勇者にまつわる物語
官房長の何気ない口調に反して、ソチモワールとシュッツコイは、顔を見合わせて沈黙していた。
勇者を、ダンジョンの魔素を使って蘇らせていた……。
「か、官房長。機密事項だとは思うが、そ、それは、いったい、許される術なのか?」
「すでに封印された術だ。それに、勇者たちがいなければ、今のこの帝国が無かったことも事実。」
「し、しかしそれでは、勇者は魔物と変わらぬ身体だったということか!?」
ソチモワールも、声の震えを隠せない。
「魂は、人のものであったはずだ。でなくば、人の世界を救うために戦いはすまい。いや、人の側にあったに過ぎぬ、かもしれんか。
にしても、そうか、イジュワール様は、シュッツコイ殿にそれらを伝える前に、去られてしまったのだな……。黒の破精部隊の、今は秘された使命が幾つかある。私もすべてを知るわけではないが、知る限りで、伝えておこう。」
シュッツコイは、己の無知に歯を食いしばりながら、官房長の言葉に集中する。
「破精術は、教会などに保管された勇者の魂を消去し、再生の輪廻を破壊できる力だった。敵に回れば、勇者にとって最も危険な存在。それは、帝国内で黒の系統の力が厳重に管理されることとなった理由でもある。
その時代のニングルム、その使命は、一つに、勇者の魂が闇の側に堕ちた時に、それを散滅すること。もう一つに、勇者自身が望んだ時、輪廻の鎖から、その魂を解放すること。」
官房長は、一息入れてから続ける。
「帝室の祖は、勇者を生み出し、戦いに生きる日々に送り出した。教会は、長い戦いの間、勇者が死ぬことを許さなかった。
討伐戦争が終わったのち、両者はそれを己らの罪とし、帝室はその術を封じて術を使えぬ家系となり、教会はその業を秘してただ祈りのみを伝える無力な組織となっていったのだ。」
「なぜ、そのような秘事を我らに……。」
「シュッツコイ殿よ、そなたたちの力は、勇者の力の表裏にあった。もしも魔王がよみがえったならば、勇者の力も必要となろう。そして、勇者を生み出すのならば、破精の術も必ず必要となる。」
「何故だ…?」
「堕ちた勇者は、魔王となるからだ。」
シュッツコイは、得体の知れぬ安酒を大量に飲まされたような気分であった。
胃は焼けるように収縮を繰り返し、世界は揺れて、平衡感覚は失われている。
シュッツコイにとって、ニングルムは、帝室を守る影の盾、敵を探す見えざる耳目であった。
その敵は、帝室に仇を成す、他国の諜報であり、野望を抱いた反乱貴族であり、犯罪集団であった。
腐臭がするかのようなおぞましい連中もいたが、所詮は人間同士の争いである。
勇者の最期を送る。
魔王を葬り去る。
それが我らの使命。
つい先ほどまでの自分であれば、何のおとぎ話か、悪い冗談かと笑い飛ばしたであろう。
「今はまだ、我らは表立って動き回るわけにはいかぬ。だが、もしも、仮に魔王の手の者が実在するとなれば、我らは勇者を探さねばならぬ。」
「ゆ、勇者を? どういうことだ。討伐戦争から、百年は経っているぞ?」
「先ほども言ったであろう。勇者は、その身が滅びても、何度でもよみがえると。当時の勇者が、すべて消されたわけではない。名を偽り人の間で暮らしている者もいるであろうし、どこかの隠れ家で、長い長い眠りについている者もいるのかもしれぬ。」
ソチモワールが、両手を組んで机に押さえつけている。
そうでもしないと、勝手に両手が震えて飛び出してしまうかのように。
「官房長。帝室の、危機ではないか。勇者を探すといっても、あまりにも、途方もない話じゃ。五精家にも、力を借りるべきではないのか。」
ソチモワールの言葉に、官房長は苦し気な表情を示す。
「もっと多くの手を借りなければならぬことは承知している。だが、我らに力が無い今の状態で、五精家に声を掛けるわけにはいかぬのだ。
忘れたか。かつての時代はともかく、現勢では、ニングルムは五精家への牽制として位置づけられていることを。」
シュッツコイは、苦し気に吐露する。
「……イジュワール様亡き今、我らはニングルムとしての力のほとんどを失ってしまった。それどころか、ニングルムの内から、魔王の手の者を生み出している可能性さえある……。この上、事件の解決のすべてを五精家に委ねることになれば……」
「帝室と五精家の均衡は崩れ、帝室の存立は揺らぐであろう。
生き残りの勇者か、もしくは蘇生できる魂と術式を見つけ出す。再び立ち上がった勇者のもとに、五精家の力を結集し、魔王に対抗する。それができれば、帝室は再興の栄光のもとに、新たな時代を築くであろう……」
官房長の言葉は勇壮であったが、ソチモワールとシュッツコイの胸には、苦さと、重苦しい靄が詰まっているかのようであった。