2人の休日
その日も、アリツィアは店のカウンター席に座っていた。クッキーとミルクティーを味わいながら、アメリアと雑談していた。
「アリツィアさんって、服どうやって選んでるんですか?いつも素敵な服着てますよね」
アメリアは彼女に憧れの目線を向けていた。
「自分が着たいと思ったのを着ている感じね。そこまで深く考えていないの」
「それでも、全部似合ってますよね。やっぱり、身長が高いからかな?」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。自分の身長も、少し好きになれるから」
アリツィアは女性にしては少し背が高い。彼女自身はあまり気に入ってないようだが、細身で背の高い彼女に憧れる人は多い。「この店にモデルのような常連客がいる」という噂が広がるほどだ。
接客に一段落付いたカミラがレジから戻ってくる。彼女はアリツィアの前に座り、彼女に話しかけた。
「アリツィアさん、少しお話いいですか?」
「ええ。なにかしら?」
「次のお休みの日、その……私に付き合ってもらえますか?」
カミラはアリツィアを買い物に誘った。ここから少し離れた所に服屋や化粧品店が並んだ通りがあるから、そこに行きたいと言った。
「珍しいわね。そういうの、興味ないんじゃなかった?」
カミラはこれまでファッションには無頓着な方だった。髪は自然体にしておいて、服は無難な物を数着選ぶ。アメリアとアリツィアの話を退屈そうに聞き流す。そういう少女だった。
「あ!もしかしてこの前のラジオ?」
アメリアはある事を思い出した。数日前、ラジオで化粧品会社の宣伝が流れ、その謳い文句にカミラは感銘を受けたようだった。
「お恥ずかしながら……そうなんです……」
「恥じる事はないわよ。それで、なんて言ってたの?」
「……『素敵な化粧品で、女を楽しもう』…」
恥ずかしいのか、カミラの声は小さかった。
「いい言葉じゃないの。それにカミラ、あなたは元が良いから、お洒落しないのはもったいないわ」
「え、そうですかね?」
少し戸惑いながらも、彼女は嬉しそうにしている。
「そうよ。次のお休みは……ちょうど2週間後ね」
アリツィアは手帳で予定を確認した。今日の彼女は妙に積極的だった。
「アリツィアさん、楽しそうですね」
アメリアが手帳に印をつける彼女に言った。
「ええ。前からカミラにも色々教えたいと思っていたの。ふふ、楽しみにしてるわ」
アリツィアは整ったその顔に笑みを浮かべた。
約束の日、カミラは少し早くその場所に来ていた。いつも通りのシンプルな格好の彼女は、綺麗な服に身を包んだ人の多いその通りで、自分だけ馴染めないような、孤独感を感じた。落ち着きのない様子で周囲を見ていると、通りの反対側に見慣れた人影を見つけた。彼女はその人影の方へと小走りで向かった。
「今日は、よろしくお願いします」
「ええ。今日は楽しみましょう。早速だけれど……」
少し通りを見渡し、どこか店に入るのかと思ったが、彼女は近くのベンチに座るように言った。疑問に思いながらも、カミラはそこに座った。
「髪、触ってもいい?」
「……はい」
アリツィアはカミラの後ろに立ち、彼女の金髪にそっと触れた。ポケットから黒いリボンを取り出すと、それを使って彼女の髪を結んだ。カミラは少しくすぐったいような、そして懐かしい感覚に包まれた。髪を結ぶのなんていつ以来だろう。それも、誰かにやってもらって……。そんな事を思っていると、アリツィアの手が離れた。
「出来たわ。どう?」
アリツィアから手鏡を受けると、カミラはそこに写った自分を見た。アリツィアが選んだ髪型はツインテールだった。
「前から似合うと思ってたのだけれど」
「うん。………良いと思います」
彼女は横を向いたり、髪に触れたりしてよく確認していた。普段の自分とは違う、その感覚に少しだけ戸惑っていた。
「髪結ぶの久しぶりなので……なんか、少し変な感じがしますね。あ、もちろん嫌じゃないですよ」
彼女が照れたように笑うと、アリツィアも微笑んだ。
「さ、次は化粧品を選びましょ。手始めに……あそこのお店で」
カミラは手を引かれるようにして、店の中へと入っていった。
「すごい……。全然分かんない……」
初めて入る化粧品店の中を、カミラは見回していた。そのキラキラしたような店内に居心地の悪さを覚え、無意識のうちにアリツィアの後ろに隠れていた。
