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第九話

「新しい鉢植えね。」

「はい。ミヤコさまのお部屋に置こうと思って。」

 庭に続く居間で、イーサは大きな鉢の泥を丁寧に拭っていた。

「ミヤコさまが作った鉢植えは、銀竜(ぎんりゅう)たちが食べてしまったので。」

「そうだったわね。」

 エミリアは思い出し、イーサが気に留めていたことを感謝する。

「兄が気にしてたんですよ。」ふくよかな身体を揺らしてイーサが笑った。

 頭の上でまとめている髪はすっかり白くなったが、その柔らかな物言いも朗らかな笑顔も、エミリアの両親が健在だった頃と変わらない。そして彼女の兄、ラグレス家の優秀な庭師の仏頂面も。

 痩せぎすで無口、ことごとく妹のイーサと正反対のビッドは、しかし草花を育てることに関しては村で一番と誰もが口を揃える。

 二人はエミリアがまだ少女の頃からこのラグレス家で働いていて、老齢に足を踏み入れた今も家事を担い、庭を守り、そしてエミリアを支えてくれている。エミリアにとっては親戚のような存在で、そんな彼らが息子の婚約者を気にかけてくれることがエミリアには嬉しかった。 

「急いで種を撒いて温室で育ててたらしくて。そうしたらカズトさまと入れ替わりに、ミヤコさまがこちらに来るというじゃありませんか。慌てて、鉢に仕立てたんですよ。」

 広口の植木鉢には背の高い草と背の低い草が植えられていて、どちらも小さな蕾のようなものが一つ二つ見て取れる。

 イーサが鉢を綺麗にする同時に、庭師が居間に入ってきた。すかさず寄せ植えの鉢を持って二階に向かう。水差しを持ったイーサとエミリアがそれを追いかけた。

 扉を開け放した部屋に入ると窓辺に水受け皿が用意されていて、ビッドは鉢を置くと向きを確認し、何度か調整した末にやっと「これでいい」と呟く。

「嬢ちゃんが来る頃には蕾も増えるはずだ。」と言うと、すぐにその場を去って行く。

「きっと自分では何も言わないんですよ。」

 呆れるイーサにエミリアは笑う。

「ミヤコのことだから、気がついて聞いてくるはずよ。そうしたら説明してあげて。」

 少し前まで、ここに花がほころびそうな鉢が置いてあったのだ。それは都がこの世界に来たとき、カルルからもらった種を自ら撒いた鉢。けれど呪術の力で大気が乱れたとき、怖がった銀竜たちを部屋に避難させたとき、落ち着くようにと鉢植えも銀竜たちにあてがったのだ。大気が安定してみれば、花も葉も、元気になった銀竜たちにかじられ丸裸になってしまったのである。

 その話はすでに都に伝えてあるし、彼女も「銀竜の役に立ったならそれでいい」と言っていた。けれど、部屋に入って花があれば、きっと彼女もコギンも喜ぶだろう。

 エミリアはそう言ってその場をイーサに任せると、階下に戻った。

 物音がするので覗くと、ちょうど厨房に出勤した料理人の姿があった。

 長い赤毛を三つ編みに束ねているのはいつもどおりだが、今日はズボンでなく長いスカート姿。異国の血を引く彼女だが、この北国の生活が長いせいもあり、そうして見ると二十三歳の村娘の姿そのもの。

「お医者さまが来る日だったの?」

 はい、とケィンは慌てて頭を下げる。

「おばあちゃん、機嫌がよかったのか先生と長話するものだから遅くなっちゃって。」

 着替える暇がなかった、と肩を竦める。彼女はエミリアを伺うように見ると、

「カズトさま、今日戻ってらっしゃるんですよね?」

「その予定だけど。たぶん遅くなると思うわ。」

 ラグレス家に戻ったのに、すぐさまガッセンディーアに早瀬が飛んですでに三日。予定では昨日の夜に戻るはずが、今日の夜に決まったのは早い段階だった。

「行くところも会う人も多いと言っていたから。」

「あんな事件のあとですもん。仕方ないですよ。」うんうん、とケィンは頷く。

「だとしたら、お疲れですよね。あんまり重たくないほうがいいのかなぁ。」

 うーんとケィンは思案する。

 先代の料理人だった祖母ナセリの覚書を引き継いでいる彼女は、この家の伝統料理から各人の好みまで把握している。当然、早瀬(はやせ)の好みも覚えているので、メニューを決めるのは早かった。エミリアもそれに異存はない。

