イヴのくれた時間
「残念ながら、あの子はもう長くありません。このままだと……もって半年かと」
皆が寝静まる夜更けの屋敷。リビングのドアの前で息を潜めながら、木漏れ日のように差し込んでくる会話を聞いていた。
まだ続く専属医師の声を掻き消すように、僕はそのままトイレへ向かう。
小さく波打つ心臓を震える手で押さえながら、ひとさじほどの息を吐く。
不思議なほど、いつもと変わらない音だ──。
* * *
「ミシェル坊っちゃん。今日から、この子があなたのお友達でございます」
ラトロンス伯爵家の執事であるモリスが、綺麗に整えた白髭を揺らしながら、一体の人形をよこした。
黄金に輝く髪と、雪のように白い肌。瑠璃色の瞳はどこか儚げで、物憂げな表情を浮かべている。
十四になった僕へ、父上からの贈り物らしい。
聞いたことはあったが、これがオートマタか。噂の通り、見た目は人間と変わらないんだな。
上半身を起こしてベッドへ横たわったまま、僕は手を差し出した。
「僕はミシェル。よろしくね」
スッと伸びてきた手が握手して、ぎこちない笑みが向けられる。
『ミシェル様。よろしくお願いします』
「……その呼び方、なんかやだな」
『では、なんと、お呼びしましょうか?』
「ミシェルでいいよ。それと、敬語もなし。今日から、君は僕の友達になるんだから」
『わかった。ミシェル』
そのオートマタは、言葉を理解するようにうなずくと、一歩前へ出た。瞳孔の広がり方、電灯に照らされた髪の艶まで、どこを見ても人間のようだ。
「うん、その方がいい。そうだ、君の名前は?」
『ナマエ』
薄紅色の唇を動かして、ひとつ瞬きを落とし、『ワタシは、イヴ』と品のよい笑みを浮かべた。
「いい響きだね。これからよろしく、イヴ」
──夢を見ていた。
僕がイヴと初めて出会った日のこと。
触れた手のひらが、人より少しだけ機械的で、冷んやりと気持ちがいいのを思い出した。
高精度のオートマタと人間を区別するための、数少ない部分だと言われている。
西暦2052年。
地球上のどこかに存在する街、アストニタス。ここでは、貴族のみ所有することができるオートマタが存在している。
使用人として使う者もいれば、子のない夫婦が家族として受け入れることもある。人間そっくりに感情をプログラミングされており、喜怒哀楽を目や唇で表現することができた。
十畳の部屋につけられているレースカーテンを少しだけ開けて、庭を見下ろす。
赤や白の薔薇が咲き乱れる中、兄が友達と走り回る様子が目に映った。
枕元には、何十回と読んだ本。何ページになんの台詞が出てくるかすら記憶している。
どれほど吐き出したか分からないため息を飲み込んで、僕はベッドから降りた。
……退屈だな。
本棚に詰まっている背表紙をなぞっていると、ドアの向こうで声がした。
『ミシェル、入ってもいい?』
どうぞと返したあと、少し間を置いてイヴが顔を出す。
窓の外から聞こえる笑い声に上書きするように、コポコポと紅茶を注ぐ音がした。ティーポットの中で、ドライフルーツが踊っている。
「今日のクッキー、イヴが作ったんだって?」
『はい、モリスさんと。ミシェルは、甘いものが好きだと聞いたカラ。チョコチップとシナモンも入れてみたの』
唇の端を上げてニコリとする表情に、不自然さはない。何通りかある笑顔のひとつでも、僕にとっては唯一の安らぎだ。
「すごく好みの味だ。ありがとう、嬉しいよ。ここは静かで、優雅な時間だね」
彼女と出会って、三ヶ月が過ぎた。味気なかった毎日は、花が咲いたように明るくなった。
言葉を拾ってくれる相手ができたし、なにより、無だった部屋に音が生まれた。イヴといると、寂しさを思い出さないで済む。
『ミシェル、今度お庭に出てみない? いっしょに、遊びましょう』
