貴女の嘘、全部バレていたみたいですが。
今の私の家族の中で血が繋がっているのは伯爵である父だけ。
同じ屋根の下で暮らす母と妹は、私の本当の母が病で亡くなってすぐに招かれた義理の家族だった。
父と母の結婚は政略的なものだったこともあり、二人は折り合いが悪かった。
だからこそ父は母に似た容姿の私を嫌い、浮気相手であった義母と、その子である義妹マルヴィナを愛していた。
父も義母も、マルヴィナを可愛がり、私に冷たく当たった。
マルヴィナは義姉に虐められているのだという偽りの罪をでっち上げ、それを聞いた父と義母はもっと私に強く当たった。
こうして前妻の子ドロシアは家の中で孤立していったのだ。
幼い頃の私はマルヴィナと共にエインズワース公爵邸を訪れる事が多かった。
エインズワース公爵家には私と同じ年の嫡男、ライオネル様がいた。
歳が近い事、またライオネル様が家から出たがらない性格だったこともありエインズワース公爵夫妻は私達を招いてくれた。
また、父と義母は、あわよくば公爵家と深い繋がりを得るべく、そして愛娘こそが次期公爵となるだろうライオネル様の婚約者となれるきっかけとしてマルヴィナをエインズワース公爵家へ送っていた。
私はそんな彼女についていく事が多かったのだ。
勿論、私の希望ではない。
マルヴィナの希望だった。
次期公爵夫人という場に夢を見た彼女だったがその反面、ライオネル様の相手をする事をマルヴィナは嫌っていたのだ。
故にマルヴィナは両親を通じて私に命じた。
「私に成り代わってライオネル様の相手になってやれ」と。
***
エインズワース公爵邸の広い庭園の中を私は歩いていく。
マルヴィナはどこか別の場所で遊んでいるのだろう。私の近くにはいなかった。
辺りを見回しながらしばらく歩いていた私はふと、一本の木の幹にもたれて座る金髪の少年を見つける。
そちらへ向かって歩みを進めてすぐに、彼はびくりと肩を大きく跳ね上げた。
「ライオネル様」
そんな彼の名を私が呼べば、緊張方強張っていた表情が僅かに緩んだ。
「……マルヴィナ?」
「はい」
マルヴィナとして振る舞う事を強要されている私は勿論、彼女の名をライオネル様に名乗っていた。
私は肯定しながら彼の隣にゆっくりと腰を下ろす。
「こんにちは」
「こんにちは。いい天気ですね」
「そうなのかな」
ライオネル様が首を傾げたところで、私は自分の失言に気付く。
「も、申し訳ありません。私ったら」
「ああ、ううん。いいんだ。……うん、確かに今日は日差しが温かいし雨も降っていない。見えなくとも、いい天気なんだろうというのは感じられるね」
そう言って彼は微笑んだ。
けれどその目元は一切見えない。
彼は両目を大きな眼帯で隠していたから。
――ライオネル様は目が見えない。
正確には視力は存在する。ただ、視界を塞いでいるだけだ。
けれど、そうしていなければならない理由が勿論あった。
この世界に存在する魔法。そのエネルギーとなる魔力。
魔力の量こそが魔法の才覚を左右するのだが、ライオネル様はその魔力が他者とは比べ物にならないほど多かった。
そして体内に保有する多大な魔力を制御しきるだけの機能が幼い体には備わっていない。
多くの魔力を抱える彼は他者が保有する魔力の量や流れを感じ取る感覚が非常に鋭かったが、それは彼の視覚に影響を及ぼした。
本来問題なく視認できるはずの物体よりも、魔力の動きがはっきりと可視化されてしまったのだ。
彼の目を通してみる世界では常に揺らぐ魔力の波や、平衡感覚を失うような不安定さが際立っているのだとか。
そしてその過剰な魔力の探知をまだ制御できないライオネル様は、気が触れてしまいそうになったという。
