パパのニットキャップ
一年ぶりに見る父は、やっぱり帽子を変えていた。
「では、ここでユキにクエスチョン! パパは去年とどこかが違います。さて、それはどこでしょーか?」
毎年違うニットキャップをかぶり私の前に現れる父は、必ず最初にこうして聞いてくる。
「パパ。このくだり、もういらないと思う」
「では、シンキング、スターティング!」私のツッコミをスルーし、妙な掛け声を発すると、父は手にしたドラムスティックをクルクルっと回した。それから、太鼓を軽やかに連打し、ドラムロールを鳴らすのが毎年のパターン、なんだけど。
「ドゥルルルルルー」
今年の父は、声でドラムロールを鳴らし始めた。息継ぎをし、何度も「ドゥルルルルルー」と続ける。見ると、父の足元にはいつもの太鼓が、正確に言えばスネアドラムが無かった。時々咳き込みながらドラムロールを鳴らし続ける父を見ていたら、かわいそうになってきた。仕方ない。今年もまた、付き合ってあげることにする。
「ジャーン!」これもまた声で、父が最後にシンバルを鳴らした。
「わかった! 帽子!」私は父のニットキャップを指さす。
私が生まれてすぐ、父とは離ればなれになった。父と再会したのは、私が六歳の誕生日を迎えた時だ。
その日、母が私の頭を優しく撫でながら言った。「やっと、パパに会えるよ」と。「でも、一年に一度、ユキの誕生日の時だけなの。ごめんね」
そうして私の前に現れた父は、パソコン画面の向こう側に居た。
「六歳の誕生日おめでとう! ユキ、そばにいてやれなくて、ごめんな」
六歳の私には、リアルで会えないことの意味があまり分からなかった。そんなことより、動く「パパ」を初めて見たことに、とにかく、はしゃいでいた記憶がある。
何より、その時父がかぶっていた帽子に心を奪われた。全体が白で、ちょうどおでこのところだけ、ぽっかりと赤い丸が浮かんでいる、そのニットキャップがサイコーに可愛いかった。
それから毎年、私の誕生日になるとニットキャップをかぶった父が、パソコンの画面越しに現れた。
私のためにパソコンの準備をすると、母はたいてい、そっと部屋を出て行った。なるべく父と二人きりにしてあげよう、そう思っているらしい。両親の別離の事情が分かる年齢になってからは、「ママも一緒に居ていいんだよ」と、言ってみるけれど、「ううん、私はいいの。コージが言いそうなこと、全部分かるからさ」母はひらひらと手を振り、そう言って笑うのだった。
シンバルを鳴らした後の父は、画面の向こうからジッとこちらを見つめるばかりで、なかなか反応しない。
パパ、コールアンドレスポンスってあるじゃん。ライブで一番盛り上がるところだよね。そこでそんな調子だったら、やばくない?
「帽子でしょ? ニットキャップが変わってる」私がもう一度言うと、父はそこから更に一拍二拍と間を置き、ようやく「正解!」と、ドラムスティックの先をこちらに向けてきた。
「あのさ、パパ」
「ユキ、十八歳の誕生日おめでとう! 一年間元気にしてたか?」父は私がしゃべっているのも構わず割り込んでくる。リアルで顔を合わせていないからしょうがないけれど、今のはあまりにも会話のテンポが悪かった。
パパ、ホントにプロのドラマーだったの?
とはいえ、父の顔が見られたのはやっぱり嬉しい。
「うん、超元気だったよ!」私は父に向って、親指を立てる。
「パパはな、ドラマーなんだ」十二歳の誕生日の時、父がそんな事を言い出した。「ユキに分かるかな? バンドの後ろで太鼓を叩いてる人、いるだろ?」
六年生にもなれば、ドラムの事ぐらいは知っている。「太鼓って。パパ、その言い方ダサいよ」呆れる私に構わず、「でな、パパのトレードマークがこのニットキャップなんだ。パパのファンはみんな真似してるんだぞ」父はそう言って、その日頭に載っていたユニオンジャックのニットキャップを自慢げにポンポンと叩いた。
「それ、初めてロンドンの野外フェスに呼ばれた時、ステージでかぶってたやつだよな」
パソコン画面の向こう側から父とは別の声が聞こえ、ぬうっと男の人が顔を覗かせ、私に手を振った。「向こうにユキちゃんがいるんだな? よし! ユキちゃん? マサやんだぞー」
マサやんはギタリストであり、父がドラムを叩いていたバンド『ZC7』のリーダーでもあった人だ。……ということを、私はこの時知った。そして、その日父とマサやんが聞かせてくれた話は、私を夢中にさせた。
「オレ達、日本ではあんまりだけど、海外ではそこそこ人気あるんだぜ」マサやんはそう言って、こんなことを語り始めた。
ロックバンド『ZC7』は、楽曲のほとんどが変拍子を多用する難解なものだったから、国内では一部のマニアックなハードロックファンにのみ知られた存在だった。そして、一見無秩序にも見える変則的な曲の展開を正確無比なドラミングで支える父のことを、コアなファンの人達は尊敬を込めて『超絶ヘンタイドラマー』と呼んでいたそうだ。