窓の前に立ったイヴが、僕に手を伸ばす。何度見たか分からない笑みを浮かべながら。
黙ったまま、僕はベットに戻った。コホコホとむせると、イヴが背中をさすってくれる。それがさらに惨めに思えて、こぶしにぐっと力が入った。
「……僕は、いいや。体が弱いから、すぐに疲れてしまうんだ。それに、病状が悪化するといけないから、父上から止められてる」
──余命半年。あの言葉を耳にしてから、三ヶ月。僕には、あと半分の時間しか残されていないのだ。
体のだるさは変わらずで、たまに呼吸が苦しくなる。病状がよくないことは、身に染みて感じていた。
『では、本を読みましょう。ワタシ、ステキな話を知っているの。〝アガルタの夜明け〟と言うのだけど』
「ごめん。今は、気分じゃないんだ。せっかく誘ってくれたのに、ごめん」
『いえ、ワタシの方こそ、ゴメンナサイ』
扉の閉まる音がして、ふとんを頭までかぶる。
その本は、僕も読んだことがある。晴れやかな舞台で、好意を寄せる子とダンスパーティーに参加する話。
色鮮やかで眩しくて、僕の苦手な世界だ。
生まれつき体の弱い僕は、よく学校を休んでいた。たまに通えば、あんな奴いたのかと嫌味を浴びせられる。
体を動かす授業は見学ばかりで、クリケット大会などの行事にも参加したことがないのだから、異物扱いされても仕方がない。半分は、そう言い聞かせるしかなかった。
クラスメイトたちも、僕とどう接したらいいのか分からないのだろう。今では、空気のような存在になっている。
庭から兄たちの陽気な声が聞こえるたびに、胸が張り裂けそうになる。あんな風に、僕も走ってみたい。遊んでみたい。
『ミシェル、どうか、したの?』
プツンと糸が切れて、窓の外から視線を戻す。目の前に座るイヴが、筆を持ったまま首を傾げていた。
そうだ、今は水彩画を描いていたところだ。こちらを向いて微笑む瞳の中に、白い光の玉を落とす。
「ううん、なんでもない。もうすぐできるよ」
『ワタシも、完成した』
互いに見せ合ったスケッチブックの中の顔は、日常を美化するような生き生きとした表情をしていた。
だから少しだけ、僕はその絵の僕に嫉妬したんだ。
余命が二ヶ月を切った頃、飼っているペルシャ猫が死んだ。僕が産まれたときにはすでに生活を共にしていたから、獣医は寿命だと告げた。
泣きじゃくる僕の横で、イヴが寂しくなるねとつぶやいた。悲しそうに眉を下げていたけど、涙ひとつこぼれない。
彼女は人間じゃないから、仕方がない。感情はプログラミングされていても、心はないのだから。
たとえ僕がいなくなっても、イヴが感傷に浸り泣くことは──決してない。
夕食のスープを口にしたとき、父上の高らかな声に手が停止した。隣で復唱する兄を無視して、僕はスプーンを置く。
来月、いとこの誕生日会を兼ねたクリスマスパーティーが開催されるらしい。ここらの貴族が集まって、食事のあとにダンスをするのだ。
「もうそんな時期か。今回は誰を誘おうか」
当たり前のように、兄は相手を思い浮かべて楽しそうにしている。
一度も出席したことのない僕には、関係のない話だ。
ごちそうさまと席を立ち上がろうとしたとき、父上が僕の名を呼んだ。
「今年は、お前も参加してみてはどうだ?」
「えっ、僕も、ですか?」
体が弱いからダンスはするなと、例年あれほど止めていたのに、どんな心境の変化だろう。
コホコホと咳をしながら、薄っすらと涙がにじみ出る。もう僕の命は長くないから、最後に思い出を作れということなのか。
でも、踊るパートナーがいない。友達すらいない僕が、見つけられるはずもない。
「イヴと一緒に」
目の前に座るイヴに向かって、父が立派な髭を持ち上げる。
『ワ、ワタシで、よ、よろしければ』
瑠璃色の瞳が、まっすぐこちらを見つめて微笑んだ。