「そういえば、明日セルファさまがいらっしゃるんですよね?」

「ええ。ケィンにガッセンディーアで一日出張して欲しいそうよ。明日、詳細なことを話しに来るからお願いね。」

 明るく闊達な茶色の瞳がにっこり微笑む。

「任せてください!」


 かりかりとペンを動かす音がする。

 最後の一枚に署名をすると、早瀬は大きく息を吐き出した。

 傍らに待機していたケイリー書記官に書類を渡す。

「たしかに。」

 受け取ったケイリーは頷くと、先にもらっていた書類と共に束ねる。

「これで全部。たしかにいただきました。」

「ご苦労だったね。」

 同じ部屋に待機していたガイアナ議長も頷く。

 思わず万歳をしそうになって、早瀬はあわてて椅子に座りなおした。ペン先を紙で拭きながら、

「こんなに仕事をしたのは、除隊の手続き以来ですよ。」とこぼす。

「本を書くのは仕事のうちに入らない、ということか。」

「それも昔のことです。」

「こちらがご所望だった事件当日の記録の写しです。」

 ケイリーが紙束を差し出す。

「さすがに分量があるな。」

「自分の記録した物と、ショウライナ・ダールが記録した物もありますから。こちらは秘密厳守の念書。そちらで保管しておいてください。」

「居合わせたのが皆、君の知り合いだったのは幸いだった。」

 大気が乱れ呪術で二つの世界が繋がろうとしたとき。危機を救った聖竜リラント……の魂を宿した木島都(きじまみやこ)早瀬竜杜(はやせりゅうと)ことリュート・ラグレスとのやり取りが、銀竜を介してこちらの世界に音声中継されたのだ。そのおかげで早瀬たちは黒き竜の魂を封じ込めたこと、その経緯を事細かに説明せずに済んだ。そればかりか木島都が英雄ガルヴァラの遠い子孫だと認められたのだが、反面、自分が異世界の門番であることが、カミングアウトしていなかった旧知の人々にも知られてしまった。

 最初にその報告を受けたときは現場に居合わせた人のみ「門の存在を口外しない」という念書を書かせたと聞いた。しかしその後、早瀬とガイアナ議長、一族の長であるアニエ・フィマージが話し合った結果「今回の事件解決に携わった、信用のおける人物」にはあえてそのことを伝えると決めたのである。

「君の言うとおり、共犯者が多いに越したことはない。」

 ええ、と早瀬は頷いた。署名の入った念書をめくりながら、

「彼らは信用できます。なんたって、僕や竜杜と損得抜きで付き合ってくれる人ばかりですから。」

 それからしばし、共犯者たちの動向やこれからのことを話し合う。秘書官がガイアナ議長に来客を告げたところで、やっと早瀬は解放された。ただし、向こうへ戻る前にもう一度顔を出すこと、と念押しされた上で。

