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幽霊劇場  作者: ぶちくそ
8/9

第八話 女優の資格

劇場内のオーディションを終えた桜子たちは、本格的に合同祭の準備に入った。そんな中で京香の異変に気づいた桜子は、京香の少し昔の話を聞くのだった。

「ほい、オーディション結果。」

朝、いつものだらしない格好の支配人から軽く手渡された封筒には、昨日の合同祭キャストオーディションの結果が入っている。私じゃ二人には敵わないとわかっているけど、万が一を期待せざるを得ない。ドキドキしながら中身を取り出して確認すると、

『厳正なる審査の結果、今回は不合格とさせていただきます。』

わかってたけど、やっぱり悔しい!参加しただけでも進歩できたから良かったと言えば良かったけど、それでも悔しい。この悔しさはきっと次の機会で晴らそうと心に決めた。


 オーディションに合格したのは京香さんだった。選考基準は公表されなかったので、私たちとどう差がついたのかはわからない。だから明衣ちゃんはそのことをずっと支配人に問い詰め、その日一日中追いかけ回していた。私から見ればどちらが合格してもおかしくなかったし、たぶん、支配人も苦渋の決断だったんじゃないかと思う。

 結果を受け取った後からは、いつもの公演なら演目その他を設定していくところだけど、今回の合同祭は支配人がほぼ全てを他の劇団との打ち合わせで決めていた。なので、大道具・小道具・衣装の制作から始まったのだった。京香さんを除くスタッフ四人で分担し、朝から晩まで忙しく作業した。劇場から会場となる市民会館までは車移動となるため、なるべくかさばらないように工夫が凝らされた。特に慧ちゃんは細かい気配りが上手で、作業は比較的早いペースで進んだ。



 制作が一段落して落ち着いたある日。レッスン室で一人、演技の練習をしているという京香さんの様子を見に行ったときのこと。

「京香さーん、差し入れですよー、って…京香さん!??」

慧ちゃん手作りのおにぎりを持って部屋に入ると、練習をしているはずの京香さんが床に座り込んでいた。

「どうしたんですか⁉具合でも悪いんですか?」

「だ、大丈夫よ。ちょっと疲れただけ。」

汗だくで苦しそうに呼吸して、見るからにつらそうな姿は明らかに大丈夫じゃない。

「いま、支配人読んできますから!」

「待ちなさい‼」

部屋の外へ駆け出そうとする私のジャージの裾をつかみ、京香さんは引き止めてきた。

「大丈夫って言ってるでしょ。少し休めば平気だから。」


京香さんの剣幕に気圧され、仕方なく京香さんを近くの椅子に座らせて見守った。呼吸を整え、しばらく安静にしていると落ち着きを取り戻したようだ。

「ごめんなさい、取り乱したりなんかしちゃって。迷惑だったでしょ。」

「いえ、全然。もう大丈夫なんですか?」

「ええ。たまにあるのよ、集中しすぎて、疲れが後で一気に押し寄せることが。」

「そんなことあるんですね、知りませんでした。」

「原因はそれだけでもないんだけど…」

「他にも何か?」

「…少し長い話になるけど聞いてくれるかしら。」



 私が最初に舞台に興味を抱いたのは、小学生のとき。仲の良い友人が近所の劇団に入ったって聞いて、私も体験教室に行ってみた。当時何かと新しいことに興味津々だった私は、この体験をきっかけに正式に入団した。その日から毎日レッスンに通って、どんどん演技の技術や知識を身につけていったわ。ずっと演技力を磨き続けた結果、いろんな舞台に立てるようになって、中学生のときに出たとある公演で有名な劇団の目に留まった。スカウトが家に来たりもしたんだけれど、私自身そんなに有名になりたいわけじゃなかったし、当時の劇団の居心地が良かったから断ったの。今思い返せば、このとき周りの人たちにどれだけ迷惑をかけてたことか…。中学生の私は知る由もなかったわね。

 そして高校に入った私は、さらにたくさんの舞台に立ち、女優としての道を歩み続けた。その頃はもう毎月のように舞台に立ってて本当に忙しい毎日だったわ。高校卒業後は本格的にプロの女優になって、毎日演技のことだけ考えて生きていくんだって思ってた。