以降、ライオネル様はご自身の才能を制御できるようになるまでその瞳に世界を映す事を封じて生きる事になった。
だからライオネル様が自らの瞳で映した事のあるものの記憶はほんの僅か。
勿論、私の姿を見た事もない。
そして彼が自分の視力を頼ることが出来ないという事こそが――マルヴィナを遠ざけた理由でもあった。
ライオネル様を連れ回すのならばその手を取り、引いてやらなければならないし、彼が怪我をしないように見ていなければならない。
しかしマルヴィナは公爵邸で好き勝手遊びたい反面、その自由時間がライオネル様の体質のせいで台無しになるのは嫌だと考えたらしい。
――どうせ見えないんだから、誰と一緒にいても同じでしょ。
それが彼女の言葉だった。
だからマルヴィナの代わりに、私が彼の傍に寄り添っている。
初めはどう接すればいいのか分からなかった。
彼の事を少しは理解できたと思っても、こうして間違えてしまう事がある。
けれど……ライオネル様は、そんな私の言葉に気を悪くする事はなかった。
寧ろ優しい言葉ばかりを掛けてくれる。
そんな彼と過ごす時間が……私には心地良くて、かけがえのないものへと変わりつつあった。
「今日はお散歩に行きますか?」
「いいや。ゆっくり過ごしたいな」
私はその日の予定をライオネル様に一任していた。
普段私よりも窮屈な思いをしているはずなのだ。私といる間くらいはその不自由さが少しでも和らげばいいと思った。
ライオネル様は体勢を変え、私の隣でゆっくりと横になる。
それから彼は手探りで私の手を見つけると、小さな力で握った。
「……ライオネル様?」
「何でだろうね。……見えない分、誰かから触れられるのは怖いはずなのだけれど」
ライオネル様は高貴な立場の方であるからこそ、やっかみを買いやすい。
そして目が見えない彼は危害を加えられても抵抗する事すらままならない。
そんな立場の弱い上位貴族を、身分差に対する不満の捌け口として都合よく使おうとする者達が、且つていたらしい。
両親の目が離れた場所で、顔も見えない複数から嫌がらせを受けたライオネル様は、それ以降公爵邸の外へ出ようとはしなくなった。
彼が、誰かから触れられるのを恐れるのも、その件があったからだろうと理解していた。
けれど……。
「……君は、怖くないかな」
くすりと、彼が控えめに笑みを浮かべる。
そんな彼の言葉が嬉しくて、愛おしくて、私は彼の手を握り返した。
「触れられるのは怖いけど、不意に寂しくなる時があるんだ。世界に僕一人だけが取り残されたんじゃないかと錯覚する夜は……決まって、上手く眠れなくなる」
そう言う彼の声に僅かな陰りを感じ、きっと今日がその夜を越えた日だったのだろうと悟った。
「……失礼します」
私は空いている方の手で彼の頭に触れる。
僅かに驚かれるような、息を呑む気配があった。
そんな彼を安心させるように、何度も撫でる。
「私はどこにもいきませんよ。ライオネル様が目を覚ますまで、ずっとこうしていますから……ゆっくり休んでください」
それから、歌を口遊んだ。
悪い夢を見て怖がった私を安心させるときに歌ってくれた歌。
「……それは?」
眠りに落ちかけているのか、普段よりもふわふわとした柔らかい声が問う。
私は一度歌を止めて答えた。
「母が教えてくれた歌です。『寂しい時は、この歌を思い出しなさい。そうすれば一人じゃないと思えるはずよ』と」
「素敵なお母様だね」
「……はい」
それから私は再び歌う。
暫くの間、その声に耳を傾けていたライオネル様はふと、まどろんだ声のまま呟く。
「僕はきっと、大勢の中からでも君を見つけることが出来るんだろう」
穏やかで優しい声がスッと、入り込んで来る。
