「お前を愛することはない」と言われる前に「貴方を愛することはありませんわ」と言ってやった
リリアン・ナフティ・ヴァーヴェリア、12歳。
クロークス公爵家の長女である。
とある小説で登場するキャラクターで、悪役令嬢だ。
ヒロインの女の子に陰湿な嫌がらせを続け、それが婚約者である王太子にバレて断罪される。
ありふれたストーリーだわな。
でも私は、そのありふれたストーリーが好きだった。
悪役令嬢の罪があらわになってパーティーで断罪される瞬間はスカッとしたのよね。
まあ、それが小説の中の話なら良かったんだけど……。
私は、そのリリアン・ナフティ・ヴァーヴェリアに転生しちゃったらしい。
よりによって、リリアンかよ。
転生するなら可愛いヒロインちゃんのほうが良かった。
私は鏡に映し出される自分の顔をまじまじと見た。
リリアンはツリ目な上に氷を彷彿とさせる淡い薄水色の瞳をしている。
純白の流れるような長い髪は美しいけれど、同時に冷たさを感じ、それに相まって鋭い眼光をしているものだから他者を拒絶しているように見えてくる。
ちょっと……いや、かなり近寄りがたい。
見た目だけで十分近寄りがたいのに、加えて性格も高飛車でわがままで傲慢で不遜で嫉妬深くて怒りっぽいときた。
使用人を物のように扱うし、現に小説で「あんな家畜共どう扱ったっていいでしょ? だって家畜なんだし」とクズな発言をしていたほどだ。
平民は人間ではないと豪語する女性。
使用人には怖がられてるし、今までの悪行のせいか悪い噂は流れっぱなしだし。
はあ、まったく。
こんな状態でどうすればいいのよ?
転生って言ったら赤ちゃんのときの記憶取り戻すはずでしょ?
私が記憶取り戻したのはついさっきなんですけど!
「リリアン様。もうじきユリウス殿下がご到着なされます」
今から私は王太子殿下であるユリウスとの初顔合わせをする。
なんでこういう大事なイベントの直前に前世を思い出すのかな?
もうちょっと前に思い出してたら、もっと色々と準備ができたのに……。
たしか小説では、王太子に「お前を愛することはない」って言われたんだっけ?
今までのリリアンの悪行を考えれば、そう言われるのも当然よね。
原作では、リリアンはムキになって王太子を振り向かせようとするんだっけ?
でもそれが空回りした結果、王太子と仲良くしてるヒロインちゃんに嫉妬して、陰湿な嫌がらせをしてしまうんだ。
最後にヒロインちゃんが聖女だと発覚し、逆にリリアンが断罪されるってわけ。
修道院行きのバッドエンド。
自業自得といえばそこまでだけど、修道院に行かされるのはまっぴらごめんだわ。
でもどうしようかしら?
この世界で聖女は特別な存在だ。
私がどうしようと、婚約破棄の未来は決まっているようなもの。
それに仮に王太子殿下と結婚できたとして、私を一生愛してくれない旦那と暮らしていくなんて生き地獄だ。
私だって人並みの幸せが欲しいもの。
物語を面白くするだけの悪役令嬢として終わるなんて嫌よ。
「王太子殿下がいらっしゃいました」
はあ……。
もうちょっと考える時間が欲しいけど、とりあえずは目の前のことをやらなくちゃね。
金銀で彩られ、華麗に装飾された馬車がやってくる。
車輪には複雑な紋様が刻まれており、車体には絢爛な刺繍や宝石が施されている。
あの中に王太子がいるのよね。
小説で読んだだけだから実物を見るのは初めてになるわ。
整った顔立ちってのだけはわかっている。
あと母親譲りの輝くような金髪だっけ?
まあ要は美人ということだ。
でも、私は美人よりも普通の幸せが欲しい。
馬車が私の前で停まる。
そして、馬車から王太子が姿を現した。
「――――」
ああ……そういうことね。
よくわかったわ、リリアン。
これはたしかにドンピシャね。
リリアンの好みど真ん中だわ。
今はまだ幼さが顔に残っており、美人というより美少年だ。
それでも、リリアンが熱を上げてしまうのが理解できる。
リリアンとは正反対の明るく輝かしい金髪。
大自然を思わせるようなエメラルドの瞳は吸い込まれそうなほどに美しい。
原作で、太陽のようと表現されていたのも納得だわ。
まあ、その太陽がリリアンを照らしてくれることはなかったけど……。
私、リリアンに接するときの王太子は、まるで太陽が雲に隠れてしまったかのように、いつも憂鬱な表情をしていたわ。
原作で読んだだけだけど……。
今の表情は……曇りのようね。
よーくわかったわ。
どうせ私と結婚したくないのでしょう?
