第八話
第八話
『Thank You 』
さて、飼い犬が増えたわけであるが。
「これ以上、同居人が増えるのは勘弁してほしいんだけど」
世間体である。
男二人と同居している女というのは、いかがなものか。
「そうですね。では力を失いつつあるこの男を追い出しましょう」
「おい貴様、お前は俺に飼われている身だということを忘れるんじゃあないぞ」
「何を馬鹿な。私は彼女に餌をもらう代わりに、力を貸す協力者ですよ。あくまで協力者」
「今エサって言ったか」
「…いえ。言ってません」
「おい真央、こいつエサって言ったよな。飼われる気満々じゃないか。おい犬」
「犬と呼ぶなと言ったはずですよ。あなたこそ、彼女に寄生しているように私には見えますが」
「愚か者が。俺はこの女に生活費を渡しているんだ」
この二人はなんでこんなに仲が悪いのか。
「はいはい。もういい加減にしてよね」
「ぷ。怒られましたね」
「貴様が怒られているんだ」
「あーもう静かにしなさい!」
しん、と部屋が静まり返る。
「おい狐。この辺にしておこう。この女は怒らせると本当にヤバイ。この前なんか…」
「そ、それは…。にわかには信じがたい…人間の所業ですか」
「ちょっと、なにコソコソ話してんの」
「真央、ハーゲンダッツを食べろ」
「は、何いきなり。まあでも食べよ」
私が冷蔵庫へ向かうと、また二人でひそひそと話しを始めた。
本当は仲がいいんじゃないのか。
「あいつはアイスを与えれば機嫌が直る。覚えておくことだ」
「かたじけない。ためになった」
アイスの蓋を開け、少し溶けるのを待つ。
カップの周りに汗をかいてきた頃が食べ時だ。
「で、これからのことなんだけど。お稲荷さんは、ここに住む気なの?」
「その方が良いでしょう」
「この狐には、部屋に結界を張ってもらう」
「お黙りなさい。私が喋っているのですよ」
「あーもう、どっちが喋ったっていいから!続けて」
「では。マガトキ、というのは聞いたことがありますね?」
以前、ユウに聞いたことがあった。
たしか、夕暮れを過ぎた時間帯。夜の事だったはずだ。
その時間には虫が湧くとか。
「その通りです。あなたは人間としては特別な存在になってしまった。人でありながら人外の力を有し、しかもそれを行使しないという、非常に希な存在です」
「え、私ってそんな力あるの?」
「はい。ですがおそらく自身の意思で開放することはできないのかと。潜在的といいましょうか。あなたは力を得たが、使わないし使えない。
それは脅威的であるし、魅力的でもある。だから好かれるのですよ」
例の虫のことを言っているのだろう。
「ですから今夜からは、私がここに結界を張ります」
つまり、私を守ってくれるということだ。
油揚げでここまでしてくれるのか。
「一つ問題があるんだけど」
「なんでしょう」
「男二人はまずいって。年頃の女の子よ。ユウの記憶操作を使っても、さすがに無理があるって」
「そうでしたね。先程はああ言いましたが、その点なら心配いりません」
お稲荷さんはそう言うと、空中で一回転し、ポンっと化けてみせた。
文字通り、狐に。
「きゃーっ可愛いーっ」
「気に入って頂けて光栄です」
クリーム色の、小さい狐だ。
「普段は、この姿でいましょう」
「しっぽおっきいー。やーん柔らかい」
「真央さん、お腹が空きました」
「はいはいー今持ってくるからねー」
なんだかユウが冷ややかな目で見ているが、気にしない。
私は冷蔵庫に向かった。
あの可愛さはヤバすぎる。
キュン死にするレベルだ。
「ふふ。あなたと違って、私にはこういう事が出来るのですよ」
「お前、もはやペットと化したぞ」
「………」
さて。ご飯作るか。
今日はお稲荷さん記念に、ちょっと気合いを入れよう。
いつまでも春や沙織達に馬鹿にされてはいられない。
得意料理はないけど、あ、でも卵焼きには自信がある。
メインのおかずにはならないけど。
「あれ、お米がないよ!」
米びつには、一合炊けるかどうかという量の米しかなかった。
おかしいな。この間、鍋パーティーをした時にはほとんど使っていないし。
ここへ来て一ヶ月もたたないと言うのに、もう五キロの米が無くなった。
毎日二人分とは言え、こんなに早く無くなるものだろうか。
