表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
喫茶店少女達の日常  作者: 夜狐
4/11

フローラ

ある日の昼下がり、午後の日差しが優しく地面を照らしていた。この日、彼女らの喫茶店は休みだ。だが、カミラは店内をどこかそわそわした様子で当てもなく歩いていた。

「そろそろ来てもいい頃よね」

彼女は手首に付けたシンプルな腕時計を何度も見ていた。

「まだ無くしてなかったのね、それ」

カウンターの裏からユーリアがからかうように言った。

「ええ。無くして忘れられる程の物じゃないから」

あれ以来彼女は腕時計をしっかり付けている。外している時は決まって同じ場所に置くように心がけている。

「そろそろかしら」

何度目ともなる台詞を口にした時、店のドアがゆっくりと開き、いつもより控えめにドアベルが鳴った。

「カミラお姉ちゃん!」

「いらっしゃい、フローラ」

店に入って来たのは、1人の少女だった。ブロンドの髪で、カミラよりずっと歳下だ。

「フローラはもうお昼食べたの?」

「うん。ここに来る前にね」

彼女の名前はフローラ。この近くに住んでいる少女で、今は兄と2人暮らしをしている。彼女も兄も、この店の馴染みの客だ。それでも、店に来る頻度はフローラの方が高い。

「さて、今日は何をする?」

カミラはこの日、半日フローラを預かる事になっていた。妹思い(ときに過保護とも言える)兄は日中仕事をしている。普段は近くの女性が面倒を見ているのだが、この日彼女は用事があるという。だから今日、カミラが預かる事になった。

「んー、お天気がいいから、お散歩したいな」

「わかった。お散歩ね。ユーリアも来る?」

カミラは暇そうにしていたユーリアに声をかけた。彼女は「ラジオを聴きたいから」と断った。ちなみにアメリアは部屋で読書に夢中だ。なんでも、近くの本屋で面白い小説を見つけたらしい。

「じゃ、行ってくるわね」

「行ってきまーす」

「遠くまで行っちゃダメよ?フローラのお兄さんが心配するんだから」

2人はユーリアに手を振りながら店の外へと出て行った。



「ユーリアお姉ちゃんって、時々お母さんみたいだよね」

店を出てすぐ、フローラが言った。

「確かにそうね」

「勉強しなさいとか、本を読みなさいとか、色々言ってきて、たまにだけど嫌になっちゃう」

「そういう所もあるのよね。仕事をする時は、頼もしいけど」

2人は話しながら当てもなく歩いていた。午後の日差しが、柔らかく石畳を照らしている。馴染みの客がカミラの側を通り、手を上げて挨拶した。

「ねぇ、お店のお仕事って楽しい?」

「そうね……眠い時もあるけど、楽しいわよ」

「そうなんだ。じゃあ、お金はたくさん貰えるの?」

フローラは顔を上げてカミラの目を見た。

「お金ね……まあ、その、普通かな」

「普通……」

カミラはなんとか誤魔化したが、フローラは真剣に考えているようだ。カミラは急にどうしたのだろうと思った。だが、子供は色々なものに、それこそ急に興味を持つ事を思い出した。

