第六話
第六話
『you're welcome』
「そうならそうと、なんではっきり言わなかったのよ」
春が疑り深い視線を向けてくる。
「いや、春、急に押し掛けてくるしさ。
なんか焦っちゃって」
「押し掛けるとは失礼ね。
私は心配して様子を見にきたんでしょうが。しっかし…ふーん、親戚ねぇ」
まだ疑っている。
今日は私の引っ越し祝い、ということで、大学の友達が部屋に来ている。
高校からの付き合いである、春。
それから大学に入ってから知り合った美香と、
「ていうか、かなりイケてない!?
ねえ真央ちゃん、彼、彼女いるの?」
とノリノリなのが沙織だ。
「沙織は面食いだからなぁ」
と言う彼は、畔柳。みんなテツコとかヤナギと呼んでいる。
「彼女は…いないと思うけど」
ていうかあいつ死神だよ?
「え、なんで。そういう話しないの?」
「つーかさ、いい歳の男女が一つ屋根の下にいて、お前ら本当に何にもないわけ?」
沙織とヤナギはますますもって興味津々という感じである。
「ないないない!私達、こないだ初めて会ったんだし」
「でもさぁ、これからどうなるかはわかんないよねぇ」
「だよなぁ。男の俺から見ても、格好いいもんなぁ。で、実際どうなのよ真央ちゃん」
「だからないって!あいつ、性格悪いよ?いつも上から目線だし」
「ちょっとくらい上から目線の方がなんかSっ気あっていいなぁ」
「わかる。女って、そう言うやつ結構いるよな」
沙織とヤナギは、普段は水と油のような関係だが、たまにこうして結託することもある。
「ま、男は中身だけどな」
「あんたは中身磨くしかないもんね」
「あのなぁ、男は歳を重ねるごとに男前になっていくもんだが、女は歳を重ねれば劣化していくんだからな。
自分が可愛いと思ってられるのも今の内だぞ」
「あんた今、世界中の女を敵に回したわよ」
やっぱり水と油だ。たぶんヤナギが水で沙織が油。
しかし案外、この二人が一番お似合いなんじゃないかとも思う。
着替えの終わったユウが部屋から出てきた。
たった一週間たらずですっかり人間臭さが染み付いたこの男は、今日は友人が来るからとあれほど言っておいたのに、私がトイレに入っている間に呑気にスウェット姿で春たちを出迎えやがった。
今日は大人しく、ちゃんとしている約束である。
「で、お兄さん。実際、真央ちゃんのことどう思いますか!」
沙織はニュースのレポーターよろしく、テレビのリモコンをユウの顔に向けた。
「この女は悪魔だ」
「ちょっとなに言うのよ」
「間違えた。魔王だった」
くっそう。後で覚えてなさいよ。
ゲラゲラと笑い声が響く。
「なんか二人さ、こないだ会ったばかりにしては仲良いよね」
「誰がこんな男と!」
「ほう気が合うな。俺もお前と仲良くしているつもりはない」
「ほら、なんかその感じ」
ヤナギはニヤニヤしている。
「は?これが仲良い?みんなおかしいんじゃないの」
「ケンカするほどナントカって言うしな」
「仲が良くなきゃケンカも出来ないってことね」
「そ。言い合い出来るだけのお互いの情報を共有しているってこった」
また水と油が混ざり始めた。
「じゃ、沙織とヤナギは随分仲が良いってことになるわね」
仕返しだ。どうだ。
「あ?こいつとは単に馬が合わないだけだ」
「ケンカというより罵ってるだけだし」