 でも、高校三年の夏、友人と海に遊びに行ったとき大波にさらわれて溺れてしまった。一命は取り留めたものの、呼吸器系に障害が残って長時間の運動ができなくなった。もちろん、舞台に立つこともね。主役じゃなくて出演時間の短い脇役ならできたのかもしれないけど、その時の私はプライドが高くてそれを良しとしなかった。

 あの頃は本当に何もかもあきらめて絶望してたわね。運命が私の女優になる道を阻んで、私にはもうどうすることもできないって思ってた。

 でもここが私の新しい道への転換期でもあった。当時劇団のトレーナーだった方が、舞台に立てないならそれをそばで支える側に来てみないかって提案してくれた。最初はそんなのやりたくないって突っぱねてたけれど、トレーナーの熱意にはいつも助けられていたし、私には人に教えられるだけの技術も知識もたくさんあったから、その気になるまでそう長くはかからなかった。

 それで、トレーナーとしての勉強を積むために大学を調べて、受験勉強に励み、なんとか合格できた。

 でも、再スタートを切った矢先、大学二年生でまた海の事故に遭っちゃったの。夏に大学の仲間たちと懲りずに海に行ってそれで、ね。ただこのときは遊んでたわけじゃなくて、溺れそうだった人を助けるために海に入った。ずっと自分勝手だった人生でも、最期の瞬間は他人のためになれたんじゃないかって思ってるわ。



「私が最初に溺れたのは、自分勝手だった心を戒めるため。二度目に助からなかったのは、こうして死後の世界で他人のために尽くすことを、生きてた間の償いとするためなのよ、きっと。だからこうして欲を出して、舞台に立とうとするとストップがかかる。」

自身の過去とその運命を語る京香さんの目は、とても悲しそうだった。

「やっぱり私は舞台に上がれない。その資格がないのよ。今からでも明衣に譲って…」

「ダメです、そんなの!!」

「…え?」

「京香さんはそれで納得できるんですか?」

「…。」

「過去の話はわかりました。自分勝手だったのをずっと悔やんでることも。でも過去に囚われてばかりで、京香さんは未来を見てない!トレーナーとしてがんばってきて、やっと舞台に立てるチャンスを掴んで。これからはまた女優として活躍できるかもしれないのに、なんなんですか!資格がないって!!舞台で演じるのに必要なことなんて、たったひとつだけじゃないですか。」

「ひとつだけ…?」

「演じるのが楽しい、演じられてうれしいっていう気持ちです!演技の知識とか技術とか才能よりもっと基本的で大切なことです。私は舞台への憧れからこの道を志して、まだまだ技量が足りません。それでもこうして続けられてるのは、心の底から楽しいって思ってるからなんです!!」


 私は胸のうちにある思いを爆発させて京香さんにぶつけた。かつて京香さんが私の心に再び火をつけてくれたように、私もどんどん熱くなって京香さんの心を焚き付けた。人の思いは熱ければ熱いほど伝わりやすい、ということを身をもって知っていたから。


「だから、京香さんも舞台に立って演じられることをもっと楽しんでください!」

私の思いの丈をぶつけられて、京香さんは面食らって驚いていた。しかし、すぐいつもの調子に戻って、

「ふふっ、めちゃくちゃなことを言うのね。こっちは苦しんでるっていうのにもっと楽しめ、ですって?」

「あっ、そうですよね…。で、でも…!」

「はいはい、わかってるわよ。まったく、こんな暑苦しいの誰に似たんだか…。この役は私が勝ち取ったんだから最後までやり通すわよ。」

あきれた様子で微笑んだ京香さんの言葉を聞いて、私は思わずパッと表情を明るくした。しかし、すぐ不安なことに気づいて心配そうな顔に戻ってしまう。

「あっ、でも体調は…」

「それは何とかする。最近、根を詰めすぎなところもあったし、本番前にちゃんと休息を取ればいいだけ。」

「根を詰めすぎたって、具体的には?」

「んー、一睡もせず役作りに没頭してたり、後で食べるからって結局、食事を抜いてたり?」

「…じゃあ、純粋に自己管理できてなかっただけ?」

「…そうなるわね。」

「そんな~。深刻そうだったからてっきり…」

「ごめんなさい。久しぶりに舞台に立つものだから張り切りすぎたわ。らしくなかったわね。」

そう言って京香さんは頬を少し赤らめた。

 その後は持ってきたおにぎりを食べさせ、すぐベッドに連れていってレッスンの時間まで隣で寝かしつけた。


「いいですか?今日は何もせずすぐ寝るんですよ‼」

レッスンを無事に乗り切り、一緒に夕飯を食べてお風呂に入った後、私は京香さんを部屋まで送った。最後に厳しく注意したけど、京香さんのことだから私と話した後でも勉強をしようとするかもしれない。油断はできなかった。

