エピローグ(前)
後の世の人は、伝える。
百年余にわたり隆盛をきわめたイオタ帝国の興亡と、わずか数年という短命に終わったリュシーナ仮王朝、その後のイオタ連合について。
イジュワール魔道学院の設立から四年、卒業生と在校生を中核とした「改革派」の台頭。
水精家当主代行リュシーナ公女による、帝室及び五精家解体の宣言。
のち、リュシーナ公女は、改革派、ボタクリエ商会、帝室主流派の支持を得て、仮王の地位を称することとなるが、一連の情勢を、もう少し掘り下げてみるとしよう。
帝国末期において、五精家始め大貴族の一部は抵抗運動を展開したものの、仮王派の圧倒的軍事力もあり、武力衝突はごく散発的なものに終わっている。
高位の精霊術師からなるはずの大貴族達が、組織的な抵抗をなし得なかったのは、イジュワール魔道学院の存在が大きかったと言われている。
設立当時より、新たな人材の掘り起こしを名目に、学院は貴族子弟の入校を認めなかった。
それでいて、学院では、それまでの常識を打ち破るような、多彩で高度な精霊術が惜し気もなく教授されていた。
有力子弟達は、精霊術の最先端をあきらめるか、貴族の地位を捨てるのか、選択を迫られたのだった。
家を出奔して入学する者は年ごとに増えていき、高位の術を究めた者ほど、学院への想いは断ちがたい状況となっていた。
入学資格については、大貴族からの魔導学院への圧力は相当なものであったが、イジュワール学院長は、全くゆずらなかったという。
また、従来の帝国の在りようからは考えられなかった、精霊や魔道具を講師とする精霊術の講義という形態が、付与術により精霊を支配し行使するという五精家の根本と、相容れないところもあった。
学生は、学院の斡旋する種々の業務で、暮らしていけるだけの収入は得ることができるようになっていたが、一部に、研究に没頭するあまり、または金銭感覚、経済観念の乏しさゆえに、生活資金さえ精霊石や素材に回してしまう者達が現れた。
彼らは、「課金勢」さらには「廃課金勢」などと呼ばれることもあったという。
彼らについては、当時非常勤の講師をしていたケーヴィン師が、後にケーヴィン寮と呼ばれる宿舎兼研究施設を開放したことから、救済というよりは、より数奇な運命をたどることとなる。
ケーヴィン寮は、表向きは宿舎であり、工房や倉庫であったが、その深部にはダンジョンが拡がっていた。資金を持たぬ研究生も、自ら深部の素材を回収できれば、売却や交換によって必要な資材を得ることができた。
未熟だが見るべきところがあると判断された者には、ケーヴィン師自らが支援を行うこともあったという。
深部の探索のために、寮生は組織的な狩りや採集の手法を編み出していき、その組織力は後の「改革派」の母体となる。
だが、そもそも寮生となるに至った経緯を振り返れば、彼らがある意味、一般社会から距離のある立ち位置にいたことを考慮しないわけにはいかないであろう。
そして、「妖精に交われば妖に染まる」と古言があるように、相互にその特性を強化しあう現象が起こったのも、自然な成り行きだったと言える。
寮生のうち少なくない人数が、人間の異性ではなく、精霊や魔物、時には魔道具を生涯の伴侶として選ぶことを宣言するという、通称「虹のヨメ宣言」の際も、ケーヴィン師、イジュワール学院長ともにその選択を支持することを表明し、一般社会に大きな影響を与えたという。
「精霊や魔物に人権を」という改革派の運動は、五精家を含む貴族制と対立するも、水精家当主代行にして当時最高位の精霊術師でもあったリュシーナ公女が改革派の盟主となったことで、事実上主流派となっていく。
「わが生涯は一片の石と共にあり」と、一粒の精霊石がパートナーであることを宣言したリュシーナ公女の演説は、「俺達の女王」「もはや王(仮)」などの、改革派ならではの賛辞によって包まれたという。
続いて、イジュワール学院長が元勇者であるイーオットと共に、かつての勇者達が人間を魔道具化した存在だったことなどを公表し、そもそもイオタ帝国自体が、精霊の力によって生まれ、運営されていることが認知されるようになった。
ここが、帝室と五精家の解体への道筋を決定的なものとした転換点であったことは間違いがないが、その後のイオタ連合の成立までの道のりは、多少の紆余曲折を経ている。




