姫=恋人の誠心誠意の謝罪なら宇宙のように広い心で全て許せる……んな訳あるかボケェ!
よろしくお願いします!
侵入と同じ様にそれは上手くいった。ギルドはリリアナに対して隠密魔法を拡張させ、一陣の風になる。互いの手の感覚だけを頼りに城の中を駆け抜けた。
隠密魔法ーそれは触覚以外の全てを認識されないという高等魔法の一種。発動させただけで探知魔法、監視魔法の全てを掻い潜る、元王子としての遺産である。
だが、ギルドが出入り口としていた小さな裏口には検問所が設けられ、夜中だというのいうのに不寝番の兵士がいる。さすがのギルドも閉じた門は開けられない。
「……こりゃヤベェかも。」
リリアナの侵入によって、兵士の配置が大きく変わったのだ。全ては銀の勲章の持ち主、騎士団長のサンの手引きである。
リリアナが思案に耽るギルドの袖を引いた。
「城の北側に堀に通じている水路があるわ。ギルド、そこから泳いで逃げましょう。」
「分かった。……何で知っているのか一応聞いておく。」
「レンタル婚約破棄のプランAよ。撤退の経路は十通り、城の設計士の史跡を辿って彼の思考パターンから分析したわ。」
「リリアナ、天才かよ。」
「そうなのよ。知ってた?」
リリアナの示した水路は、ほぼ下水。石造りの蓋を二人で持ち上げて外すと、胃の内容物が込み上げてくる腐臭が漂う。
「前言撤回、鬼畜。」
「そうなのよねぇ〜。知ってた?」
「分かってはいたが……。」
リリアナは深く息を吸い込むと鼻を抓み、片足を浸けた。傷口に液体が滲みたのか、顔を歪めるリリアナ。
「痛いなら他の出口を……」
「行ぎまじょう。」
ギルドもリリアナに手を引かれ、半ば強制的に飛び込んだ。泥が跳ね、全身が気持ち悪い重さで覆われる。水路の底の泥か腐敗物かを掻き回しながら、立ち泳ぎで進んでいく。真っ暗で暗く、水流の先も見えず、それでもリリアナの先導に従った。
リリアナに握られた手が、痛みからか時折きつく握り締められる。魔法は一度に一種類しか使えない。ギルドは隠密魔法を一度解除すると、リリアナの手越しに魔法を掛けた。薄くて柔らかい結界を皮膚に張り巡らし、汚水から彼女を守る。
「……ギルド、くすぐったい。」
「我慢しろ、傷口に菌が入ったらそこから腐る。」
「……ありがと……。」
ツンデレさんなのか、負い目を感じているのか、感謝の言葉は心なしか小さく苛立っている。
やがて水路は出口に達した。感覚を失った鼻に藻の匂いが飛び込んでくる。塞がれていた天井は開け、足元の感触は粘性の低い水へ変わる。
「出れた……。」
まだマシな堀の水に頭までを漬けると、髪についた泥を溶かす。リリアナの髪も泥の塊と化している。彼女も同じ様に水に潜って髪を解きほぐした。黒の塊から銀の髪が蘇り、水面に帯のように広がる。
「綺麗……。」
その髪に少しだけ触れようとしたその時、底につかないはずのギルドのつま先に何かが当たった。軽く、何度もつつかれる。
「なんだ、生き物……魚か?」
「こんな生き物いなかったわ……。警備用の肉食魚かもしれない。水音を立てないように岸に動きましょう。」
つんつんという硬い頭が接触する感覚。その度に恐怖で逃げ出したくなるのを、耐えて耐えてゆっくり水を掻く。足の下で口の尖った魚が蠢いていると想像するだけで生きた心地がしない。やっと、岸辺の岩壁に手が届き、リリアナとギルドは岸に這い上がることが出来た。
「この数日でどんだけ要塞化してんだよこの城……!」
「……傷を塞いでくれたお陰ね。流血していたら肉食魚に骨にされていたわ。」
「涼しい顔しやがって……。」
舌打ちを一つして、リリアナから目を逸らした。悲願とも言うべき願いは叶ったのだ。望む物を手にした。のに、リリアナを見ると心がざわつく。満足に依るものではなく、不安や緊張に似た落ち着かない、気味が悪いもの。
王子だということを隠しているから?