「わかってるわよ。もう無理なことはしないわ。おやすみ。」

「お願いしますよ、ホントに!おやすみなさい!」

ドアを閉めて一息吐くと、私も部屋に入ろうと歩き出す。すると食堂の明かりがついているのに気づき、中を覗くと支配人が一人でご飯を食べながら何かの書類を読んでいた。

「こんな時間までお仕事ですか?」

「ん、なんだ竹下か。公演前はいつもこんな感じだぞ。」

そう言う支配人の目の下にはまたクマができていた。

「半年くらい前までは単純に人手不足で深夜まで残業してたが、最近はどうしてもやりたいことが多くてな。楽になったはずが更に仕事が増えるなんて、思いもよらなかった。」

「それでもほどほどにしてくださいよ。支配人も京香さんも働きすぎです。」

「ん。しかし松澤も最近はよく笑うようになったよな。日々充実してるのが楽しいみたいだ。」

「充実しててもやりすぎは禁物です。体を壊しちゃ元も子もないですから。」

「そうだな。俺まで幽霊になりかねん。」

笑いながら言った支配人は残りのご飯を掻き込んで食べ終わると、ささっと片付け始めた。食器を洗っている間、私が椅子に座って暇そうにしていると、支配人は調理場から声をかけてきた。

「松澤のこと気にかけてくれてありがとな。」

「えっ?」

「オーディション準備のときから明らかに様子がおかしくて、妙に肩の力が入りすぎてたのは俺も知ってた。だが俺は俺で外の仕事もあるし、なかなか内側のサポートまで手が回らなくてな。まあ、ほんの少しだが心配してたんだよ。それで今日、たまたまレッスン室を通りかかったときお前らが見えて、一部始終を聞いてたわけだ。」

「えぇ!?あれ聞いてたんですか?」

「あぁ。でもあれがなければ、松澤はまた表舞台に立とうなんて思わなかっただろう。松澤を救ったのは、紛れもなくお前だ。だから、あいつの代わりに礼を言うよ。」

洗い物を終えてこちらに来た支配人は、私の目をしっかり見据えて感謝の意を示した。

「ちょっとなんですか、急に改まっちゃって…。救うなんてそんな大それたこと…」

慌てて私は支配人から目を逸らした。

「あいつ、実際お前に礼のひとつも寄越さなかっただろ?ここに来たときからずっと正直に気持ちを伝えるのが下手くそでな。反応も薄いし、周りで困る身にもなってみろってんだ。」

 支配人は京香さんのことを本当によく知っている様子だったので、ずっと気になっていたことを思いきって聞いてみた。

「そういえば二人ってずっと一緒ですよね。その、意識したりとか、しないんですか。」

「意識?いや、全然。第一、俺結婚してるし。」

「は、え?支配人って既婚者?」

「ああ、その証拠に、ほれ。」

懐から出したのはチェーンを通してネックレス型にした婚約指輪。

「指にはめてると仕事中気になるんで、こうして首にかけてるんだ。」

「え、でもお相手の方は?」

「自宅にいる、と思う。俺は基本、ずっとここに寝泊まりしてて滅多に帰らないからな。それに向こうも働いてて、あんまり帰ってないらしいし。」

意外な事実に私は目を見開いて驚いた。でもこれくらいの年齢なら結婚しててもおかしくない…か。けど、今まで全くその気配が感じられなかった。

「この仕事にも理解のある珍しい人でな…って話すと長くなるからやめとこう。俺はもうちょっとしたら寝るから、お前もさっさと休めよ。」

そう言った後すぐ部屋を出て、支配人室へ行ってしまった。支配人と京香さんの関係性に少しだけ期待していた私は、茫然と椅子に座っていた。



 それから二週間後。舞台準備は大詰めを迎え、レッスン生たちも通し稽古をするようになっていた。次第に私たちの舞台の形が見え始めた頃、再び会場のメインステージへと足を運んだ。今度は、支配人と京香さん、私の三人で機材搬入の段取りをしに来ていた。私たちのイメージと実際のステージの様子を比べて、具体的に調整が必要なところをあぶり出す。すでに制作を一度経験していたため、今回は私も意見を言うことができた。私も少しずつ進歩してるんだ。

