幕間 ある王国の姫の恋煩い
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セノイがリリアナを支配下に置いた数日後、ヘンダーソン公爵が事故死したという知らせが世間を揺るがせた。
もちろん、ヘンダーソン公爵の娘であるマリー王太子妃は父親との面会を望んだ。
「……ご対面なされますか?」
ウィリアム王太子とマリー王太子妃は頷く。セノイが部下に合図すると、棺の蓋が取り上げられる。喪服に身を包んだ二人は棺の側に駆け寄った。
「お父様!!」
「ヘンダーソン公爵!!」
ヘンダーソン公爵は生前そのままの面持ちで、棺の中に横たわっていた。
マリーは父の遺体に縋り付いて泣いた。しかしどんなに喚こうとも、死んだ人間は戻ってこない。
一頻りシクシク泣いたあと、二人は身を寄せ合いながら、公務に戻っていった。
誰も居なくなった事を確認し、セノイは部下に目配せをする。部下は公爵の入った棺を隠すと、全く同じ形の棺に置き換える。
僅かな時間の後、棺は儀仗隊により葬儀場へと運ばれていった。
セノイは入れ替えた棺の蓋を開ける。眠っているかのような初老の男性の胸元を探った。
鈍く銀に輝くネックレスに取り付けられた制御魔道具に呪文を唱える。
死体である公爵の心臓がどくりどくりと動き出し、額に皺が寄る。瞼がぴくりと震え、長い息が吐き出された。
「リリアナ。レンタル元王子役ご苦労だった。」
「……死ね……クソ親父……。」
夢うつつであっても父親に対して悪態をつくリリアナ。
「そのクソ親父はもう死んでいる。今頃堀から回収した僅かな骨が土葬されてる頃だろうよ。」
リリアナの瞼が開き、紫色の目が不機嫌そうに細められた。
「ならもう一回死ね。」
「何度も死ねるのはお前だけだ。」
セノイが正論をリリアナに叩きつける。
「お前の父親は傀儡の魔術に掛けられた自分の部下に殺され、死体を堀に投げ捨てられ、肉は全て肉食魚に食い尽くされた。気に食わぬ親父殿に化けさせたのは悪かったが、肉食魚から大腿骨だけでも取り返した我々の努力を慮って溜飲を下げてくれ。
なにはともあれ、お前のおかげで公爵を殺したラジアに貸しを作ることができた。これは有効なカードになり得る。
報酬を与えたい。望むものはあるか?」
リリアナはセノイの真面目な言葉を鼻で嘲笑った。
「奴隷に気遣いするなんて。
おばあさまが亡くなった時復讐されないために恩を売りたいのね?」
「目下の人間を虐げるのは先見の明を持たぬ故だ。不死身の人間の恨みは買いたくない。
……何も望まないのであれば、金と一ヶ月の休暇を与えることにする。非常事態にならない限りこちらから連絡することはない。好きに過ごすといい。」
あくまで真摯に対応するセノイに、リリアナは勝手にしろと言わんばかりに肩を竦めてみせた。
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リリアナは給仕用のドレスを身に纏い、【ヘンダーソン公爵(クソ親父)を偲ぶ会】なるものに潜入していた。王太子(従兄弟)や王太子妃(異母妹)を筆頭に、多くの有力貴族が晩餐会に参加している。
リリアナの異母妹である王太子妃は、涙を見せることなく気丈に振る舞っていた。しかし、彼女が王太子の腕に添えた右手は微かに震えている。それ程までに父親を愛しく思っていたらしい。しかしリリアナにとって彼は、母親を殺したドレットノード級クソ親父に他ならない。悲惨な死に方をしたとて、母親を見殺しにした罪は消えないのだ。
では何故、憎いクソ親父のお別れ会に居るのか。
それはセノイに恩を売るためだ。
計算高いセノイは、リリアナに気遣いと対価を与えることで【利害が一致する同士】に仕立て上げようとしている。
リリアナとて無慈悲非情の悪魔ではない。対価が支払われれば納得するし、謝罪されれば怒りは和らぐ。
だからこそ、リリアナの堪忍袋の尾の長さまでを計算している奴の思い通りになるのが嫌なのだ。
リリアナは手に飲み物を捧げると、貴族の隙間を通り抜ける。飲み物が減り、空のグラスが増える。
『エルドラ領で火山が噴火した』
『穀物の値段が上昇。』
『ラジアの軍は撤退を始めた。』
『火山の影響で大地の魔力バランスが崩れた、今後は国内でも穀物不足に陥ると予想される』
『ラジアの傀儡の魔術に掛けられている者は数知れぬ、早く対抗策を見つけねば。』
『我が領内の魔術師が研究開発をしている、投資してほしい。』
リリアナは心の中でにんまり笑う。貴族の動向はファッションの流行よりも移ろいやすいとはよく言ったものだ。ちなみに投資の話は詐欺なので、あの貴族の名前はセノイにチクっておこう。
『実はここだけの話何だがな、』
おやおや香ばしい話の匂いがする。が、こういう出だしに限ってつまらない中身なんてことは
『死んだと思われていたエルドラの王子が生きていたらしい。』
(エルドラの王子、ギルド。)
頭の中のギルドが優しく微笑むのと同時に、リリアナの右手のお盆に積まれたガラスがぐらりと傾く。
『なんでもそいつが、復讐のために火山を噴火させたー』
(復讐……)
お盆のバランスを保とうとした腕に力が入り過ぎ、グラスがダンスホールのシャンデリアに向けて飛び上がった。
ガシャーーンッ!!
