8 治癒魔法と黒のオーラ
「馬の足音がするな」
「えっ? 私には聞こえないわ、ウィル」
「十頭はいますね」
「イネスにも聞こえてるの?」
エレナは耳を澄ませてみた。だがまだ何も聞こえない。
「来るぞ」
ウィルとイネスは荷物を放り投げ、剣を鞘から抜いた。
「エレナ。お前は捕まらないことだけを考えろ」
「は、はいっ!」
やがて本当に十頭の馬が現れた。それぞれ武装した兵士が乗っている。
「エレナ・ディアス! リアナ様の命によりお前の命を貰い受ける!」
(リアナの? やっぱりリアナは私を殺そうとしているの? 私は庶民として生きることすら許されないというの?)
ウィルはイネスに耳打ちした。
「魔法は使うな。帝国の人間とバレたら厄介だ」
「承知しております」
二人は馬から降りて来た兵士と剣を交え始めた。金属音が響き渡る。エレナを背に戦う二人は十人を相手に目覚ましい動きを見せているが、甲冑を着込んだ相手にはなかなか致命傷は与えられない。ジリジリと後退し始める。
だがそれでも、五人は倒した。残りの五人のうち一人はイネスと互角の戦いをし、後の四人がウィルを取り囲む。そのうちの一人が一瞬の隙をついてエレナの側まで飛び込んできた。逃げるエレナを後ろから抱きついて捕まえる。
(これはっ……ウィルに習った方法で)
エレナは完全に脱力しストンと下へ身体を落とす。驚いた兵士の腕が緩んだと同時にその腕を叩いて下へと逃れ、見事に抜け出した。
(走れ……走れ!)
必死に走るエレナ。兵士が追いかけて来る。
(捕まる……!)
後ろを振り向いたエレナの目に、ウィルが左腕を切り付けられる姿が映った。エレナを助けようとして兵士に背中を向けてしまったのだ。血飛沫が飛び、ウィルが倒れる。
「いや……いや――! ウィル! やめて、やめて――――!!」
その瞬間、兵士の動きが止まった。そして全員、弾かれるように吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ気を失った。
「いやぁ――! ウィル! ウィル!」
エレナはウィルのところへ駆けつけ、必死に名前を呼んだ。イネスもすぐに駆けつけてくる。
「くそっ、油断した……」
「喋ってはいけません、ウィル様! 傷はかなり深い」
甲冑など着ていなかったのだからどれだけ深い傷を負ったのだろう。エレナは恐怖に震えていた。
「イネス……イネス、ウィルは」
イネスは厳しい顔をして答えない。荷物の中から薬や包帯を取り出そうとしてはいるが、それくらいでは追いつかないこともわかっていた。出血が酷い。上腕の損傷のため鎖骨付近を圧迫して止血を試みるしかない。
(帝国に戻って治癒魔法をかけなければ。だがこの傷では転移することも難しい)
イネスの様子からウィルが危ないことを知ったエレナは、自分を責めた。
(私が旅に同行したばかりにこんな目に……ウィル、お願い。死なないで……!)
ウィルの顔が青ざめていく。
「エレナ、気にするな……」
「喋らないで!」
イネスが叫ぶ。エレナはウィルの身体に触れ、必死に祈った。
(ウィル、ウィル……死なないで。死んじゃだめ。お願い、血を止めて。誰かお願い、ウィルを助けて……!)
すると突然エレナの手から光が溢れ出した。
「エレナ?」
イネスが驚いて彼女を見ると、その光はエレナの手からウィルへと伝わっていき、やがて二人の身体全体を包み込んだ。
(何? いったいどういうこと? エレナから治癒魔法の光が出ている……!)
