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序章

「ぐぎゅるるるぅぅ」

 午後7時半にセットしたアラームより早く、腹時計で目が覚めた。帰宅したのが午後4時過ぎ。もう、この3時間の遅い昼寝に体が慣れてきたようだ。慣れたといえば、この4世帯中入居者俺一人だけのアパート暮らしにも慣れてきた。というより環境に適応出来てきた。

 音楽学校に進学するための部屋探しに、地元鹿児島の田舎町から愛車SR400で花見ツーリングさながら、下道を深夜から約300キロを走り、トコトコと子気味の良いリズムを刻むヨシムラサイクロンの排気音を感じながらやってきた福岡市内の風は、物理的に北上しているからという理由以上に、出発した鹿児島の田舎の夜風より冷たく感じる現実が待ち受けていた。

 あらかじめネットで、目星を付けていた不動産屋に昼前に到着。面接と実技試験以来2度目となる同じルートだが、ガソリンタンク上に磁石でくっつけて1番上面が透明ビニール製で地図を見ながら走行出来るタンクバッグはとても便利だ。ハンドルに取り付けるスマホホルダーやナビも一時期視野には入れたが、400㏄単気筒から発せられる激しい振動に耐えられそうには思えず悩み抜いた結果、タンクバッグを選んだのだがこれで良かった。

GPS等ネットとはマトリックス上、正反対に位置するであろう紙媒体の地図を見ながらでも、ほぼほぼ予定時刻に目的地に到着できた。新型車にひけを取らぬ高燃費を誇る愛車SRといい昔から変わらぬ物にはそれなりの良さがある。

その昔から変わらぬ物の温もりを長距離の走行で改めて実感したからこそ、福岡市の風が余計に冷たく感じたのかも知れない。


 「ネットで物件情報を見たのですが、電子ドラム練習できる部屋ありますか?家賃3万5千円以下で」

最初に訪れた、うちの田舎のテレビでもCMやっている全国チェーンの不動産屋では丁寧にお断りされた。まあ、電子とはいえギターやベースと違い、ドラムなら騒音と振動でお断りされて当然だ。パワポのプレゼンよろしく、俺も含め最近自宅ドラマーさんの間でネット情報を介して流行している、床に数個の小径の自転車のタイヤチューブを並べる事で緩衝材のメインとする防音・防振装置「タイヤふにゃふにゃシステム」の凄さを店員に説明したが、悲しいかな首を縦に振られる事は一度も無かった。廻れるだけ廻って運が良ければ楽器演奏に造詣の深い不動産屋の店員がいるかもなと開き直るも、2軒目3軒目も駄目、4軒目に至っては出されたお茶を引っ込められてしまう始末。

かつて福岡市を襲った大地震以降、市内を走る警固断層がクローズアップされて家賃相場は軒並み下がっていたのはもう遠い過去の事らしく、楽器O.K.かつ家賃3万5千円以下の物件情報をネットでアップしていた不動産屋を全て廻り切ってしまった…

 想像通り上手く事が運べば、保証人としてオカンに連絡して、明日にでも九州新幹線で福岡入りしてもらうつもりだったが、全く考え甘かった。新幹線高架下道路沿いのコンビニ「ポプラ」の駐車場で日暮れを前に俺は途方に暮れていた。

高架上を「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と新幹線が博多南線を通過していく。なんでも、車両基地周辺がベッドタウンで、庶民の足として車両基地~博多駅で格安で新幹線に乗れるらしい。スマホにはこの先すぐそこの高架下道路沿いの古びた不動産屋の画像が一件表示されている。

……あれ?新幹線って確か線路の継ぎ目が無くて低振動・低騒音かつ高速化されたんじゃ?結構音するぞ?博多駅~博多南駅間だけ線路に継ぎ目があるのかなあ…

……

!?!?

俺は思わず叫んだ。「じゃった!そん手があったか!」と、その言葉も新幹線「博多南線」の「ガタンゴトン」にかき消された。


 3分後、さっきまでスマホに写っていた古びた不動産屋「市來不動産」の前にSRを止めていた。その画像より建物自体は、はるかにくたびれたように見えるものの、軒先に並んだプランターの手入れが綺麗に行き届いているので、不動産屋さんとして安心を感じられた。

戸建て平屋のドアを、タンクバッグのバンドを肩にかけつつ、一縷の望みを賭けて開いた。

「こんにちは~」と一声かけてドアを開けたとほぼ同時に道を挟んだ高架線上を新幹線が通過した。

ドア以外の窓という窓一面に物件情報の張り紙がしてあり、入店して初めて内覧が視界に広がる。

右手に商談用の年期の入った、しかしながらレザーワックスでなのか先ほどのプランターに負けないくらい手入れされているソファーとテーブル、左手には事務机と閉じたノートパソコンと、持ち主が痔主なのかドーナツ状に穴が空いているクッションが置かれたビジネスチェア、そして奥の小上がりが休憩室らしく、四畳半くらいの畳部屋に炬燵と蜜柑と急須とお茶、最奥にテレビ台が陣取り大相撲3月場所の様子を大音量で伝えている。

