番外編五 隠れ家にて
カラン、と扉の鐘が鳴る。
足裏に感じる柔らかな木の床に、香ばしいコーヒーの香り。
そして……
「いらっしゃい……わぁ!久しぶり!」
出迎えたのは黒いエプロンをまとった高校時代のクラスメイト。
「会うのが久しぶり、でしょ。お店の手伝い、すっかり板についてる。」
まぁね、と都は笑った。
「明里さんは、オシャレな女子大生っぽくなってる。」
「そぉ?」と応える篠原明里の耳元を、都は指差す。
「ピアス。」
「なんとなく、ね。」
そう明里は言ったが、制服を隙なく着こなしていた彼女が、アクセサリーをつけているのは新鮮だった。卒業間際に買い換えた赤いフレームの眼鏡に、切り揃えた前髪は健在だけど。
「それより急に連絡してごめんね。」
ううん、と都は首を振る。
「会うの久しぶりだから、嬉しい。」
高校を卒業してはや数ヶ月。なにやかやとメールと電話のやりとりはしてるが、こうして会うのは久しぶりだ。積もる話もあるが、明里が喫茶店フリューゲルまで出向いたのには目的があった。
「メールには話があるって書いたけど、ホントは確かめたいっていうか……」
言いにくそうに切り出した明里の様子に、都はすぐさま意図をくみとる。
カウンターの内側にいた店主に何か声をかけると、レジのあたりから鍵をピックアップする。そのまま明里を誘ったのは店の二階。
「関係者以外立ち入り禁止」の札を避け、軋む階段を上ると突き当りに二つの扉。その片方に鍵を差し込むと、黒光りするドアノブを思い切りまわして押し開けた。
「わ……」
目の前に開けた空間に明里は思わず呟く。
「二階、初めてだよね。」
都が厚手のカーテンを開けると、眼下に手入れされた庭と日本家屋の母屋が見えた。
「意外にきれいなんだ。」
以前は住居として使われていたこの戦前の建物は、一階こそ喫茶店フリューゲルとして機能しているが、二階は使ってないと聞いていた。
「前は物置だったんだけど、片付けて今は打ち合わせ室になってる。」
「そういえば、改修工事が始まるんだっけ?」
間に合わせのような丸テーブルと椅子の周りには、建材の見本帳やらファイルが積まれている。
「うん。来月には仮店舗に引っ越す予定。」
半年ほど、この建物はクローズするのだと都は説明した。
「ところでば明里さん、お昼食べた?」
唐突に都は訊ねた。
「朝、遅かったから……」
「じゃあ、まかない付き合って。わたしも休憩するとこだったの。」
十分後。
明里の了承を受けて階下に戻った都が、トレーを手に階段を上がってきた。
慣れた手つきでテーブルの上に二人分のランチと割り箸を並べていく。
「えっと……これ……」
「チャーシュー丼。」
目の前に並んだのは、肉に覆われた丼。添えられた厚手のカップはコンソメスープらしい。
「新しいランチメニュー?」
まさか、と都は笑う。
「ご近所さんにいただいたチャーシュー。リュートがいないから、なかなか消費しなくて。」
「旦那さま、留守なの?」
「親戚に用があって。代わりってわけじゃないけど、お義母さまが来てる。今日は宮原さん家に行ってるけど。」
どうやら嫁姑関係は順調らしい。
いただきまーす、と声を揃えて食べ始めると……。
「あ、美味しい。」
「でしょ!」
「こうしてると、高校の頃思い出す。」
「よく図書準備室にお邪魔したよね。」
「そう、そんな感じ!」
まるで隠れ家みたいな心地よさが、この部屋にはあった。本こそないがホコリっぽさも、人が来ない環境も明里の理想とする隠れ家そのもの。
「明里さんだったらここ、図書室にする?」
「図書室……というかサロンがいいな。読書室みたいな場所。」
「波多野くんは夜限定のギャラリーで、波多野父はお酒の試飲会で、栄一郎さんは映画の上映会に使ってみたいんだって。」
「みんなに聞いてるの?」
「うん。いろんな意見があってびっくりするけど面白いよね。なんか変なこと言った?」
首をかしげる都に、明里は首を振った。
