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3 辺境への旅


 鏡で見ると、うっすらとリアナの指の跡が首に付いているような気がする。白粉をはたいて誤魔化せる程度の色だったのは幸いだった。念のためスカーフを巻く。旅支度として不自然ではないし、一週間の旅の間に綺麗に消えてしまうだろう。

 朝食の席でリアナはどんな態度を取るだろうかと身構えて食堂に向かったエレナだが、あまりにもいつも通りで拍子抜けしてしまった。


「おはよう、エレナ。今朝も早いのね」

「え、ええ、おはようリアナ……」


 愛らしい笑みを浮かべて食卓につくリアナ。彼女が今朝のオムレツの出来について侍女と楽しく語らっているのもいつものこと。そして父母が入ってきて、リアナにだけキスをするのも同じ。


(もしかしてゆうべのことは夢だったの……?)


 誕生日パーティーの疲れで嫌な夢を見たのだろうか。それにしてはリアルだったし、首の跡の説明がつかない。


(わからないけれど……でももういいわ。私はこの後すぐ出発するのだし)


 父母は最後の食事の間もリアナとばかり話して、エレナに話し掛けることはなかった。

 食事を終えるとエレナは席を立ち、父母の前で挨拶をした。


「お父様お母様、そしてリアナ。十六年間お世話になりありがとうございました。私はこれより辺境へ出発します」


 リアナと楽しく話していたのを邪魔されたためか、父は小さく舌打ちをした。そして胸ポケットから一通の手紙を取り出しエレナに渡す。


「これは修道院の紹介状だ。もし男爵に気に入られず追い出されるようなことになってもこの家には帰ってこないように。話をつけてあるから、ここで余生を過ごすのだ。わかったな」


(そんなところまで用意周到に……本当に私のことが嫌いなのですね)


 母を見ると相変わらずエレナをチラッとも見ようとしない。リアナはニコニコと微笑んで、でも何も言わなかった。


「では失礼いたします」


 エレナが頭を下げると父が軽く右手を上げた。それで別れは終了だ。食堂を出て行くエレナの背中に、三人の楽しそうな話し声が泡のように弾けて消えた。




「あなたが旅の御者?」


 初めて見る男にエレナは戸惑った。馬車もいつもよりさらにみすぼらしく、平民と変わりないものになっていた。


「お屋敷の御者たちが誰一人手を挙げなかったそうでなぁ、代わりに雇われたんでさぁ。あんた、随分と嫌われてるんだなぁ」


 欠けた歯を見せながらケラケラと笑われてエレナは傷ついた。せめていつもの馬車と御者で送ってくれるものと思っていたから。

 荷物は小さな鞄一つだけ。向こうでの服は男爵に用意してもらえと言われて旅の間の着替えが一着。それと下着や手巾。宿代と食事代が入った布袋、それでおしまい。大好きな本も一冊も持ち出しが許されなかった。


(これではまるで、そう……監獄に行く時のよう……)


 結局誰からも見送られることなく馬車は出発した。仮にもこれから花嫁になるというのに、男性御者と二人きりの旅。男爵に疑いを持たれないのだろうか。もしかしたら受け入れられないのではないか。エレナはこの旅に暗雲が立ち込めてくるのを感じていた。



 一日かけて馬車は王都の外壁に到着した。今夜はここで宿を取り、明日は関門をくぐって十六年間暮らした王都から出ることになる。外壁を出たことのないエレナには初めての長旅であった。


「俺は馬車で寝るからよぅ。宿代がもったいねぇし、それより酒を飲む方がいいぜぇ」


 そう言って御者は酒場に出掛けて行き、ホッとするエレナ。鞄を抱えて宿に入って行った。

 初めて泊まる庶民の宿。狭い部屋の中に藁のベッド、小さな机には洗面用の水差しと洗面器だけが置いてある。


「食事は食堂に来てちょうだいな。あまり遅くなるとアタシも寝てしまうんでね、早めにね」

「はい、わかりました」


 水差しの水を使い手を洗うと、エレナはお金の入った小袋をサッシュベルトの中に挟み込んで食堂に向かった。

 食堂ではたくさんの人たちが賑やかに食事をしていた。身体の大きい男の人たち、家族連れ、女性だけのグループ。それぞれが長机の好きな所に座ってシチューを食べている。


「ほらアンタ。これ、シチューとパンだよ。五リーレだからね、明日宿を出る時に払ってもらうよ」

「あ、はい」


 一人で食べる食事だけど、周りの人たちがワイワイと楽しくしている中にいるとエレナまで楽しい気分になっていた。


(ふふ、なんだかワクワクするわね。私もこうやって庶民の中で生活できたら……)


 そんなことが無理なのはわかっている。でももし、男爵に追い出されることになったら、修道院には行かず庶民として働いてもいいかもしれない。


 食事が終わり部屋に戻る。寝衣など持ってきていないので、そのままの服でベッドに横たわった。藁の香りは初めてだが、エレナにはいい香りに思えた。硬くてあまり寝心地は良くないけれど、馬車の疲れかそれとも家族からの解放感のせいだろうか。あっという間に眠りに落ちていた。