「君のこの綺麗な声も、日頃の言動から連想される君の振る舞いも、きっと、君だからこそ持っているものだから。だからきっと……見えていなくとも君の事はわかるよ。」
私の事を見てくれる人など、もうどこにもいないと思っていた。
家ですら私は邪魔者で悪人。冷遇の対象として以外、誰も私の事は見てくれなかった。
だから、この言葉がどれだけ嬉しかった事か。
きっと彼自身も、自覚はしていなかっただろう。
「この先僕は、君を忘れる事は絶対にないんだろう」
のんびりとした口調でそう呟き、かと思えばすぐに眠りに落ちてしまった彼には。
すやすやと安らかな寝息を立てる愛しい相手の顔を私は何度も撫でる。
彼を起こさないよう、何度も、何度も優しく撫でる。
そうして彼の言葉に応えるように、愛情を注ぐようにその肌に触れながら……そっと声を押し殺し、涙を流すのだった。
***
あれから、ライオネル様には八年会っていない。
私は成長し、婚約者が出来、王立魔法学園へ入学した。
一つ下の学年にはマルヴィナがいて、彼女が懸命に流した悪評のせいで私は学園でも孤立していた。
「ねぇ、聞いた? エインズワース公爵家のライオネル様の事」
「ええ。長年隣国にいたけれど帰国されたのよね。今日から編入されるとか」
すれ違った生徒達の噂が耳に入った。
ライオネル様はご自身の体質と上手く付き合う為、我が国より魔法の技術が発展している隣国へ留学した。
元々聡いお方だったので、その頭脳で早期入学を果たしたとか。
隣国の学園卒業後、更に大学院へ進み、魔法学の研究に大きく貢献した後、公爵家の執務の引継ぎの関係もあって帰国を果たしたとか。
この学園への編入は勉学に勤しむ為というよりは、同年代の貴族との関係を深める為だろう。
ライオネル様が同じ学園にやって来る。
気にならないはずがなかった。
けれど、私と彼があの時のように言葉を交わす未来は存在しない。
そう悟っていた。
頭を過った幼い頃の記憶を振り払う。
そして廊下をまっすぐ歩いていた時――
背後でざわめきが起きる。
不思議に思った私は自然と振り返る。
そして――すぐに気付いた。
陽の光を反射する、金糸のような艶やかな髪、そして宝石よりも鮮やかな輝きを持つ瞳。
凛とした佇まいで歩く美しい青年。
……彼だ、と思った。
その目元を、瞳の色を見たことはない。
記憶の中よりも随分と成長し、男性らしさが増している。
けれど、すぐに気付いた。
彼こそが、記憶に残り続ける、私の大切な人であると。
そして……はたと、そんな彼の瞳と目が合う。
私は咄嗟に目を逸らした。
彼は見違える程成長していた。
外見だけではない。
その佇まいから、自分の積み重ねて来たものに相応の自信と誇りを持っている事はよくわかった。
けれど一方の私は、何も変わらない。
今も自分を取り巻く環境に振り回され、上手く抗う事すら出来ない。
そんな大きな違いが、何故かとても後ろめたく感じた。
彼はそもそも私の顔も分からないはずなのだから、幼い頃共に過ごした少女である事も気付かないだろう。
そう分かっているのに、合わせる顔がないと思ってしまったのだ。
その時。
「……ライオネル様?」
聞き慣れた声がした。
高く、相手の機嫌を取ろうとするような甘い声。
マルヴィナだった。
彼女はライオネル様の傍まで近づく。
「貴女は?」
ライオネル様が問う。
胸が痛んだ。
この先で起きる事を、私は良く知っている。
彼の問いを、自身の問いの肯定と捉えたのだろう。
マルヴィナはパッと顔を明るくさせ、ライオネル様の腕に抱きついた。
「私、マルヴィナ・センツベリーと言います! ほら、昔よく遊んだ……!」
「……マルヴィナ?」
「ええ。私が書いた手紙だってたくさん送ったでしょう」
嘘だ。
公爵家との繋がりの為、マルヴィナは確かに手紙を送っていた。