くぅ、効かなかったか。
チャイムが鳴ったので玄関を開けると、永田だった。
「おう。久し振り」
「うん、久し振り…」
一月の試験期間に大学で会って以来だった。
沙織たちが後ろで騒ぎ立てる。
「おー、永田キター」
「おせー、はよこい!」
「悪い悪い。肉買ってきたぞー」
永田はリビングにいるみんなにスーパーのビニール袋を掲げて見せた。
「あ、上がって」
「お邪魔しまーす」
「あ、なんか、心配掛けたみたいで…」
ユウのせいで、春と永田のメールを無視してしまっていた件だ。
「ん?ああ、別にいいって。荷物整理とか忙しかったんだろ」
「…うん」
「おらー早くしろー」
ヤナギが玄関までやって来て、永田を部屋へ引っ張っていく。
なぜ「ごめんね」の一言が出ないのか。
私というやつは。
「おー肉だぁー!」
「真央ー、鍋準備するよー。来て来て」
「へいへい」
リビングに向かう途中で、ユウとすれ違う。
「よかったな」
「は、なにが。あんたマジで今日は大人しくしててよね」
ユウはリビングを振り返って言った。
「今日は、部屋が暖かい」
「え」
「…どけ。トイレだ」
ばたん、とトイレのドアが閉まる。
なによ。あいつ。
「真央、お玉どこー?」
奥で春が呼んでいる。
私はキッチンへ向かった。
「え?あ、お玉なんかないわ」
今日はみんなで鍋パーティーをしたいということなので、土鍋は前日に用意していたのだが。
「は?あんた自炊しないの」
「いや、してるけど。普段使う?」
これにはさすがに沙織も呆れた顔をして、
「真央…あんたの女子力、もうあとこの辺にしか残ってないよ」
と、肘の辺りを指差した。
「は。まだまだ全身残ってるし」
反論しておいなんだが、自分でも本当にこの辺にしか残ってないのではないかという疑いがあった。
「お玉は、たまたま無いだけ!」
「駄洒落もヤバイって。オヤジ臭が…」
「駄洒落じゃないっ、たまたま!」
リビングからは、ケタケタという男性陣の笑い声が聞こえている。
話の内容は聞こえないが、どうやらトイレから出てきたユウに何事か聞いて笑っているらしい。
まさか私を笑い者にしているんではないだろうな。
くそう。あいつ、後で問い詰めてやる。
ところで、先程紹介してから美香の発言がまだ無いが、大丈夫、ちゃんといます。
美香は大人しい子なのだ。
鍋の用意ができ、リビングのテーブルへ運ぶ。
テーブルの上には鍋の他に、唐揚げやサラダを盛ったプレート、誰が持ってきたのか、焼いた何かの魚などがところ狭しと並んでいる。
「えー、では。まお吉のお引っ越し、そして初独り暮らしを祝しまして」
ヤナギが立ち上がり、乾杯の音頭をとる。
「かんぱーいっ!」
そして、宴が始まった。
「いやーしかし広いよなー。真央ちゃんんちって、金持ちなの?」
ヤナギが唐揚げを頬張りながら聞いくる。
「ぜんぜん。なんか、知り合いの不動産屋がいて、安くしてくれたみたい」
「過保護だよぉ。ずるいよぉ、羨ましいよぉ」
沙織はすでに管を巻き始めていた。
「お兄さんは、おいくつですかぁ」
「二十八だ」
「えーっ、以外と年上!」
二十八だったんだ。そういや聞いことなかったな。
「お仕事は何されてるんですか?」
「お見合いかっ」
ヤナギがつっこむ。
「ファッションデザイナーだ」
えぇっ!?
