帰りたい
錆び付いた金属の床。
角にこびりつく苔、カビ。
灯りのない暗黙の廃墟。
吹き荒れるすきま風は僕達の頬を冷たく撫ぜる。
――カツ…カツ……
金属床特有の響き。
何者かがここに来る。
「■■■■■■■■■■■■■」
「************」
見知らぬ発音、理解し得ぬアクセント。それは赤子の声のように不可思議で…。
これは彼等の言語。私達が聞き、理解することの出来ない会話。
故に今のやり取りも何を意味するのかは分からない。
「ん“ん“ん“ん“ん“ん“!!!」
「■■■■■■!」
目隠しをされ、ワイヤーで手足を縛られ、猿轡をさせられた僕達の一人が絶叫する。
それに対し、彼等は取り出した電磁ムチを叩きつけ、沈黙させる。
「******~」
言っていることは分からないが、彼等は動画撮影用のカメラのような物を取り出してきた。
もう、これだけで何がやりたいのかは分かった。
カメラを仲間の一人に向けて構え、スイッチと思われるボタンを押す。
カメラから機械特有の冷却音が浅く、この密室の空間に響く。
「■■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■」
いつの間に持っていたのか、カメラの前で何かを喋る者はさも当たり前のように、仲間の首に通常の物よりも少し大ぶりなナイフをあてがる。
「…ッ?!ん、ん“ん“ん“!ん“ん“ん“ん“!!」
仲間もあてがわれたそれがナイフだと理解するやいなや、必死に暴れて抵抗する。
僕を含め、全員が仲間から目を逸らす。しかし、まるで『お前もこうなるのだ』と思わせるがごとく、彼等は僕達にありとあらゆる『逃げる』から文字通り目を背けさせない。
瞬間、
――――――ゴトリ
「ーーーーッ!!ッ!?っ?!…ん“、ん…。」
不自然なまでに木材の床で作られたその場所にそれはあった。
長時間のストレスで真っ黒な隈ができ、目は大きく見開かれ、くっきりと涙の跡の残る、先程までカメラの前にあったモノが落ちていた。
今までのと同じ表情のそれが。
髪には血が染みこんでいき、僕の…僕達のトラウマを呼び覚まし、極限まで希望をへし折るその醜悪さをまた、目にした。
これで六人目だ。
――――夜。
もう、味わい慣れてしまったこの空気感のなか、僕達は押し込められるようにして雑魚寝している。…勿論、全員が等しく手足をワイヤーで縛られながら。
「…さて、今日もやるよ。」
そうすると僕達は徐にワイヤーを解いた。
「…今日はメリル、楓、ジャック、デニーだ。」
対象の四人は怯えながらも、覚悟を決めたように頷く。
「…はい、地図。」
僕は懐からボロボロの紙切れを渡す。
そこにはお世辞にも綺麗とは言えない地図のような物が描いてあった。
ゆっくりと閉ざされていた金属製の重厚な扉が開かれる。
不思議なことに全くの無音だった。
四人はゆっくりと、本当にゆっくりと歩き始めた。忍び足どころか自らの存在すらも消えてしまいそうなくらい、ゆっくりと。
「…早くしないと終わらない。」
「わ、分かってるよ。」
先頭のジャックが少しスピードを上げた。焦ったのか一歩目に小さい音が鳴ったが、二歩目は音を消し、再び気配を消した。
ジャックがゴクリと生唾を呑む。いつもより遙かに大きく響くそれに、彼自身驚きながら、その姿を扉から消した。
そして、不気味なまでの静寂に包まれながら、再び扉が閉められた。
灯りのない夜の廃墟では数少ない窓があったと思われる場所からの月明かりが唯一の灯りとなる。
本来ならば、廃墟の禍々しさと月明かりの風情が、きっと幻想的、神秘的な光景を生み出すのだろうが、ことこの状況において綺麗と思う者はいないだろう。…いや、もしかすると居るのかも知れない。その美しさを最後の希望にする者が。
生憎と、今日は満月でなく三日月だが。
「ジャック、着いた。」
楓だった。純粋で無垢なその愛らしい表情にジャックは少し見とれた。
「あ、ごめんボーッとしてた。」
「お前がリーダー何だからしっかりしろよ。」
