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第六話

「ごめんね。コギン。」

 (みやこ)は両手で抱き上げた白い小さな竜に語りかけた。

「せっかく戻ってきたのに、まだ本調子じゃないのに。」

「きゅゅう。」

「わたしも傍にいてあげたい。でも……」声が詰まる。

「うきゅう!」

「リュートの言うこと聞くんだよ。勝手にお菓子食べちゃだめだよ。それからえーと……」

「都ちゃん。」

 (さえ)が大きくため息をつく。

「その辺にしときなさい。」

「だってまた一週間、離れ離れ……」

竜杜(りゅうと)くん、困ってるじゃない。それに向こうはフェスがいるから、むしろコギンは嬉しいんじゃない?」

「ぎゃう!」

 冴の言葉に、真っ白な銀竜(ぎんりゅう)は尻尾の先をうねうね躍らせた。

 もうっ!と都はコギンの金色の瞳を真っ直ぐ見据える。

「だから心配なの!ラグレスさん家は人が多いからいいけど、早瀬(はやせ)さん家は昼間銀竜だけなんだもん。本当は栄一郎さんのドラゴンシッターがいいんだけど……」

 一日二日なら宮原(みやはら)夫妻に頼むところだが、今回預かってもらうのは一週間。

 長丁場なのとコギンがいまだ向こうの世界で処方してもらった薬の世話になってること、それに都が卒業したら早瀬の家に住むのは確実なので、慣らしも兼ねて早瀬親子に預けることにしたのだ。

 迎えに来た竜杜に、いつものようにリビングでリラックスしているコギンを引き渡そうとしたのだが、いざとなると離れがたく、不安もよぎる。

 向こうの世界で「銀竜研究者」の肩書きを持つ早瀬いわく、コギンは他の銀竜と比べてやんちゃで甘えん坊らしい。名付けた都との相性によるものか、まだ飛ぶのもおぼつかない幼獣でこちらの世界に来たせいか、あるいはずっと早瀬家の地下で眠っていた銀竜・ルーラの子だからなのか、その理由は定かでない。もちろん名付け親で主人である都の言うことはちゃんと聞くが、それだけ離れたら何かしでかすんじゃないかと、勘ぐってしまう。 

「コギンがいたら入試に集中できないって言い出したの、都ちゃんでしょ。早瀬さんは銀竜の専門家なんだし、フェスもいるんだから安心じゃない?」

「念のために聞くが……」

 それまで黙っていた竜杜が口を開いた。

「コギンの心配はともかく、俺と会えないのはなんとも感じないのか?」

「だって一週間会えないとかとか普通にあるし。リュートのことはいつも感じてるし……」

 向こうの世界ほどでないが、契約関係にある相手……竜杜のことは常に感じている。それは言葉で言いがたいほど微かで、けれど確かに彼と繋がっている安心感をもたらしてくれる。

 でも、と冴が首をかしげる。

「コギンが早瀬さんちに行ったら、声は届かないのよね?」

「電話するもん。」

「試験終わるまで禁止。」

「ええー!」

「と、言いたいとこだけど、まぁそれくらい大目にみたげる。」

「なんでそういうこと言うかなぁ。」

「それくらいの気合で臨みなさいってこと。」

「電話、だな。」

 竜杜が呟いた。

 あら、と冴も着信音に気付く。

「携帯、部屋に置きっぱなしだった。」

 せいぜい名残惜しんどきなさい、と言うと、慌てて自室に飛んでいく。

「相変わらず忙しそうだな。」

「最近、家で仕事する時間が増えたんだよね。原さんがしょっちゅう電話してくるの文句言ってる。」

 冴の経営するインテリア設計事務所は、彼女以下三人のスタッフで構成されている。事務担当の菅原宏枝(すがわらひろえ)は保育園の子を持つママさんで、冴が不在のときは事務所を仕切る実質ナンバーツー。設計技術の横山裕樹(よこやまひろき)は、冴が独立して事務所を開いたとき、それまでいた事務所から一緒に移ってきた主戦力。そして一番若手の原健志(はらたけし)は、中途採用四年目のすでに中堅……にもかかわらず、なにかあるとすぐ冴に電話して指示をあおぐのが冴の悩みどころらしい。

「コギンもあんまりうるさくしちゃだめだよ。」

「うぎゃ!」

「フェスが面倒見るから大丈夫だ。」

 竜杜の言葉に、都は「お願い」とコギンを差し出した。

 銀竜を引き取った竜杜が家に戻ると、玄関先で宮原栄一郎(みやはらえいいちろう)が待っていた。

「ずっと待ってたんですか?」

「今来たところ。」

 驚く竜杜に、栄一郎はにっこり笑う。

 長めの髪は切ったばかりでさっぱり短いが、眼鏡の奥の柔らかな笑顔も、四十七歳にして学生のような風貌もいつもどおり。

 竜杜は玄関脇に原付バイクを止めると、母屋の鍵を開け宮原栄一郎に上がるよう促した。

「都、ですか?」

「うん。メールもらって、そろそろ着くかなと思ったから。」

 玄関扉を閉めると、どこからともなく銀竜が飛んできた。

 竜杜が上り框に置いたデイバッグの傍らに舞い降りる。

 ジッパーを開けるのを待ちかねて、「くあ!」と鳴いた。

 それに呼応するように、デイバッグの中からコギンが鳴きながら這い出す。

 二匹の銀竜……コギンとフェスは互いの顔を近づけると会話するように喉を鳴らし合う。 

 久しぶりに見る光景に、栄一郎は目を細めた。

「栄一郎さん、仕事は?」

「ちょうど締め切り終えたところ。」

 イラストレーター兼絵本作家、そして妻をサポートする主夫の栄一郎の生活サイクルは日々一定でない。時間があるときは喫茶店フリューゲルの手伝いまでこなすが、ここしばらく忙しいと彼の妻、笙子から聞いていた。