今まで、考えもしなかった。自分が体を動かす何かをすること。誰かと、ダンスする世界が訪れるなど。
一週間に数回、一時間程度の練習を重ねて踊りを覚えた。手を取り合って、ステップを踏む時間は、いつもあっという間に過ぎていった。
「きっとみんな驚くよ。僕とイヴがダンスをするなんて」
『ミ、ミシェル、目が、目がキラキラしてる』
「……イヴ?」
『とても、ワクワクする」
「そうだよ! 嬉しすぎて待ち切れないよ。イヴは間違えないから、僕もミスしないように頑張るよ」
『はい、一緒に踊れることを、楽しみにしてる』
月明かりが差し込む広間。二人きりになってから、約束を交わした。
叶えられるかも分からぬ不透明な未来は、わずか数日後に、音を立てて崩れた。
思い返せば、前触れはあった気がする。日常のほんの些細な引っかかりを、ボタンの掛け違えにより見過ごしていた。
イヴが、廃棄されることになった。
朝、いつものようにリビングへ降りて行くと、深刻な表情を浮かべた父上とモリスが話しをしていた。充電装置の上に立って、瞼を開けたままの動かないイヴに袋を被せて。
「……父上、モリス? なにを、しているの?」
僕の肩にポンと手を置いて、父上は何も言わずその場を去った。暗い表情のモリスが、一度閉じた口を重々しく開ける。
「彼女の寿命が来たのです」
「……どうゆう、意味?」
立ち尽くす僕に向かって、モリスは小さく頭を下げた。
「イヴさんは、ここへ来られてしばらくして不良が見つかりました。余命半年と宣告されていたのですが、今日、その時を迎えられたのです」
──余命半年。
あの日、閑静としたリビングから聞こえた数字と同じ。
「そんなはずはない! それは、僕の方で……」
「口止めされておりましたので、このような形での報告となり申し訳ありません。すぐに、新しいオートマタをご用意致しますので」
「……いらない」
モリスの話を最後まで聞くことなく、僕はリビングを出た。
カーテンで蓋をした部屋に閉じこもり、何日かが過ぎた。オートマタの脳となる部分が不良を起こして、内部で崩壊したらしい。修復不可能で、データも取り出せなくなっていた。
あの余命宣告は、彼女のことだったのだ。
手放したくないと抵抗したけどイヴは廃棄処分され、彼女にまつわるものは全て消滅した。せめてもと思い、彼女が好きだと教えてくれたアネモネの花を胸に添えて。
重石のようなベールを開けるのは、皆が寝静まる真夜中だけ。ぼんやりと浮かぶ月だけが、塞ぎ込む僕の心を落ち着かせてくれた。
「……イヴ、僕もすぐそっちへ行くから。待ってて」
瞼を閉じれば、彼女に会える。
今宵は、心臓の音が少しだけ速く感じた。
窓からの景色が純白を彩るようになり、クリスマスパーティーの日が訪れた。気が乗らないまま、この前仕立てたばかりのブラウンのスーツに身を包む。
会場には、すでに多くの貴族が顔を揃えていた。華やかな飾りが施され、肩身が狭くなる。
兄の後へ続こうとして、テーブルの向こうに立つ少女と目が合った。アストニタスで有名な資産家の令嬢だ。
「あら、あなた、ラトロンス伯爵家のミシェル?」
「はい」
「久しぶりね。前会ったときより、背が伸びたんじゃない?」
ふたつ年上の彼女の指が、僕の髪をさらりと撫でた。
「とっても素敵になった。ねえ、今日ダンスのパートナーはいるの? もしもいなければ、私と」
「すみません。もう、決まっているので」
逃げるようにして背を向けたら、勢いよく腕を掴まれた。
「待てよ。おまえ、レディに恥をかかせるつもりか」
細く吊り上がった眉と目、いとこのアダンだ。人を見下す表情は、以前と変わっていない。
「聞いたぞ。相手はオートマタらしいな。でも、その唯一の友達も壊れて捨てたんだろう? 新しいのは買えたか? そのわりに姿が見えないけど、一体誰と踊るつもりだ」