「決めた!」

「え、何を?」

「私、大きくなったらカミラお姉ちゃんのお店で働くの!それで、お兄ちゃんに楽をさせてあげるの!」

彼女は笑顔で、自信満々に言い切った。それを聞いて、カミラは思わず笑ってしまった。難しい顔をしていると思ったら、そんな可愛らしくて、素敵な夢を持っていただなんて。

「素敵な夢ね。わかった。その時は考えておくわね」

「ありがとう、カミラお姉ちゃん。あ、でも働いたら店長さんって呼ばないとか……」

「やる気があるようで結構。じゃ、準備として戻ってユーリアに算数教えても貰わないとね」

カミラがニヤニヤ笑いながら言った。

「そ、それとこれは話は別!それに、カミラお姉ちゃんだって算数は苦手って言ってたでしょ」

「うわ、よく覚えてるわね……」

数字に弱いのは自覚していたが、カミラはどこか、痛い所を疲れた気分だった。


「あ、カミラじゃん。奇遇だね〜。隣のは妹さん?」

またしばらく歩いていると、目の前から歩いて来た少年に声をかけられた。

「この子は私の妹じゃないわ。知り合いの妹よ」

「へぇ〜。僕はトビー。君は名前なんて言うの?お嬢さん」

「フローラって言うの。よろしくね、お兄さん」

「フローラか。可愛い名前だね」

トビーは笑顔でフローラに話掛けていた。

「あなた、私だけじゃなくてフローラまで口説くつもり?」

カミラは呆れたような目をトビーに向けた。

「そんなつもりはないよ。それとも何?妬いちゃった?」

「妬いてない。呆れただけ」

「おっと、フローラちゃん、僕の紹介が足りなかったね。僕はカミラのボーイフレンドなんだよ」

「嘘を教えるんじゃないの。こんな純粋な子に」

2人のやり取りを見て、フローラはしばらく戸惑っているようだった。

「カミラお姉ちゃんとトビーさんは、すっごく仲が良いんだね」

考えた結果として、幼い彼女が出した結論は、微笑ましいものだった。

「うんうん。その通り」

「……まあ、仲がいいのはホントね」

その答えにカミラとトビーはそれぞれ納得した。

「それじゃ、僕はもう行くよ。お使いの途中だったからね」

「ええ。じゃあね」

トビーはカミラとフローラに手を振ると2人とは反対の方に歩いて行った。

「さて、私達はどうしようか。どこか行きたい所ある?」

「うーん……思い付かない……」

「じゃあ、私の行きたい所でもいい?近くの公園なんだけど」

「うん。それでいいよ」

カミラは歩き出し少し先の、噴水のある公園を目指そうとした。今日は天気がいいから、きっと賑やかな事だろう。

「ねぇ、どこへ行くの?」

「噴水のある広場よ。よく屋台が出てるから、おやつでも買おうと思って」

「あ、私お財布置いて来ちゃった……」

フローラはポケットの中を探り、がっかりした表情を見せた。

「いいのよ。私が奢るわ」

「え!いいの!?」

「もちろん。あ、だからって沢山買うんじゃないわよ?」

何があるのか、何を食べたいなどを話ながら歩いていると、すぐにその広場が見えて来た。舗装されたばかりの石畳で、道が途切れているように感じた。その広場はカミラの予想通り、屋台が出ていて、子供達のはしゃぐ声が聞こえてきた。

「噴水は止まってるけど……屋台はあるわね。フローラ、見に行こう。……フローラ?」

カミラは屋台を確認するとその広場、石畳の変わり目に入ろうとした。だが、フローラはその場から動かなかった。

「やだ」

彼女は俯き、そう小さく答えた。

「そっちには行きたくないの。カミラお姉ちゃん、帰ろ?」

彼女はカミラの服を掴み、引っ張っていた。

「え、どうしたの?」

カミラは心配しながらも、フローラの手を引こうとした。だが、彼女は精一杯の拒絶を見せていて。

「わかんない。でも、そっちには行きたくないの。怖いの。ねぇ、帰ろうよ」

カミラは戸惑っていたが、フローラはどうしてもそこに行きたくないようだ。彼女の怖がっている様子を見て、カミラは広場に背を向けた。何も無理強いをする必要はない。それに、カミラにはなんとなく理由が分かった。フローラが、その広場に入るのを拒む理由が。

「わかった。嫌ならしょうがないわね。おやつは、私のお店で食べましょ」

「……うん。そうする。………じゃあ、私クッキーと甘いココアがいいな!」

そう言ってフローラに手を差し出し、子供達の歓声をバックにきた道を戻って行った。数歩歩く頃には、フローラは元の調子に戻っていた。


「またねー!カミラお姉ちゃん!」

夕暮れの中、フローラは仕事帰りの兄に連れられ、カミラ達の店を後にした。カミラはフローラに手を振った。

「ええ。またね」

2人の姿が見えなくなると、店のドアを閉じ、店舗部分の灯りを消した。カウンター裏の椅子に、ユーリアが座っている。彼女は立ち上がると、ついさっきまでフローラが使っていたカップを片付けた。

「あの子は今日も相変わらずだったわね」

「そうね。………相変わらず」

小さな灯りの付いた中盤で、ユーリアがカップを洗う。

「ねぇ、カミラはどう思う?あの子こと」

ユーリアがカミラに振り返る。

「……しばらくは、今のままでもいいと思う」

彼女は視線を逸らし、小さく答えた。

「あの子が、記憶を失ったままでいいって事?」

「………うん。だって、記憶を失う程の辛い事があったと思うの。無理に思い出させて、またそんな思いをさせるのは可哀想よ」

「………そうかもね」

フローラは、記憶を失っていた。2年前、終戦直前に野戦病院で目を覚ました時には、既にそうだったという。近くに落ちた、砲弾の衝撃。そして、心理的な激しいショックによるものだそうだ。

「少なくとも、あの子の中では戦争は起きてない。友達も死んでない。今は、それでいいと思う」

「……記憶はそれでいいとして。その………心の方はどうなの?だって、彼女、もう15歳よ?いつまでもあのままってのは………」

しばらくの沈黙の後、ユーリアが言った。幼児のようなフローラだが、彼女の実際の年齢は15だ。これも砲弾か、あるいは精神的なものにより、子供に戻ってしまった結果だ。彼女の外見が幼く見える事が不幸中の幸いか、この事実を知る人は少ない。

「でも、完全に忘れた訳じゃないみたい」

「どういうこと?」

「今日、噴水のある広場に行こうとしたんだけど、あの子、異常に行きたがらなかったの。確かあの辺りって……」

「ええ。戦闘があったわ。地面も噴水も砲弾で壊されて、何人もの死体が……」

ユーリアはその先について言わなかった。

「戦後に舗装されたけど、彼女の中には、まだ残ってるのかもね。もしかしたら、あの子はあそこで………」

「……そういえばユーリアの先生は何か言ってた?フローラについて」

「……簡潔に言えば、時間がかかるそうよ」

「そっか………」

また、沈黙が続いた。灯りを落とした店舗は、すっかりと夕闇に飲まれていた。

「じゃあ、これからも私たちで見守って行こ」

カミラはその重苦しい沈黙を振り払うように、努めて明るく言った。

「今は、それが最善だと思うからさ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