4 新たな旅の仲間
馬車が動き出した振動でエレナは目を覚ました。ひんやりした手が額に乗せられ、気持ちがいい。
「気がついた? 気分はどう?」
柔らかな女性の声。なんとエレナは膝枕をされていた。どうりで気持ち良かったはずだ。
焦ってすぐに身体を起こす。
「は、はい! 大丈夫……です」
微笑んでエレナを見つめるその女性は、年の頃は二十歳くらいだろうか。髪をお団子にして丸め、旅の軽装をしているその人はイネスと名乗った。
「私と弟のウィルフレド……さっき、あの男を捕まえた子ね。私たちは二人で旅をしているの。徒歩での旅だから森の中を探索して水や食糧を探していたところ、あなたの悲鳴が聞こえてね。ウィルが走って行って捕まえたってわけ」
「あ、そういえばあの方は……?」
「今、御者台で馬車を走らせてるわよ。そうそう、さっきの男は縛り上げたまま森に置いてきたから」
「えっ」
「人を殺そうとしたんだから当然よ。命があるだけマシだと思うわ」
(そうだわ……私、殺されかけたんだ)
じわっと涙が浮かんでくる。イネスはエレナの手に自分の手を重ね、慰めるようにポンポンと叩いた。
「私ね、旅の占い師なの。これまでにいろんな人の人生を見てきたわ。良かったら話してみない? あなたの辛さを吐き出すだけでも楽になると思う」
エレナの目から、抑えていた涙がポロポロとこぼれ始めた。人前で泣くなんて生まれて初めてのこと。父母からはみっともないから泣き顔を見せるなといつも怒られていたから。
「私……私……」
会ったばかりなのに全てを話してしまいたくなるのは、この人が占い師だからだろうか。エレナはディアス家の名前こそ出さなかったが、自分のこれまでの辛かったことを堰を切ったように話し始めた。
生まれた時から姉と比べられ、嫌われていたこと。家族の誰からも愛されず使用人からも疎まれていたこと。学園では無視され嫌がらせをされ、毎日地獄のような日々だったこと。そして姉の結婚が決まったと同時に家を出されてしまったこと。
幼な子のように泣きながらの告白が終わると、イネスが優しく抱きしめてくれた。
「そんな環境でよく頑張って生きてきたわね。あなたは偉いわ」
「……!」
また涙が溢れだす。生まれて初めて言われた言葉。ずっとずっと、家族に……いや、誰かに言って欲しかった言葉。それを、会ったばかりの人に言ってもらえた。エレナは嬉しくてイネスに抱きついてひたすらに泣いた。
どのくらいそうしていただろう。ふとエレナは自分がとても恥ずかしいことをしていると気がついた。
(初対面の人に抱きついて涙を見せるなんて……貴族令嬢としてはあるまじき行儀だわ。でも私……もう、貴族なんかでいなくても、いいのかもしれない)
そんな風に考えていた時、馬車が静かに止まった。そして馬車のドアが開けられ、ウィルフレドが顔を覗かせた。
「今夜の宿はここにしよう」
「え……でも、ここは」
森はとっくに抜けていたが、宿場にはまだ着いていない。街道から外れた林の中に馬車は止まっている。
「アルバ男爵領への最後の宿場は宿が一つしかない。泊まるとすればそこしかないのだから、君の命を狙う輩が襲って来ないとも限らないだろう」
「あっ……」
確かにそうだ。御者の男だけが刺客とは限らない。失敗を見越して第二第三の攻撃が来るかもしれないのだ。
「ここは小川もあるし寝るには丁度いい。イネス、俺はこの馬車を捨ててくるから野営の準備を頼む」
「はいはい。お任せあれ」
呆然とするエレナをよそに、二人はテキパキと動き出した。そしてウィルフレドは御者台に乗り、馬を走らせて猛スピードで街道へと戻って行った。
火をおこし、手際よく食事の準備をするイネス。何も出来ないエレナは恥ずかしく思いながら、彼女のすることを見つめていた。
スープを煮込みながらイネスがエレナに尋ねる。
「ごめんなさいね。あの子、ちょっと無愛想で怖くない?」
「いえ、そんなことは」
確かに笑顔は見せないけれど、言葉に棘は無いし嫌な気持ちはしなかった。何より、エレナを助けてくれた大恩人なのだ。
「馬車を捨てるっていうのはどういうことですか?」
「馬車で旅をすれば楽だけど、あなたがあれに乗っていたのは相手にバレているわけでしょう。だから、これから先も狙われてしまうの。あなた……黙って殺されるつもりはないでしょう?」
「……はい。私、まだ死にたくないです」
「だったら、私たちが一緒に行ってあげましょうか」
「えっ」
「あなた一人では無駄に殺されるだけでしょう? 私たちこれでも、用心棒として雇ってもらえるくらいの腕は持っているの。きっと力になれるわよ」
