奈落の聖母の檄
アビスマリアさんの発言に、空気が凍り付いたような印象さえあります。
聞こえていないはずのアラクレイまで、キョロキョロしています。
数秒のうちに、怨念に近いような思念が、あちこちで立ち上っています。
「我らを… 愚弄するか……」
「言ってはならぬ言葉を…… 連ねるか…… よほどに…… 闇を覗きたいと望む者か……」
「忘れられた…… 私は、忘れられた……? わす…… わたす……?」
「聞こえていない者もおったか? もう一度言うぞ。ここにおる限り、貴様らは、使い物にならぬ、ガラクタだ! 」
やめて、アビスマリアさん、皆さんのオーラが、薄くなって消えそうになってたり……
ああ、あちらでは、どす黒く濁っていきますよ!?
「だが。ここから出ていく道があるとしたら、どうだ。」
アビスマリアさんが、一呼吸おいてから静かに告げました。
重ねて、語り掛けます。
「新しい主を、次なる依り代を得られるとしたら、どうなのだ! 貴様らに、この忘れ去られた倉庫から這い出す気力は、あるのか! そこの魔道書棚、どうだ。」
「……ある。新たな主に、使えたいと、心から、願っている。」
「そこの冷気箱、貴様はどうだ。」
「次なる依り代ですって……? 生まれ変われるのなら、やり直したいものだわ。こんな無骨でやぼったい箱じゃなくて、繊細で……美しく飾られた今どきの魔道具みたいに……。でも、何ができるっていうの?」
「できる。ここに来たのは、そなた達を解放する者だ。」
なんでこの人がしゃべってるんでしょうね。
それで皆さんが協力的になってくれるなら、別にいいんですけど。
僕は倉庫の中を歩き回って、ひときわ目立つ、巨大なパイプオルガンの前にやってきました。
古式ゆかしい意匠で、特別な術を持つ者でないと音は出せないようです。
演奏すれば、聞く者に様々な加護を与える、高位の魔道具だったのでしょう。
「アラクレイさん、このパイプオルガン、どうやって倉庫に入れたんでしょうね……」
「ふうむ。壁ごと残してある感じだな。ああ、このオルガンを保管するために、この倉庫が作られたんだ。」
語り掛けてみます。
「あなたは、この倉庫で最古参ということになるのでしょうか。」
一呼吸の後、落ち着いた声で念話の応えがありました。
「そうですな。
ここにあった教会は、魔物の襲撃で破壊されました。私は生き残ってしまいましたがね。
当代の英雄が魔王を討伐したのち、帝都は将来を見据えて大きく姿を変えることになりました。
復興の際、新たな街区に新たな教会が建てられることになり、新たな教会には、新たな時代にふさわしい響きが求められたのです。」
高位の僧正様のような声の持ち主です。
柔らかく、慈しみに満ちていて、威厳があり、そして少しだけ哀しい陰のある。
「あなたは、数多くの人々を、導き、救ってきたのでしょうね。」
「お分かりですか。
かりそめの死から勇者を蘇生する儀式。勇者の魂の形を記録し、保管する儀式。
神官の術を支援する調べが、私の役割でした。
ここにあった教会は、戦いに敗れた者が、再び立ち上がるための場だったのです。」
「今は、そのような討伐は行われなくなりましたね。」
「あのような戦いは、無い方が良いのです。その意味では、私の出番など、無いに越したことはありませんよ。」
まるで、大きな菩提樹のような悟りですね。
「その力、新しい形で、私に預けてはいただけませんか。」