リリアナが捧げた透明のグラスが、破片となって床に飛び散る。真っ赤な絨毯の上に、飲み物の残りが雨を降らせた。
(しまった……! 動揺して手が滑って……。)
貴族からは冷たい侮蔑の視線が投げかけられ、侍女長が肩を怒らせ憤怒の形相で歩いてくる。
(どうするか……まぁ、涙を流しとけばいいか。)
リリアナは小心者の侍女を演じ、ガタガタ震えて泣く。
「あ……あ……も、申し訳ありません!!」
「愚か者が!!俺の服が汚れて……どうしてくれんだ!!」
もっとも近くにいた貴族が指輪を幾つも嵌めた手でリリアナの胸ぐらを掴んだ。とは言っても、リリアナは内心どこ吹く風である。
(その指輪売って、イケてる服新調すればいいのに。)
「あなた、早く謝りなさい!!」
侍女長がリリアナの頭を掴んで無理やり下げさせる。
「本当に……本当に申し訳ありませんでした!」
リリアナは精々、貴族の同情心を煽るように謝った。
国王王子が参加している立食会なのだ、ミスった侍女が死刑、なーんて話も普通にある。
(まあ、私は眠り姫(不死身)だし死刑になったとしても最悪セノイがどうにかしてくれる……。)
床一面に広がるグラスの破片が、シャンデリアの光を受けて煌めいた。
(いや、セノイに貸しを作りたくなくてここに来た筈だったのに。)
リリアナの本心から溢れた涙が、床に跳ねる。
(何しているんだろう……。私は。)
「失敗はどなたにも有ります。失敗を咎めるよりどう現状を持ち直すかが重要なのでは?」
リリアナが僅かに顔を上げると、帯剣した男装の令嬢が歩み寄ってきた。レンタル婚約破棄の最後の顧客、クラリス=コンドライト伯爵令嬢だ。
彼女は高飛車に告げる。
「騎士服が濡れてしまいました。わたくしの部屋で、着替えを手伝いなさい。」
「……はい……。」
リリアナは素直に頭を下げ、クラリス令嬢の後に付き添った。
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(この令嬢が処刑台の肉を拾うとは、どういう風の吹き回しなのだろう。)
クラリス伯爵令嬢は控室にリリアナを通すと、鍵を掛ける。
「……あの……」
「生きていらっしゃったのですね、リリアナお姉様。」
「……どなたかとお間違えでは?」
戸惑うリリアナにクラリスはにっこり笑ってみせた。
「貴方はお亡くなりになったと聞かされました。ですが……。」
リリアナはクラリス令嬢のきびきびとした態度に戸惑った。以前はもっと、他人の顔色を伺うような箱入り娘だったはずだ。
リリアナはネックレスを毟り取ると、素顔を露わにする。王家の銀髪が肩を覆い、聖女の母から受け継いだ紫色の目が冷たく光る。
「何故私だと気が付いたのですか?」
「わたくしは聖女なのです。
そちらのネックレスから懐かしい聖女の魔力を感じましたの。
国には秘密にしております。」
クラリス令嬢が声を張り上げたその時、扉がドン、ドンと叩かれる音がした。
「元、婚約者でしょう。お姉様は隠れていてください。」
(おねえさま……慣れない。)
リリアナがカーテンの裏に隠れると、クラリスは激しく音を立てる扉を開けた。
「クラリス令嬢!」
クラリスを押し倒すようにして入ってきたのは、クラリス令嬢の元婚約者。かつてリリアナがレンタル婚約破棄にて追い払った二股男である。
「もう一度、婚約をし直して欲しい!」
真実の愛を謳い婚約破棄を突きつけたのにも関わらず、地面に額を擦り付け復縁を乞う元婚約者。はぁ……と心底嫌そうにクラリス令嬢がため息をつく。
「分からないのであれば、何度だって申し上げます。
覆水盆に返らず。
『一度道を違えた者』を『許すことはありません』。」