けれどそれは全て侍女に書かせたものだった。
「私、ずっと待っていたのよ。貴方が帰ってきてくれるの。……よかったぁ、これからはずっと一緒にいられるのね!」
マルヴィナは周囲の女子生徒を見回し、大きな声でそう言う。
まるで、『彼と昔から付き合いがあるのも、大切な人間であるのも私だ』と牽制している様だった。
「……すまない。少し待ってくれないか」
「ええ、勿論。私達、こうして顔を合わせるのは初めてだったものね。接し方に困るのも仕方がないわ。でも……私、ずっと待っていたのよ。そろそろ、婚約くらい考えてくれても――」
わかり切っていた未来だった。
そのはずなのに、私達が築いたはずの関係を簡単に奪っていくマルヴィナを見ていると、だんだんと惨めな思いになっていく。
痛む胸を抱えながら、私はその場を去ることにした。
去り際、再び赤い瞳がこちらを向いた。
そんな彼に他人としての愛想笑いを向けてから、私は足早にその場を立ち去った。
***
そもそもの話。
たとえマルヴィナの件がなかったとしても、私がライオネル様と結ばれる事はなかった。
何故なら私には婚約者がいる。
「お前、昨日もマルヴィナに怪我をさせたらしいな!」
学園の裏庭で、私は婚約者のブレントに突き飛ばされる。
派手に転んだ私を彼は険しい顔で睨んでいた。
「妹を甚振るのはこの手か? それともこの足か!?」
厚い肉で覆われた手や足が、私の体を打って、蹴りつける。
制服の下、傷が目立たない場所ばかりに。
……父と義母は、今勢いのあるミルワード侯爵家との繋がりを得るべく、嫡男ブレントの婚約者として私を差し出した。
差し出されたのが私だったのは、マルヴィナは留学先で婚約者を作らなかったライオネル様の婚約相手に選ばれる可能性が高かった事、また……ブレント本人の野蛮さは社交界でもたびたび噂されていた事などが理由だった。
可愛い愛娘を預ける相手として、ブレントは相応しくないと判断したのだ。
しかしその反面、憎き前妻の娘を都合よく甚振ってくれる存在として、父達は彼を気に入っていた。
躾と称して彼から振るわれる暴力を知っても喜ぶばかりで止めはしないし、ブレントもそれを察しているからこそ『こいつには何をしても良いのだ』と判断して鬱憤を晴らす為の道具として私に暴力を振るっていた。
もう慣れた事ではあった。痛みはあるけれど、やめてと声を上げる事がどれだけ無駄であるかを私は理解していた。
こういう時は声を上げない方が早く終わるものだから。
「いい加減にしろよ、ドロシア。こっちはいつお前との婚約を破棄したって良いんだからな」
そしてその予想の通り、ブレントは自分の気が済むと捨て台詞と共にさっさと私から離れていった。
私は一人、裏庭に取り残される。
腕や足、腹が痛む。すぐに立ち上がるのは難しそうだった。
校舎の壁に背を預けたまま横になる。
起き上がっているよりも、体の痛みが幾分かマシだった。
そうしてじっとしていると、先程のライオネル様の姿が瞼の裏に過った。
「……見えるようになったんだ」
眼帯の無い姿。
何不自由なく周囲を映す赤い瞳。
彼が留学してすぐに自身の体質と付き合えるようになった事、そして眼帯を必要としなくなった事は噂では聞いていた。
けれど実際に、あの美しい瞳が何にも阻まれていない姿を見て、私は心底安心したのだ。
そんな喜びを噛みしめて目を閉じていると。
地面を踏みしめる音が聞こえてくる。
ハッとして私はすぐに体を起こす。
その直後。校舎の陰から、一人の青年が姿を現した。
――ライオネル様だ。
彼は私を見て驚いたように目を見開く。
「こんなところで一体、何を……?」
「や、これは……っ、その」