入口に背を向けて半纏であろうかモコモコしている服の上に「熱男」と書かれたHawksの法被を着込んだ、生涯抜け毛とは無縁そうな白髪頭の男性が独り居た。背筋はピシャッとしているものの、俺の挨拶は聞こえなかったらしく、同様に俺の耳にも、その初老の男性がかろうじて何か博多弁で応援しているのが分かるくらい、テレビの音量は大きかった。それくらいしないと新幹線通過時の騒音でテレビの音声が聞き取り辛いのだろう。

 改めて、「こんにちは!!!!」とお腹の底から声を張り上げる。

瞬間、男性が振り返り目が合うと同時に立ち上がり、「はーい。いらっしゃい!」と応答してくれた。

男性が小上がりの壁に手をかけつつ俺との視線を移して、着用しているカドヤのライダースジャケット及び地図の入ったタンクバッグと、事務所から唯一外を覗けるガラスのドア越しの、フルパッキングされたSRを交互にガン見した後、彼なりに俺の事情を察したようだ。「どげんしたとね?懐かしかバイクに乗っとんしゃーね!ツーリング中やろ?私もね~昔メグロの650に乗りよったんよー道に迷ったん?」と一気に気さくに暖かく博多弁で応じてくれた。

「いえ、そうじゃなくて、、、」と返答する俺を遮り男性は、「ちょっとSRば見せてくれんね?」と一方的にスリッパを履き外へ出て行った。博多っ子は(とは言っても初老に見えるが)気が短いのは知っているつもりだったが、この方も例外ではないように思えた。

が、同時に何よりも、今日一日福岡入りして以来ビジネストークしかしていなく、人情の暖かみがとても嬉しかった。

 予想外の事が起きた。男性がSRのナンバーを見た途端、「ちょっ…たまがったが!鹿児島ナンバーやらいよ!」と突然口調が博多弁からうちの田舎の方言に変わった。俺が事務所の外へ出ると、男性は「鹿児島の何処からな?おいはいちき串木野氏の出身やっど!ほれ、あいがおいの苗字!」と平屋上部の看板を指差した。

なるほど、確かに到着した直後は気にとめなかったが「市來不動産」とある。いちき串木野市出身の市來さん。バイク好きと聞いて一気にこの男性との距離が縮まり、親近感がほのぼのと湧いてきた。

「鹿屋からです~。道に迷ったのとちごて、こっちん音楽学校に進学するんで不動産屋さん廻って賃貸物件探しちょっところなんですが、電子ドラム演奏可能な部屋が見っけきらんとこいで……んで先ほどある考えがそこのポプラの駐車場で閃いたとこでして…」 

「鹿屋から来やったとな?……えっ!?…まこちな!?…そげなおかしな条件のアパートなら、ちょうどこの架線下の通り沿いにあっど!お兄ちゃんの希望の角部屋どころかもう何年間も全4部屋空きっぱなしなはずやっでちょっと確認すっでよ、まあソファーに座って茶いっぺ飲んで待ちやい。」

事務所に戻り、正面左手のソファーに案内された。市來さんは炬燵上の急須の茶葉を新しく入れ替え、「茶葉はな、通販サイトで鹿児島の知覧か鹿屋のを買うちょっでな、せっかく福岡に来ちょっとに八女茶じゃなくて申し訳なかね~!」

「いやいやお構いなく。ビッグシングルエンジンの振動が長距離移動ではキツかったのと慣れない福岡市内での不動産屋さん巡りでわっぜだれてもうて、心地よいソファーに座らせて頂けるだけでも気分は天国ですよ♪」

「もう何年も入居者おらん物件じゃっで、準備に少し時間かかっでよ、遠慮はいらんでソファーに横になっときいよ」

市來さんの言葉尻に少し博多弁が混じった事で気が付く。この市來さんは、独りバイクで鹿児島から来た俺を気遣って敢えて普段馴染んでる博多弁ではなく鹿児島弁を使ってくれてたのだろうな。バイクで長距離移動すると他人の優しさが心に染みる機会が多い。

「じゃあ、お言葉に甘えさせて頂いて、少し横に……」 

タンクバッグを枕にして、仮眠を取ると決心した矢先、頭がタンクバッグにダイブし、そのまま意識が遠退いていった………








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