父の決断
ゲキレティウスの口からこぼれた弟の名前に、長男が天を仰いだ。
「コーディウス…… あの子のことを、口に出すのを禁じたのは、父上ではありませんか……。
確かに、あの子は、宝具を眺めるのが、好きでした。長い昔語りでも聞いているかのように、半刻でも、一刻でも、ずっと魔道具の傍らで過ごしていた……。」
二人の顔が、暗く沈む。
「コーディウスは、目端の利く、器用な子であった。このような時代だ。商人や職人としてでも、うまくやっていけることだろう……。」
自らに言い聞かせるように、ゲキレティウスは呟いた。
「激情と苛烈」のふたつ名を持つほどだった父ゲキレティウスは、弱くなった。
長男にとって、このひと月、ひしひしと感じざるを得ない事実だった。
その原因は、間違いなく、コーディウスを失ったことであろう。
だが、この時は、そのコーディウスへの思いが、かえって父の決断をもたらした。
「いや、宣無き事を言ってしまった。コーディウスは去った。この魔道具とて、我が家に永遠にあるものでもなかろう。
品物の選定は、お前に任せる。グレナディン家への支援は、厚くしてやれ。ただし、同時に、グレナディン家の在り方がこれからの時代に合うよう、当主の交代を条件にしておくのだ。
五精家とても、身軽にならねば、いつまで生き残れるか分からん時代が来る。お前は、そう考えているのだな。」
「グレナディン家には、とんだ荒療治となりますね……。ですが、父上のご覚悟、しかと承りました。」
「それにしても、死蔵された魔道具の取引の話を持ち込んだというボタクリエ商会。グレナディン家だけにつないでいるのか、それとも他の家にも……?」
「分かりません。しかし、グレナディン家へ持ちかけられた取引では、特定の品や相手を狙った様子はなかったとのこと。
グレナディン家はボタクリエ商会にかなりの借財がありますが、その伝は元々水精家に近かった奥方の縁で始まっているようです。火精家の系列では、ボタクリエ商会と取引している者は少なく、どうしても情報が足りませぬ。」
「精霊石と魔道具の商談会を開催するという話題は、社交界に広まっている。火精家にも招待状は届いているが、一体、どういう商機を握っているのか……。非常に魅力的だが、一方で不可解な取引でもある。
グレナディン家の連中には、ボタクリエ商会の動きも報告を絶やさぬよう、念を入れて言い含めておくのだぞ……」
「かしこまりました、父上。」
宝物庫の最奥、宝具の収納壇。
流星鎚、金剛晶凱、初代が残したという伝説の武具は、いずれも飾りや見栄えなどかなぐり捨てたような、武骨なものばかり。
膨大な魔力を秘めつつも、傷だらけのその鋼は、当主にもその嫡子にも何らの反応を示すことなく、ただ静かに眠っていた。
ゲキレティウスは、宝物庫を出ていく長男の背を見送りながら、ひとりごちた。
「……コーディウス、黒の系統の術さえ使わなければ、あれに目をつけられることもないだろう。お前は自由に生きていける。道は変わったかもしれぬが、良き生を全うせよ……」
火精家の者たちは、気付いていなかった。
家の誰一人として、コーダに対し、その術を使うなと伝えていないことに。