クラリスの凍えるような声を聞いて、リリアナの脳裏に思い起こされるのはギルドの事。
ギルドはリリアナが生きている事を知らない。
どうせ死ぬからと、不死身の絡繰りを伝えないと決めたのはリリアナ。
セノイがおばあさまの命を握ったため、リリアナは生きてセノイの命令に従わなければならない。
リリアナに明確な落ち度があった訳では無い。
運がこの上なく悪い。
運に良いように操られ、振り回されているのだ。
クラリスは元婚約者を力強く押し退け、再び扉を閉める。元婚約者が追い縋るように伸ばした手に言葉のストレートパンチを噛ます。
「かつて貴方へ向けていた愛情はもう、この世の何処にもありません。諦めてください。」
クラリスの凍えるような捨て台詞は、カーテン裏のリリアナの鼓膜をも貫通する。
(そんなはずはない!)
リリアナはネックレスを壊れんばかりに握り締め、自問自答した。
何故そう思うのか。
ギルドと共に居たあの数日は人生で最も輝いていた。
運悪く酷い結末になってしまったが、どうしても無かったことには出来ない、したくないのだ。
「そういえば、あのような場面で失敗なさるなど、お姉様らしくありませんわ。一体どうなさったのです?」
「それ……は、知人の話を耳にして動揺してしまい……。」
嘘は言っていない。ただ、恋愛特有の甘酸っぱい感情はクラリスに見抜かれたようだった。クラリスはいたずら子猫のように微笑んだ。
「お姉様、お顔が真っ赤ですのよ。もしかして、お姉様に良いお方が出来たのかしら?」
「……そうかもしれませんが、違うかもしれないのです。」
リリアナが挙動不審になると同時に、クラリスの笑顔に花が咲く。
「なら、恋と親愛の見分け方をお教えしましょう。お会いになった時、お相手の手を握ってご覧なさい。それで全て満足なら親愛、少しでも不満なら恋と考えます。
リリアナお姉様に女神様のご加護を。」
クラリス令嬢がリリアナに右手を差し出す。やや戸惑ってからリリアナはその手を取った。
「感謝します、コンドライト伯爵令嬢。」
「貴方はわたくしを助けて下さいました。お姉様にいつかのご恩返しが出来て大変嬉しく思います。
リリアナお姉様に幸運を。」
クラリスの背後から、聖女特有の後光が立ち上った。
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リリアナはクラリス令嬢と別れると、頃合いをみて王宮の控室から姿を消した。
セノイから指示された王宮内の離れには、おばあさまが留め置かれている。
本日のレポートを仕上げながら、カレンダーに目をやった。
セノイから与えられた一ヶ月の休暇が淋しげな空白となっている。リリアナはペンを置くと、編み物をする老婆を振り返った。
「おばあさま。あの、エルドラに行きたいと思うのです。」
老婆は編み物の手を止めなかった。
「大体の場所はあたしの【鑑定】で特定出来る。あたしの事は気にせず、ギルドのところへ行ってきな。」
リリアナは酷いわがままを受け止めてくれた老婆をしっかりと抱き締める。
「ごめんなさい。おばあさま。行ってきます。」
私は馬鹿だ。
優しいおばあさまを人質としてこの国に置いて、初めての恋で逆上せたヒロインみたく愛しの男を追っかけるのだ。
でもどうしようもない。
どうしてもギルドに謝りたい。
惨めったらしく縋ってでも、許しを請いたい。
ギルドは許してはくれないかもしれない。
身勝手なのは分かっている。
都合が良いのも分かっている。
でも、会いに行こう。
だって。
ギルドがどう思おうと私は、
少なくともあの夜の私は。
まだあなたの事が好きなのだ。
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