バイト先の異世界がブラックだった件:魔王軍の「地獄の朝礼」
1. 召集の現実:薄明かりの点呼場
薄闇が残る午前5時。異世界に召喚された俺、佐々木健太(25歳、フリーター)は、身体を起こす間もなく、地鳴りのような咆哮とけたたましい角笛の音で叩き起こされた。昨夜、支給された硬い寝袋でろくに眠れなかった体は、すでに鉛のように重い。宿舎代わりの巨大なテントから外に出ると、生暖かい風が湿気を帯びて頬を撫でた。
目の前には、雑然と広がる荒野。その一角に、魔族、ゴブリン、オーク、そしてどこから連れてこられたのか、鎖に繋がれたトロルまで、様々な種族がぞろぞろと集まってくる。彼らの顔はどれも土気色で、目には生気がなく、まるで過労死寸前のサラリーマンのようだ。「…これ、まさか、朝礼?」俺の脳裏に、かつて経験した工場バイトや倉庫整理の朝礼風景がフラッシュバックした。まさか異世界でまで、この既視感を味わうことになるとは。
集団の前に立つのは、いかにも中間管理職といった風貌の魔族、ドゥームグルだ。ゴツい体躯に反して、目の下には深いクマがあり、時折胃を押さえる仕草を見せる。彼の顔は、この薄暗さでも血走っているのがわかる。
「おい、揃ったか!各部隊長、人員報告!」
低く唸るような声で、ドゥームグルが号令をかける。各部隊の隊長らしき魔族たちが、前に出て報告を始める。
「第一部隊!現員150!昨日夜戦にてオーク5体、ゴブリン20体が戦死! 病欠2名!」
「第二部隊!現員120!資源採集任務にてコボルト10体、過労により倒れて療養中!」
ドゥームグルは顔色一つ変えず、「よし」と頷く。だが、俺は耳を疑った。「戦死」?「過労」?これが、労働報告?そして、ドゥームグルは俺のほうに目を向けた。
「…臨時召喚獣部隊(仮)!佐々木健太!」
「は、はい!」
思わず元気よく返事をすると、周囲の魔族たちがギョッとした目で俺を見た。「あ、こいつ、まだ生きてるのか?」と言いたげな視線だ。
2. 体操の時間:危険すぎる「魔王軍ラジオ体操」
点呼が終わると、ドゥームグルが重々しい声で告げた。「では、諸君!魔王軍体操、第一!」
辺りの魔族たちが、重い体をよろめかせながら、奇妙な動きを始める。それは、日本のラジオ体操とは似ても似つかない、いや、むしろ肉体破壊体操と呼ぶべきものだった。腕を天高く突き上げたかと思えば、そのまま地面に叩きつけたり、全身をねじりながら咆哮したり。ゴブリンが高速でその場で回転しすぎて目が回って倒れたり、オークが力みすぎて肩の筋肉を断裂させたりしている。砂埃が舞い上がり、魔族たちの呻き声が響く。
ドゥームグルが先導して動きを指示する。
「腕を振って…!忠誠を叫べ!『魔王様に栄光あれー!』」
俺も必死に真似をするが、身体が全然ついてこない。腕を振るたびに肩が軋み、腰をひねるとギックリ腰になりそうだ。「(心の声)これ、準備運動じゃなくて、本気の戦闘訓練だろ!?っていうか、マジで筋肉引きちぎれそうなんですけど!?」
隣のゴブリンが、無理な体勢で背骨をボキッと鳴らし、うずくまった。ドゥームグルはちらりとそのゴブリンを見て、吐き捨てるように言った。「気合が足らん!貴様のような軟弱者には、魔王様の栄光は掴めん!」
そして、再び号令をかける。「次は、首の運動だ!首を限界までひねり、憎しみを込めろ!」
俺はひっそりと、首だけは普通に回した。こんなところで首を痛めて労災申請なんて、絶対通らないだろう。いや、そもそも労災の概念すら存在しないだろうな。
3. 本日の作業内容:デスマーチ計画と「危険予知活動」
体操が終わると、疲労困憊の魔族たちが再び集まる。ドゥームグルは、広げられたボロボロの地図を指差しながら、今日のデスマーチ計画を発表し始めた。
「本日の目標は、人間どもが築いた前線基地の制圧だ!夜までには必ず制圧し、資材を確保すること!失敗は許さん!」
彼の言葉に、周囲の魔族たちが小さく呻き声を上げるのが聞こえる。前線基地の制圧?夜まで?いくら異世界バイトとはいえ、これは完全に労働基準法違反だ。休憩の概念も、残業代の概念も、ここには存在しないらしい。
「では、今日の危険予知活動(KY活動)だ!」ドゥームグルがそう言うと、魔族たちは気のない返事をする。
「指差し呼称!今日の危険は…勇者だ!」
魔族たちが一斉に、虚ろな目で指を差しながら叫ぶ。
「勇者!よし!」
「(心の声)よし!じゃねえだろ。対策はどうするんだよ対策は。指差し呼称って、もっと具体的に『足元注意、よし!』とか、そういうやつだろ普通…」
ドゥームグルは続ける。「敵の罠は回避しろ!味方は盾にしろ!回復呪文はケチるな!ただし自分には使うな!死なない!よし!」
「死なない!よし!」魔族たちの声が、どこか空虚に響く。
俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。これはもう、ブラック企業の比じゃない。生きて帰れる保証なんてどこにもない。労災どころか、命すら使い潰される場所だった。「(心の声)こんなはずじゃなかった…高時給って書いてあったじゃん…まさか日給じゃなくて日給生贄だったのか…?」俺は、震える手でスマホを取り出し、電波を探す。だが、もちろん繋がるはずもない。
4. 締めの唱和:ブラック企業のスローガン
発表が終わり、ドゥームグルは満足そうに頷く。そして、全員に向かって力強く叫んだ。
「では、締めの唱和!準備はいいか!魔王様のために!」
「魔王様のために!」
疲弊しきった魔族たちの声が、かろうじて響く。俺も周りに合わせて、ぎこちなく声を出す。
「滅びの栄光を!」
「滅びの栄光を!」
その掛け声は、日本のブラック企業の社訓やスローガンと同じくらい、聞いているだけで吐き気がするような響きがあった。
ドゥームグルは最後の言葉を吐き出す。
「仕事始めだ!死ぬ気で働け!」
「はい!!」
全員が、まるでロボットのように動き出す。朝礼が終わると同時に、各部隊はそれぞれの任務へと散らばっていく。その背中は、希望に満ちた冒険者ではなく、ただただ今日のノルマをこなすためだけに、重い足取りで歩き出すサラリーマン集団にしか見えなかった。
俺もまた、ドゥームグルに有無を言わさず第一部隊に組み込まれ、ずるずると引きずられるようにして出発する魔族の群れに飲み込まれていった。「(心の声)…マジかよ。こんなバイト、早く辞めたい。でも、辞め方、誰も教えてくれないし…」
昇る朝日が、俺たちの背中を容赦なく照らしつける。それは、希望の光ではなく、今日一日の過酷な労働を予感させる、残酷な光だった。