長い時間が経ったように思えた。だが実際には一瞬のこと。光が消えると、ウィルが目を開けた。
「ウィル様!」
「……エレナ……これはどういうことだ」
「ウィル! 大丈夫なの?」
ウィルは起き上がりゆっくりと腕を回してみた。
「……傷が治っている」
エレナは顔を輝かせてウィルに抱きついた。
「良かった……良かったぁ、ウィル……」
泣き続けるエレナの頭を撫でて、ウィルは優しい声で言った。
「エレナ、まずはこの兵士たちを縛り上げて話を聞く。その後、お前にも……話がある」
涙に濡れた顔を上げたエレナ。
(話って何だろう。もしかしたら、これ以上旅に同行させることは出来ないと、そういう話かもしれない。でもそれでも受け入れよう。私みたいな厄介者といたら、またこんなことが起きる。私の存在はやっぱり、誰かの迷惑にしかならないんだから)
コクンと頷くと、散らばった荷物を集め始めた。今の自分に出来ることを。そう思ったのだ。その間にイネスとウィルは気を失ったままの兵士をまとめて縛る。
それからウィルは一番階級が上の兵士の顔を叩き、目を覚まさせた。
「う……くそぅっ、捕まえられるとは恥。ひと思いに殺せ」
ため息をついて首を振るウィル。
「お前たちはなぜエレナを殺そうとする」
「……リアナ様の命だからだ」
「なぜリアナはそんなことを命じたんだ」
「知らぬ。リアナ様がそう言うのなら従うまで」
「まだ王太子妃でもない、ただの婚約者ではないか。そのような者の言うことをなぜ聞く必要がある」
「リアナ様は絶対的なお方。美しく優しく素晴らしい方だ。あの方の言うことに間違いはない」
「そのために罪のないエレナを殺すことも厭わないのか……」
ウィルは兵士を殴ってまた気絶させると、二人に告げた。
「今から王都へ向かう」
「王都へ?」
エレナは驚いた。王都に入ればすぐに殺されるのではないかと思ったのだ。
「その前にとりあえずエレナに話がある。ここは兵士がいるので場所を移そう」
「えっ、」
ウィルが地面に手を翳し魔法陣を展開した。イネスがエレナの肩を抱き、その中心に立つ。ウィルも寄ってきて二人を両腕の中に包み込んだ。と思うと、ブワッと風が起こり一瞬目が眩んだ間に、三人の身体は別の場所にいた。
「ど、どういうこと?」
「これは転移魔法だ。離れた場所に陣さえあれば移動することができる。俺たちは魔女を探して捕らえるためにカレスティアに潜入し、その時に何ヶ所かに転移陣を付けておいた」
「魔法……?」
エレナは困惑している。カレスティア王国には魔法は存在しない。一度滅びる前にはあったかもしれないが、今は誰も使えないのだ。魔法を使うのはこの大陸最大の帝国、コンテスティ。それにより豊かに栄えている国だと学園で習った記憶がある。
「もしかして、二人はコンテスティの人……?」
頷く二人。
「じゃあトリアデル島から来たというのは……」
「俺の母がトリアデル生まれだからな。嘘ではない」
すました顔でウィルが答える。
「あれ? そういえばさっきイネスはウィルのこと、ウィル様って呼んでたわ」
「ええ。私とウィル様は姉弟ではないのよ。私はウィル様にずっとお仕えしている侍従なの。この旅では姉の振りをしていたけれどね」
「すごく自然だった……本当の姉弟みたいだったわ」
「小さい頃から一緒にいたからな。そういう意味では姉弟も同然だ」
「エレナの前ではウィル様を呼び捨てにして、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたよ」
「何言ってる。ここぞとばかり姉貴風吹かしていただろう」
「バレましたか」
「ねえ、それじゃあ二人は何歳なの? 良かったら教えて」
「俺は十八。イネスは十九だ」
「本当?! 大人びているから二人とも二十歳を超えてると思ってた」
「老けてるって言いたいのか」
ウィルが口を尖らせて言う。
「ち、違うの! 見た目は若いけどしっかりしてるなって! 私が幼すぎるだけなの」
「ウィル様は老け顔なのを気にしてるんですよ。エレナ、気にしないで。でも私も、年上に見えたのならショックだわぁ」
「あーん、ごめんなさい……」
三人で声を上げて笑った。こんなことも、もう最後なのかもしれないとエレナは思う。いつまでもこうしていたいけど、ちゃんと話をしなくては。
「……それで、話っていうのは何? 聞かせて、ウィル」
笑い声が途切れた時、エレナは意を決して尋ねた。ウィルも笑顔から真剣な表情に戻る。
「……エレナ。『緋色の魔女』って聞いたことはあるか?」
「……? いえ。初めて聞いたわ」
「三百年前、カレスティア王国を滅ぼした魔女だ。その魔女が、再び現れたと星読みが告げた」
「星読みということは、占星術ね? コンテスティは魔法だけでなく占星術も盛んで、それにより災厄を未然に防いでいるのよね」
「ああ、そうだ。十六年前、何らかの災厄を表す星が堕ちた。それが何の災厄であるかはまだ分からず、星読みたちは懸命に調べていた。そして今年、ついにその内容が読み解かれた。三百年前と同じ凶星、緋色の魔女が現れたのだと」
エレナは、なぜだか頭の奥が冷えていくような気がした。十六年前。自分の生まれた年。
「俺は魔力のオーラを感じることができる。人によって違うその色を見分けられるのだ。俺もこれまでたくさんの色を見てきたが、今まで出会ったことのない色、それが黒いオーラだ。その色こそが魔女の証と星読みたちに言われて俺は旅立った。会えば必ずわかると信じてこの国に入り、そしてすぐにそのオーラを持つ者に出会ったのだ……エレナ、それが君だ」