 おおかたチェックが終わると、劇場に戻って今度はリハーサルへ向けた準備に取りかかる。大きな舞台だけあって、みんなの気合いも十分だった。そんな様子を見守りつつ、私もまた最高の舞台を作るために日々奮闘した。


 そしてリハーサル当日。今回は特別にレッスン生たちも一緒に会場へ向かい、ステージの雰囲気を確かめる。私たちの控え室へ移動する際、明衣ちゃんがある人物の姿に気づいた。

「あら、翼じゃない。」

「その声は明衣ちゃんか!久しぶりだね、元気だったかい。」

「まあ、って幽霊なんだから元気ってのもおかしいわね。」

「あははっ、たしかにその通りだ。ま、相変わらずみたいで何よりだよ。」

「あなたたちもリハ?」

「そうだね。ステージ全体の流れを見るために全員呼ばれてるみたいだよ。ほら、あそこにいるのが三つ目の劇団のリーダーだよ。」

翼さんが言う方向には、背が高くて長い黒髪を後ろで束ねた大学生くらいの女性が立っていた。こちらの視線に気づくとにっこり笑って歩み寄ってきた。

「やあ、翼じゃないか。今日はリハよろしく!それと隣にいるのは、劇団むさしの法天院明衣ちゃんと竹下桜子ちゃんだね!私は劇団にちりんの、島富士あさひ。よろしく!!」

元気はつらつとした明るい雰囲気で、ハキハキと話しながら友好の印として握手を求めてきた。

「はい、よろしくお願いします!でもどうして私たちの名前ご存じなんですか?」

「そりゃこの界隈ではちょっとした有名人だからね。レッスン生から契約霊になった子が三人もいる劇団なんて君たち以外にないからね。」

自分のことであまり実感はなかったけど、周りからすると目立ってたんだ…。

「それに、明衣ちゃんの名前は言わずもがな、当然知っていたさ。」

明衣ちゃんの方を向いてうれしそうに言ったあさひさんは、その手を力強く握った。微笑んでいた明衣ちゃんも少しいたそうに顔を歪ませる。

「…光栄です。」

「いやぁ、リハといえどなんだか楽しくなってきたぞー!」

目をキラキラ輝かせて、あさひさんは駆け出してしまった。気持ちが高ぶると思わず走ってしまう癖があるらしい。

「それじゃ、僕も控え室に戻るとするよ。またね。」

翼さんは帰り際、私たちにウインクをして颯爽と歩き去った。

「みんな個性的だね。」

「うちは個性なさすぎじゃない。役者なんて目立つくらいアピールできなきゃ本当はやっていけないんだから。」

あさひさんに強く握られた手をぷらぷらさせながら明衣ちゃんは言った。

「おーい、そろそろ準備しろよ。一番手は俺たちだからな。」

遠くから支配人の声が聞こえ、私たちも控え室へ急いだ。


 リハーサルが始まるとみんな真剣な顔つきになり、私と慧ちゃん、明衣ちゃんの三人は制作物のチェック、支配人は機材の調整、京香さんは演技指導に分かれた。明衣ちゃんは時折、ステージの方を見て演技について何か言いたげだった。そういえば明衣ちゃんにとってはこれが初公演なんだ、と思いながら私も手が空いたらステージの様子を見ていた。

 終盤へと移ってからも大きな問題はなく、リハーサルは終わった。その後、私たちと入れ替わりで翼さんたちの劇団が舞台裏に入ってきた。そのまま残って他の劇団を見てみたかったけど、今はそれどころではなく、自分たちの振り返りを優先すべき時だ。制作物の中でもステージで見ると必要ないものがあったり、良い演技ができた子でも最後列まで声が届かなかったりと細かい指摘はいくらでもあった。初の大舞台で手探り状態だったことでも、リハーサルを通して俯瞰して見れば気づくこともたくさんあった。


