1『じゃない方令嬢』
眩いシャンデリアの光が美しく着飾った人々をより煌びやかに映し出す。カレスティア王国王宮の大広間にて開かれた夜会に初めて参加したエレナは、その華やかさに圧倒され入口で立ち止まっていた。
「あら嫌だ、『じゃない方令嬢』がお一人でいらっしゃるわよ」
「家族にも見放されているって本当だったのねえ。エスコートする父親すら側にいないなんて」
わざと聞こえるように囁かれる嫌味は右から左へと受け流しておく。今夜はとにかくこの場の雰囲気を楽しもうとエレナは決めていた。
(もしかしたら夜会に参加する機会はもうないかもしれないもの)
エレナがここにいるのも適齢期の令嬢は全員参加という決まりがあったからこそ。そうでなければ父母はリアナしか連れてこないだろう。
(クルス王太子殿下の婚約者を選ぶための夜会。今日だけは身分の上下に関係なく全ての貴族令嬢が集められる。私が選ばれるなんてことは万に一つも無いだろうけれど、夢を見るくらいは許されると思うわ)
給仕が飲み物を盆に載せスイスイと人波を泳いで行く。どの令嬢も親に付き添われ、緊張した面持ちで王太子のお出ましを待っているようだ。
(どんな方かしら、クルス殿下って。噂ではとても美しい方だと聞いているけれど)
やがて高らかにファンファーレが鳴り王族方が入場して来た。令嬢たちが息を飲む気配がする。現れた王太子に皆の、そしてエレナの目も釘付けになった。
王太子クルスはスラリとした体躯で、金糸のような美しい髪と穏やかな春の海のような青い瞳の持ち主だった。すんなりとした優しい顔をしていて、その微笑みはこの世の全てを虜にしそうなほど。
(なんて美しい方。リアナと並べばきっとお似合いでしょうね)
チクリと胸が痛む。自分は彼には似合わないとエレナは知っているのだ。幼い頃から父母にそう言われて育ってきたのだから。
『リアナは美しいからきっと王太子様に選ばれるだろう。だがお前は醜い。田舎の貴族の後妻にでもするしかないな』
そんな風に言われてもエレナは反抗せず項垂れるばかりだった。
(仕方がないわ。私はこんなに暗くて重い黒髪だし、笑顔も似合わない。田舎だろうと後妻だろうと結婚してもらえるだけで有難いのだから、どこにでも嫁ぐわ。だから……今日のこの華やかな光景を目に焼き付けて一生の思い出にしておこう)
そんな風に考えていると、近くにいる人たちがザワザワし始めた。壇上から降りたクルス王太子が、エレナのいる場所へ真っ直ぐに歩いて来たのだ。
「美しいレディ、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
軽く会釈をして微笑むクルス。エレナは信じられないという顔で周りを見回したが、どう見ても彼はエレナに話しかけていた。
「……はい、クルス殿下。わたくしはディアス侯爵が次女、エレナ・ディアスでございます」
震えながらカーテシーをするエレナ。まさか王太子に声を掛けられるなどと思ってもいなかった。
「ああ、ディアス侯爵には確か美しい娘御がいると聞いていたがあなたのことだったのですね」
後ろからざわめきが聞こえる。違う、と言っているのだろう。エレナもそう思った、だが言えなかった。
「踊っていただけますか?」
微笑んで出された王太子の手を、断ることが出来る女性などいるだろうか。勘違いだと知りながらもエレナは彼の手を取った。絹糸のような髪がサラリと揺れ、青い瞳がエレナを見つめている。エスコートされてフロアの中央に出ると、会場中の視線が二人に向けられた。
「人前で踊るのは初めてですの。緊張しますわ」
エレナは正直に打ち明けた。
「大丈夫。私に任せて」
その言葉通り、クルスのダンスはとてもリードが巧みで、不慣れなエレナでもそれを感じさせないほどスムーズに踊ることが出来た。ターンするたびにドレスがふわりと揺れる。リアナのお下がりではあるが、凝った刺繍が施された美しいドレスだ。
「エレナ嬢、君は美しい。ぜひ私のお妃候補になって欲しい」
「えっ……わたくしがそんな」
クルスは甘い微笑みをエレナに見せ、彼女の胸をときめかせた。
