アリツィア
「いらっしゃいませ。あ、アリツィアさん」
ドアベルが鳴り、店にお客が入って来る。そのお客の顔を見ると、カミラは声をかけた。どうやら、馴染みの客のようだ。
「ご注文は?」
「アイスティーを。それと……チョコチップクッキー。これ、新メニュー?」
迷う事なくカウンターに座り、そのお客はメニューを少し見て注文を決めた。
「そうなんです。ちょうど一昨日加えたんです。今のところ、人気ですよ」
「それは楽しみね」
アリツィアと呼ばれた女性はカミラと世間話をしていた。
「そういえば、アメリアちゃんいる?」
「いますよ。ちょうど……あ、来ましたね」
カミラは、コップを片付け戻ってくるアメリアに手招きした。コップを洗い場に置くと、アメリアは彼女と向かい合うように座った。アリツィアは背が高い、綺麗な金髪の女性だ。アメリアは彼女を大人の女性として尊敬している。だから彼女は、今日も化粧やお洒落のことなどを教わっていた。
「ところで、アリツィアさんって香水付けてます?」
「付けてないわよ。どうかした?」
「いえ、アリツィアさんみたいな素敵な人は、香水も付けてるのかなって」
「香水は付けなくてもいいと思うわ。付けるとしても、ごく少量よ」
この日は香水について話しているようだ。カミラは横でその話を聞いていたが、あまり興味はなさそうだった。
「アリツィアさん、お久しぶりですね」
ユーリアが注文のアイスティーとクッキーを持ってカウンターの方へ歩いて来る。アリツィアは渡されたお茶を飲み、クッキーを一口齧った。
「お茶はいつも通り美味しい。クッキーも……いいわね」
「お口に合ったようで、よかったです」
ユーリアは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。あなたに合いそうな化粧品見つけたのだけど、興味はある?」
「はい。ですが、まだ注文が入っているので、一旦ここで」
そう言うと彼女はすぐに厨房に戻っていった。
「あ、お客さん来たみたい。行ってきますね」
店の入り口をチラリと見て、カミラはレジの方へと向かった。
「随分と忙しそうね」
「はい。3人だとどうしても。でも、なんとかやれてますよ」
「そのようね。……私もここに転職しようかしら」
「え!?」
アリツィアの発言に、アメリアは目を丸くした。
「ふふ、冗談よ。今の仕事はそう簡単に辞められないし。……でも、いい雰囲気のお店よね、ここ」
「ありがとうございます」と言おうとした時だった。店の外から大きな音が聞こえた。パン、という何かが弾ける音だ。一回でなく、何回も連続してだ。
「きゃっ!!」
突然のその音にアメリアは短く悲鳴を上げた。アリツィアも声こそ出さなかったが、一瞬ビクッと体を震わせた。
「何、この音?」
「……近所の子供らですね。何回言っても聞かなくて。今日は爆竹で遊んでる見たいです。ほんと、心臓に悪いですよね」
カミラが呆れた様子で店の外を指した。よく聞くと、破裂音の他に子供の声も聞こえる。
「随分と迷惑ね……それにしてもびっくりしたわね、アメリア」
アリツィアに声をかけられたアメリアだが、彼女は俯いたまま、返事をしなかった。彼女の呼吸は乱れ、震えている。
「大丈夫?」
カミラとアリツィアは彼女を心配して顔を覗き込んだ。すると、彼女が涙を溢している事が分かった。
「アメリア、大丈夫?」
カミラが声を掛けるも、彼女は小さくしゃくり上げるだけだった。外の音と異変に気付いて厨房の方からユーリアも出て来た。それだけじゃない。店内のお客達も彼女の周りに集まって来た。
「アメリア、奥で休みなさい。……一緒にいて欲しい?」
「うん……お願い………」
ユーリアは彼女を支え、カウンター裏の厨房の方へとゆっくり歩いて行った。
「なんだ?」
「あの店員さん大丈夫か?」
「え、えっと、皆さん」
集まっている野次馬達にカミラはなんとか説明しようとした。
「えっと、その……彼女は大きい音が敏感で苦手でして……ちょっとびっくりしちゃったみたいなんでその……」
それでもしどろもどろになり、上手く説明する事が出来ない。カミラはあちこちを見回す。その時、アリツィアが一歩前に進み出た。