「いや、そんな事は後だ。すまない、邪魔をするよ」
私が何かを応えるよりも先。
彼は私の隣に腰を下ろした。
「あの……」
「シッ」
ライオネル様が私の言葉を遮る。
その時、遠くからライオネル様を探すマルヴィナの声が聞こえた。
その声は暫く同じ場所をうろうろしていたようだが、やがてゆっくりと遠ざかっていった。
「すまないね」
「い、いえ」
地面に座り込む私と、その隣にしゃがむライオネル様。
何とも不思議な構図だった。
「丁度良かった。君に聞きたい事があったんだ」
ふいに、彼がそんな事を言う。
「私に……?」
「そう。ええっと……」
聞き返せば、ライオネル様は話を続けようとする。
けれど彼は私を見つめたまますぐに自分の言葉を呑み込んだ。
彼が見るのは私の手だ。
それを掬い上げると、彼は私の手を撫でた。
そこで漸く気付く。
袖口から、先程受けた傷の一部が覗いていたのだ。
瞬間、ライオネル様の顔が強張り……瞬く間に険しくなる。
「……っ」
「逃げないで」
私が慌てて引っ込めようとした手を彼は離そうとしなかった。
代わりに、私の手を両手で包み込んで、落ち着かせるように指で優しく撫でる。
「大丈夫だから」
そう呟き、暫く私の手に触れてから……彼は歌を口遊んだ。
懐かしいメロディ。
母から何度も聞いた……そして、私が彼に口遊んであげた歌。
彼は目を伏せ、優しく微笑んでいる。
その顔を見て、彼の声を聞いている内……どうしたって、且つての思い出が蘇って来てしまった。
泣いている私を笑いながら撫でてくれた母。
そして、ライオネル様と過ごした穏やかで温かかった日々。
僅かながらに確かにあった、私の中の幸せ。
ぽつり。
瞳から涙が零れ落ちた。
無意識のうちに、彼の口遊む歌の続きが一小節分、口から零れた。
赤い瞳が僅かに開かれ、それから彼は笑みを深める。
「ほら。やっぱり君だった」
安堵と、愛しさに満ちたような顔をしていた。
「言っただろう。大勢の中からでも君を見つけられると」
それは思い出の中、確かに告げられた言葉。
私が『マルヴィナ』として生きていた時間に聞いた言葉だった。
なのに彼は、何故かその言葉を向けた相手が私であると確信している様だった。
「忘れてないよ」
ライオネル様が私の涙を指で掬い、頬を撫でる。
「忘れてない。君の事はずっと……僕の中に残り続けていた。僕の心の支えだった」
その優しい言葉が心を揺さぶる。
込み上げる感情に呑まれ、上手く言葉を紡げずに私は嗚咽を絞り出した。
「あの頃の僕を救ってくれてありがとう。今度は僕に……君を救わせて欲しい」
震える私の体をライオネル様がそっと抱き寄せる。
「君が何故別の名を名乗っていたのか。それに対して何も言わないのか。そして傷を負っている事……。それらを鑑みるだけでも君の境遇が良くないものだという事は充分わかる。けれどきっとまだ君の苦しみの半分だってわかってあげられていないんだろう」
だから教えて欲しいのだと彼は訴えた。
それから……
「……ああ、でも、そうだな。順序が違ったね」
そう言うと彼は少し顔を離した。
赤い瞳が、私を真っ直ぐと見つめる。
目尻が優しく下げられた。
「改めて。ライオネル・エインズワースだ。君の、本当の名前を聞いてもいいかい」
「……っ、ドロシア…………ドロシア・センツベリー」
「ドロシア……うん、素敵な名前だ」
これが、私とライオネル様の再会だった。
***
「ドロシア・センツベリー! お前との婚約を破棄する!!」
それから二週間程が経った頃。
ブレントは大勢の生徒の前でそう言い放った。
彼の傍では私を嘲るマルヴィナの姿がある。