気を抜いてはいけない何かが残っている?
ギルドは深呼吸をしてリリアナを盗み見る。リリアナはギルドの隣で水を吸った服を絞る。濡れて肌に張り付いたワンピース。胸元に付けられた焼き印が、おぞましく動いたような錯覚に囚われる。
「それ……」
「行きましょ。まだ逃げ切れたとは言い切れな…、」
ドスっと鈍い音が響く。肉を切り裂く嫌な音だ。リリアナの背中に強い衝撃が加わり、背を酷く反らすようにして地面へ倒れた。
「リリアナ!」
彼女を支え、背中を見た。矢だ。矢がリリアナの背に刺さっている。それをきっかけにして矢が雨のように放たれた。城壁の上からだ。
ギルドは鎖鎌を抜くと、リリアナを庇うように立ち鎖を振り回す。鎖を掻い潜った矢の何本かがギルドの身体を掠めるが、しないよりマシだ。
「リリアナ!返事出来るか?!」
リリアナはもぞりと身体を動かした。
「……大丈夫……生きている。結界のお陰で貫通しなくて済んだ。」
リリアナは背中の矢を器用に抜き、立ち上がる。妙に手慣れていたのは気の所為だろうか。
「魔法を、使って。」
ギルドは鎌を持っていない方の手で攻撃魔法を宿し城壁の人影に照準を定める。ただでさえ傷だらけのリリアナに攻撃した奴らが許せなかった。
「隠密魔法の方よ、早くここから逃げましょう。ギルド!」
「『治癒』!」
ギルドが放った魔法は、リリアナの腰に大きく開いた血管の傷を瞬く間に塞いだ。だが流石にすべての傷を癒やすには魔力が足りない。
「『盾』!」
ギルドは巧妙に魔法を切り替え、リリアナの止血に移った。顔を覆っていた黒布を外し、白いワンピースの上から浅くなった傷口を縛る。短刀を鞘ごと布に挟み、更に捻って黒布を締めた。
腰の筋肉が損傷したということは、歩くのは難しい。ギルドは背に乗るように促した。
リリアナは恐る恐るといった体でしがみつく。リリアナを背負って体勢を整えると、防御魔法から鎖鎌と隠密魔法に切り替える。城壁の射手達は途端に目標を見失い、飛んでくる矢はまばらになった。
走り出したギルドは疾かった。瞬く間に城壁を離れると城下町まで駆け抜ける。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った大通りで歩調を緩めた。背中のリリアナは落ち着かないようで、借りてきた猫のように肩に力が入っている。
「おんぶ、嫌なのか?お、オヒメサマダッコとかがヨロシイのデスカ?」
「違うわ。私は……とにかく……私の足が遅いから乗っただけで……きっと重いと思うから、自分で歩く。……ねぇ、今笑わなかった?」
「別に?笑ってない。」
「む……降りる、降りるから、離して、」
ばたばたと控えめに足を振るという抵抗を見せるリリアナ。ギルドはリリアナを軽く持ち直し、保護者らしく振る舞う。
「傷口が開くから大人しく。」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
隠密魔法で見えないが、頬を膨らませてちょっと赤らめているのが想像出来る声。彼女の可愛らしい一面をまた発見した。
「リリアナ、もしかしてそれ素なの?」
からかう口調で尋ねれば背中から指が伸びてきて、ギルドの頬をつまんで横に張る。絶賛むくれ中らしい。
「……うるさい。」
信じられない程賢かったり頑なだったり暴力的だったりした彼女も、普通の女の子なんだなぁと改めて実感した。宝物として胸の中に仕舞い、雑談を止めた。胸のざわつきも嘘のように静まり、長い息を一つ吐く。
「ひぃまひぇん。ほれひひへもほこひ……どこに向かえばいい?」