吐き捨てるようにハッと鼻で笑いながら、僕のつま先をジリジリと踏みつけている。動悸がすさまじく、心臓がもぎ取られそうだ。
「イヴ以外と、踊るつもりはない。だから、ダンスは参加できない」
「は? ふざけるなよ。俺の誕生日会でもあるパーティーで場を乱すようなことするな。必ず参加しろ。あそこの西洋騎士と踊れよ。同じようなもんだろ? 丸焦げのオートマタでは、みんなが気味悪がるからな」
さらに強い痛みが、足の先へと伝わってくる。
腕を振り払うと、周りから飛んでくる白い視線をかい潜り、風の当たるバルコニーへ向かった。
空はほどよく薄暗くなり、クラッシックの音楽が流れ始める。
イヴは物じゃない。心はインプットされたものでも、感情はあった。彼女なりに選択して、言葉を選んで使っていたのだから。
ぽろぽろと涙があふれてくる。悔しさと切なさが入り混じって、胸が苦しい。
「ミシェル坊っちゃん、大丈夫でしょうか」
そばにいたモリスの服を、力なく掴む。
「モリス、僕はいつ旅立てる? いつになったら、イヴのところへ行けるの」
一呼吸おいて、モリスが白い眉を下げた。
「まだ長らく先になります。坊っちゃんの病気は、治りつつあるのです」
「……うそだ! そんなわけない。僕の余命は、もうわずかのはずなんだっ」
胸に手を当てると、たしかに鼓動は不安定で、水の中にいるように息も苦しい。
あと半年しか生きられないと聞いたとき、僕はホッとした。やっと、このつまらない人生から抜け出せると。
イヴだったら、僕の最期を看取ってくれると思っていた。哀しみは持ち合わせながら、傷つかないで日常へ戻ってくれる。
だけど、違った。ほんとは、もっとイヴといたかった。部屋だけじゃなくて、太陽の光りを浴びて笑い合えたら、また違った彼女を見れたかもしれない。
でも──。
「僕が生きる理由は、もうないんだ」
「ミシェル」
可憐な声に振り向くと、白いドレスを着た少女が立っていた。黄金に輝く髪、雪のように白い肌。瑠璃色の瞳は、彼女にそっくりだ。
「……イ、ヴ?」
何かの間違いだろうと、抱えた頭を上げてもう一度見る。一歩ずつ近づいてくる少女は、何度瞬きをしてもイヴそのものだ。
修復不可能と言われ廃棄処分されたはずなのに、どうして。
「驚かせてごめんなさい。わたしは、イヴ=ラルミナ。オートマタのイヴを動かしていたのは、わたしなの」
言葉が出なかった。
雑音を消し去る音色に、鼓膜が震える。もう二度と聞けないと思っていた、愛おしい声。
僕と同じで病弱なイヴのために、オートマタの研究チームに所属する彼女の祖父が作ったらしい。
初めは、実験のためにラトロンス家へ来たと教えてくれた。オートマタが、操る人のデータで感情を読み取り、表情を選択できるのか。
いつしか、真の目的を忘れて、僕といる毎日を楽しみにしていたのだと。
「……ほんとに、イヴなの?」
「ええ。ミシェルに会える日を、ずっと心待ちにしていたの。今日は祖父からのクリスマスプレゼント。あの日の約束のとおり、わたしと一緒に踊ってくれる?」
小さな手が差し出されて、ためらいながらそっと手を取った。
柔らかな感触と、人肌の温かさが伝わってくる。
その瞬間、イヴの瞳から美しい雫がこぼれ落ちた。キラキラと輝く宝石が、初めて見る笑顔に包まれていく。
「僕はもう間違えないから、イヴはミスしてもいいよ。そのときは、フォローするから」
ダンスが始まるアナウンスが流れ始めた。照明で照らされる会場を歩いていくと、周りの視線がこちらへついてくる。
手を取り合い笑う僕らは、人目をはばからず額をくっつけてリズムに乗った。
互いの鼓動を、近くで感じながら。
それはまるで、生きる意味を語るように。
「ミシェル、今とっても目がキラキラしてる」
fin.