「お前は何度言ってもマルヴィナへの虐めをやめなかった、卑しい悪女だ! 彼女は何と、昨日のお前の虐めのせいで自殺まで考えたと言っているんだぞ! 簡単に人を死へ追いやる、お前のような奴と婚約など出来るか……! 精々貰い手がない中、いつ自分の罪が裁かれるかもわからない恐怖に震えると良い!」
冤罪です、と私が言ったところで彼も周囲の野次馬も信じはしないだろう。
私は口を閉ざし、ブレントから投げられる罵倒に耐えた。
「そして俺は、真に愛する女性――マルヴィナと婚約する!」
「…………えっ?」
そんな驚きの声を漏らしたのはマルヴィナ本人だ。
尚ブレントは彼女が困惑している事など全く気づいていない様子だ。
「左様ですか」
その言葉を引き出した私は、すかさず頭を下げる。
「畏まりました。私はこの婚約破棄を受けます。承認はこの場に揃った皆様方。この婚約破棄がはぐらかされたり、無効になったりする事はないでしょう」
「ちょ、ちょっと待って!」
マルヴィナは異を唱える。
顔は真っ青だ。
「な、何で私がブレントと婚約する事になってるの!?」
「何でって、だって君、俺の事が好きだって。誰よりも心を寄せ、信頼しているからこそドロシアに痛い目を見せて欲しいと言っていただろう!」
「い、いや、それは……っ」
「なるほど。二人は両想いだったのですね。そうとは知らず、気を利かせてあげられず申し訳ありませんでした」
周囲の生徒達が一斉に騒ぎ出す。
「どういう事? マルヴィナ様はライオネル様と親しかったのでは」「よりによってブレント様とは。聊か趣味が……」「それではマルヴィナ様は複数の異性にアプローチをしていたという事に?」等々。疑念が浮上しつつある。
「違う、違うわ! だって私にはライオネル様が――」
このままでは自分の立場が危うくなり――ブレントと婚約するような話の流れになりかねないと感じたのだろう。
彼女は咄嗟に声を上げる。
けれど。
「僕がどうかしたかい」
野次馬の中から、ライオネル様が姿を見せた。
彼の姿を見たマルヴィナはまるで救世主を見るように顔を輝かせる。
「ッ、ライオネル様! ライオネル様からも仰ってください! 私達は幼い頃から愛し合っていると――」
「うん?」
その言葉に、ライオネル様が首を傾げる。
「一体何を勘違いしているんだい」
「…………え?」
「僕は君を愛しているなど、一度だって言った事はないが」
「え、え……っ、でも、だって、小さい頃から」
「それは幼い頃、僕の家に訪れては好き勝手遊び回っていたという話かな。姉に自分の名を名乗らせ、目が見えない僕の面倒を押し付けた」
マルヴィナの顔がサァッと青くなる。
そしてキッと私を睨み付けた。
そんな彼女の視線を遮るようにライオネル様が私の前に立つ。
「随分顔に出やすいようだ。けれど気持ちはわかるよ。彼女が告げ口したのだと思ったんだろう? けれどお生憎様。僕は……僕自身であの時寄り添ってくれていた女性を見つけただけだ。何故なら昔から彼女だけを……愛していたから」
「な……ッ」
またもや周囲の声が湧く。
「ああ、それと…………彼女がマルヴィナ嬢を虐めたと言っていたが。証拠を提示して頂けるかい」
そう、ライオネル様が言った瞬間。
ぶわりと、全身の毛が逆立つような大きな圧を感じた。
彼の体の輪郭が波のように揺らぎ、不鮮明になる。
――魔力。
本来私達が可視化できるものではないそれはしかし、見た瞬間に魔力であると断言できるだけの説得力を持っていた。
恐ろしく濃い魔力が、そしてマルヴィナとブレントに対する敵意が溢れ出す。
「昨日、僕はドロシアと共にいた。悪事を働く事など出来るはずもないんだ。だが、君達の中ではどうやらその認識ではない様だからね。……さぁ、本当に彼女が悪事を働いたというのならば証拠を出してくれないか。僕が……怒りを抑えられている内にね」
