番外編三 空高く
空から竜が舞い降りた。
ケィンは慌てて駆け寄ると、竜を御していたセルファ・アデルに軽く礼をする。
「ご足労おかけします。」
「それより、早く下ろしたほうがいい。」
そう言って彼が示した後ろを見れば、セルファの背を掴んだままぐったりしている御仁が一人。
「高いところが苦手だったらしい。」
「あー、もうっ!」
何やってんの?とケィンは頭を振った。拍子に長い赤毛の三つ編みが揺れる。
「ご迷惑おかけします。オエリデ!」
ケィンは竜に歩み寄ると、男の頭を思い切り頭をはたいた。
「ってぇ!」
「目ぇ覚めた?」
「えっ?」と顔を上げたのは二十歳そこそこの男。ケィンと同じ明るい茶色の瞳をぱしぱしさせ、
「ここ、地面?えっと……着いた?」
「さっきから着いてる!ほら、手に掴まって。たかが竜に乗ったくらいで。」
オエリデは地面を踏むと大きく息をつく。
「その年になっても高いのダメって、ぜんぜん成長してないじゃん。」
「ダメなもんはダメなんだよ!てか、あれが平気っておかしいだろ!」
「アタシは平気だった。」
「姉ちゃんのがおかしいんだよ!」
くすくす笑う声に二人はハッとなる。
「すみません、エミリアさま。」
「ケィンでもそんな風に怒ることがあるのね。」
「怒ってるんじゃなくて、呆れてるんです。弟のオエリデです。」
「遠いところいらっしゃい。疲れたでしょう。」
ケィンの雇い主でこの家の当主代理でもあるエミリア・ラグレスは、そう言って旅人をねぎらった。
「あ、いえ、それほどでも。急に押しかけてもうしわけありません。」ぺこりとオエリデは頭を下げる。
「……それと、姉と祖母がお世話になってます。」
オエリデがホルドウルの南、海沿いの町を出立したの三日前。
途中まで知り合いの馬車に便乗し、ガッセンディーアに隣接する街まで歩き、乗合馬車に駆け込み、そして州都ガッセンディーアで指示されたとおりアデル商会を訪ねてみれば、セルファ・アデルが送っていくと申し出てくれた。しかし……
「竜使いなんて聞いてねぇもん。」
明るい茶色の髪を掻きながらオエリデはぼやく。
「竜使いじゃなくて一族。って言ってもセルファさまは軍属じゃないから……」
「そーゆー話じゃなくて!竜なんて、見るのも初めてなんだぜ!」
「いい土産話になるでしょ。それに竜が気に入らなかったら乗せないんだから。乗れただけいいと思いなよ。」
「あんま嬉しくねー。」
空を仰ぐオエリデの横顔にケィンはくすくす笑う。
「ホントに来ると思わなかった。」
「親方の用事を言い付かったんだよ。姉ちゃんがガッセンディーアにいるのは親方も知ってるし、よその土地を見るのも勉強だって送り出してくれた。」
エミリアの采配でいつもより早い時間に帰途についたケィンは、オエリデを伴って村の中心に向かう。
祖母が足腰を悪くしてラグレス家の料理人を引退すると同時に、便利な村の中心に移ってきたの刃数年前。職場であるラグレス家まで走ればさほどかからず。昼間は近所の人たちが祖母を気にかけてくれるので、今の暮らしはケィンにとって都合がよい。
中心、といっても州都ガッセンディーアまで半日はかかる田舎。目抜き通りには雑貨屋と食料品店、診療所に行政の出張所、それに村唯一の酒を出す店がある程度。
ケィンは迷わず雑貨屋に入った。
「おや、ケィン。今日は早いね。さっき竜が飛んでったけど……」
「セルファさまが、これを運んでくれたんです。」
雑貨屋の女主人はケィンの後ろに控える男に目を見ると、ああ、と頷いた。
「あんたケィンの弟だね?」
えっ、と驚くオエリデに店主は、
「そうやって並ぶとよく似てる。」と笑う。
「あんまり言われたことないけど……」
とはいえ、異国出身だった母親譲りの肌の色や顔立ちは、特にこの北の地では目立つので、そう言われるのも当然。
「けど、南から来たら今の時期、寒いだろうに。」
「半分仕事だもんね。仕方ないよ。」
「半分は祖母ちゃんに会いに。」
そうかい、と相手は頷く。
「ナセリもきっと喜ぶよ。」
「はしゃぎ過ぎないといいんだけど。」
ケィンは店主の揃えてくれたものを手提げに入れると、肩を竦めた。
そして、その予感は的中する。
最初こそ誰を連れて来たのかと警戒したケィンの祖母だったが、大人になった孫だとわかるや否や、腰の痛みも不調もどこかに吹き飛んでしまったらしい。ケィンが止めるのも聞かず、家の中を「よっこいしょ」と歩き、オエリデの世話を焼こうとするのを二人で止めなければならなかった。
翌日、ケィンはいつもどおりラグレス家の仕事に出かけた。その間、オエリデは南に住む親族の近況を祖母に話して聞かせる。祖母は知り合いの消息を尋ね、まだ存命だと知ると嬉しそうに「そりゃよかった」と頷く。
