鏡よ鏡
「よぅし、とりあえず、どこを怪我したか教えてくれるかな?」
「あーっ、と、怪我は別に大したことないんですけど…」
私はちょっと恥ずかしかった。フローラちゃんが気を利かせて話題を繋げてくれただけで、怪我自体は大したことがないからだ。
「まあまあ、まずは見せて見せて。ほらっ、大したことかどうかは専門家たる僕が決めるんだぞぉ!」
先生の圧に押されてうへぇとしながら靴下を捲る。ちょっとした怪我を大袈裟にしてる感じってなんかこそばゆくて苦手なのに。別に痛くないんですよって保険をかけたりして。
「別にほとんど怪我してないのと同じくらいの…あれっ?」
当ててくれた布にじわりと血が広がっていた。何に驚いてるのかって、それが結構広かったから。先生がこほん、と咳払いをした。
「案外人の体って誤作動したり、誤魔化したりするものなんだよ!甘く見たらだめです〜」
まじまじと布地を見る。じわりじわりと広がる滲みを見ていると、なんとなく痛い気がしてくる。でも痛くないって言った手前悔しいので、痛くなさそうな振りをしてみた。先生は続ける。
「きみ、どのクラスの子なの?僕見たことない気がして…一年生?」
「えーと、二年の三組です!」
「うんうん二年の、サン?…えーと…C組ってことかな?」
「いや、いち、にい、さんの三組です」
彼が首を傾げたので、私も首を傾げる。
「きみ、どこから通ってるの?」
「…あれっ?」
私ははたと気付く。私はどこからどうやって学校に通ってるんだっけ?
…それだけじゃない。私の実家の住所、郵便番号、学校の名前…なんで一つも思い出せないんだろう?まるで最初からなかったみたいに、でも確かにある!ってことはなんとなーくわかるのに…
「んーっ…話したくないことだったら話さなくていいからね?」
「あ!そういうわけじゃないです!ただ…」
「ただ?」
「忘れちゃった…みたいなんですよね…」
私は神妙に呟く。
「ああ、なるほどなるほど、…忘れた!?」
我ながら信じられない記憶力だ。ここ十七年暮らしてきたはずの故郷の名前をど忘れするとは。つい眉間にシワが寄ってしまう。高校生にしてボケ防止の本を買うべきなのか。
「そ、そうかあー…なぁるほどね…いや多分忘れたんじゃないと思うけど…うーん…」
先生は難しい顔して考え込むと問いかけた。
「きみ、王国って知ってる?」
「王国ですか!?ファンタジー小説みたい!知らないです!」
「そーうかぁ…普通に暮らしてきたんだよね?」
「ぅん?はい!」
彼はもっと難しそうな顔をして笑いかけた。ややこしいことになってるぞぉ、と少し脅しをかけながら。
「王国っていうのはこの国のことなんだよ!?普通に暮らしてたらね、ぜーったい知っているはずなんだよね〜…」
だから、変な言い方だけど、と続ける。
「たぶんね…もしかしてだけど…別の世界から…きちゃったんじゃない?」
真面目な顔でキリ…としているから、私もむん…と真面目な顔をした。無言で数秒間が過ぎる。
「…………」
「…………」
ぶはっ、と思わず吹き出してしまった。真面目な空気になるといつも笑ってしまいそうになる。突拍子ないことだから、尚更。
「わ、笑い事じゃないんだぞぅ!?ほんとにほんとにそうかもしれなくて〜〜…」
「分かってます!分かってますって!」
ひぃひぃ笑っていたので少しお腹が痛い。でもやっぱり面白いし、不思議だし、そんなこと真面目に言われたらつい笑ってしまう。異世界転生!
「も、も〜…ほんとにわかってるのかなあ…」
先生が息をついた。まあ都市伝説だと思うけど、と言いながら。
「あ、じゃあ、ここって剣と魔法の世界だったりして!ファンタジーなっ、RPGなっ…私も魔法が使えちゃったりしますかね!?」
そうしたら先生はまた目を見開いて言った。
「えっ…ち、違うの?きみのところは…」
「あれっ?」
今度は私が目を見開く番だった。ふーむ…と先生がペンをくるりと回す。そしてカチッとペンの背を押しこむと、こちらをおだやかそうな顔で見て言った。
「君の世界の話を聞かせてくれる?」