 問題への対処法を話し合う中でみんなが感じていることがあった。それは、とにかく時間が足りないこと。細かな改善点がいくつもあり、そのすべてを解決しようとすれば、普通は一週間以上はかかる。本番までのあと数日でやりきれるのか、みんなの心に不安が広がる。

「がんばりましょう!ここまで力を合わせてやってきたんです。納得がいくまでやり遂げましょう!!」

自分の心にも喝を入れる意味で、全員に呼び掛けた。心の内にある灯火は再び燃え盛り、みんなの心にもまた情熱の火がついたようだった。再点火された炎はもう簡単に消えることはない。


 一丸となった私たちは時にぶつかりながらもそれすらエネルギーに変えて、数多くの問題をクリアし、ついに本番前日のゲネプロの日になった。リハーサルで納得いかなかったところもここではうまくいっていた。そして最終チェックを終えた私たちは、劇場に戻ってきた。

 支配人がみんなをレッスン室に集め、気合いに満ちた表情で話を始めた。

「ついに明日が合同祭、本番当日だ。開催を知らせてから長い間、本当によくがんばってくれた。あとは全力を出しきって、祭りを思いっきり楽しもう!!」

「はい!!」

全員が揃って返事をする。私も、京香さんも、慧ちゃんも、明衣ちゃんも、レッスン生のみんなもいよいよ始まる一大イベントに胸の高鳴りが抑えきれなくなっていた。



『関東地区合同・文化振興祭 芸術の饗宴』当日。

 このイベントには、関東からだけでなく日本中から、たくさんの人々が集まっていた。主催地の商店街全域が芸術に関するもので一杯になり、至るところで様々な催しが繰り広げられた。絵画教室による作品展、書道教室によるライブペインティング、マーチングバンドによるパレード等々、集団の大小問わず各地でお祭りを盛り上げていた。中には、個人で活動するストリートミュージシャンもいた。

 メインステージでも午前から二つの楽団によるコンサートが行われていた。大ホールはほとんどの座席が埋まり、商店街にも劣らない盛況ぶりだ。私たちの出番まではかなり時間があり、それまでは自由に見て回れるかな、と昨日までは思っていたのだが…。


「衣装の調整どうなってる?」

「あと三人分残ってます。」

「大道具の搬入は?」

「もうラストシーンの背景で終わりね。」

「裏方の子が一人迷子みたいなんだけれど…」

「私、探してきます!」

舞台裏の控え室では忙しなく人が動いていた。実はゲネプロの後でもいくつか問題は起こり、その対処に追われて、こうして当日の朝までバタバタ調整しているのだった。こうなることは予想していたけど、やっぱり避けられなかった。しかし、その場にいるひとりひとりが各自の役目を自覚して、的確に動いている。土壇場でも焦らず、それぞれ行動している仲間たちは本当に心強い。


「そろそろ午前の部が終わる頃か。みんな、今のうちに昼食とっとけよ。」

「はーい。」

慧ちゃんが主導で作ってきた、人数分のお弁当をみんなに配る。今回は特別で、レッスン生たちも元気が出るようにお弁当を食べていいことになっている。その光景は普通の劇団の食事風景と変わらない。

「何感慨深そうな顔してるのよ。」

「えっ、私そんな顔してましたか?」

「桜子さんってけっこう感情が表に出るよね。」

「確かに。それでだいたい考えてることがわかるな。」

「バレバレですよね…」

「えー!そんなことないですよ。私だってちゃんと演技の勉強してるんですからそんな簡単にわかるようなことは…」

「…私、やっぱり舞台降りようかしら。」

「京香さん!?何を急に言い出すんですか!?こんなときに…」

体調がまた悪くなってきたのかな…?急だけど今からキャストの交代を…。

「嘘よ。いま、本気で心配したわね。」

「もう!そりゃ心配するに決まってるじゃないですか。」

「私がこんな直前になって無責任なことするわけないでしょう。もっと落ち着いて状況を見なさい。」

からかわれたの私なのになんで叱られてるの…?納得できない。

「あ、いま不本意そうな顔してる。」

「えぇ、もう~。」

緊張感のあった空気が一気に和んで、みんなリラックスして笑っていた。私はちょっと不本意ではあるけど、直前だからこそこういう時間もあった方がいいのかもしれない。


 昼食を済ませると、舞台に立つ子たちは衣装に着替え始め、私たちもステージ裏の準備に取りかかった。午後の部最初の合唱団の歌声を聞きながら作業をしていると衣装に着替えた京香さんが顔を出した。