そんな父達に、ある時転機が訪れた。来日したイギリスのロックバンドの前座に『ZC7』が指名されたのだ。
「そのバンドのメンバーがオレ達のこと『面白いじゃん』って、気に入ってくれたんだ」
「そう言えばあいつら、コージのドラミングを見て『クレイジー!』って、騒いでたよな」
「あれはサイコーの誉め言葉だったなあ」その瞬間、父はおそらく画面の向こうに私がいることを忘れていたのだと思う。私に対する気負いとか飾り気とか、そんなものをストンと落とした素の父を、その時初めて見たような気がした。
ともかく、それがきっかけでロンドンの野外フェスに出演した『ZC7』は高い評価を得て、その後もヨーロッパ各地の音楽フェスを転戦。順調にマニアックなファンを獲得していく。
「コージはさ、最初のユニオンジャックが受けたもんだから、そのあともずっと、行った先の国旗のニットキャップをかぶってステージに上がるようになった。だろ?」
「だな。で、それを知ってるオレのファンも、同じニットキャップをかぶって迎えてくれるようになったんだ」そして、ステージの父に向ってこんな声を飛ばしたのだという。
「You're super Hentai drummer!」
「向こうのメジャーレーベルでアルバム出すことが決まって、オレ達が日本に帰ってきたら、『凱旋だ、凱旋!』なんてスタッフが盛り上がっちゃって、大変だったよな」
「まあ、マサやんが一番盛り上がってけどな」
「う、うるせーな。でも、帰国一発目のあのライブは『ZC7』史上、最高のステージになった。そうだろ? まさしく『凱旋ライブ』だった」
「うん、だな。あの時かぶってた日の丸ニットキャップ、あれはオレの宝だ」
そう。六歳の誕生日に父がかぶっていた、おでこに赤い丸のニットキャップ。あれこそ、凱旋ライブで父がかぶったニットキャップだったのだ。
「なあ、ユキ。十八歳にもなったら、やっぱり好きな男ぐらい、いるよな?」パソコン画面の向こうの父が、心なしか居心地悪そうに聞いてきた。リアルでなくても、やっぱり娘にこんな話は気を遣うのだろう。
「いるよ。彼氏出来た」私はあっさり応じる。軽音楽部でドラムを叩いている、クールな男子だ。
以前、彼に父の話をしたことがあった。「マジ? ユキのお父さんってあの伝説のドラマーだったの? 何だよ、もっと早く教えてくれよ!」彼があんなふうに興奮するのは珍しい。私は誇らしい気持ちになった。でもそれをここで話そうと思っても、どうせ父は話の途中で割り込んでくるからやめておく。
「よし。これは大事なことだから、言っておくぞ」父はわざとらしくまじめな顔を作り、言った。「恋をしてもいいんだ。けど、簡単にさせちゃダメだぞ! 男はバカだからな。ワハハハ」
「パパ、何言ってんの? バカじゃないの!」
と、そこで父が再び咳き込み始めた。画面がブレ、母の声が聞こえてくる。「今日はこれくらいにしとく?」
「だな。ごめんな、ユキ。また、今度会えるぞ!」父はそう言って、なんとか笑顔浮かべ、こちらに手を振った。
やがて、父はそのまま動きを止めた。
しばらくするとパソコン画面から父の姿が消え、代わりにこんなメッセージが表示された。
『もう一度再生しますか?』
父は私が生まれて間もなく、この世を去った。肺がんだった。
余命宣告を受けながらいつも前向きだった父も、私の事はずっと心配していたそうだ。そして思いついたのだ。
「オレが死んだ時のために、ユキにビデオメッセージを残すよ」
父の計画では、私の誕生日に合わせて六歳から二十歳までの十五本。撮影は病院から一時帰宅した時に行った。時には、お見舞いに訪れたマサやんが飛び入り参加することもあった。ビデオを回したのはもちろん、母だ。
いつ容体が悪くなるかわからない。体調のいい時に何本もまとめて撮影するから、ニットキャップを変えて見た目に変化をつけた。それだけではない。抗がん剤の副作用で父の頭髪は、ほとんど抜け落ちていた。自慢のニットキャップは、それもカバーしてくれた。
でも。
全てのビデオメッセージを撮り終えるまで、あと少し。そんな時、にわかに父の容体が悪化した。もう時間が無い。だから、十八歳の私へのメッセージは病室で撮影することになった。撮影の時、必ず足元にあったスネアドラムも持ち込めない。それでも、父は最後まで頑張ってくれた。
だけど、結局、父は途中で力尽きてしまった。残りのビデオメッセージで父が何を言おうとしていたのか、今となっては分からない。でも、私はその方が良かったんだ、と少しばかり強がりながら思う。
なぜって、父の最後のメッセージは「ごめんな、ユキ。また、今度会えるぞ!」だったから。いつかまた、パパに会える、そんな気がするから。
ああ、ダメだ。
それでもやっぱり、泣けてきた。
私は日の丸ニットキャップを目深にかぶりなおす。
赤い丸が私の涙を隠してくれた。
了