悪役=動機が肝心
〜新章開幕〜
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運。
それらは登場人物達になくてはならない生命線である。
ある者は勝利を。
ある者は名声を。
ある者は強大な力を。
ある者は平和を。
ある者は愛を。
非常に都合の良い偶然が、偶然重なることにより手に入る。
そして、彼らが織りなす物語は大団円を以って完成するのだ。
だがもし、もし。
運が途中で尽きてしまったなら。
敵対する者がより強い運を持っていたのなら。
彼らは『悪役』と呼ばれることになるだろう。
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干し草を積んだ荷馬車はラジアからエルドラへ向けて夜通し走っていた。
ガタガタガタガタ。
荷台に伝わる振動に合わせて、干し草の中に埋もれたギルドが揺れる。
ギルドはラジアに滅ぼされたエルドラ最後の王族である。父に復讐を禁じられたため故国を捨て、十年間もの間ひたすらに生き延びてきた。
そして今、再び故郷を取り戻すためエルドラに帰還を果たした。帰還と言えば聞こえは良いが、エルドラ行きの干し草を積んだ馬車に潜り込んだだけである。
体力温存の為に寝転んではいるが、その心中は十年ぶりに舞い戻った故郷の事で埋め尽くされていた。
敵の手に落ちてしまったのだが、期待は捨てきれない。ギルドは頭の中で懐かしいエルドラの景色を反芻する。
夕暮れに山から降り注ぐ涼やかな風。
日差しを浴びて揺れる緑の葉。
夜、恐怖を感じる程に黒々と聳え立つ山。
夜明けを告げる威勢の良い鳴き声の鳥たち。
顔に降り掛かってきた干し草を退ける為に一瞬目を開ける。朝焼けの下、道の両側に迫る断崖を見上げる。
(今、国境を越えた。ここはエルドラもうなんだ。)
早く故郷を見たい。
記憶の中の故郷が存在しないと知るのが恐ろしい。
ギルドは干し草に身体を預ける。この馬車は中央市街へ行く手筈になっている。その道中の頃良い場所で馬車からとんずらする予定だ。
そろそろエルドラの王城が見える頃だろうというところで馬車が速度を落とし始めた。外が人の声で騒がしくなる。
「止まれ!!荷を改める!!」
どうやらエルドラ市街に入る為の検問があるらしい。ギルドは検問官に認知されないよう、隠密魔法を行使して干し草の中に隠れる。
馬車の持ち主の手形を確認すると、馬車が動き始める。馬車の車輪が石畳の上を走る音に変わる。それと同時に、肉が腐ったような匂いが馬車の中まで漂ってきた。
(なんだこれは。)
ギルドは馬車に残った自分の痕跡を魔法で消すとギルドは無断で乗り込んでいた荷馬車から飛び降りる。馬車は更にスピードを上げ、目的地へ向かって走っていくのがぼんやりと明るくなった空に照らされている。
広がっていたのは今にも崩れそうな小屋が密集したスラム街だった。腐臭の原因は、道端でお亡くなりになった乞食の遺体。
頭の処理が追いつく前に目は信じられない量の情報を取り入れていく。
痩せた小さな子供が網をを持って下水の中に何度も突っ込んでいた。魚を取ろうとしているのだろう。
何か渡せる物はないかと腰元を探って諦めた。痩せた子供は何人もいる。ギルド一人ではどうにもならない。
逃げるようにして、ギルドはエルドラ市街地の方へ走っていった。
畑の間に草木が生い茂る緑豊かだった土地は、今や石造りの家で埋め尽くされていた。先程とは打って変わって花々の匂いが香る。
遠くに見える王城は辛うじて残っているようだったが、至るところが改築されラジア流の綺羅びやかな装飾が加えられている。
その周りの建物も負けず劣らず立派なものだ。きっと、有力者の家や別荘なのだろう。スラムの人々が食べ物にも事欠いているというのに、何もせず自分達は美味しいものをたらふく食っているのだろう。
ギルドは滑らかな真っ黒の石畳を踏みしめる。水面と見紛うような加工が施されたこの類の石は有毒だ。
「採れる場所は確か……」
ギルドは綺麗に区画された路地の隙間を駆け抜けた。密集した家が開けた先には想像の何百倍もの広大な麦畑が広がっていた。
その向こうの山々の木々は剥がされ鉱山の入口がぽっかりと穴を開けている。鉱山から出る毒により周りの木々は枯れ、幼木が疎らに立っているだけだ。
「……どうして……!」
あんな綺麗な木々を切ったんだ。
木で建てた家は全部焼いてしまったの?