「京香さん!?こんなところに来てて良いんですか?キャストの子たちは…」

「大丈夫よ。まだ着替え中。」

京香さんの衣装はオーディションのときに見えたイメージそのままで、女神のような神々しさがあった。

 一旦作業を止め、京香さんと壁際に並んで立った私は先に口を開く。

「その衣装、とっても似合ってますね。」

「そうかしら。私なんてこの衣装には不釣り合いだと思うけれど。」

「そんなことないです。だって、私が迷っていたときに導いてくれたのは京香さんでしたから。私にとって、道を示してくれた京香さんこそ正真正銘、天からの遣いだったんです。」

その言葉は私の本心だった。自分の運命に抗おうとせず、妥協してしまおうとした私の心を救い上げた京香さんは、年上のきれいな女性でもただのレッスントレーナーでもなく、私に道を切り拓く勇気をくれた存在だった。

「そういうふうに思ってくれたのね。ありがとう。」

京香さんは優しく微笑んで、正直な気持ちを話してくれた。

「ずっと私は自分の役割を勝手に決めて、一人で勝手に苦しい思いをしてきた。トレーナーとしてサポート役に回るのも大切ではあるけれど、やっぱり舞台に立てないのは悔しかった。一番最初に抱いた夢は、もう叶わないとあきらめてたはずなのに、裏から活躍してる子たちを見てるとどうしようもなくうらやましいと思ってしまった。そういう気持ちになるたび、私の本分は表に出ることじゃなく、裏で支えることだって無理に言い聞かせてきた。」

京香さんは過去の古傷にさわるかのように、うつむいて苦しげな表情をしていた。私は声をかけずに次の言葉を待った。

「でも、今はもう違う。私がなんのために一生懸命勉強してきたのか、それは他人に女優になってもらうためじゃない。本当は、私自身が女優になって舞台で演じるためなのよ。」

顔をあげてスッキリした表情で言い切った姿は舞台に憧れ、女優を目指す少女のように自信と希望に満ちていた。

「この気持ちに気づかせてくれて本当にありがとう、桜子。」

私のほうに向き直り、感謝の言葉とともに手を差し出してきた。

 私は、挫折から立ち直ったあのときとは別の、清々しくて誇らしい気持ちでその手を強く握った。



 合唱が終わり、いよいよ私たちの出番が回ってきた。直前、控え室ではキャストの子たちが円陣を組み、京香さんがみんなに声をかけていた。

「さぁ、もうすぐ私たちの舞台が始まるわ。この一ヶ月はほんっとうに大変だったけど、それもここで終わり。でも寂しく思うことはないわ。この体験は間違いなく、私たちの心に刻まれる。これまでの全てを出し尽くして、人生で最高の舞台を作りましょう!行くわよ!」

「はい!!!」

京香さんの号令にみんなが応える。たとえここで成仏してしまうとしても、最高の舞台の記憶は確かに観る人の心に残るだろう。少なくともここにいる五人は何があっても忘れることはない。

 舞台裏に移動する間際、翼さんとあさひさんが衣装に着替えた姿で手を振ってくれた。いろんな人たちが見守る中、私たちの舞台の幕が上がった。



「お疲れ様でしたー!!」

控え室へと戻ってくるキャストの子たちを迎え入れ、タオルを渡しながらねぎらいの言葉をかける。今回の舞台も最高と言える内容で、みんな感極まって泣いていた。最後に入ってきた京香さんでさえ目に涙を浮かべていた。舞台裏で経験するこの瞬間はいつも、みんなと一緒に泣きたい気持ちになる。でも、私たちスタッフは常に全体を見て動かないといけないのでぐっと我慢。支配人は終わった後でも外で忙しそうにしているし、慧ちゃんも本当に泣き出しそうな顔をしていても声は上げない。明衣ちゃんはというと、みんなの姿を少し離れたところから一人で見ていて、感動とは別の感情を抱いているようだった。