指を離したリリアナが示したのは古代遺跡。城下町を出た近くに位置するが、不気味で人があまり立ち入らない場所。ギルドはリリアナを背中に乗せたまま遺跡をぐるりと見渡した。高台であるため人の目もつきにくい。平坦な土地に巨石を並べ正確な円を描いている。その整然とした配置から、古代の先住民達の墓標とも、信仰対象だったとも言われている。
「復讐、止めたのなんで?」
なんとなく中心へ向かいながら背中のリリアナに尋ねる。
「走馬灯みたいなもの見せさせといて、今更聞くの?」
リリアナはギルドの首にそっと縋り付く。
「いくつか理由があるわ。『リリアナ』の名前の由来は悪魔じゃない。
おばあさまは私を疎んでいた訳ではなかったのもはっきりしたわ。けれど一番の問題はお母様が……っつっ……うっ」
「リリアナ!?」
ギルドは隠密魔法を解除すると、丁度腰の高さ程の巨石に苦しみだしたリリアナを座らせる。
心臓が痛むのか、片手で胸を押さえて苦しそうな息を吐いた。もう一方の手でギルドの服を強く掴んでいる。ギルドは一歩踏み出すとリリアナを空間ごと包むようにして、背を優しく擦った。胸元の呼吸の閊えは徐々に治まっていく。最後にひとつ長い息を吐くと、発作は完全に止まった。
「ありがと……もう大丈夫。」
密着したギルドを押し返す手の傷口はまだぽたりぽたりと血を溢し続けている。異常だ。
「血が止まらない……」
仕方なく止血用の布を探すギルドを、リリアナが留めた。先程の苦悶が嘘のような、頬に赤みのあるごく普通の顔。
「……私、ギルドに言っておかないといけない。私の基礎スキルについて、」
その時、リリアナの腰から短刀がするっと抜け、草むらに転がった。
「あ……」
ギルドが止める前に、リリアナは巨石を滑り降り短刀を握る。ギルド腰に下げた袋から清潔な布を探し当て、巨石を指した。
「傷開くから無茶するな。手当をするから座れ。」
「大丈夫よ、これくら……」
だが、リリアナはギルドに背を向けたまま固まる。
「どうしたんだ……?」
「……ねえギルド、私に重大な隠し事、ない?」
初見で浴びせられたような絶対零度の声。我々が知るギルドの重大な隠し事といえばただ一つ。ギルドが王子であったということだけだ。
だが、ギルドはリリアナが何を意味しているのか皆目見当がつかない。ギルドにとって形見といえども短刀は短刀だ。唐突に浴びせられた言葉に首を傾げるばかりだった。
「していない。」
「あっそっ!」
リリアナが手負いとは思えない速度で回転する。ギルドは喉元に突き上げられた短刀を殆ど反射で躱した。後方に飛び崩れた姿勢を立て直す。リリアナの目は、王子への復讐を誓う色に戻っている。
「な、何を……」
「とぼけないで!」
リリアナは短刀を月明かりに翳した。短刀は肘の長さ程、鋭利な刃の根元には皮が巻き付いている。リリアナがその皮を指で押し上げると、金に光った。先程受けた矢の一筋が柄の革を裂き、隠されていた事実を明らかにしたのだ。
リリアナが更に皮を捲ると、月明かりの下でとぐろを巻く金の龍が現れる。
金の龍ー即ちーエルドラ王国の国章であり、王位継承権を持つもののみが持てる品。かつて父の腰にあったのを見たことがある。王太子の任命式典の時に、使う国宝。
「何で…それが……?」
「エルドラ王国は王位継承権をどこの国にも渡さないために、金の竜の意匠は全て破壊したんですってね。」
エルドラの竜の意匠の短刀といえば、次期国王だけが持つべき物。それを父がギルドに委ねたということは。ギルドは頭が真っ白になった。なぜ、どうして、知らない、といった意味を成さない言葉だけが繰り返される。
「ギルド、あなたの本名は何?」
「……ギルド……フォン……エルドラン。」
詰問するリリアナに、ギルドはなんの打算も思い付けず、正直に回答してしまう。