「ああ、昨日一人で神社へ行った時に使ったぞ。こいつを呼び出す儀式に」
こちらに背を向けたまま、ユウが答えた。
お稲荷さんと二人で、リビングでスマッシュブラザーズの対戦をやっている。
「その石になる技はどうやって出すのですか!」
「キャラが違う。お前の奴は使えん」
カービィが石になって落下し、直撃したフォックスが吹きとばされる。
「そんなにいっぱい使ったの?」
「いっぱい使ったな」
「ああ、落ちます!戻れません!」
「ふふん」
飛ばされたフォックスは、遠い距離からの二段ジャンプも虚しく奈落へ落ちていった。
「なんで言わなかったの?」
「言わなかったな」
「生き返りました!」
「何度来ても同じことだ」
トイレと風呂の掃除を命じたユウを一人残して、私はお稲荷さんと一緒にスーパーへ向かった。
狐を連れてスーパーに入るわけにはいかないので、人間の姿になってもらっている。
犬に見えなくもないが、どっちにしろ駄目だ。
「真央さん、こ、これは?」
しまった。豆腐のコーナーに来てしまった。
となりには油揚げがならんでいる。
「こ、この分厚いお揚げは…」
「それは厚揚げ。油揚げとは全然違うよ。そっちの少し高いやつも見た目は油揚げだけど、全っ然違う!別物だから!」
「そうなんですか?でも試しに一度だけ食してみたい」
「だめだめ、狐が食べたら死ぬって聞いたことがあるよ」
「……真央さん、私を騙そうとしていませんか?」
「うぅ…」
結局、厚揚げと高い油揚げも買わされてしまった。
帰り道。
周囲はすでに薄暗かった。
「高いのはたまにね。普段はさっきあげたので我慢してよね」
「承知しました」
まったく。まあ仕方ないか。
私を守ってくれるらしいし。
「ところで、今はその例のマガトキって時間?」
「そろそろですね。すでに気は満ち始めています」
「今も、結界っていうの張ってるの?」
「真央さんの周りには常に張ってあります。私から遠く離れれば効果は消えますが、これだけ近くにいればかなりの力を発揮します。心配はご無用」
「なんで常に?疲れないの?」
「この土地には数百年分の力を貯めてありますから。それに真央さん自身からも霊力を少し分けてもらっていますからね」
そういうものなのか。
ユウはこの世界では魔力が練れないとかなんとか言ってたけど、お稲荷さんはこの土地の神様だから出来るということなのだろうか。
「ていうか、今まで私、普通に出歩いてたんだけど。あれって結構危険だったってこと?」
「あの男がいましたからね」
「え?」
「気付きませんでしたか。彼は夜、ほとんど眠っていないはずです。私のように土地に守られる者ではありませんから」
どういうことだろう。
ふと、頭にろうそくの火が浮かんだ。
ゆらゆらと、揺れる。
真夜中のベランダ。
煙草を吸っていた。
怖い話をされた。
やめてよ。
私はそう言った。
「彼がこの世界であなたを守り続ける事は難しい事でした。すでに枯渇しかかっています。だから私を呼んだのですよ」
「私は」
「あなたは強い。あなたの力が、彼の存在をここへ留めている。そしてその力は、あなたが彼から預かったもの。お二人は、そういうもので繋がっているんです。土地に繋がれた私には、少しばかり羨ましくもあるのですよ。そういう関係は」
今、マンションでトイレを磨いているだろう男に、いつも守られていたことを知った。
「なに、やってんの」
「お。遅かったな。もうすぐ50人斬りだぞ」
「掃除は?」
「そんなもん、ただ飯食らいの狐にやらせろ。高貴な俺がそんなことできるか」
そして夕食。
「おい、なんだこれは」
「掃除さぼった罰よ」
「罰はさっき受けたじゃないか」
「真央さん、それは私のでは」
箸を持つユウの前には厚揚げが一つ、皿にのっている。
「なんだと、狐の餌かこれは!こんなものが食えるか!」
「もう、じゃあちょっと待ってて」
数分後。
私はユウの皿にもう一つのおかずをのせてあげた。
「おい、なんだこれは」
さっきとおんなじ台詞だ。
「こんなもんがおかずにはなるか。肉を食わせろ」
「うっさいわね!いいから食べなさいよ」
「ん、旨いな」
よかった。
「どれ、私もひとつ」
「なんだコラ。やらんぞ」
「はいはいケンカしない!」