「明衣ちゃん、初めての裏方どうだった?」

「それなりに充実はしてたかな。でもありえないタイトスケジュールはどうにかすべきよ。」

「はは、それは賛成。公演の内容はどう?」

「あれくらいの舞台でこんなに泣けるなんて私には到底理解できないけど、良かったんじゃない。でも次こそ、私が舞台に立って本物の演技を見せてあげるんだから。」

明衣ちゃんの表情は一見冷ややかだったけど、私には悔しさを噛み締めているように見えた。


 しばらくは時間を忘れて、みんな余韻に浸っていた。すると、場内アナウンスが聞こえてきた。

「以上をもちまして、メインステージでの演目はすべて終了です。本日はご来場、誠にありがとうございました。このあとは閉会式に移り…」

「あれっ、もう終わっちゃった!?」

「どうしたのよ。」

「翼さんとあさひさんの舞台見逃しちゃった…。楽しみにしてたのに…」

他の劇団の様子を知る良いチャンスだったのに、みすみす逃してしまい、私は悲しみに暮れた。

「そっか、確かに興味はあったけど、別に良いんじゃない。続けてればまた会うときも来るでしょ。」

「それもそうだけど…うーん…」

「それより、もう撤収しなきゃまずいんじゃないの?ずっとここにいるつもり?」

その言葉と同時にドアが開き、支配人が入ってきた。

「お前ら、そろそろ帰る時間だぞ。支度しろ。」

「はい!みんなメイク落としたらすぐ着替えて、帰る準備!」

私が手を叩きながら呼び掛けると、それぞれさっと動きだし、手早く衣装を片付けて、来るときに乗った貸切りバスへ向かって控え室を出ていく。大道具はまた後日、搬出することになっているので、細々したものを持って帰る。全員が出ていった後、軽く掃除をしていたときに不意にドアが開いた。

「あ、良かった。まだいたね。どんどん出ていくからもういないかと思ったよ。」

入ってきたのは翼さんだった。劇団のものと思われるジャージを着ている。

「翼さん、ごめんなさい。翼さんの演技見れなくて。」

「そんなこと気にしなくていいよ。またチャンスは来るさ。それよりあの女神はまだいるかい?」

「女神…京香さんですか?ならもうバスに乗っちゃったかと。」

「そうか、一言感想を言いたかったんだけどね。…そうだ!桜子ちゃん、連絡先交換しておかないかな。」

「え!いいんですか!?ぜひお願いします!」

契約霊になってからもらった携帯は仕事用で、アドレスにはうちの四人しか名前がなかった。これで初めて外の人と繋がることができるようになった!

「よし。それじゃまたね、桜子ちゃん。近いうちに連絡するよ。」

翼さんは最後にウインクして部屋を出ていった。もうこの仕草は定番になっている。



 その後、帰りのバスの中で通路を挟んで隣にいた支配人と今日の振り返りをした。反対側の席には明衣ちゃんがいて疲れで眠ってしまっていた。

「合同祭、参加できて本当に良かったです。こんな体験ができるなんて最初の頃だったら予想もできなかったですよ。」

「そうだな。話を聞いたときはこれだけ大きな公演になるなんて思わなかったな。しかしおかげでいろんな繋がりができたし、収穫も大きい。これからまた忙しくなるぞ。」

「えぇ…ならスケジュールだけはちゃんと考えてくださいね。もうギリギリまで準備するのは嫌ですよ。」

「うん、俺もさすがに肝を冷やした。反省するさ。…そうだ、お前ら舞台が終わった後、ずっと控え室にいたのか?」

「はい。おかげで他の劇団の舞台は見れなかったんですけどね。」

「やっぱりか。そうなるかと思って、一応全部録画しといたぞ。」

「えっ!本当ですか!?」

「あぁ、明日にでも反省会をかねて観ることにしよう。」

「やったー!そのことだけ残念だったのでうれしいです。」

やっぱり支配人はできる人だった。この人がいれば劇場は安泰だ。それから帰るまでは、支配人と合同祭の話の続きをして過ごした。劇場に戻ってレッスン生たちが帰るのを見送った後、私は中に入り、あらかじめ用意していた夕食をとった。忙しく動き回った分、空腹でおいしく感じた。お風呂でゆっくり疲れをほぐした後はみんなすぐに眠りについた。


 今まで一番大変で、一番充実していた一日はこうして幕を閉じたのでした。

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