道を作っている石は山から下ろしたんでしょう?
そこに住んでいた動物達は全部殺してしまったの?
麦畑の土の中には収穫を良くするためと虫を駆除する為の魔石が散りばめられている。
「……もう止めてくれ……!」
悔しさと悲しさが混じる涙が伝った。
違う、こんなのはエルドラじゃない。
こんな故郷なんていらない。
心を落ち着けるために何度も深呼吸をする。強張っていた緊張が解け、冷静さを取り戻した頭は事実だけを受け入れていく。
「……よし。大丈夫。」
涙が引っ込んだ自分に言い聞かせる。
「俺は、力に頼ることなく、争うことなくエルドラを取り戻してみせる。」
ギルドは市街へ戻り、決意に満ちた足取りで王城へ向かって進む。適当な路地で金竜の意匠をあしらった王族に伝わる短刀の鞘を外す。短刀と鞘を別々の油紙で包むと、人気のない場所に立っていた王城の門番に金竜の鞘だけを渡す。
怪訝げな表情を浮かべた門番にギルドは念を押す。
「ラジアのお偉方が血眼になって探しているエルドラ王族の金竜の短刀の鞘だ。話が分かる者と取り引きがしたい。今日の夕方最奥の山の山頂にて待つ。」
門番が呼び止める前にギルドは行方を眩ませた。
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ギルドは山頂からエルドラだったものを見下ろしていた。見晴らしのいい場所は何を食べても美味い。山登りの道中に捕らえたリスの焼き肉と果物を食べながら時間が過ぎるのを待っていた。
国を追われてから長い間望んでいた筈なのに。
エルドラを取り戻すために動いていいものか、王子の息子だった過去を思い出して良いものか。ギルドは一気に開けた未来をどう進むべきか未だに悩んでいる。
空を見上げれば雲行きは怪しく、夕刻までに一雨降りそうな空気だ。
空から市街地に目線を下ろすと、一つの黒い点が迫ってくる。点はやがて黒いドラゴンへと姿を変えた。
ギルドはリスの皮と骨を土に埋めると、山頂の木々が無く平らな場所へ足を運んだ。
やがて頭上を飛び回っていたドラゴンは山頂に着陸した。竜の背中に乗せてある大きな茶色の革袋に何故か気を引かれる。
ラジアの制服を着た男性を始めとして竜に乗っていた二十人程の兵士が武器を手に歩いてくる。
「私はエルドラ領の知事の代理としてやって来たラジア警備団エルドラ支部団長だ。これを送り付け、ここに呼び寄せたのはお前で間違いないか。」
団長と名乗る男は、証拠保持のための結界に包まれた金竜の短刀の鞘を見せる。父の形見の半分であるそれは、ギルドがわざわざ送りつけたものだ。
「この短刀の方はどこにある。答えろ、さぁ!!」
ギルドは団長の高圧的な物言いに負けないよう、ラジア語を声を張って発音する。
「教える代わりに取引がしたい。」
「取引だと?」
まるで論外だとでも言うように、団長はギルドの顔をなめ回すように見る。まるで言葉の拙い幼児の相手にする様に、ギルドは顔を顰めた。
「エルドラの正当な後継者を示す短刀の代わりに、農耕に適さぬエルドラの山々を渡せ。
アストリエを侵略するためにも、エルドラがラジアの領地であるという大義名分は必要なはずだ。」
「つまり貴方はこう言いたいのですね。金竜の短刀の在り処を知っている、と。」
「違う!……あっ……」
団長が我が意を得たりと笑ったのを見て、ギルドは否定を信じ込ませるのに致命的なミスを犯してしまったことを悟った。
団長が顎で合図をすれば数人の騎士がギルドの両腕を乱暴に捕まえ、所持品を改める。されるがままにしておきながら、ギルドは同じ土俵に立とうとしない大使を睨んだ。
「持ってくるわけが無いだろ。どうしても欲しいなら取り引きをする事だ。」