 議長の執務室から出ると、大柄が男が早瀬の前にぬっと現れた。

「ヒュー!」

 自分より背の高い、そしていかつい肩幅の黒髪の男の名を早瀬は反射的に叫ぶ。

「そういえば、こっちに戻ってたんだったな。」

「相変わらずだな、カズト。」ヒューゲイム・ダールは笑った。

 互いに会うのは十年ぶりだが、会ってしまえば時間の隔たりは感じない。

 二人は議会棟の廊下、中庭を臨む場所に座るところを見つけ腰を下ろした。眼下には、たった今着陸したばかりの竜が羽根を休めている。

「手紙をもらったのに返事を書けずすまなかった。」

「あの騒ぎなら仕方ない。それにこちらも忙しくて催促できなかった。今年の祭りで飛ぶ羽目になって。」

 ああ、と早瀬はガイアナから聞いたことを思い出す。

「今年は空の行進でなく、模範演技を披露したそうじゃないか。」

「まさか息子と一緒に飛ぶとは思わなかった。それより新しい長には会ったかね?」

「戻って早々にお会いした。」

「長老にも?」

 早瀬は頷いた。

「後継者が決まって安心してるご様子だった。」

 だいぶ加減が悪そうだという言葉は呑み込む。

「オーディの契約の日も決まったそうだね。」

「そのことなんだが、君の息子に渡してくれないか。」

 ヒューゲイムは懐から書状を出すと早瀬に渡した。

「倅のやつが遠慮するもんだから話が進まん。」

「ひょっとして立会い、か?」

 ヒューゲイムは頷いた。

「一応渡すが、うちのも忙しい最中だ。どうなるかわからんよ。」

「リュートに渡してくれれば、それでいい。」

「オーディがワイラート家に入ること、よく許したな。」

「フィマージなら反対した。だがアニエが母親の実家のワイラートを継ぎたいと言った。それで決まりだ。」

「弟妹たちはどう思ってるんだ?まさかアニエ嬢が一族を率いる立場になるとは思ってなかっただろう?」

「案外普通だよ。むしろリィナは異国の友達との事を憂いてる。」

 早瀬は念書の中にヒューゲイムの娘の名があったことを思い出す。

 都が異国でなく異世界の人間とわかって、戸惑わないほうが不思議だろう。

 そう言う早瀬にヒューゲイムは「そうではない」と言った。

「リィナは弟が呪術に関与したことを謝りたいと言ってるんだ。」

「報告書を読んだが、ショウライナは悪事に加担してないだろう。」

「だが聖堂と神舎に迷惑をかけたのは間違いない。」

「むしろ、解決の糸口になってる。」

「私もそう言った。だが会って謝りたいんだそうだ。」

「都ちゃんなら、じきこちらに来る。今回の僕と同じように、聖堂から呼び出しを受けてるから。」

「娘に伝えておこう。きっと指折り数えて会える日を待つよ。」

「念のために聞くがショウライナに罰を下したわけじゃないよな?」

「悪事に加担したわけでないが迷惑をかけたことは否めない。学校以外の時間を聖堂で過ごすよう課している。」

「しかしあのときの記録、よくぞ機転がきいたと書記官も言ってた。」

「たまたま速記を習っていたらしい。だが軽い気持ちでペンを執ったらとんでもない内容だった。ショウが書庫に通っているのは歴史の勉強をするためだよ。もちろん、他の国の文化を知ることも大切だが、なにより自分達のことを知るのが大切だと……」

「君が言ったのか?」

「いいや。マーギス司教とヘザース教授、それにカゥイ先生にも言われたそうだ。」

「そりゃあ、説得力があるな。」

「だろう。」ヒューゲイムは笑う。

「もっとも一番影響を受けたのは、リュートとお前が門番だって事実だ。」

 まったく、と早瀬はため息をつく。

「そうやって僕のせいにするのかい?」

「本当のことだぞ。」

「僕の見張りを放棄したときも、こいつを見張っても仕方ないとか言ったんだろう?」

「君だって私がよその国に行ったら面白くないとか言って、軍を辞めただろう。」

「たまたまだ。それにさっさと海の向こうへ行ったのは事実だろう。いくつの国に行ったか知らんが、面白かったか?」

 早瀬の質問にヒューゲイムはニヤリと笑う。

「海峡をひとつ隔てただけで激しく違う物もあれば、似通っているものもある。興味深かったよ。」

「今度その話、聞かせてくれ。」

「君の今度は何年後だろう。」

「倅が店を手伝ってる間は、僕もこちらに来られる。」

「ならば次に来たときに時間を取ろう。」

「忘れるなよ!」

次回更新は2017年5月22日(月)を予定してます。

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