「息抜きにコギンとフェスに会いたくてね。少し元気になったみたいだけど、まだ飛ぶのはしんどそうだね。」

 栄一郎はコギンを抱き上げると、竜杜について早瀬家の居間に入っていく。

「その辺に」と言われて居間に内包された和室にコギンを下ろした。

 フェスがすぐ隣に降りる。

 銀竜が落ち着いたことを見届けると、栄一郎は竜杜に聞いた。

「都ちゃんの様子はどう?」

「比較的落ち着いてると思います。いろんなことが進行形だけど今だけ忘れる、と言ってました。」

「気合入れてるとこなんだ。ずーっと勉強、がんばってたもんね。安心材料のためにも、あとでメール報告しとくよ。コギンは無事早瀬さんちにつきました、って。」

「すみません。栄一郎さんには散々迷惑かけたのに。」

「ぼくも笙子(しょうこ)さんも共犯者であることを誇りに思ってるんだ。だから竜杜くんも都ちゃんも甘んじてくれていいんだよ。そういえば、笙子さんがエミリアさんの見送りに来たでしょ。」

「ええ、仕事の帰りに。」

「あの日家に帰ったら上着のポケットに椿の実が入ってたらしいんだけど……」

 あ、と竜杜は呟く。

「心当たり、あるんだ。」

「カルルだ。」

「あの小さい子?」

「ラグレスの家ではカルルの贈り物と呼んでるんです。」

 人見知りのカルルが気に入った人にこっそり渡す贈り物、それは庭でせっせと集めた植物の種や実で、そういえばセルファが来るまでの時間、この家の庭も散歩させたことを思い出す。広い庭の片隅に、何本か椿の古い木があるのだ。

「そのときに拾ってどこかに隠したか、家の中に運んだか。カルルはそういうのが上手いから。」

「それ、いいなぁ。」栄一郎は笑った。

「すごくカルルらしい。それに贈り物って知ったら、きっと笙子さん喜ぶと思う。」


「栄一郎さんからメールだ。」

 コギンが早瀬家に着いた知らせに、都はホッとする。

「じゃあ遠慮なく。」

 彼女は足元にまとめてあったコギンの寝床とおもちゃを持ち上げると、ベッドの下に押し込んだ。

「それから……」と呟いて、机の上にあったクリアファイルを手に取る。

 挟まれているのは父親と名乗る人からの手紙。

 引き出しに放り込む。

 次に手に取ったのは白黒の挿絵が入った外国語……否、異世界文字の本。

「えーっと、そっか。」

 ひとりごち、別の引き出しから七宝のピルケースを引っ張り出す。

 中に入っているのはラウンドカットを施した、小さな水晶のような石。その中に封じているのは幼くして行方知れずになったマーギスの姪、アンリルーラの魂。都が手にしている本は勉強のためにマーギスがくれたものだが、忌まわしい事件に巻き込まれなければアンリルーラの手に渡っていたはずだった。ならば、今しばらくの間だけでも一緒のほうがいいに決まっている。

 本とピルケースをファイルの上に重ねると、引き出しを閉めて鍵をかけた。

 都はセルファから伝えられた言葉を思い出す。

「アンリルーラが行方不明になったとき、マーギスさまはどこに祈ってよいのかわからなかったそうです。けれどミヤコの手元に魂があるとわかってから、毎日、ミヤコとアンリルーラのために祈ってるそうですよ。」

「毎日?」

「ええ。祈るのは自分の仕事だから。そうミヤコに伝えて欲しいと頼まれました。」

 いつもは手紙なのに、と言うとセルファはそっと笑った。

「手紙にすれば、ミヤコが必死に返事を書こうとするから。大事な試験を控えている今はこれくらいがちょうどいいとおっしゃってました。それからこれを渡してほしいと。」

 渡されたのは札ほどの大きさの紙。ざらりとした粗末な紙にこちらの世界ではありえない文字が書かれているそれを、都は以前も見たことがあった。

「これ、神舎(しんしゃ)の護符ですか?」

「マーギスさま自ら書いてくださいました。」

 客観的に考えれば、偉い人が書いてくれたのだから名誉なこと。しかしそれ以上に異世界からエールをもらったことが嬉しかった。

 マーギスだけでない。

 冴がここしばらく早く帰ってくるのは、都に家事をさせないため。母亡きあとの保護者としての務めを果たそうとしてくれている。

 それに竜杜も。

 都は唇にそっと指先を触れる。

 別れ際、小柄な自分を包み込むように竜杜が抱きしめてくれたとき。優しいキスの温もりを伝って、都のことを心から案じている気持ちがはっきりと感じられた。

 応援してくれる人がいるなら、よけい中途半端な結果は出せない。

 ここしばらくありえないことばかり起こったのは事実だが、それを言い訳にしたら後悔するのは目に見えている。

 だから往生際悪く、できるところまでやってみよう。コギンを遠ざけて自分を追い込もう、と決めたのだ。

 すっかり片付いた机の前に座った都は、マーギスからもらった護符と竜杜からもらった小さな銀のネックレスを見えるところに置いた。ついでに宮原夫妻からもらった天満宮のお守りも隣に並べる。

「多すぎ……かな?」

 けれどこれが今の彼女を支える世界。

 そう納得すると背筋を伸ばし、軽く目を閉じた。

 深呼吸。

 再び眼を開くと、テキストを開いた。

次回の更新は2017年4月18日(火)を予定してます。

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