「えーすごーい!カッコイー」
「はいはい!もうこいつの話はいいから!」
やろー、変にアドリブ利かせやがって。
あんた居候のニートでしょうが。
すると、ユウが顔を近付け、耳打ちしてきた。
「先日お前に雑誌を買わされてから、ファッション業界に関してはそれなりに勉強している。大丈夫だ。ボロは出ない」
勉強って言ったって。
そういえば、部屋には雑誌や書籍類が増えている。
いつの間に買いに言ったんだろう。
「えー、もっといろいろ聞きたいのにーっ」
「やなぎ」
「よしきた」
沙織が酔っ払った時は、ヤナギがお守り役と決まっていた。
そんこんなで、宴も酣である。
あの後、沙織のエルボーがヤナギの脳天に直撃し大乱闘になるなど、それはまあ大変だった。
「じゃ、俺はこいつ送ってくから、永田は美香ちゃんたち頼むな」
ヤナギは、明日のバイトが朝早いということで、日付が変わる前に沙織を連れて帰っていった。
二人が帰った後で、ぼちぼちと片付けをしながらこんな会話があった。
「あ、俺車だから、あいつら送っていってもよかったのに」
永田は皆でこうして集まる時、飲まない事が多い。
もともとそんなに飲めないということもあるのだが、要するに世話好きで、毎回メンバーの送り迎えを進んでやるような男なのだ。
「なに野暮なこと言ってんの」
春がニヤニヤしながら肘で小突く。
「え?あ、あいつら、そうなの?」
「いや、知らないけど」
「なんだよー」
「でもなんか、テツコの方は満更でもないんじゃない?さおはどうだか知らないけど」
「まじで。まぁ、なんだかんだ仲良いとは思うけど」
私も、なんとなくそう思っている。
「さっきだって、サラッと可愛いとか言っちゃってたし」
「え、言ってた?」
「言ってたよ」
本当に言っていただろうか。
「真央はどう思う?あの二人」
と、皿を洗っている私に永田が振ってきた。
「別にいいんじゃない?以外とお似合いかもよ」
顔は見ずに答えた。
「ふーん」
なによ。聞いといてその返しは。
「ユウさんの事は?」
急でびっくりした。
美香、本日初めての発言!
(実際にはパーティーの最中にも喋っています)
「な、なに急に」
ユウにはさっきお使いを頼んだので、今はこの部屋にいない。
「ユウさんの事は、どう思うの?」
この天然娘は、可愛い顔して突然とんでもないことを言ってくる事がある。
その屈託のない笑顔が逆に恐ろしいと思う時さえあった。
「だからあいつとはそんなんじゃないってば」
何度言わせれば気が済むのか。
「ふーん」
と永田が代わって返事を返した。
「あ、ていうかごめん。やらせちゃって。洗い物、手伝うよ」
永田がキッチンに入ってくる。
「い、いいって別にっ」
永田は大学の部活で少林寺拳法というのをやっている。
私は格闘技などはまったく詳しくないのだが、袖を捲り上げたその腕が、たくましかった。
なんだろう。変な感じになる。
「今日はお前のお祝いなんだから」
「…じゃあ」
「あの二人、全然手伝う気ないしな」
春と美香は、ソファでくつろぎ、さまぁ~ずさまぁ~ずを見て笑い転げている。
「あんたら聞こえてるよー。真央は料理ほとんど使い物にならないんだから、皿洗いくらいはやらせて当然でしょー」
ぐ、痛い所をつかれた。
まぁ、私にも自覚はあるから、こうして黙って後処理を買って出たわけだが。
「ひでーよなぁ、お前ら」
永田にまで笑われてしまった。
料理はもう少し勉強した方が良さそうだ。
洗い物も終わった頃、玄関で音がした。ユウが戻ってきたようだ。
「ごめんねーユウさん、行かせちゃって」
「ご所望の品だ、娘たち」
ユウはテーブルにお茶を置くと、ベランダへ出ていった。
ユウは煙草を吸う。
どこでそんなものを覚えたのかと聞くと、昔からだという。
あちらの世界でも煙草なんてあるのか。
今はマルボロライトメンソールロングというセーラーなんとかムーンとかプリキュアなんとかみたいな長いタイトルのを吸っている。