「分かったわね?彼女には彼女の事情がある訳だから、これ以上騒ぎ立てない様に。深入りするのは失礼に当たるわ」
彼女は凛とした態度で野次馬にそう言った。
「でもよ……」
「あなたにだって知られたくない部分はあるでしょ?それと同じよ。あの子に何があるのかは知らないけれど、私達が踏み込んでいい事じゃないの。誰にだってそういう部分はあるわ」
彼女が不服そうな男を宥めると、集まっていた人達は散り散りに席へと戻って言った。アリツィアのその言い方や態度からは強い力が感じられた。野次馬達も、まさか同じ客に当たる人に言われるとは思わなかったのだろう。
「ありがとうございす、アリツィアさん」
「いいのよ。馴染みのお店の店員さんの為だもの。これくらい当然だわ」
カミラは彼女に頭を下げた。物怖じしない、堂々した彼女によってカミラは救われた気持ちになった。自分だけでは、どうしようも出来なかっただろうから。
「それでその、アリツィアさんには知っておいて欲しいんです。彼女の、というか私達の事を……」
「無理に言わなくてもいいのよ?」
「いえ、知って欲しいんです。アリツィアさんなら職業的にも言いやすいですし」
その言葉を聞いて、アリツィアは何かを察知した様で、神妙な顔付きに変わった。
「……いいわ。話して」
「はい。……と言ったのはいいんですけど、どこから話せばいいのか……とりあえず、1年半前に終わった、戦争の話から」
彼女は少し考えながら、話を始めた。
数年前、彼女達の国は戦火に包まれた。隣国の進軍により、多くの街が敵に占領されてしまった。各地で甚大な被害を受け、軍隊だけでは国を守り切れないと市民達も武器を持って闘うようになった。多くの武装組織が国中で作られ、若者から老人、更には10代の少女までもが志願、あるいは半強制的に入隊したのだ。あちこちの街で戦闘が繰り広げられ、戦争は激しさを増していった。
カミラ、ユーリア、アメリアもまた戦争に参加していた。3人はそれぞれ部隊は違ったが、それでも武器を手に取って敵を殺し、仲間や家族を失った事に変わりはなかった。カミラは今でも、当時使っていた拳銃を持っている。
終戦から1年半、現在国は復興を進めているが、戦争で受けた傷は、簡単には癒えてくれない。それが、10代の少女となれば……。
「アメリアの場合は、特に辛い思いをしたみたいで。さっきみたいな大きな音とか、暗闇を怖がる事があるんです……」
おそらく、彼女は爆竹の音を聞き銃声を連想したのだろう。そして、それに纏わる記憶を。
「そんな……事が……」
アリツィアはなにも言えずにいた。
「聞いてくれてありがとうございます……少しだけ、楽になった気がします」
「……ごめんなさい」
「え?」
アリツィアが静かに口にした。カミラは意味が分からないと言うような顔を向けた。
「あなた達を守るのは、私達の使命だったのに……それを、果たせなくて……」
彼女は俯き、段々と声が小さくなってゆく。先程までの凛とした彼女とは全く雰囲気が違った。
「……気にしないでいいんですよ。あの子だって、アリツィアさんを恨んではいません。それに、あなた達のせいじゃありませんから」
カミラは彼女に微笑んでみせた。アリツィアがカミラの顔を見ようと顔を上げると、奥から歩いてくるアメリアと目が合った。
「……ご迷惑おかけしました。もう、大丈夫です」
アメリアは精一杯の笑みをアリツィアに向けた。カミラが話している間に、ユーリアが彼女を慰めてくれたのだろう。その様子を見て、アリツィア含め、その場にいた全員がホッと胸を撫で下ろした。
「アメリア、本当に大丈夫なの?」
「はい、大丈夫です。……あ、テーブル片付けて来ますね」
アリツィアは彼女を心配してた。無理をしているのではないかと。彼女の目には泣いた跡がある。それでも、そこにいたのはいつものアメリアだった。
「……後でお仕置きが必要ですね。あの悪ガキたちに。私の同僚を泣かせた罪は重いわ」
「……ほどほどにね?」
邪悪に笑うカミラに同意しつつも、アリツィアはやんわりと嗜めた。
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