狩猟
「お待たせしました」
ある日の夕暮れ、カミラはお茶とお菓子の乗ったトレーを持ってテーブル席へと行った。その席にいたのは40代から50代の男性3人。彼らの他に、店内にお客はいなかった。「ああ。ありがとう」と注文の品を受け取ったが、彼らはどこか悩んでいるように見えた。
「あの、何かあったんですか?」
彼らはこの店の顔馴染みという事もあり、カミラは話を聞いてみた。
「これ、話していいのかな?」
「うーん。……いや、彼女なら大丈夫だろ。それに、他の人に伝えてもらえるかも知れない」
彼らは何か話した後、カミラに本題を伝えた。
「実はな、山挟んだ隣町で熊が出たらしい」
彼の話によると、ここ数日にかけて、近隣の町にかなり大きな熊が出没したそうだ。それはいずれも同じ個体だとされている。幸い、まだ被害に遭った人は出ていないそうだ。
「んで、その熊はチンピラだかにピストルで数発撃たれて、山に逃げたらしい。方向的に、こっちに来るかもって話だ」
「怖いですね……」
「ああ。それで俺たち3人とそれぞれの知り合いで、計6人で今週末にその山に行くんだ。日にち的にも、こっち側の麓に到着する頃だからな」
「ただ、もう少し人手が欲しいのと、やっぱり怖いよなって話してたんだよ」
彼らの説明を聞いて、カミラは納得した。確かに6人では少し心細い気がする。
「私に協力出来ることってありますか?」
カミラは何気なく聞いてみた。常連客だから、力になりたいのだ。
「そうだな……知り合いで狩りに参加出来そうな人に声を掛けてくれ。銃がまともに撃てるなら基本は誰でもいい」
3人の中の1人がそう提案した。
「銃が撃てれば誰でも………分かりました」
カミラは何人かそれらしい人を思い浮かべて、快諾した。
数日後、目的の山に近い店の駐車場に人だかりが出来ていた。彼らは皆、長いケースを持っている。中身は猟銃だ。その一団へと、カミラは歩いて行った。
「おはようございます。皆さん」
「おはようカミラ」
「ありがとうな。お陰で10人も集まったよ」
カミラが声をかけた事により、狩猟へ向かう人は充分に集まった。彼らは口々に礼を言ったが、カミラの服装を見て不思議そうにした。
「こうしてお見送りに来てくれるの嬉しいけど、その格好、もしかして……」
「ええ。そういう事です」
カミラは野戦用のジャケットを着て、軍用の革靴を履いている。そして、長いケースを背負っていた。腰には鞘に収めた刃物を吊っている。
「私も、参加させて下さい」
カミラは彼らに向かってそう言った。
「気持ちは嬉しいけどよ、流石に危なく無いか?」
「ああ。やめといた方がいいぜ」
「ですが、お願いします。せっかく銃があるのに、ただ待ってるだけなんて、嫌なんです」
彼女は真っ直ぐ目を向けて訴えた。
「迷惑になるような事はしません。ですから……」
彼女の頼みを聞くと、1人が口を開いた。
「まあ、カミラがそこまで言ってんだ。それに、彼女なら大丈夫だろ」
「はい。ですからどうか」
1番歳上そうな彼が言い、カミラがそこに畳み掛ける。そうすると、他の男達は渋々了承した。
「こんなに頼まれたらなぁ……」
「確かに、彼女の経歴なら大丈夫そうか……」
「皆さん、ありがとうございます」
そう言うとカミラは嬉しそうに頭を下げた。
一行は山の中腹まで車で登り、そこからは徒歩で捜索をする事にした。
「いいか、2時間でここに戻ってくること。何かあったら、笛を吹いて知らせるんだ」
彼らは2人、あるいは3人組になって分散した。カミラは、マートンと言う若い男と組む事になった。背が高く、水平2段の散弾銃を持っている。
「じゃあ、よろしくねカミラちゃん」
「はい。よろしくお願いします」
2人は話しながら捜索を始めた。どうやら彼は、狩猟を始めたのは一月ほど前かららしい。
カミラは軍用の革靴で落ち葉を踏みながら山道を進んで行く。気を抜いているように見えるが、いつでも銃は発砲出来るようにしている。その後ろから、水平2段式の銃を持ったマートンが付いてくる。
「カミラちゃん、本当に大丈夫?」
「何度も言いますが、大丈夫ですよ。銃を使うの、久しぶりですが」
「へぇ。狩猟でもしてたの?」
「あ、あなたは知らないんでしたね。2年ほど前まで、戦場にいたので」
そこまで言うと、マートンは察したように口を閉じた。
「ごめん。なんか、悪かったな……」
「いえいえ。気にしてませんので」