 翌朝、パンとミルクだけの簡素な食事を済ませ、支払いを終えるとまた馬車に乗り込んだ。ここからは、細い街道をひたすら東へ向かって進むのだ。

 初日は楽しく思えた宿も、王都から離れるにつれて旅人は少なくなっていき明るい雰囲気は感じられなくなった。愛想のない主人がやっていることも多く、藁のベッドも湿っていたり。エレナは毎晩ドアの内側に机をずらして置き、夜中に人が入ってこないように用心していた。


 そしてようやく、旅はあと一日となった。次の宿場までは森の中を抜けて行くらしい。その森の先にある宿に泊まり、翌日の夕方には男爵領へ到着する予定だ。

 馬車は鬱蒼とした森の中へゆっくりと入って行った。


(昼なのに、まるで夜みたいに暗いわ。背の高い木々が日光を遮っているのね)


 ギャーギャー、と聞いたこともない動物の声がして恐怖に体がすくむ。馬車にはドアがついているとはいえ、侯爵家のものと違って鍵もない。外から入れないように閉め切ることはできないのだ。

 その時、馬車がふいに止まった。


(こんな暗い森の中で止まるなんて、変だわ。何かあったのかしら?)


 すると乱暴にドアが開けられ御者の男が顔を出した。


「どうしたの? こんな所で止まったりして。何かトラブルでも?」

「へぇ、ちょっとねぇ。ここなら人に見られないと思ったんでね」

「な、なんですって? 何のことを言ってるの」


 エレナは少しずつ後ずさるが、男はずいっと体を馬車の中に入れて迫ってきた。


「あんたには死んでもらわなきゃいけねぇんだよ」


 そう言って後ろポケットからナイフを取り出し、エレナの顔の前にかざした。


「ひっ……」


 恐怖で言葉が出ないエレナ。頭の中にいろんな感情が渦巻く。


(まさか……まさか、お父様が私を殺そうとしてるの? 私がみっともない娘だから? 私はそんなに……悪い子なの?)


 こんな所でこんな男に殺されたくない。気づいたらエレナは思い切り声を上げて叫んでいた。


「いや――――! 誰か! 助けて――――!!」


 うるさそうに耳を塞いでいた男は、笑いながらナイフを握り直すと、エレナに向かって振り上げた。


(やめて――!)


 腕で顔を庇いながら目を閉じた時、「グオッ」という男の声がした。そしてガタガタっという音が聞こえ、目を開けると男が地面に転がっていた。


(何……? 何が起こったの)


 馬車の外を見ると背の高い男性が男を押さえつけていた。そして慣れた手つきで縛り上げると、馬車を覗き込んでエレナに尋ねた。


「大丈夫か?」


 黒い髪に鳶色の瞳の美しいその人は、低く落ち着いた声をしていた。


「怪我はしていないか」

「は、はい、大丈夫です」

「悲鳴が聞こえたから反射的に助けたのだが……よかったのだろうか」

「ええ、助けていただきありがとうございました」


 手も足も縛られ猿ぐつわもされている男は、地面の上で海老のように身体をバタつかせている。


「状況がわからないのだが、この男を尋問してもいいのか?」

「はい、ぜひお願いします」


 エレナはこれまでのことを彼に説明した。自分は侯爵家の娘であり辺境の男爵領へ嫁ぐために向かっていること、そのために雇った御者が突然エレナを殺そうと刃物を向けてきたことを。


「ではちょっと吐かせてみよう。君は見ない方がいい。女性の見るものではないから」


 そう言うと馬車のドアを閉め、男を尋問し始めた。途中で暴力の音も聞こえたが、エレナは耳を塞いだりせず男の言うことをじっと聞いていた。


「なぜお前は彼女を襲った?」

「た、頼まれたんだよぉ。破格の値段でさぁ」

「誰に?」

「雇い主の娘だよぉ。俺は悪くねぇ」

「雇い主の娘というと……侯爵の娘か?」

「ああ、そうだ、金髪のすげぇ綺麗な姉ちゃんだったぜぇ」

「その娘に、彼女を殺せと?」

「ああ、そうなんだよぉ。男爵領に着くまでに必ずってなぁ。俺は、そんなことやりたくなかったんだよぉ」


(リアナがそんなことを? いえでも……あの夜のリアナなら……あり得る……かも……)


 リアナが自分を殺そうとしている。殺したいほど嫌っていたのだろうか? 

 だがエレナにはいくら考えてもその理由が見当たらないのだ。全てを持っているのはリアナのほうだし、愛されているのもリアナだけなのだから。エレナを殺してリアナが得るものなど何もない。何にもないのだ。


(ならば考えられるのは、憎しみだけ……)


 父母からも兄からもずっと敵意を向けられていた。それはわかっている。でもリアナからはそれを感じたことはなかった。愛も感じたことはなかったけれど、憎まれてもいなかったはずだ。


(私は、死ぬことを望まれている……)


 目の前が真っ暗になり、そのままエレナは気を失った。

 

 


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