それなら私だって考えがあるわ!
「――ユリウス殿下。ご安心ください。貴方を愛することはありませんわ」
ふふ、どうよ?
言ってやったわ。
これなら婚約などしないでしょう?
婚約破棄を回避する方法はたった一つ。
婚約そのものをなくしてしまえばいい!
天才的な発想ね!
そして私は素敵な殿方を見つけて添い遂げるのよ!
「……」
王太子殿下が黙って私を見つめてくる。
黙っていても美しいのね、この人は。
お姉様方にキャーキャー言われてそうだわ。
ん?
よく見ると、王太子殿下の目の下がピクピク動いていらっしゃる。
どうしたのかしら?
「ふっ」
「ふ?」
「はははははっ」
王太子が笑い始めた。
もしかして王太子って変な人?
いきなり笑い出すなんてどうしちゃったのかしら?
「ああ……すまない。いや、開口一番で「貴方を愛することはありませんわ」なんて言われるとは。想像だにしてなかったよ」
はっ、しまったわ……。
私たち、今日が顔合わせなのよ。
いきなり「貴方を愛することはありませんわ」だなんて、さすがに礼儀知らずだったわ。
頭のおかしい令嬢だと思われても仕方ない。
や、やっちゃったわ。
どうしましょ……?
不敬だったわ。
いやそれより、恥ずかしくて死にそうなんですけど。
顔がカアァァっと赤くなるのを感じる。
「でも、「貴方を愛しています」って言われるよりはよっぽどいいかな」
「し、失礼いたしました。わ、私、リリアン・ナフティ・ヴァーヴェリアと申します」
慌てて、自己紹介をする。
もうテンパりすぎて何がなんだかわからないわ。
「ユリウス・フォン・ハーゲンベルグだ。よろしく」
ああ、やってしまった。
本当にやってしまったわ。
先に自己紹介するなんて、また礼儀を欠いてしまったわ。
もう、穴があったら入りたい……。
◇ ◇ ◇
王太子殿下との顔合わせから数日が経過した。
今でもあのときのことを思い出すと、恥ずかしくて死にそうになる。
でもこれで婚約はないだろうね。
さすがにこんな礼儀もなってない令嬢なんて、殿下からしても願い下げよね。
ああー!
もう!
私ったら、ほんとバカね!
もうちょっとスマートな方法があったでしょうに!
まあ過ぎてしまったことを考えても仕方がないわ。
綺麗に整えられた庭園を見ながら、私は気分を鎮めるためにハーブティーを飲む。
ふー。
「…………」
まったく落ち着かないわね。
本でも読んで気を紛らわせようかしら。
ぺらぺらと本をめくる。
ああ……。
全然集中できないじゃない!
「ああ! もう! 全部あの王太子殿下が悪いんだわ!」
「私がどうかしたかな?」
「え……? なんで――」
なんでここに王太子がいるの?
え?
どういうこと?
ていうか、訪問するなら連絡くらい頂戴よ。
「急にすまないね」
「い、いえ……それは構いませんが」
ああ、なんでよりによって今なのよ。
まったくついてないわ。
「それで私のどこが悪いのかな? ぜひ聞かせてもらおうか」
「え、ええー? そんなこと言いましたっけ?」
おほほほほーっと笑って誤魔化す。
誤魔化しきれる自信はないけど……。
「そういえば最初も「貴方を愛することはありませんわ」って言っていたよね」
「え……っと、それは……」
ぶり返さないでよね、ほんと。
こっちはずっと気にしてんのよ。
「貴女はよっぽど私のことを嫌いなようだ」
「嫌いも何も……まだ私は殿下のことをあまり知りません」
「それならなぜあのような発言を?」
「それは……まあ……」
「私の婚約者になると知っていたからでは?」
「え……?」
「既にクロークス公爵から聞かされていたのであろう。正式な発表はまだだが、貴女は私の婚約者になる」
……やっぱり、そうなりますわよね。
私が多少無礼を働こうが、この婚約の流れは止められない。
そんな簡単に止められるような婚約ではないから。
王家はヴァーヴェリア家を取り入れて貴族を押さえつけたいだろうし、ヴァーヴェリア家からしても発言力を増す絶好の機会だ。
私の粗相ひとつで吹き飛ぶような軽いものではない。
わかってはいたんだけどねぇ。
でも、聖女が現れれば別だ。
聖女の血は貴族のそれより尊い――この国で言われ続けてきたことだ。
それに教会との関係も無視できない。
貴族の一つと教会だったら、後者のほうが良いという判断されてしかるべきだ。
さらに聖女は民衆からの人気もある。
総合的に判断してどちらが良いかなど考えるまでもないだろう。