そう言いながら一歩、また一歩とライオネル様は二人へ距離を詰めていく。
「ひ、ヒィ……ッ」
二人はすっかり震え上がっていた。
そして、ライオネル様がすぐ目の前までやってきた頃。
「す、すみませんでしたぁぁ…………っ」
ブレントの方が、涙ながらに非を認めたのだった。
***
「彼には、マルヴィナは君に気があるぞ、と猛プッシュしておいたんだ。だから婚約を解消した方が良いと」
「ああ、なるほど……」
「マルヴィナは語ろうとしなかったけれど、まぁ、大勢の前でブレントがあれだけこれまでの冤罪について……マルヴィナが君に着せた罪についても纏めて話したんだ。今後、二人の話を信じる者も……君が悪女である事を信じる者も現れはしないだろう」
放課後。私はライオネル様の馬車に乗せられ、我が家まで向かっていた。
「あとは……知っての通り、既に君のご両親にはエインズワース公爵家との繋がりが欲しいのならばドロシアとの婚約を認めるよう脅し……いや、説得した」
そう。彼の言う通り、私達はマルヴィナとブレントに隠れて話を進めていた。
ライオネル様の家の圧力……それと家族の悪事を知った彼の怒りなどが相まって、すっかり怯えてしまった父と義母は彼の提案を全て飲んでしまった。
そして昨日、我が家から送った婚約解消の願いも無事ミルワード侯爵家に受理された。
公爵家からの縁談が舞い込んだ為……要は今の婚約よりもより家に利益がある縁を選ぶという理由は家の立場を最優先に考えなければならない貴族にとっては一応道理のある理由にはなるし、ブレントが私よりもマルヴィナを気に入っていた事もあったのだろう。
こうして書類上独り身になったばかりの私にライオネル様が婚約を申し出、未来で私が家を出てエインズワース公爵家に嫁ぐ未来が生まれたのだった。
何故マルヴィナとブレントがこの事を知らなかったのかと言えば……勿論ライオネル様が圧力をかけたからという事に他ならないのだが。
そもそも何故そんな事をしたかと言えば、私の悪評を晴らす為だった。
全て必要な条件が整った後、ライオネル様がブレントの背中を押して公の場で婚約破棄を突き付けるよう促す。
まずこの時点で、一方的に婚約破棄をするような無責任な男という状況証拠が生まれる。
そして生徒達の注目も集める。
その場で真実を明かし、私の冤罪を晴らすと同時に、マルヴィナとブレントの評判を下げる……これがライオネル様の考えだった。
これにより、マルヴィナとブレントの評価は学園内で失墜し、この噂は早々に社交界に流れる事になるだろう。
またブレントが公の場でマルヴィナと婚約すると豪語した事からその噂も流れるだろうし、マルヴィナは彼と婚約をしなければ尻軽と囁かれ、まともな婚約者を見つける事すらままならなくなるだろうし、ブレントと婚約したところで幸福な未来が待っている訳もない。
どう転ぼうが破滅と言う訳だ。
「……ありがとうございます、ライオネル様」
「いいや。君がしてくれたことを返したまでだよ。それよりも」
ライオネル様は穏やかな微笑みを浮かべて首を横に振る。
そして……
「一週間後には籍を入れるつもりだけど、いい?」
「え?」
突拍子もない事を言い出した。
思わず聞き返すも、ライオネル様は同じ笑顔のままだ。
「いくらご両親に釘を刺したとて、いつまでも大人しくしてくれる保証もない。それに、これまでされた事を考えれば……君だってあの家に居続けるのは肩身が狭いだろう。……それに気が変わられるかもしれない」
「……気が変わる?」
表情は変わらないのに、段々と圧を感じるのは何故だろう。
それはそれとして、彼がやや早口で言った言葉が気になった。
思わず聞き返せば、彼は不服そうに口を尖らせた。
