運に恵まれずも楽しき今
放課後になり学園内のざわめきも少し落ち着きを取り戻した頃、ダズはいつもの様に神代を迎えに来ていた。
「遅いな……」
神代とは普段から校舎の西階段一階(1・2年生用校舎の階段。ミキなど三年生と特別教室などは逆の東校舎、職員室や講堂などは北校舎にある)で待ち合わせをしている。通常であればHR終了数分後には来るはずなのだが、今日はやけに遅かった。
(HRが長引いてるのかな?)
余談だが、ダズはHRというものがどういった時間であるのかを知らない。ダズの通っていた学校ではHRが組み込まれていなかったのだ。だから『HRが長引く』と言われた時に元々どのくらいあって、どれだけ長引くのかが感覚的に分からない。その為ダズは今、心の片隅で終わるまで数時間かかるのではないか、などと思っていたりもする。
ダズがしびれを切らし、神代の今日教室にまで行こうかと考えていたら、神代が階段を駆け降りてきた。彼女には珍しく、口の端に笑を携えて。
「遅かったね。何かあったの?」
「ん。クラスメイトと話してた」
彼女の言葉にダズは少し驚いた。神代が入学してもう数週間になるが、クラスのましてや人間関係の話を聞くのは初めてであったからだ。他の生徒とは違い、特殊なかたちで入学した彼女がクラスに溶け込めるには少々時間がかかるだろう、と倉橋も言っていて、正直ひと月ふた月ではどうにもならないとタカをくくっていた。それが……。
「クラスの人の何人かと最近仲良くなった。お弁当を一緒に食べたりもした」
というのである。嬉しい半面、驚きも大きい。
「そうか。それは良い。良いことだ」
ダズは大きく頷いて、自分の肘ほどの位置にある神代の頭をワシャワシャと少し乱暴に撫でた。
「ねぇ。これって友達?」
「うん?なんて?」
「こういう関係を友達って言うの?」
「はぁ?なに言ってるんだ。飯を一緒に食べて、会話もするんなら十分に友達同士って言えるだろ」
神代は遠くを見ながら「ふーん」と間延びした返事を返した。
「それなら、私には初めての友達みたい」
「友達いなかったのか?」
「前の学校では隔離されてた。同年代の友達はひとりもできなかったの。危険だからって学校を退学したあとは、ここに来るまでほとんど家から出てないし。……ここは広い。ここに来てからいろんなものが広く、大きくなった気がする。多分、友達が出来たってのもそのひとつね」
ダズは納得した。出会った時から何か他の人とはズレたような、いや、むしろ人格の濃度が薄いような彼女のイメージはその閉鎖的な過去から来ていたのか。話してみると、彼女の教養の高さはすぐにわかる。しかし同時に年齢にそぐわない子供っぽさも感じられるのだ。それは他人との関わりが持てなかったことに起因しているらしい。
「んー。そりゃ良かった。お前は変な奴だからなぁ。これを契機にも少し人付き合いになれればいいよ」
「……そんな風に見てたんだ」
「気を悪くしたか?だが悪気があったわけじゃないぞ。何にせよ神代に友達が出来たのが俺も嬉しいのさ」
「習ったことがある。確か外国人は思ったことをはっきり言うって」
「俺たちからしたら日本人の方が卑屈すぎて言葉を覚えるときに苦労したよ。実際、俺たちの日常では全く使わないような、会話表現があったりもしたからな。やっと“我慢”って言葉の使い方が最近わかってきた」
「我慢?英語ではなんていうの?」
「知らない。多分ないと思うぜ。というか我慢っていう言葉自体、日本人の卑屈さの表れみたいに思えてしょうがないよ」
ここで話が途切れ、少々の沈黙の帰り道。
近頃はそんな時間さえも苦ではない。二人の中が徐々に深まっている証拠なのだろう。
「そういえば、一番最初の友達は俺ってことを忘れちゃダメだよ」
「あー…ふふ、そうだった」
「さぁて、そろそろ下校完了の時間かな」
現在、午後7時少し前。神代を送って、事務室で時間を潰すこと2時間ほど。そろそろ下校完了アナウンスを入れる時間になっていた。
「おっと、放送の準備を……」
見ると放送の2分前で、慌てて機材の準備にとりかかった。
『コンコン』
と、その時ドアがノックされた。
「とと…はーい。いいですよー」