「憂鬱そうだね。何が不満なんだ?」
「不満は……いえ、ありませんが」
「こういってはなんだが、私は女性から言い寄られることも多い」
「自慢ですか?」
「いや客観的事実を述べているだけだ。それにこの婚約は両者にとっても都合のよいものだ。
だからこそ貴女が私を拒む理由がわからない」
「いつかはわかりますよ。そうですね、あと6年後の王立学園卒業記念パーティーで」
殿下のエメラルドの瞳を見る。
その瞳にうつるのは、きっと私じゃない。
ヒロインちゃんだ。
殿下の隣には可愛いヒロインちゃんがふさわしい。
「随分と具体的だね。そのときに何かあるんだ?」
「さあ? ですが殿下、私を無理に愛そうとしないでくださいね」
だって、最後に捨てられるのがわかっているなら、愛なんて虚しいもの。
それなら形だけの婚約者で良い。
「貴女を愛するかどうかは私が決める。私に愛されたくないのなら、そのように振る舞えばいい」
「それなら、もう振る舞ってるでしょ?」
こちとら、お前を愛さないと言っているんだ。
「ふっ。そうだな。その調子で私に愛されないよう振る舞ってくれ」
殿下は楽しそうに笑った。
なにが楽しいんだかわからないわ。
まあいいでしょう。
貴女に一生愛されないよう、とことんこの姿勢を貫いてあげようじゃないですか。
◇ ◇ ◇
リリアン・ナフティ・ヴァーヴェリア、18歳。
王太子との初めての出会いから6年が経った。
とうとう、この時がきた。
私が婚約破棄される卒業記念パーティーだ。
この場で聖女だと発覚したヒロインちゃんが王太子と結ばれる。
そして私、リリアンは婚約破棄される。
そういう筋書きだ。
この6年間、私は最初に出会ったころの態度を貫き、殿下と接してきた。
といってもこれが素だ。
振る舞っていたというより自然に行動していただけなんだけどね。
まあでも、これで晴れて王太子殿下とは婚約破棄ね。
はあ……。
学園生活でいい人を見つけようと頑張ったんだけど……ダメだったわ。
殿方と楽しくおしゃべりしてると、王太子が、
「随分と楽しそうだな。ところで私の婚約者とはどういう関係だ?」
とかいって、相手を威嚇するもんだから逃げられてしまう。
そのせいで私はいい相手を見つけることができなかった。
なんなのよ、まったく!
腹が立っちゃうわね。
ちょっと楽しく話すくらいいいじゃない?
どうせ私たち、形だけの婚約なんだし。
私はね、あんたと別れたあとにいい人と結婚する必要があるのよ?
あんたはいいでしょうね。
ヒロインちゃんっていう可愛い子がいるんだから。
んー、でも王太子とヒロインちゃんが一緒にいる姿、あんまり見たことないかな?
原作では甘々な関係だったのに……。
王太子殿下がヒロインちゃんのサラサラな髪を撫でてイチャイチャしたり、街を一緒に歩きながらヒロインちゃんの口元についたソースを指で拭き取って口に含んだり……。
そういうシーンがたくさんあったわ。
なぜか、王太子は私の髪を触りたがったり、口についたソースを拭き取ろうとしたりするんだけど……。
やる相手が違うでしょ、まったく。
ちなみにその王太子はまだパーティー会場に来ていない。
「あ、リリアン様!」
ヒロインちゃんがパタパタと駆け寄ってきた。
皿には大量のお肉を載せて。
よくそんなに食べられるわね。
見てるだけでお腹いっぱいになるわ。
私が皿を見ていると、
「食べます?」
と、ヒロインちゃんが皿を差し出してきた。
「いらないわよ」
王太子殿下とヒロインちゃんの仲がなかなか進展しないから、じれって私のほうからヒロインちゃんに近づいていった。
ちょうど、ヒロインちゃんがどっかの令嬢たちに囲まれている場面だったけど、私が現れたら令嬢たちはささーっと一目散に逃げていったわ。
それから彼女とは話すようになったけど、この子も結構変わり者なのよね。
「貴女、王太子殿下のことはどう考えているのかしら?」
「ん~。どうって言われましても……。リリアン様の婚約者であって、それ以上でもそれ以下でもないです~」
「そう……」
あんまり二人の仲は進展していないらしい。
これから私が婚約破棄され、二人がくっつくはずなのだから、もうちょっと親しくなっておいてほしかったわ。
以前、王太子殿下にヒロインちゃんの話振ったことがあったけど、
「他の女の話などどうでもいい。それよりリリアン。お前のことをもっと聞かせてくれ」
とか言ってきたし。
なんなの、あれ?