騎士は目的の物の不在を悟ると、首を横に振ってギルドを突き飛ばす。勢い余って転んだギルドの傍らに、団長がいやらしい笑みを浮かべて屈む。
「金竜の短刀はどこにある。」
「エルドラの山々を返せ。」
教えたら用済みとなり殺される。金竜の短刀の在り処はギルドの命綱に等しかった。
「こちらは根回しや手続きが必要になります。所在を明らかにしてから交渉するというのはどうでしょう。」
「ラジアのお偉いさん方の宣誓魔法が無ければ無理だなぁ。」
「……貴方の同胞の命と引き換えになら教えてくれますか?」
竜の鞍の大きな袋が騎士達によって剥がされ投げ出された。袋がくの字に折れ曲がり小さなうめき声がする。
声には聞き覚えがある。
騎士が袋の口を広げると、浅黒く長身の幼馴染が空気を求めて喘いだ。
「……ファイ。」
駆け寄りたいのを必死に堪え、団長を睨む。
「短刀一つで大切なお仲間の命が救えるのなら安い物」
「駄目です!!」
団長の煽りを遮って、ファイが力の限り叫ぶ。
「ラジアは取り引きする気など毛頭ありません!!貴方のお父上の事を思い出して下さい!!」
友の命かエルドラ再興か。場合によってはどちらも失う。
不条理な現実に泣きたくなる。
嫌だ。
民が死ぬのも自分が死ぬのも。
だったら殺すか?
いや、それだけは嫌だ、
ラジアへの苛立ちと憎しみの底で、頭の中の冷静な部分で現状の打開を試みた。やがて一つの解決策が浮かび上がる。出来上がったそれに破綻は見当たらない。
確実性は無いがやるしかない。
感情は消す。
ただ盤を囲んだチェスをしているだけのつもりで、息を吸い喉を整える。
「ラジアの警備団団長殿。
ラジアの軍事機密は知らないが、アストリエを侵略したいってのは分かっている。俺には、アストリエの王城にスパイを侵入させる事に失敗しているように感じるが如何だろうか。」
団長が興味深そうに目を細める。
「セノイは非常に優秀な奴で、スパイを炙り出す優秀な頭脳の持ち主だ。それにアストリエの奪取が容易なら、奴隷網を形成してまでラジアに被検体を送り込む必要は無いもんな。」
ギルドは団長に近づくと、一段と声を潜めて囁いた。
「俺は、アストリエの王城に忍び込む方法を知っている。」
リリアナが教えてくれた下水溝を通るルート。リリアナの事を思い出して胸がズキリと軋むが、首を振って無意識の底に追い落とす。
排水溝がセノイに発見されていない事を祈るばかりだが、ファイの命が危ういなら賭けるしかない。
俺はエルドラの王子。使える物は何でも使って国を取り戻す。
ギルトは一歩二歩と後退すると、団長に両腕を広けてみせる。
「団長殿、俺の手駒は二つだ。アストリエに忍び込む方法はそこのファイと引き換えに取り引きしよう。地下道を確認する時間も与える。そして双方約束の履行を確認してからもう一つの取り引きを開始しようじゃないか。」
今度は団長が黙る番だった。ギルドは自分の発言を復唱しながら、抜かりがないか再度確認する。
「……いいだろう。先ずは地下道の在り処を教えろ。」
「ファイの解放が先だ。」
団長が顎で合図をすると、ファイの縄が解かれる。
「約束は守れ。」
大丈夫、教えていい筈だ。
「南門の桟橋から三つ目の排水口。右右中央左右と進み、最後の分岐から七つ目の金網を持ち上げる。その地点は警備の死角となっており、最厳重エリアに警備の目を介すること無く侵入出来る。」
団長は満足そうに頷いた。だがその目は値切る気満々の商人の目だ。
「一ヶ月後ここで会おう。」
「場所はこちらが指定する。」
(先に来て罠でも仕掛けられたら堪らない。)
