魔杖の内なる戦い
剥奪の力を悟られずに、この杖に封じられた精霊の無事を守る。
手探り感しかない任務ですね。
「リュシーナさま、封じた精霊は何という名前なのですか。」
「名前? 薄紫の石だったから、ヴァイオラって呼んでたわ。」
「魔杖の精霊には、名前はあったのですか。」
「名前とは言えないかもしれないけれど、口伝の中に『生ける災厄』という言葉があったそうよ。」
それは、うかつに扱っては駄目な奴なのでは……
魔杖の精霊は、意思の疎通がはかれるような感じではなさそうですね。
声も、聞こえませんし。
悪霊とか病原とか、形が決まっていなくて、『災厄』としか言いようがない存在、そんな凶悪なものと想定しておきましょう。
いや、待てよ。
深呼吸して、少し落ち着いて考えてみます。
水精家のご先祖さまは、杖に『災厄』を封じ込めた。
杖の形が、いかにもまがまがしく魔杖だったので、ついごっちゃにしてましたが、『災厄』を封じる前に、すでに杖は魔道具であったはず。
杖という器に、『災厄』が入っている。
そこに、リュシーナさまがヴァイオラという別の精霊を重ねて付与した。
この場合、ヴァイオラは器の方に重なっているってことですね。
器から中身を眺めて、おののいている。
あれ?
『災厄』の本体はまだ眠っているとして、じゃあ、器である杖の精霊は……?
水鏡を通じて、話しかけてみます。
「紫石の精霊、ヴァイオラよ。杖の魔道具の精霊を、お前は感じることができるか。」
水鏡の中の精霊は、静かに微笑んで沈黙しています。
……あれ? 返事がありませんね。
「なに? なんでこのガキは上から目線なのよ? つか、誰よ? あたしのリュシーナに、色目使ってんじゃないよ、おぉ?」
おっと。
耳を澄ませば、とげとげしい思念が、伝わってきますよ。
優しく儚げな外形に惑わされましたね。
気の強そうな精霊ですし、裏表があるとなると、リュシーナさまの前では、取り繕ってそうです。
リュシーナさまに正体をばらすとおどす、いえ、丁寧に説得するには時間がかかりそうです。
では、名もない杖の精霊のほうに、当たってみるとしましょう。
鞄から、石を一つ取り出して握りしめ、もう一方の手は、魔杖に。
僕の魔道具目録、ザオリストさん。
かつての勇者が使ったであろうこの魔道具に、覚えはありませんか。
「ふむ。蘇生の記録が……あるぞ、ある。しかし、これはまた……。」
「どうしたんです?」
「驚いたものだ、三百と二十八回、この杖は再生されておる。」
「は!?」
「それも、数多くの持ち主があったようだ。よほど、他に手段がなかったとみえる。」
「それってどういうことですか?」
「『災厄』は増殖し続ける粘液体の魔物。二十八人の勇者とこの杖が、死と再生を繰り返しながら、『災厄』を封じ込めていったのだ。」
「よくもそんな、果てしない作戦を……。勇者の再生には、魔素が必要なのでは?」
「魔素の補給のために、おびただしい数の魔物が、狩られ、捧げられたのだろうな。」
「勇者達も、それ程に過酷な任務を、心折れずにやり遂げたんですね。」
「人間世界の存亡の危機だったのであろうな。
もっとも、自発的な者もおったろうが、そうでない者もおったろう。
勇者であるために、勇気や献身の心は要らぬ。
心がなくとも、その身を捧げさせられるのだから。」
あ。
これは、ザオリストさんの背負うもの。
ひ弱な人間が、過酷な世界に抗うために犯した罪の記憶、なのですね。
「そして、その杖の精霊も、心を虚無にする術式を、組み込まれておる。」
それが、精霊の声が聞こえない、理由ですか。
人間世界を滅ぼしかねないほどの「災厄」。
数えるのをやめるほどの死と再生を重ねた勇者達の記憶。
その心を虚無にして、文字通り道具の一部とされた杖の精霊。
重く濃い記憶の塊が、水精家の倉庫の片隅に、ガラクタのように転がっている。
おそらく、火精家にも、他の上位貴族の家にも。
僕は、魔道具を、便利で面白い道具としてしか、見たことがありませんでした。
それが、実際に使われていた魔道兵器であっても。
魔道兵器や精霊石を集めていても、どこか他人事、珍しい品のコレクションでしかありませんでした。
振り返って、リュシーナさまの顔を見ます。
「どう? コーダ様ならば、何とかできるのでは?」
皮肉めいた微笑み、挑戦的な言辞です。
ああ、つまりそれは、僕の覚悟を問うているのですね。
お前に、魔道具の持つ、苦しみや悲しみ、精霊の声と、向き合う気があるのか。
私には、あると。
ようやく、理解できました。
魔杖の継承者を名乗る。
つまりそれは、リュシーナさまは、人間世界の業を背負って立つという、志の宣言ですね。
僕は大きくうなずいて、リュシーナさまに深々と礼をします。
「リュシーナさまのお覚悟、承りました。」