スミをめぐるトラブル
ここは、帝都から一日ほどの距離にある中規模の都市。
ミステレンとスミは、ここに一般市民としての生活の基盤を築いていた。
スミの通う学校は、主に職業訓練を目的としており、最短で三か月を一単位として、算術や読み書きに始まり、建築や鍛冶、精霊術など様々な技能の基礎を習得することができる仕組みとなっている。
入学の門戸は広く開かれており、人種や出身も多岐にわたる。
街で育った子供もいれば、農村から出てきた若者、ある程度年を取ってから改めて知識を身に付けるために入学した者など、様々な年齢や背景の者が在籍していた。
よほど仲良くならない限り、互いの事情をわざわざ説明するような雰囲気はなかった。
そのあたりも含めて、スミでもなじみやすい学校を、ミステレンが選んでいた。
滑り出しは、順調であった。
スミも、ミステレンやイーオットから読み書きや身の回りの自然科学の知識を習っていたし、日々の仕事の中でもちょっとした精霊術は使っていた。
どのようなコースの授業を受けて、何の技能を身に付けていくかを決めるための予備課程では、「未熟だが、年の割には優秀」という程度の、目立ちすぎず悪くない成績を得られていた。
失敗したのは、黒の系統の力の存在を知る者などいまいと、油断していたことだった。
精霊術の調整の失敗を、ほんのかすかではあるが、黒の系統の術を使って、修正した。
普通の術者ならば、普通の精霊術の行使の中で生じた揺らぎを、うまく立て直したとしか見えないはずだった。
だが、気付いた者がいた。
スミの知らない人間であったが、その者も、黒の系統の術の使い手、それも夢魔の一族だったのだ。
いくらか年上の男で、やや険しい目つきをしているその男も、黒い髪をしていた。
講義の終わり際、休憩時間に入るところで、スミは念話で呼び出された。
「お前、ちょっと校舎の裏まで来い。」
スミは驚いた。
小説や雑誌で読んでいた、これが学園生活と言うものか! という考えに、頭がいっぱいになっていた。
その男のことは、自分より少し遅れて入学したということくらいしか、知らなかった。
だが、ミステレンは言っていた。
「スミ、お前は、普通の街や村で育った子供が経験しているようなことを、ほとんど知らずに過ごしてきてしまっているんだよ。もしも、学校で、何かに誘われるようなことがあったら、それが犯罪や無謀な冒険でない限り、できるだけ挑戦してみるといい……」
いくらか陰のある気配の男ではあるが、いざとなれば逃げるくらいのことはできるだろう。
スミは、他の生徒に見られないよう遠回りをして、校舎の裏へと向かったのだった。
「私に、何の用ですか。」
学校でのスミは、真面目な態度の生徒であった。
世間の話題や流行を知らなかったため、修道院のような場所で育ったという設定にしたからだ。
実際、ささやかな買物やほんの些細な娯楽でも目を輝かせるスミの姿に、周囲の生徒は、隔離されて育てられた女の子だということを信じていた。
スミが純真で可憐な女の子だという誤解をしていたのは、主にうぶな男子生徒が多かったが。
「お前、破精術を使っていたな。」
スミは、驚くと同時に、がっかりした。
学園生活の一ページのつもりで、波乱の展開を幾通りも想像していたのに、よりによって関係者とは。
黒の系統の関係者の中では、夢魔の一族は特別な地位を占めている。
その中でも、スミは、幼くして風穴の管理者を任される程度に、その資質を買われていた。
イジュワールの憑依体としての評価が大きかったのであるが、スミはそこまでは知らない。
自分は、夢魔の一族にあっても上位の存在だった、ぼんやりとそう捉えているだけだが、習慣で、黒の系統の関係者に対しては、無意識のうちに高圧的な物言いとなっていた。
「だったら何。普通の人間には、気付かれないようにしてたつもりですけど。」
えっ?
予想外の対応に、その男は、声を上げるのはかろうじてこらえたようだったが、表情は全く隠せていなかった。