第一話
「あー、肺炎起こしてるね」
白髪混じりの男性医師が、レントゲンを見ながら言った。
――マジか……
ゴホゴホとマスクの中で、咳をしながら熱のある頭で、まずいことになったな、と思う。
「血液検査の結果の方も、この白血球とCPRっていう項目の値が高いね。これは、体内で炎症が起こってるってことです」
難しい話をされて、さらに頭がぼんやりする。身体が怠い。横になりたい……
「だいぶ辛そうだし、入院しますか」
――入院⁈
と思ったところで、付き添っていた母が「その方が安心です」と返事した。勝手に決めるなと言い返したかったけれど、今の俺にその余力はない。
*
体調を崩したのは、一週間前。きっかけはインフルエンザに罹ったことだった。今年は例年に比べ、早い時期からインフルエンザが猛威をふるっていると、ニュースが繰り返し伝えていた。でも、俺には関係ないと思っていた。だって、今まで一度も罹ったことがなかったから。
ところが、同じクラスで、インフルエンザが一人出ると、瞬く間に感染が広がった。ご多分にもれず、俺も感染したのだった。
予防接種なんて意味ない、と受けていなかったこともあり、40℃近い高熱と、体がおかしくなったんじゃないかと思うくらいの悪寒と、関節痛に悶え苦しんだ。
そして、来年は絶対に予防接種を受ける……と真面目に誓った。
三日程で解熱するはずが、一週間近く経っても下がらない。ようやく解熱したなと思ったら、また発熱する。その上、痰が絡むような咳まで出だして、今日、母に病院まで連れて来られたのだった。
*
入院した病室は、四人部屋の入り口に一番近いベットだった。熱に浮かされた体でベットに倒れ込む。シーツがひんやりしていて、気持ちいいような、少し悪寒がするような変な感じがした。
ゴホッ、ゴホ、ゴホと立て続けに咳き込む。咳のしすぎで胸、腹、脇腹がしくしく痛む。
「ちゃんと大人しくしていなさいよ」
着替えやらタオルやら歯ブラシやら、入院に必要な物を一旦家に取りに帰った母が、再び病院へやって来て、そう言った。
「当たり前じゃん」
と返す。今はもうとにかく熱が下がって欲しい。発熱が続くというのは、思った以上に体力を消耗させる。
医師の話では、入院は一、二週間。点滴治療をするらしい。
注射や点滴は、大嫌いだけど、今となっては何でも受け入れます、と弱気になっているのだった。
点滴の針が刺さっている左腕に意識が向くと、痛みが走る。その度、あぁ繋がれてるんだ、と思う。
体を起こしておくのは、まだしんどくて、横になりながらテレビに目をやる。
いつも見ているバラエティ番組なのに、テレビ画面が小さいからか、画質が違うからか初めて見る番組のように見える。
これから一週間は、ほとんど、こうやって繋がれたまま過ごすのかと思うと、うんざりした。その時、枕元のスマホが震える。画面を確認すると、同じクラスの源也からだった。
――壱哉、入院したってマジ⁈
――証拠写真
と文字を打ち、点滴と針の刺さった左腕を写真に収め、メッセージに添付して送る。するとすぐ返信が来た。
――マジなやつだ……
多分、母が学校に連絡を入れて、そこから担任経由ででも聞いたのだろう。
「北原君みたいに、最悪の場合、入院になりますよ。インフルエンザに注意しましょう」とか、ホームルームで言われたんだろうか。
確か三日前まで学級閉鎖になってたはずだから、今日辺りはインフルエンザに倒れた他の奴も、復活してるにちがいない。俺を除いて……
そんな風に思うと、また情けなくなる。寝返りを打とうとして、何気なく腕を動かしたら、また痛みが走った。あぁ、先が思いやられる。
*
入院して三日目。咳が治り、熱も少し下がってきた頃、源也と幼なじみの七海が顔を見せに来てくれた。
病室は、俺以外は高齢者に近い年齢の人ばかりで、この三日間で自分まで歳をとってしまったように感じた。
だから、二人が来てくれた時、心の中で「若っ!!」っと小さく叫んでしまった。何だか二人が眩しく見えた。
病室では学校の話やら、くだらない話をしにくいので、病棟の外にあるデイルームまで出る。そこには、自販機とソファー、丸テーブルと椅子がある。自販機で、それぞれ飲み物を買い、丸テーブルに着く。
点滴台を押しながら歩くなんて、十代で経験するとは思わなかった。しかも、その姿を友達に晒すなんて。
「壱哉、痩せたよね。インフル、そんなに壮絶だったんだ……」
ココアの入ったペットボトルを振りながら、七海が言った。七海は幼稚園からの幼なじみで、高校になっても、こうやって顔を合わせている。
七海の指摘通り、入院の時に体重を測ったら、三キロ以上痩せていた。
「マジ、怖いな、インフル」
源也はそう言って、乳酸菌飲料を口にする。この二人は、クラスの半分以上がインフルエンザに倒れても、生き残っていた。強すぎる。そう思いながら、スポーツドリンクを口にする。
二人からは学校の様子を聞いた。俺以外の全員、復活したこと、学級閉鎖の影響で期末テストの範囲が縮まりそうだという朗報。
他にも七海が想いを寄せている、他クラスの男子もインフルエンザに罹ったらしい話や、源也の彼女の話や他愛ない話をした。
気がつくと窓の向こうが暗くなり始めていた。
「そろそろ帰るわ」
二人はそう言って、エレベーターホールへと向かう。
「暇だから、また来て」そう言いうと「気が向いたら」と釣れない返事をされた。二人が乗るエレベーターがやって来て、扉が開く。
中から一人の女の子が降りて来た。年恰好は俺達と同じくらい。マスクを付け、シルク地っぽいツルツルした素材の、紺色のパジャマにベージュのニット地のカーディガンを羽織っていた。
紺色のパジャマには、小さな赤いさくらんぼがプリントされていた。
その女の子が降りた後で、二人はエレベーターに乗り込み「じゃあ」と手を振った。
*
二人を見送った後、振り返ると、あの女の子の姿はなかった。パジャマを着ていたから入院しているんだろう。
同じ病室には、高齢者に近い患者しかいないから、あんな若い子もいるんだ、と思う。何か不思議だった。
それが〝くゆ〟との、初めての出会いだった。
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