フォン=王族のみに付ける前置詞
エルドラン=エルドラ王国の
リリアナの、ギルドへの疑惑は確信に変わる。つまり彼は、墓穴を掘ったのだ。
「そう、自分が王子だって知ってて私に近づいたのね。私が王子が嫌いということを知ってて近づいたのね……。どうして!」
リリアナは足を跳ね上げ、ギルドを蹴り飛ばす。何の反応も出来なかったギルドは宙を飛び巨石に背中を打ち付けた。
暗殺者の如き勢いでリリアナはギルドの頭目掛けて短刀を振り下ろす。頭に短刀が突き刺さるその刹那、ギルドはリリアナの手首を捉え押し戻すことに成功した。反射的に横転し、腰を押さえつける。リリアナは自分より弱い、ギルドはそう確信した。力の強い男と喧嘩慣れしていないのが手に取るように分かるのだ。
精彩な戦闘術とは裏腹に、ギルドの思考はぼんやりと霧がかったようだ。生き延びろという父の遺言通りに、ほぼ無意識でリリアナを制圧する。手加減の仕方すら分からない。ぎりぎりとリリアナの手首を締めていくと、力に耐えかね短刀が滑り落ちた。地面に押し付けられた手首、傷口から血が滲んでギルドの指先を濡らす。リリアナは逃れようとあらゆる手を尽くしたが、ギルドはその全てを器用に抑え込む。やがてリリアナの抵抗はぱたりと止まった。
「殺してやる!」
リリアナの叫びをどこか遠くで聴いていた。射殺さんばかりに睨むリリアナの紫の目も、ギルドには届かない。相変わらずリリアナは綺麗だな、とか場違いな感動ばかりが浮かぶ。
「嘘つき!全部全部嘘だった!私が揺れるのを見て嗤っていたんでしょ!王子様に復讐するなって言う王子様、今から考えても滑稽な絵面だわ!」
「嘘つき……。」
ギルドは父に向かってその言葉を吐く。
(王子としての記憶は全て忘れろ、生き延びることだけ考えろ、そう言っていたくせに。)
「大っ嫌い!甘いセリフ吐いて!わざわざ王子様っぽい言葉はカタカナ語にして!ねぇ王子様、どうでした?!楽しんで頂けた?踊らせた哀れな娘に掛けてやる嘲りの言葉は御座いませんの?」
「大っ嫌い……。」
(王位継承のための短刀を持たせて。復讐しろと?国を取り戻せって?だったらどうしてそう言わなかった?今まで信じてきた親父の言葉は何だ?ただ我武者羅に生き延びてきた俺の十二年は一体……?国民を見捨てて逃げ出した俺は一体……。)
「私がお前を好いていると確信した時どう感じたんだ!罠にかかったとほくそ笑んだのか!答えろ!嘘つき!うそ……っ……うっ。」
先程の発作のようなものがぶり返した。リリアナは胸を掻き毟ろうと手を伸ばす。ようやくギルドは、怪我人のリリアナに対してとんでもないことをしていたのだと気がついた。
「っあっ……。……ごめ……。」
ギルドはすぐに手を離しリリアナを開放する。リリアナは苦しそうに顔を歪めると、心臓を拳でドンと突いた。それで安定したのか今度は軽い咳を繰り返し、草の上を転げ回る。
「リリアナ……ごめん……。俺……」
どうしていいか分からないまま差し出した手を、リリアナが不意に掴んで立ち上がる。発作が嘘とも思える機敏な動き。半分は、巧妙な仮病だった。
その後何が起きたのか目で追えない。迫ってくる短刀に対して、反射的に鎌を取り出し後退する。背中は無慈悲にも、ごつごつとした巨石に妨げられた。つまり逃げようがない。
リリアナがギルドの首元の頸動脈に短剣を突きつける。
『生き延びろ!』
ギルドもほぼ同時にリリアナの首に鎌を掛ける。得物がいつでも相手の命を刈り取れるよう、皮膚の下の血管の位置を、骨の強度を計算する。例え同時に斬り合ったとして、リリアナの死は確実、首を横に振り即死さえ免れればギルドの生死は五分といったところだ。だが。