「君に一目で心を奪われてしまったのだ。こんな気持ちは初めてだ。もっと君のことを知りたいから、お妃候補として王宮に通ってくれないだろうか」
まるで夢のような言葉だった。これまでエレナのことをそんな風に言ってくれた男性はいない。エレナは湧き上がる喜びに頬を染め、恥じらいながら返事をした。
「はい……私でよろしければ、ぜひ」
「良かった。嬉しいよ、エレナ嬢」
ちょうど一曲目が終わり、ダンスを終えたクルスはエレナをエスコートしながらディアス侯爵を探した。
「君をお妃候補とすることについて侯爵と話したいのだが、何処にいるのだろう」
本当に自分を見初めて下さったのだとエレナが淡い期待を抱いてしまったその時。エレナの背後にざわめきが聞こえ、そちらへ顔を向けたクルスはそのまま固まったように動かなくなってしまった。不安に思ったエレナが呼び掛ける。
「クルス様……?」
だが彼は無言だ。その視線はエレナの頭上を通り越し、魅入られたような熱い目でただ一点を見つめている。
同時によく知る気配がこちらへ近づいてくるのを感じ、エレナは既に諦めを覚えていた。
「エレナ! 遅れてごめんなさい!」
温かく光に溢れたオーラ。振り向くと、蜂蜜のような金髪を輝かせ桜色の頬を紅潮させた美しい姉がそこにいた。
「私ったら首飾りを忘れてしまって。お父様と一緒に取りに帰っていたから遅れてしまったの。待たせてしまってごめんなさいね」
クルスがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。彼の目にはもう、エレナは映っていない。
「レディ、貴女のお名前は……?」
絞り出すように尋ねるクルスに、リアナは無邪気な笑顔を見せてカーテシーをした。
「ディアス侯爵が長女、リアナ・ディアスですわ、クルス王太子殿下。よろしくお見知りおき下さいませ」
その愛らしい、花の咲くような挨拶にクルスだけでなく周りにいた人々も温かい気持ちになった。王太子の婚約者の座を狙っていたはずの令嬢たちでさえ、もう敵いっこないと二人を祝福するムードに変わる。
「なんと美しい……このように素敵な女性に私は会ったことがない。リアナ嬢、私に貴女をエスコートして踊るという栄誉を授けていただけますか?」
「もちろんですわ」
スッとクルスの目の前に手を差し出すリアナ。鷹揚に構えるその手をクルスは恭しく取ると愛しくて堪らないという様子でフロアへエスコートし、そこから何曲も二人で踊り続けた。蕩けるような笑顔をリアナに向け続けるクルス。それを見守る令嬢たちはもう婚約者選びは終わったと肩をすくめた。
「仕方ないわ。リアナに決まるとは思っていたもの。学園の中でも彼女の美しさは群を抜いていたし」
「王太子殿下は学園には通われていなかったからリアナのことを知らなかったのね。知ってたらこんな夜会をする必要もなかったでしょう」
「私たちは別に期待してなかったからいいけど……あの人は、お可哀想ね」
令嬢たちはエレナを見てクスクスと笑う。踊る王太子とリアナをうっとりと見つめる父母からも完全に無視され、一人でポツンと立ち尽くしているエレナ。
「学園でもずっと、『じゃない方令嬢』と言われていたのに、よくもまあ今日の夜会に来られたものね」
「一度でも殿下と踊れて良かったこと。――その分、今の絶望感といったらないでしょうけど」
王太子に見向きもされなかった令嬢たちはその事実から目を背け、ファーストダンスを踊った後に捨て置かれる羽目になったエレナのことを嘲笑った。
(わかってる。リアナが最初からこの場にいたら、決してクルス様が私と踊ることなんてなかった。だけど、分不相応な夢を見てしまった自分が惨めだわ。やはり、来るんじゃなかった、夜会なんて)
踊り続ける二人に背を向けてエレナは大広間を出た。もちろん、父母から声を掛けられることもなかった。
侯爵家にしてはみすぼらしい馬車に乗り、帰路に着く。立派な馬車は父母とリアナが乗るものだ。エレナはいつも、一人でこの馬車に乗らされていた。
(どうして私は誰からも愛されないのだろう。嫁いだ先でもこんな毎日が待っているとしたら……私の人生っていったい何の意味があるのだろう)
エレナは零れる涙を抑えることができなかった。