それでも、2人の間に気まずい沈黙が続いた。2人は周囲を警戒しながら、山を登って行った。
「少し、休憩しましょう」
カミラはマートンに振り返って声をかけた。
まだそんなには歩いていないが、足元の悪い山道だ。2人はそれぞれ疲れを感じていた。今の所異常は無い。熊とも遭遇していない。
「そうだな……少し、休もう」
マートンは息を吐き、腰を下ろそうとしていた。
カミラも座ろうとした時、背後から耳をつんざく銃声が聞こえた。カミラは反射的に素早くその場に伏せ、銃を構えた。
「今の銃声は!?」
伏せたまま顔だけマートンの方に向ける。
「す、すまん。座った拍子に引き金を……」
彼は肩を上下させていた。意図せずの誤射で、銃口は真上を向いていた。カミラは銃を置いて立ち上がると、マートンの胸ぐらを掴んだ。
「安全装置を外したの!?引き金に手をかけてたの!?」
顔を近づけ、彼を怒鳴り付ける。その剣幕に、マートンは息を呑んだ。
「そ、そうみたいだ……」
カミラは更に力を強め、彼に詰め寄る。
「銃口がこっち向いてたら?自分の顎を狙っていたら?運が悪かったらどっちかがお陀仏よ!!」
「わ、分かった。気を付けるよ……」
冷や汗を垂らしたマートンは小刻みに首を縦に振った。
「撃つ前まで安全装置を!!引き金に触るな!2度と同じ真似しないで!!」
何か罵声を吐き、彼を突き飛ばすように話した。そして数歩歩くと、ハッとしてマートンに向き直った。
「………ごめんなさい、言い過ぎました」
「……いや、いいんだよ。今のは、こっちが悪いんだし…」
マートンは真摯に謝っていた。だが、どうにも居づらくて、「頭を冷やしてくる」というとカミラは銃を持ち上げて歩き出した。
歩きながら、カミラは後悔していた。あそこまで強く言う必要は無かったと。あそこまで乱暴にしなくてもよかったと。
(やっぱり、私はまだ抜け出せて無い)
彼女は自分が今もあの戦争の中にいるような気がした。心の中に色々な思考や思いが渦巻き、それを解こうと闇雲に歩いていた。そんな中、彼女は思い立った様に、上着のポケットに入れていたリボンで髪を結んだ。髪型はポニーテール。また、腰に吊った鞘から銃剣を抜き、散弾銃の先端に取り付けた。
(こっちの方がしっくり来る)
「武装」した事で懐かしさと緊張、それと同時にどこか落ち着くものを感じ、彼女は歩を進めた。
前方の、少し低くなった所に動くものを認めた。茶色い毛皮にがっしりとした体躯、熊だ。かなり大きい。
(あの傷、確かピストルで撃たれたって言う…………)
我が物顔で歩くその身体に、3つ丸型の傷がある事を確認した。目的としていた個体に違いない。カミラは銃を構え、照準を合わせる。
(ダメ、遠すぎる……)
散弾銃の射程距離は短い。この距離では充分な傷を負わせる事ができない。彼女はそのまま、ゆっくりと距離を詰めた。一歩、二歩と近づく。緊張感で鼓動が早くなる。そんな中、彼女はもう一つ、緊張とは別の感情がある事に気付いた。それは、興奮だった。
(そこだ!)
射程圏内に入ると、カミラは熊の首に狙いを定め、引き金を引いた。頭より当てやすいからだ。久しぶりに感じる反動に少し驚きながらも、彼女は素早くスライドを操作した。
(仕留めきれないか……!)
致命傷には至らず、熊は彼女を黒い瞳に捉え、真っ直ぐ襲いかかって来た。
だが、正面から相手を狙う事など、彼女に造作も無かった。最適な距離で引き金を引き、散弾を頭部に撃ち込む。熊は一気に崩れ落ち、突進の勢いのまま地面を滑り、静止した。
カミラは安堵の息を吐くと、動かなくなったその巨体の横に回った。銃剣で軽く突き、仕留めた事を確認する。彼女の経験上、この距離で頭を撃たれて生きている相手はいない。
「カミラちゃん!今銃声がしたけど……」
落ち葉を踏み鳴らしながらもマートンが走って来る。彼は彼女に言われた通り、引き金から指は外していた。マートンは地面に横たわる熊の体を見て、驚きの声を上げた。
「カ、カミラちゃん……これって……」
「ええ。目的の熊です。ちゃんと仕留めてありますよ」
彼女は落ち着いた様子でそう伝えた。
「凄いな……こんなのを仕留めるなんて……あ、それより怪我とかしてないかな?」
「ええ。大丈夫です。それに、意外と簡単でした」
「か、簡単……?」
カミラの言っている事の意味が分からず、マートンは首を傾げた。死んでいると分かっても、熊の巨躯からは威圧感が感じられた。
「はい。熊は的が大きいし、撃ち返して来ませんから」