年不相応な、やや幼い表情だった。
「だって、君の悪評がなくなったという事は今後、君の魅力に気付く異性だって増えるだろう」
「そんな事」
「あるんだよ。ドロシアは自覚ないだろうけど、君はそもそも、すごく可愛いんだから」
「かわ……っ、そ、そんな」
「あるよ」
慌てて否定しようとするとライオネル様の顔から笑顔が消える。
大真面目と言わんばかりの顔に私は言葉を詰まらせる。
「まぁ、君が自分に自信を持てないのはこれまでの環境のせいもあるから仕方ないだろうけれど……。ならせめて、僕が君に夢中で……余裕がないかは、分かって欲しいかな」
ライオネル様はそう言うと、向かいの席から立って私の隣に座る。
「ドロシアは、今僕と結婚するのは嫌?」
――そんな聞き方はずるいと思った。
ライオネル様との結婚。
ずっと想っていた人と結ばれた先にある幸せ。
そんなもの、答えは決まっている。
「う、うれし…………嬉し、すぎます……」
私、絶対今、変な顔してる。
そう分かったから、熱くなってしまった顔を両手で隠した。
「……ん゛っ」
塞いだ手の先から呻き声が聞こえた。
それから、長い……本当にとても長く大きな溜息が聞こえた後。
「…………ドロシア」
そっと、私の手にライオネル様の手が絡まる。
そして私の顔から手をどけた彼は、僅かに顔を赤らめながら、至近距離から私の顔を覗き込んだ。
「いい?」
何を、というのは言われずともわかった。
私は余計に頭が沸騰してしまうような感覚に襲われながら何とか頷く。
本当に小さく、首を縦に振ったと同時に――私は唇を塞がれた。
最初は優しく、けれど何度か重ねるごとに段々と深くなっていき。
彼の深い愛情が、これでもかという程に伝わって来た。
やがてライオネル様は唇を離すと、笑みを深める。
「……結婚しよ? いいよね」
甘さを孕みつつも低い囁きに、ぐるぐると目が回る。
けれど、彼ばかりに愛を注がれてしまうのではいけないと、懸命に言葉を絞り出す。
「は……い」
瞬間、彼が子供のように破顔するものだから。
抱いていた愛しさが一瞬にして溢れてしまう。
――私、この人とずっと一緒にいたい。
心からそう思った。
「愛してる。ドロシア」
「はい、わたしも……です」
私達はいつまでも互いの視線を外せないまま、愛を囁き合って。
それからまた、深い口づけに溺れていくのだった。
***
その後。
マルヴィナはブレントと婚約したが、社交界で完全に孤立した二人の悪評は止む事を知らず、家の評判を気にしたミルワード侯爵夫妻はブレントを廃籍し、家から追い出すことで家の評判を保とうとした。
これによりマルヴィナは独り身になるが、そんな彼女を是非妻にと手を上げるような異性がろくな男性であるはずもなく。
とはいえいくら愛娘を愛していようと家の地位を最優先に考えなければならない父は、マルヴィナを結局悪徳貴族と名高い三十程歳上の男のもとへ嫁がせる事になる。
こうして公爵家と侯爵家の繋がりを得た我が生家は一見安泰かのように思われたが……この数年後、義母の不貞が発覚し夫婦仲は破綻。
おまけに税金の着服などの不祥事が浮き彫りに。何者かによる密告によって父は伯爵位を剥奪され、領地を追い出される事となった。
尚、我が家が潰えた話を聞いた時、傍にいたライオネル様……いえ、ライオネルは爽やか極まる微笑を浮かべていた。
その笑顔に僅かな圧を感じたのは……気のせいだと思いたい。
何はともあれ、家族や元婚約者の末路など、私には些末な事だ。
だって私は……今日も同じ屋根の下、愛する人と共に幸福に満たされた時を歩んでいるのだから。
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