「でも……でも私、あなた方に用心棒代をお支払いできるほどのお金を持っていません」
焦るエレナに、イネスはにっこりと笑って言った。
「どうせ気ままな旅路だったんだもの。お代はそうね、そのサッシュベルトに挟んであるお金くらいでいいわよ。それと、そのドレス。それも売り払えばまあまあのお金になるわ」
確かに。リアナほどではないとはいえ、ちゃんとしたドレスである。
「で、どこに行けばいいの? アルバ男爵のところ?」
(そうだ。私は、アルバ男爵に嫁ぐためにここまで来たんだった。でも、それってちゃんとした契約なの? 私を殺すつもりだったなら私が姿を見せなくても構わないのでは)
エレナがぐるぐると考えていると、いつの間にか戻っていたウィルフレドが後ろから声を掛けた。
「アルバ男爵なら先週死んだぞ」
「えっ!」
振り向いたエレナは驚きの声を上げた。
「ああ、そういえばそうだったわね。エレナちゃん、私たち先週アルバ領を通って来たのよ。老男爵が老衰で亡くなって、領内が喪に服していたわ」
「跡継ぎの息子には妻子がいたはずだ。君の出る幕は無いと思うが」
「そうですか……」
エレナは呆然とした。もう、訳がわからない。嫁ぐはずだった男爵は亡くなり、私はリアナに殺されかけて。全てが父の計算通りなのか、リアナの思惑なのか。
「私、どうしたらいいのでしょう……」
縋る思いで投げかけた言葉に、ウィルフレドは冷たく言い放った。
「それは、君が自分で決めることだ」
ジワリと涙が滲む。でも彼の言うことは正しい。自分の行く先は自分で決めなくては。
「あのっ」
突然うわずった声を上げたエレナに、ウィルフレドが目を向ける。敵意のある目ではない。そのことに安心して言葉を続けた。
「私を、一緒に連れて行ってもらえませんか」
「は?」
ウィルフレドが驚いた顔をする。
「私、もう貴族に戻りたくない。家にも戻ってくるなと言われているんです。戻っても修道院へ行かされるだけ。それならば、庶民として、ただのエレナとして生きていきたい。私が市井の生活に慣れるまでの間だけでも、あなた方の旅にご一緒させてください」
「いいんじゃない? ウィル。どうせ私たち旅の者なんだし、一人くらい増えたって」
「……そうだな。エレナ、俺たちはこの国を隅々まで巡る予定にしている。それでも構わないか?」
「はい。そのほうがありがたいです。あちこちを巡って、住む場所を決めたいと思います」
「じゃあ、今から君は俺たちの妹という設定にする。俺のことはウィルと呼んでくれ」
「ウィル、さん」
「さんはいらない。それとイネスもそのままで」
「ウィル、イネス……よろしくお願いします」
「ふふ、よろしくね、エレナ」
方針が決まってようやく安心したエレナはイネスの作ったスープを美味しくいただき、後片付けを手伝った。
「さあ、エレナ、あんたはもう寝なさい。私たちは交代で火の番をしているから」
「でも、私だけ寝るなんて」
「お前が起きていたって何の役にも立たない。火の番ってことは獣や盗賊の番をするってことなんだ」
「あ……」
自分は本当に何も知らない。エレナは本で得ただけの知識ではどうにもならないことを痛感していた。そして、足手まといにしかならない自分に同行してくれるという二人の優しさも身に沁みた。
「わかりました……じゃなくて、わかったわ、ウィル、イネス。私はちゃんと眠って、明日からの徒歩移動に備えることにする」
「そうそう。それがいいわ。休みなしで歩くから、覚悟しといてね」
「はい。お休みなさい、二人とも」
「お休み」
エレナはイネスが用意してくれた油紙に包まり、地面に転がった。藁のベッドよりもさらに硬く冷たい。でも、これに慣れていかなくては。
それでも不思議だ。辛くはない。自分で選んだ道だからだろう。
「もう寝たか」
「はい、ウィル様。意外と肝が据わっているようですね。ぐっすり眠っています」
「偶然の出会いではあったが……まさか、魔女候補にすぐ遭遇するとはな」
「……間違いないのですか?」
「いや、まだわからん。だが黒いオーラが一瞬見えたのは確かだ。俺も、本物の魔女に会ったことはないのだからこれがそうだとは言い切れん。一緒に旅をする間に見極めていけるだろう」
「エレナを殺そうとした姉については、どうお考えですか」
「エレナが魔女だと気づいて殺そうとしたか、ただの偶然か……どちらにしろ、動向を探る必要はあるな」
ウィルがヒュっと小さく口笛を吹くと、暗闇からツバメが現れた。
「エミリオに知らせろ。リアナ・ディアスについて探れとな」
ツバメはクイと頷き、夜の空へと消えていった。