こんな時間帯に訪ねてくるなんて誰だろう、と思ったがドアの先から現れたのは理江だった。何の用があって来たのかは気になるところだったが、今はアナウンスが優先である。理江にはジェスチャーでマイクと時計を指差しながら、今からアナウンスを入れることを伝えた。理江もそれを理解したらしく、人差し指を唇に当て静かにすることを表した。
ダズはマイクの電源を入れ、ゆっくりとボリュームを上げる。そして一息ついてからアナウンスを始めた。
「完全下校完了の時間になりました。校舎内の生徒は速やかに下校してください。なお、居残りの生徒は担当の先生のもと、下校してください。繰り返します……」
アナウンスを終え、マイクの電源を切ったあとダズは後ろで待っていた理江に向き直った。
「で、どうしたの?もう下校時刻なんだけどな」
「申し訳ないです。しかし今日のことで話さねばならぬ事があって……」
「今日のことってーと……あの不良たちの?」
理江は深く頷いた。
「いや、事情がよくわからないから、俺に話したってどうにもならないと思うけど」
「否。これは己の推測だが、ダズは今回の一件において当事者のひとりであると思われる」
「え。俺、関わってんの?ちょ、ちょっと説明してくれよ」
「しかし…うーむ。勢い余って来てしまったものの、不確かな推測をおいそれと話して良いものか……」
そこまで来て口ごもる理江。妙な状況に置かれてしまったダズは、一体何かと気になってしょうがない様子で理江の次の言葉を待つ。
「強いて言うならば……」
「強いて言えば…?」
理江は大きく唸って首をひねる。ダズにどう伝えるべきか、それを必死に考える。
「まぁ…廉華は貴方を痛く気に入っているということかな。柔らかに言えば」
「気に入られてる?いやいや、この前の印象でか。というか、仮に気に入られてるにしたって今回の件とどう関わってるんだよ。そんな一個人の問題じゃあ……」
「うーん。取り敢えずは自分の予測だからなんとも言えんが、近いうちにはっきりするさ。たぶんな」
「何だよ。煮え切らない言い方して…。まぁ、当分あの手の輩には俺も警備員として気を付けよう」
「うむ、そうだな。それが良い。……では、話はこれだけだ。そろそろお暇しよう」
理江は立ち上がり、部屋から出ていこうとする。それをダズが呼び止めた。
「もう下校時間をだいぶオーバーしてる。一人で校舎を歩いてたら教員の方にどやされちゃうよ。俺がついて行ってやるから、ちょっと待て」
「む。ありがとう」
部屋の脇に掛けてあった制服を羽織って、理江と一緒に部屋を出る。どうせこの後に戸締り確認をしなくてはならない。それのついでと思えば…。
(じゃなくて戸締り確認がついでだったりな……)
「ダズは26歳だったろう。結婚はしてないのか?」
「はは、故郷に奥さんのひとりでもいれば、職を失ってまで日本に移住しようなんて思わなかったろうね。あんまり女性経験は豊富じゃないんだよ」
「本当に見かけのよらない人だ。トップアスリートならばスキャンダルはつきものじゃないのか。そんな時期があっても不思議じゃないがな」
「おいおい、それは偏見さ。証拠に俺はクリーンだぜ」
いつからか理江と話すときに自然と言葉が出てくるようになった。最初の頃感じていた妙な気負いも消えた。
「フフッ。はてさてどうだろうか」
「そういう理江はどうなんだよ?一番興味のある年頃だろうに~」
「わ、私のことはいいだろう。貴方に聞かれる筋合いはない」
目に見えなかった関わりが、やっと形を成してきたのだろうか。理江との間にささやかな信頼の成立を感じながら、寮までの道をふたりで帰った。
(今日は年頃の娘と帰路を共にするということが二回もあったわけだが。アメリカじゃあこんなことはなかったな。一人の女の子とも打ち解けなかったのに、ここではそれぞれと仲良くなってきたし……。あれ?そういえば日本に来てから女性の知り合いばっかり出来てないか。26歳にしてそっちのツキが回ってきたってなぁ。あはは……)
と一人、今日の出来事を思い返しながら、風呂で微妙な心境になってしまったダズであった。
今週は調子良かった!
しかし来週からはまた……。一日が36時間にならんかなぁ