「来るの、初めてなの?」
「はい。ほとんど化粧しないですし、しても最低限なので」
「そうなの?でも、あなたは元がいいからいくつか付け足すだけで大丈夫そうね」
「私にできるといいですけど。結構な不器用でして」
カミラは苦笑した。棚には色々な化粧品が並んでいるが、用途不明の物がある。いくつかアメリアやユーリアのポーチで見覚えがある物もあるがそれが具体的にどんな物かは、顔に塗る事くらいしか分からない。同い年くらいの少女達が楽しそうに商品を手に取っているのが見えた。それを見て彼女は、自嘲気味に笑った。さっきの通り以上に馴染めず、なるべく早く帰りたい気持ちが出てきた。
「大体こんなところかしらね。無難で、簡単そうなのを選んだわ」
気が付くとアリツィアは幾つかの商品をカゴに入れていた。
「こんなにたくさん……」
「どうする?少しなら買ってあげてもいいけれど」
「いえ、大丈夫です。お金、多めに持って来たので」
会計を済ませた2人は店を後にした。そして、「化粧の仕方を教える」と言うことでアリツィアの家へ行く事になった。この近くのアパートに住んでいるらしい。
「ごめんなさいね。狭い家で」
彼女の部屋は、確かに狭かった。カミラは彼女の仕事を思い出し、異動も多く、職場に泊まる日も多いので仕方無いのかと思った。
「じゃあ、そこに座って」
カミラがドレッサーの前に座ると、アリツィアが今日買った化粧品を並べた。
「さ、始めるわよ」
「お願いします」
「これをこんな感じに……反対側、自分でやってみて?」
「はい」
アリツィアはカミラに化粧の仕方を教えた。まずアリツィアが手本をやり、後からカミラが自分で化粧をする。
「どうですか?」
「いい感じね。あ、もう少し濃くてもいいわ」
化粧をされながら、カミラはくすぐったさを感じた。それに、なんだ不思議な感じもした。髪を結ばれた時と、少し似ている。
「こんなとこかしらね。どう?」
「………」
鏡に写った自分を見て、カミラは目を見張った。確かにそこにいるのは見慣れた自分だったが、明らかに雰囲気が違った。
「結構可愛くなったでしょ?」
「………うん」
少し恥ずかしい気がして、カミラは口数が少なかった。静かに、普段とは違う自分を見つめていた。
「これでいつでもデートに行けるわね」
アリツィアが笑いながら言った。
その後もカミラは化粧品の選び方や、肌の手入れの方法などをアリツィアから教わった。難しそうに思った化粧も、案外簡単そうだ。
「本格的なお化粧は初めてだったけど、髪結ぶのも初めてだった?」
その中で、アリツィアは何気なく質問した。
「髪は、昔はよく結んでました。色々な髪型を試しました」
「そうなの?なら、どうしてやめちゃったの?」
「えっと」
カミラは一旦、言うべきか迷った。だが、アリツィアになら大丈夫だろうと思い、口にした。
「私が髪を結んでたのは、戦時中の事なんです。こんな時代だから、少しでも女の子らしい事しようって」
アリツィアは何も言わず、彼女の話を聞いていた。
「そのうちに、それが戦争と結び付いてしまったんです。戦う時は、いつも髪を結んでいたので」
カミラは、戦場ではいつも髪を結んでいた。壕の中で砲撃に耐える時も、敵陣に攻め込む時も、仲間の死を看取った時も……………。だから、彼女の中で髪を結ぶ事は、戦場に行く事と繋がってしまっていた。
「だから、最近はずっと下ろしたままでした……」
「………」
しばらく沈黙が続き、アリツィアが言った。
「ごめんなさい。嫌だったわよね。戦争の事を思い出して……」
申し訳無さそうに、彼女はカミラの髪を解こうとした。その手を、カミラが優しく掴んだ。
「そんな事はありません。それより、ようやく普通に、お洒落として髪が結べるようになったのでよかったです。ありがとうございました」
そう言って笑顔を見せたカミラ。髪を結んで貰った時の懐かしさ。それは戦場では戦友に、そのもっと前は母親にしてもらった記憶。そしてただ純粋に、髪を結んだこと。それがあの懐かしさの正体だった。普通に髪を結べた。戦争と縁を切って、髪を結ぶことができた。その事が、とても嬉しかった。明日からは、純粋に髪を結んでみよう。彼女は心の中でそうに決めた。
そして、アリツィアに向けた彼女の笑みはいつもより明るく、可憐だった。
ありがとうございました。