仕方がない。彼女自身が入学式と始業式を勘違いしていたのだから。
私は彼女が先輩だったということに驚ろきを隠せなかった。
一方の彼女は、口を歪め、首をかしげていたた。そんなこといってたっけ?というような素振りだ。
『そ、そんなことってありですか?私、てっきり同級生だと思ってたから…。もしかして!軽々しく話しかけられたことが気に入らなかった。とか?生意気な態度だから無視をした。とか?きっとそうに違いないー!!!ガッデムだよ私!!こうなったら私の必殺、土下座潤素を使うしか…。』
「ほらっ!帰るよキメちゃん!レイちゃんが朝ごはん作って待ってるんだから!クゥーちゃんもお腹空かせて待ってるよ!」
巫女装束の女の子が彼女の手を掴み並木道の方へと連れて帰ろうとした。
「ま、まってください!!!」
『我ながら今日はよく引き止める。』
私の呼び止める声に巫女装束の女の子が反応し、その場に立ち止まった。手を引かれていた彼女も一緒に止まる。
「お名前…キメって言うんですね…。私、キメさんが先輩だとは知らずに…、」
「ちょっと、あなた誰よ。ハグのキメちゃんに軽々しく話しかけないでくれる?」
「えっ…?いや、その…私は…。」
不意の一言に私は口籠もり固まってしまう。
「キメちゃん…?この子、誰?まさか、ハグという愛すべき人がいながら、この子と仲良くなろうなんて思ってないよね?」
「…。」
女の子の問いかけに彼女は黙ったままうんともすんとも言わなかった。
『な、なんなのこの子…?というか、なんで愛すべき人がいたら仲良くしたらいけないのよ!でも…、彼女も黙ってるってことは、もしかして本当にそういう関係なのかな…?私なんかが入り込んではいけない危険な関係なのか?!』
少し間が空き、彼女は女の子の頭をお笑いのツッコミのように軽く叩いた。
「いてッ!違うくないもん!私はキメちゃんの一番だもん!キメちゃんの恋人であり、愛人だもん!キメちゃんは…って、ちょ、ちょっとキメちゃん?!」
彼女は女の子を放って並木道に向かってゆっくりと歩き出した。
女の子は少し慌てた様子で私の方へ振り返り、「馴れ馴れしくキメちゃんを下の名前で呼ばないで。それと、私達そういう関係だから、2度とキメちゃんに近づかないで。」と吐いて捨てるように言うと、あっかんべーと嫌味ったらしい顔を見せつけ、彼女の後を追いかけていった。
私は呆然と立ち尽くす。嵐のように去っていく巫女装束の女の子。私にはまったく無反応だったのにあの子にはちゃんと反応していた。意思疎通ができていた。その時私の中に芽生えた感情はあの女の子に対しての怒りや嫉妬といったものではなく、彼女に対しての疑問心。心に灰色の靄がかかる、そんな感じ。
「一体、なんだったんだろう…。」
彼女達は一度も振り返ることなく並木道へと帰っていった。私は考えるのをやめた。思考をONからOFFへと切り替え、とりあえず学校へと向かって歩き出す。というよりも勝手に足が動いていく。足取りがこんなにも重いなんて、空がのしかかっているようだ。この雲一つない澄んだ青空と対照的に私の心は靄に覆い包まれている。日が射すこともすぐにはないのだろう。あぁ…。
モヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤ…。
『あぁ〜モヤモヤァ〜!モヤット!!!』
ーそして現在、鬼桜高校体育館。ー
式典は進み、学校長が式辞を読み上げている。
お決まりともいえる今にもズレ落ちそうな校長の被り物をぼんやりと座って眺めながら、心のモヤモヤ靄を少しでも晴らそうとOFFに切り替えていた頭をONにし、頭の空気の入れ替えをしていた。
『私って、人に嫌われる資質でもあるのかな。だって、起床してから2時間もしないうちに初対面の人間二人に嫌われたんだよ!?まぁ、一人は確実かどうかはわからないけど…、もう一人…あれは確実だね…。ははっ。はぁ…けど、人と仲良くなるのってこんなにも難しかったけ…。』
結局、仲良くなるという目的は果たせなかった。この初めての出会いに収穫があったとすれば、彼女の名前を知れたことと、「私に関わるな」と書かれたこの紙くずだけ。
『死にたくなかったら…、か…。死んでもいいなら仲良くしてくれるのかな…。愛想よく振舞うならまだしも、死ぬ覚悟なんて…。って、あぁ〜!わかんないことだらけだよ〜!!!』
「だ、大丈夫…ですか?頭、痛いんですか…?」
気づかぬ間に頭の中と身体が連動し、頭をかきむしっていた私を隣の席の女の子が痛い子を見るような目で見ていた。