(やっぱり、綺麗だな。)
短刀を突きつけるリリアナは、月明かりに照らされて女神のように美しかった。汚れてはいるが、銀の髪は濡れて艷やかに光り紫色の目は復讐の意思で揺らがない。つんと高い鼻、横に引いた唇は笑っているようにも見える。
(俺はこの娘を殺すのか。)
父の遺言を守るために。だが、矛盾した父の言葉などもうどうでもいい。たとえこの場を生き延びたとしても、その先の人生は罪悪感で濡れる。
(殺したくない。)
リリアナの怒りで染まった瞳を見つめたまま、ギルドは突きつけた鎌を下ろした。鎌を草むらに滑り落とすと、鎖が追いかけるようにしてとぐろを巻く。
リリアナは一瞬驚いたように目を開いたが、目を細め短刀を首筋に喰い込ませる。そこは昨晩、リリアナの唇が触れた場所。
(偶然って恐ろしいな。)
薄く笑うと、リリアナは怪訝げに眉を潜めた。
「一体何を考えているの?」
「……幸せだったなって。一緒に過ごせて楽しかったなって。」
一生懸命に説得して、協力して。時々騙し合って。もしエルドラの王子で無ければ、もし父親が短刀を渡していなければ。恨んだところで仕方がない。そのどれか一つでも欠ければギルドはリリアナとは出会えなかったのだから。
「出任せはいらない。」
首にちりっとした痛みが走る、恐らく首の皮が裂けたのだ。
「嘘じゃない。」
ここでリリアナがギルドを殺せば、後悔か愉悦の感動と一緒に彼女の脳裏に焼き付くのだろう。打算的な感情と一緒に、腰のベルトを解いて地面に落とした。
「すぐ殺す気は無いんだろ?何度か刺しておきたい場所はあるか?」
殺人者に要望を聞く被害者ってどんなものかと疑問に感じるが、ここまで言っておけばさすがに忘れられないはずだ。ほら、リリアナも目を真ん丸に開いた。
上半身を覆う薄い鎖帷子の、脇下の紐を解く。
「死体を食べるのは止めておいたほうがいい。下水を泳いだから雑菌が付いてるし、踊り食いとかもちょっとやだから……せめて加熱処理を頼む。後始末に困ったらばらばらに分解して、複数回に分けて運び暖炉で焼却、骨は粉砕してどこかに撒くか専門の業者に頼むといい。肉を残すと魔力鑑定に引っかかるから……」
「馬鹿にして!それ位出来るわ!」
「ならいい。」
鎖帷子を外して地面に、鎖鎌の上に落として抵抗の意思がないことを示す。
「……最期に言い残したことは?」
リリアナが事務的な口調で尋ねれば、ギルドはゆっくり瞬きをする。
「そうだなぁ。リリアナの傷口は全部塞いでおけば良かったかな。でもそれは自分で出来るだろ?……以上だ。」
「それは嘘でしょう?本当は何を考えているの?」
リリアナは嘘を吐く。同時に嘘を見抜ける。どこで手に入れたのだろう。聞いたら答えてくれるだろうか。でも、ギルドの本当の願いはまた違う。
「……俺の事、絶対に忘れないで。」
リリアナは一つ頷くと短刀を持たない方の手で、顎を押し上げ口を塞ぐ。暗殺者の手口そのものだ。リリアナの顔が見えなくなって、空が映った。暗い空に浮かぶ三日月は相変わらず白い光を纏っていた。見続けたいとも思わず、そのまま目を閉じる。
首筋の短刀に力が込められた。後悔していないといえば嘘になる。ただ抵抗して逃げたとしても、これからの人生は黒に近い灰色に戻るだけだ。
(これでいい。)
だが、短刀は首の皮一枚の傷を広げるが、深まることはない。やがて力が抜けて首から離れた。
(どこから刺そうか迷っているのかな。痛いのは嫌だからさくっと殺ってくれる方が有り難いんだけど。)
サクッという音が遺跡に響いた。顎を掴んでいた手が震えて、離れる。
「……出来ない……。」