「そうじゃないけど、都さん、逞しくなったなぁと思って。」
「そりゃ……商売してるお家に来たんだもん。」
「その発言、人妻っぽい。」
「否定しないけど。」
そんな感じでおしゃべりしながら、結局、平らげてしまった。
ほうじ茶で一服したところで、明里は切り出した。
「都さん、和臣になにか頼まれたでしょ?」
「へ?西くん?」
突如出てきた明里の彼氏の名前に、都はきょとんとする。
「卒業してから一度メール来たけど……あ、でも西くんが引っ越す前にお願いされたコトあったかも。」
西和臣が関西の大学に進学する前、面と向かって言われたことを思い出す。
「でも断ったよ。」
えっ?と明里が驚く。
「だってお願いされることじゃなかったから。っていうか、なんで今頃その話?」
「和臣がうっかり喋ったの。都さんに頼みごとしたって。」
「うっかり?」
「追求しようと思ったら電話切られた。」
それが昨夜のこと。
その後メールしても返事がなく、悶々とした一夜を過ごした明里は寝坊しながらも真相を確かめるべく都に会いに来たという次第。
「和臣が言いたがらない、返事も寄越さないってことは、ロクなことじゃないって決まってる。」
「そこまで言わなくても……わたしが断ったのは必要ないからだし。西くんね、卒業しても明里さんと付き合ってくれないかって言ったの。」
「えっ?」
「でも明里さんは友達だし、友達と会いたくなったら会うのは当然でしょ。言われなくてもそうすると思ったから、断ったけど……まずかった?」
明里は慌てて首を振る。
確かに、高校時代の明里は部活優先でクラスに友達が少なかった。都や他の友人と仲良くなったのは三年生になってから。
「だからって……なんで和臣が頼むの?」
「理由は、わたしたちといると明里さん、三割り増しで笑うからだって。」
は?と明里は目をむく。
「ホントに西くんがそう言ったの!だから明里さんの笑顔を死守するためなら、何でもするって。」
元演劇部の部長らしく芝居がかってたことをつけ加えると、明里は息を吐き出した。
「努力の方向性が間違ってる!」
あ、と都が呟く。
「もしかしてだけど西くん、この状況を想定して明里さんにうっかり喋った、とか?」
「どの状況?」
「明里さんがわたしに会いに来る状況。」
「まさか!」と言いかけて明里はハッとなる。
確かに課題が忙しいとか、妹の中間テストでぴりぴりしてるといった愚痴をこぼしていた。しかしそれに対する明確なレスポンスはなく、聞き流されてると思っていた。
「息抜きしたらって言っても、素直に従う明里さんじゃないの知ってるんだし。」
「だから友達に会うように仕向けた?」
「ここに来ると、コーヒー一杯分でガス抜きできるって、奈々ちゃん、あっちこっちに言ってるみたいだし。」
やはりクラスメイトだった清水奈々も、ときどき店に現れてはきっちりコーヒー一杯分だらけていく。
「わたしがいないときはお義父さん……マスターと話してくみたい。それでも気分転換になるんだって。あ。でも西くん陰謀説はわたしの勝手な想像だよ。」
ぽすん、と明里は椅子の背に脱力する。
幼馴染のことは自分がよく知っている。西和臣が自分のことをよく知ってることも、実際そう仕向けそうなことも。
「なんか……口惜しい。でも……」と明里は天井の漆喰を見上げる。
「隠れ家に入れたから良かったかな。」
口惜しいから、彼にはこの場所のことは内緒にしておこうと決める。
「それに都さんと会えたからよかった。」
「わたしも明里さんに会えてよかった。」
顔を見合わせ笑みを交わす。
「安心したら下でコーヒー飲みたくなっちゃった。都さんも下に戻るんだよね?」明里は立ち上がった。
「うん。ちなみに今日のケーキはベイクドチーズと梅のパウンドケーキです。」
「じゃあパウンドケーキと、二代目ブレンドで!」
次回は2018年5月31日投稿予定。ラストのエピソードになります。