「あはは…。だ、大丈夫ですぅ〜。」
引きつった愛想笑いで女の子に大丈夫と答える。
『何やってんだろ私。』
そこからのことはよく覚えていない。私がぼーっとしている間に淡々と入学式は行われ、開式から約一時間後無事閉会した。
その後、新入生は退場し、各教室へ移動。そこで軽くオリエンテーションを受けた後、解散。新入生達はそれぞれ帰路へとついた。
そういえば、入学式で隣の席に座っていた女の子が新入生代表の挨拶をしたことに少し感心した。出席番号順に並んだ教室の席も一つ前の席だった。名前は忘れたけど…。
帰り道、私は「鬼門並木」へと向かった。
学校の先輩だということはわかっている。だったらまたいつか校内で会える、彼女のクラスを探して会いに行けばいい。もう会えないわけじゃない。そう思ったのだが、なぜか今日じゃなきゃダメな気がした。理由はわからないけど、なんというか直感…?っていうやつだろうか。それに、心が閉ざされてしまいそうな…繋がりが断ち切られてしまいそうな予感じがした。
だからもう一度、今朝彼女と出会ったあの場所に向かった。もしあの場所にいなくても、階段を登って行けばそこに彼女がいる気がした。
そして、再び彼女と出会った場所へやってきた私が目にしたものは、
「なくなっ…てる…?」
山奥へと続く階段、彼女と出会ったあの道がなくなっていた。
場所を間違えたのだろうと、並木道の端から端までくまなく探してみたが見当たらず、その後も必死で並木道の中を探してみたが、どこにも…、どこにも…、どこにも…、それらしき道は見当たらなかった。探しているときに偶然通りかかった地元の老人に尋ねてみたが、そんな道は知らない、見たことも聞いたこともないと言われた。
どうしても腑に落ちなかったが、どこにも見当たらないのが事実。仕方がなく諦めて家に帰るしかなかった。
「ただいま…。」
がらんとした家の中。ダイニングテーブルの上には仕事に出かけてくるという母の書き置きと作り置きされたお昼御飯のオムライスがあった。
私は手紙を確認すると、オムライスには手をつけず、冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出し、コップに注ぎ、飲み干し、二階の自室へと上がっていった。
部屋へ上がると私はすぐさまベッドに飛び込んだ。
「わけわかんないことだらけだよ…。」
枕に顔を埋め、うつ伏せのまま目を閉じる。
現実と幻想、事実と虚偽の狭間に堕ちるように、そのまま夢の中へと入り込んでいった私。
ー真っ白な空間。
ー地面も、天井も、壁も、なにもない空間。
ここは…どこ…?
ここはあなたの心の中。
ー真っ白な髪の毛に真っ白なワンピースを着た女の人。
私の…心?
そう。あなたの心。
あなたは…誰?
私はあなた。
私…?
そうよ。だから、心配しないで。
心配…?
大丈夫。すぐ会えるから。必ず繋がる。必ず一つになれる。必ず…。
ーすると私の身体が少しずつ小さな光になって消え出した。
待って!私はまだ…!
ー彼女は微笑んだ。
気をつけてね…。疑は…。
夢の中で私の身体が消えたと同時に、私は目を覚ました。垂れたヨダレを腕で拭き取り、ゆっくりと体を起こし、ぼーっと辺りを見渡す。部屋の中も窓の外も真っ暗で、すでに日が落ちていることがわかった。ベッドの上に置いてある目覚まし時計で今の時間を確認する。時刻は午後8時過ぎ。午前中に起きた様々な出来事で精神的に疲れていたのだろう、昼寝にしては結構な時間寝ていたようだ。疲れた精神を癒すかのように窓の外から入り込む月明かりを浴び、夜空に浮かぶ月をぼーっと眺めていた。寝起きの重たい頭を身体で支えながらただひたすらぼーっと…していた。
『夢の中のあの女の子がいった言葉…、気になる…。』
私は四つん這いになり窓へと近づいた。窓枠に手をかけ、窓から顔を出し、少し肌寒い春の夜風に当たった。と、何かの気配を感じ、ふと家の入り口の方に目を向けると、誰かが入り口前に立ってこちらを見ていた。どこかで見覚えのあるシルエット。怪しげな人影。
『誰だろう…、どこかで…。暗くてよく見えない…。』
雲の影に隠れた月。遮られた月光。
窓から身を乗り出し、じぃーっと目を凝らして見つめる。
一瞬、暗闇の中で赤く光ったように見えた人影の両の目。ギョッとした次の瞬間、雲の合間から再び姿を現し始めた月が人影に光を照らし当て、私の目にその正体を映しだした。
「…きっ、キメさん…?」