デニーは相変わらず心配してるんだか馬鹿にしてるんだか分からない。悪い子供ではないし、むしろ優しい方であるが、その言動からか、勘違いされやすい子供でもある。
「っと、これだな今日探索する通風口は。」
この大昔の砦らしき廃墟は大きいが、回れないほど大きい訳ではない。代わりに非常に入り組んだ設計になっており、それこそ地図が必要なほどである。
尋ねる者を拒み、入った者は逃がさない。そんな設計。
それ故か、誰かが発見したのだ。脱出用らしき秘密の地下通路を。生憎と、扉は歪められ、上から幾重にも金属製ドアと電子ロックが掛けられており、対策されて到底入れそうにないが、地下に部屋があるのならば通風口が確実にある。
そう読んで彼等は現在、虱潰しに通風口を探している。
本来ならば、通風口とは入れないように作る。だが、ここは幸いなことに大人用の通風口のみ存在する。
子供の彼等が入れぬ道理はない。
「メリル、ドライバー。」
「どっちなの?」
「プラスで。」
「はい、これ。くれぐれも音は立てないでよ。」
「分かってるって」
ジャックは慣れた手つきでドライバーを回し始める。案外硬いのか、目元に少ししわが寄った。
「おい、メリル。もう一つあるか。」
「デニー、めずらいわね。」
「こんな状況だしな。それに、二人のほうが早い。」
「そうね、ほら。」
「おっ、おい?!投げんなって…」
「うるさいわよデニー♪」
そう言うと、メリルはクスリと笑う。ルックスと相まって、非常に絵になる。ある意味この緊張感のなさは子供ならではなのかも知れない。
…はたまた、メリルが子供ながらに魔性の女として成長を始めているのか。
「…ふっ、んしょっ…っと。」
暫くすると、通風口のネジを外し終わり、丁度子供一人が入れそうな穴が見えた。
「さ、楓。出番だぜ。」
「う、うん。」
楓は下げた小さな袋から懐中電灯を取り出し、その袋をジャックに預けた。
楓が選ばれたのは四人の中でも最も背が小さいからだ。狭い通風口では小柄な方が動きやすく、速い。
時間との勝負であるが夜中の作業においてこれは最も重要なことだ。
「い、行ってくるね」
「「「ガンバレ~」」」
大声が出せない為、三人とも声が掠れている。
そして、楓は通風口に潜り込んだ。
僕は考えていた。
僕の手元にある地図には廃墟の全ての通風口の位置が描いてある。朝になり、光で見えるようになったそれらの多くには、大きくバツ印がつけてあったが。
今まで地下脱出通路を中心として殆どの通風口を探索してきた。だけど、周囲の通風口から繋がる所はどこにもなかった。それは今晩探索して貰った、地下脱出通路から遠く離れた通風口にも同じ事が言えた。
そして、僕は今晩の通風口にも大きくバツ印をつけた。
「駄目、なのか?」
横から同年の女の子が聞いてくる。
名前は確か…クルトだったか。
「あぁ、今日も駄目だったよ。」
「そう…。」
打たれ強いクルトにも明らかに疲れが見え始めてる。
「大丈夫だ。きっとみ……」
「ね~ね~!」
自分の腰ほどしか無い子供が聞いてきた。僕はその妙にはつらつとした声音に少しイラついた。
「ん~、どうしたの?遥ちゃん?」
「あの、ツウフウコウ?昨日のあれ!出口なの?」
締め付けられるくらいイラついた。悩んでいるときの追い打ちほどイラつくものはない。
クルトは悔しさをかみ殺すように、唇を噛んでそっぽを向いていた。一瞬だったが、僕はクルトの唇の隙間から紅い何かが見えたのを見逃さなかった。
――――僕が、僕がやらなくちゃ、いけないんだ。
「ごめんね。遥ちゃん。僕達が必ず見つけるから。」
僕は腰を落として、遥ちゃんと同じ視線で話した。
「…ううん!私達まだ頑張れるから!」
そう言うと遥ちゃんは笑顔を作った。
そして、遥ちゃんは元気に走り去っていく。まだまだ、耐えられる。そう思えそうな走りっぷり。
「…クルト、皆を集めて。今日のシフトを決めよう。」
だから、僕は遠くの『帰りたい』なんて声は聞かないことにした。