私はあんたのためを思って言ってんのに!
ああ、もう……腹たっちゃうわ。
私はパクパクとお肉を食べるヒロインちゃんを尻目に、王太子の登場を待った。
そして、そのときが来た。
王太子殿下が会場に姿を現した。
いつ見ても綺麗な顔ね。
初めて会ったときは幼さがあったものの、今ではどっかどうみても美人だ。
綺麗に整えられた眉に、鼻筋の通った顔、太陽を思わせるような髪色。
そのエメラルドの瞳で、今まで何人の令嬢を魅了したのだろうか?
「リリアン・ナフティ・ヴァーヴェリア――」
王太子殿下が口を開くと、会場はシーンと静まり返った。
ああ、ついにこのときが来たわ。
今から私、婚約破棄されるんだわ。
「貴女は昔、6年後の王立学園卒業パーティーで何かが起こると言ったが覚えているか?」
「はい」
「何もないではないか?」
「――え? いや、でも……たしか今日聖女が発覚する日では……」
「ああ。百年ぶりに聖女が現れたらしいな。お前の隣りにいる子がそうだろう?」
ヒロインちゃんはビクッと肩を揺らし、「え? 私?」 と目を丸くする。
知らなかったんかい。
「だが、それがどうした?」
「聖女が現れたら、王太子は聖女と結びつくはず……」
王太子が私の前までやってくる。
「なあ、リリアンよ」
「な、なにかしら?」
「貴女とのこの6年間。私は本当に楽しかったんだ」
王太子が過去を懐かしみながら言う。
そういうのやめてよね。
最後にそういう事言われたら、私だってぐらついちゃうじゃない。
「私が愛しているのは、貴女だ」
え?
なになに?
どうしちゃったの?
こんなの聞いてないわ。
「私と結婚してくれ、リリアン。家同士の繋がりとか、そういうのを抜きにして私は貴女と一緒にいたい」
王太子が……ユリアンがポケットから小さな箱を取り出す。
それってまさか……。
私が目を見開いているうちに、彼はぱかっと箱を開けた。
そこには、シャンデリアに照らされ、光り輝くダイヤモンドの指輪があった。。
たしか、小説でもこういう場面あったわね。
そのとき王太子は、リリアンじゃなくてヒロインちゃんにその指輪を渡していた。
「はあ……。バカね、貴方は」
ユリアンの瞳が揺れる。
バカね、私は。
本当はユリアンの気持ちに気づいていた。
でも、怖くて逃げていたんだ。
だって、もしもその気持ちを受け取ってしまったら、私はもうあとには引けなくなってしまう。
好きだなんて考えてしまったら、失うのが怖くなってしまう。
最初に宣言した通り、私は貴方を愛してはいけないの。
「聖女が現れたら王太子と結びつく習わしです」
「陛下にも教会にも話は通してある。問題ない」
「私は貴方を愛さないと言ったはずです」
「愛されるまで私が貴女を愛そう」
「私には悪い噂がたくさんあります」
「それはもう6年前の話だろう? 今のリリアンは立派な公爵令嬢で――私の婚約者だ」
「でも、私は……」
言葉が続かない。
何をいっても無駄だ。
だって全部、言い訳だもの。
本心ではわかってる。
気付かないようにしていた。
傷つかないようにしていた。
王太子とヒロインちゃんをつなげようとしたのは、自分を守るためだ。
失っても痛くないように、私は私の気持ちに蓋をした。
でも、もう抑えられない。
だって私は――
「貴方が好きです」
愛しているというほどの感情ではない。
でも、私がずっと前から王太子が好きだった。
その感情に嘘はない。
「受け取ってくれるか?」
「バカね、貴方。受け取るも何も、私たち婚約者でしょ?」
彼は私の薬指にそっと指輪をはめ込む。
ああ、なんと言うのかしら?
なんて言えばいいのかしら?
言葉が浮かばない。
でもきっと、私はこの瞬間を心待ちにしていたんだと思う。
ユリウスが太陽のような眩しい笑顔を見せてきた。
ああ、ダメだわ。
そんな顔見せられたら、もう後には引けないじゃない。
きっと私はこの人を愛してしまう。
私の直感がそう告げていた。