続いて、永田もベランダへ出ていった。
ちなみに永田も煙草を吸う。
ガラス越しに見える二人の影を見つめた。
二人で何を話しているんだろう。
気になる。
だらだらとしていたら夜中の一時を過ぎ、女の子二人がもうここで寝たいと駄々をこねた為、結局三人とも泊まっていく事となった。
泊まると言っても、布団は私の分しか無いので全員リビングで雑魚寝だ。
一人自分の部屋のベッドに寝るのも悪いので、なんとなく私も混ざる。
私の部屋から布団と毛布を持ってきて、横に敷いてみると、女の子三人なら並んで寝られた。
今更だが、ユウにはもともと布団すらない。いつもソファで寝ており、その方が落ち着くのだそうだ。
男二人を隅に追いやってから電気を消した後も会話は止まなかったが、お酒が入っている為か、三十分ともたずにリビングは静かになっていった。
どれくらい眠っただろう。少し首が痛い。
目を開けると、まだ暗かった。
抜き足差し足、トイレに行った帰りに冷蔵庫からお茶を取り出す。
ふと、ベランダの外にぼんやりと明かりがついていることに気が着いた。
再び抜き足差し足、春たちの身体を踏まないようにガラス戸に近づくと、ベランダの外にユウがいた。
手すりに肘を置き、煙草を吸っているみたいだ。
そっと戸を開ける。
ぼんやりとした明かりの正体は、蝋燭だった。アロマキャンドルのようだ。
なにお洒落なことしてんだろ。
ほのかに甘い香りが鼻先を通りすぎる。
「眠れないのか」
「おしっこ行っただけ」
「下品なやつだな。お手洗いとか、お花を摘みにとか、他にあるだろう」
急にこいつと初めての会った時の事を思い出して、恥ずかしくなった。
そうだ。こいつには、見られている。
ユウの吐き出す煙が、アロマキャンドルの香りと混ざりあう。
「今日は、その、ご苦労様」
「なんだ?」
「最初はさ、ハラハラしてたけど、なんか皆ともそれなりに上手くやってくれてたし」
蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。
「その、ありがと」
ふっと笑ったように煙を吐いた。
「お前らしくないな」
「な、なによっ」
ガラス戸の向こうでは春たちが眠っている。あまり大声は出せない。
「まあ、それが本来のお前と言うべきか」
「………なによ」
眼下に映る、月を湛えた川面が暗くなった。雲が掛かったのだろうか。
見上げると、月は見えなかった。
深い夜だ。
「このくらいの時間を、丑三つ時という。草木も眠る丑の刻。家屋の軒は三寸下がり、魔が往来する。深い夜という意味だ」
「ちょっと、急に怖い話はやめてよね」
「苦手か」
苦手だった。
いい歳をして恥ずかしいとは思わない。怖いものは怖いのだ。
「丑の刻参りの話をしようか」
「だからやめてって」
「冗談だ」
再び、川面が輝き始めた。
「丑という漢字がわかるか。牛肉の牛じゃないぞ。丑年の丑だ」
「んっと、なんか数字の五みたいのだった気がする」
「まあ惜しいところだな。
丑と言うのは、紐の右側の部分だ。種の中に生じてまだ芽になっていない状態をさす」
だから何だという話だ。
「きっとお前も、これから芽になる紐なのだろう」
「なんなのよ、もう」
本当に、だから何だという話だった。
そして、それからずっと、忘れることはなかった。
「この蝋燭、いい香りだろう。
丑の刻参りでは、頭の上に乗せた五徳に三本の蝋燭を刺してな…」
「ちょっとっ、やめてよねっ」
慌てて耳をふさいだ。
また余計な事を知られてしまった気がする。
「なるほど、お前の弱味をひとつ掴んだぞ」
「私に逆らえないくせに」
「だがしかし、今夜は俺も楽しかったぞ。礼を言っておこう。お前以外の人間と関わるというのも、たまには良いものだ」
そう言って、ユウはアロマキャンドルの火を吹き消した。
彼が毎晩、ここでこうしていることを、その時の私はまだ知らなかった。