「いいだろう。アストリエの地下通路が使えると分かったら応じてやらんこともない。そいつの命は手付け金の代わりだ。それでは失礼しよう。」
団長は悠々と竜に向かって歩く。ギルドは隣に立つファイを見上げた。顔は腫れて所々出血している。ファイはラジアの人に理解出来ないエルドラ語でまくしたてる。
「私を逃がしたことを今に後悔させてやりますよ。」
ファイに向かって一つだけ頷くと、ちらりと周囲を警戒した。団長は短刀の隠し場所から遠く離れている。このまま何事もなければ、取り引き可能だ。
「短刀は有りますよね。」
「ああ。」
不穏な風が囁やき、ゴロゴロと雷鳴が喉を鳴らす。
万が一の落雷を避けるためにもファイを木陰に誘い、解析魔法を作動させる。精神をコントロールされた場合に生じる魔力異常は感じられない。
続けて治療魔法を展開しながら横目で敵の様子を盗み見る。ラジアの兵士達は雷に怯える竜を御すのに苦労していた。緊張で暴れ回る巨大な生き物に人間の非力さでは太刀打ち出来ない。
ピシャァァァァンッ
雷光が屈曲しながら山頂に降ってくる。竜が怖がり暴れ出した。長い尻尾が振り回され木々を薙ぎ倒す。返す一振りで平坦な山頂の土を全て薙ぎ払った。
「……!!」
舞い上がる土の中に金の光が混ざる。ギルドが埋めて隠していた短刀だ。更に最悪な事に瞬く雷光が、短刀に隠しきれないほど強い煌めきを与える。
「『来い』!」
ギルドは咄嗟に魔法を唱えた。短刀は所有者の指示に従い、その手の中に収まる。手首の裏に隠し、竜の大暴れでバレていない事を祈る。
「竜笛で眠らせろ!!」
「はい!!」
ラジアの兵士が吹く甲高い笛の音が響き、竜が気絶する。どうやらギルドの持つ短刀の存在に気が付いたラジア兵は居ないようだ。
竜の尻尾によって現わされた地面は土と異なり白い色をしている。現れた遺跡は、緻密な魔法陣を刻んだダンスホールの床のような遺跡。
恐る恐る開いたギルドの目をファイの両手が叩きつけるように塞ぐ。
「何を」
「貴方にエルドラの金眼が。」
何を言っているかが分からない。
「金眼、金眼が居たぞ!やっぱりあいつはエルドラ王族だ!!」
「殺せ!!」
ガチャガチャと魔道具を準備する音が聞こえる。耐えきれずファイの手を振り払った。
開けた視界の中で、ギルドとファイはラジアの兵士の円陣の中央にいた。
団長はギルドの手の中にある短刀を愛おしげに見つめた。
「我々が長い間見つけられなかったエルドラの秘宝。正当なる王族が代々受け継ぎその刀には天地をも操る力があるという。」
ギルドが短刀の銀の刃先を睨めば、金色に輝く目が瞬きする。仕組みは分からないがギルドは今金色の目をしているらしい。
「エルドラの王子様、随分と探したのですよ。貴方を捜索する部隊は今でも千人単位で存在するのです。」
雷が来なければ。
竜が暴れなければ。
金竜が目を覚ましていれば。
ギルドに向け、殺害魔法が一斉に放たれた。自らの不運を呪いながら、ギルドは目を閉じる。
短刀が手から滑って地面に跳ねた。
雨が魔法陣で跳ね返る音を聞きながら、一瞬止まったかのように声がした。
『憐れなお父さん。』
『僕はお父さんの味方だよ。諦めないで。最後は絶対に幸せになれるから。』
(誰……?)
確かめる間もなく雨の音が再び耳を打つ。ギルドは何か大切な事が起こる気がして、目を開いた。
魔法陣の中央には起動装置の錠と思われる拳ほどの長さの、一文字の窪みがある。石板の上で跳ねた短刀は自ら飛び込むようにして窪みに収まった。
読んで頂きありがとうございます!
完結まで頑張れ私!!
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