ギルドはそっと目を開いた。短刀は地面に刺さり、リリアナの紫の目は涙で滲んでいる。万策尽きたように視線を揺らめかせ、消沈したように肩を落とす。空になった手は胸の前で組み合わされ、銀髪をいじった。
「ギルドは……クソ親父とは、違う……」
(リリアナは俺と、同じ。)
ギルドはリリアナの肩を掴んで抱き寄せた。困惑げな抵抗より強い力で抱きしめる。
「なっ……!」
「さっき殺しておかなかったリリアナが悪い。」
ギルドは、王子落第者。
汚い、ずる賢く暴力的。平凡な見た目。粗野。自身の欲望を満たすため姫に近づき、姫を守りきれなかった主人公。嘘吐き。国を見捨てた王位継承者。父の遺言を破り恋を優先した親不孝者。気の利いた言葉ひとつ掛けられず、惚れた相手すら満足に落とせない男。
「……俺は生きてていいんだな?本当に、本当に生きて……」
「分からない……。けど、死んでほしくない。」
リリアナは小さく跳ねると、ギルドの首に飛びつく。ギルドに負けない強さでしがみついた。勢い余って草むらの上に尻もちをついた。慌てふためくギルドにリリアナは泣きながらもいたずらっぽく微笑んだ。
「ちょっ、いきなり、近い!」
「抱き寄せたギルドが悪いのよ。やり返されることを考えてから手を出すことね。」
世にいる悲劇の姫と結ばれた男にリリアナはと問えばこう答えるだろう。リリアナは姫ではないと。平和を無駄にかき乱した毒婦。謂れのない妹を口撃する姉。礼儀を弁えない公爵令嬢。父の死を願う娘。聖女の想いに逆らって復讐に手を染めた背徳者。嘘吐き。外面だけは美しく男を誘惑する悪女。
リリアナの後頭部に両手を添える。彼女は優しく微笑むと、ギルドの真似をした。
それがどうした。
リリアナはギルドを必要としてくれているらしい。ギルドも、リリアナを愛しく思っているらしい。
これでいいのだ。
どちらともなく、二人は唇を重ねた。
不意にリリアナがギルドの胸をどんと突く。
「な、何?」
ギルドが顔を離すと、リリアナはくたりとギルドの肩に頭を乗せた。ただ事ではないと感じて体を硬直させた。
「どうした……の?」
リリアナが耳元で何事か喋っているが、聴き取れないほど小さい。
「…い………て…た…スキ………ね……ひめ……いじょう………んでも…きか…る、…ん……しな…………」
やがて声は、聞こえなくなった。代わりに鈴虫がけたたましく鳴いて、止む。
「リリアナ?」
彼女を見ると目は閉じており、力なくギルドに凭れかかっている。揺すると、糸が切れた操り人形のように不気味な動きをした。嫌な予感がして、背中の手を首元へ当てる。リリアナの温もりは感じられるがそこに脈はない。
「……死んでる……?」
ギルドはリリアナを遺跡の岩の台に寝かせ、全身の傷を検分した。痛々しいが、死に至る程のものはない。だとしたら、心臓の発作のようなものが原因なのか。
「なぁ……どうして……。」
リリアナの傷口に向けて、涙が溢れた。ギルドの涙は、月の光を宿してきらきら光る。お伽噺のように、リリアナは生き返らない。
「……待って……。」
ギルドが岩場に崩れ落ちて、鈴虫が適当な返事をする。
世の中の小説には「秘密」を謳っているものが多いのですが、その秘密を互いに知って特に混乱もなく和解、というものを読んで(それはそれでいい話と思うのですが)反対方向にぶっ飛んでいるものを描いてみたいなと。
品書き?(2話冒頭)を思い出して頂ければと思うのですが、話はここで終わりではありません。あと半分くらい続く予定です。
一先ずストックがなくなったので暫く休載します。
読んで頂きありがとうございます!
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