そんなやり取りを何度か繰り返した頃、早引けしたケィンが戻ってきた。入れ替わりにオエリデは昨日の雑貨屋に向かう。そこで待っていたのは、明らかにオエリデより年上の人懐っこい笑顔の男。
「キャデム・カイエ。ケィンに村を案内するように言い付かったんでね。」
休暇で帰省中だという彼は、さっそく村の周遊ツアーにオエリデを連れ出した。
「姉さんの幼馴染なんですよね?」
「オレとラグレス家の当主が同い年でガキのころから遊んでたんだ。で、ケィンがナセリの所に来て加わった、つーか、オレらにくっついてくるようになった。そら、そこが村の学校。」
こじんまりした石造りの建物では、今まさに子供たちが授業を受けているのだろう。どこからか教科書を読み上げる声が聞こえてくる。
「来たばっかの頃はいじめっ子に絡まれたこともあったけど、見ての通り。今じゃ逞しい限りだぜ。」
「逞しいんだ。」
そりゃあ、とキャデムは笑った。
「援助があったとはいえ、一人でヘゼラの料理学校に行ったんだぜ。そんな遠くに進学したのは、この村始まって以来だって感心されたもんだ……って、ケィンの奴、話してないのか?」
「手紙では聞いてたけど……おれ姉ちゃんと会うの十年ぶりくらいだから。」詳しいことは全然聞いてないと言うと、キャデムは目を丸くした。
「そんな久しぶりに見えなかったぞ。」
「前は年に一度会ってたから、その延長って感じかなぁ。」
父に連れられてガッセンディーアとの州境の街に行くのが、幼いときの年に一度の行事だった。そこは州都ガッセンディーアからも行きやすく、双方落ち合うのに便利だったと聞いている。そうやって再会した姉弟は、家でそうしていたように一緒に遊んでいたのだが、ある年を境にぱったり交がなくなった。
「っかし、高いとこ苦手なの、覚えてると思わなかった。」
くそ~とオエリデは頭を抱える。
「いーじゃねぇか。うちの姉貴なんてオレの悪行の数々、未だ暴露するぜ。」
「思い出話ならまだいいですよ。」
「よかねぇよ。信用なくすだろ。オレ、公安の巡査だし。」
「まじ?」
「おう。休暇中だけどな。」
灰色がかった青い瞳が笑う。
その屈託のなさと、会わなかった十年分の姉の思い出話を聞くうちに、オエリデはキャデムを旧知の友人のように感じていた。彼はその後も神舎や共同で使ってる水車、森を抱える古い墓地や一番見晴らしのよい丘、ケィンが好んでよじ登っていた岩場をオプションに加えて案内した。そして最後は、村に一軒だけある酒場になだれこむ。
「一杯だけなら、ケィンも文句言わねぇだろ。」
そう言って渡されたのは、村で作られているという発泡酒。
歩き回って喉が渇いた体に、泡の立つ醸造酒が染みこむ。
その間にも、店にやってくる客はキャデムに「おかえり」と声をかけていく。そしてオエリデには「あんたがケィンの弟かい」と。
「姉ちゃん、ここで暮らしてるんだなぁ。」
「ナセリもそうだったが、祭りのときにケィンが屋台でも出そうもんなら、あっという間に料理がなくなっちまう。」
「ほんとに祖母ちゃんの仕事引き継いだんだ。」
「まだまだ敵わないってぼやいてるけどな。」
そっか、とオエリデは息を吐き出す。
と、明るい声がした。見るとケィンが店主に挨拶していて、二人を見つけると「いたいた」と嬉しそうに駆け寄った。
「オエリデ、食事の支度ができたから迎えに来たよ。」
「迎えって、子供じゃねーんだから。」
「だっていつ帰ってくるかわかんないし。今日はお祖母ちゃんも腕を振るったんだから!」
えっ!と声を上げたのはキャデムだった。
「ナセリが料理したのかよ!」
うん、とケィンは笑顔で頷く。
「アタシもびっくりした。腕が痛いとかなんとかずーっと言ってたのに。孫の力は偉大だね。」
孫、という言葉に自分に視線が注がれるのを感じたオエリデは、慌てて首を振った。
「おれ、なんもしてねー!」
「いいから!」キャデムは笑うとオエリデの背中を押した。
「ナセリの手料理、味わってこい!」
その言葉の通り、その日の夕食はオエリデにとって懐かしい味でいっぱいだった。そしてケィンにとっては、久しぶりににぎやかな食卓だった。
翌日、機嫌のよい祖母に見送られて、ケィンとオエリデは村に神舎に出向く。
「礼拝しないと落ち着かない」と言い出したオエリデが落ち着くのを待って、二人はそのまま見晴らしのよい丘に足を延ばした。
「祖母ちゃん、一人で大丈夫かな?」
「ご近所さんもいるし、大丈夫。」
丘の斜面に敷き布を広げながらケィンは言った。持って来た籠から昨夜の残り物をアレンジしたお弁当を並べていく。お茶は、ラグレス家から分けてもらっている、青い花をブレンドしたもの。
「すげー、いい香り。」
「でしょー。アデル商会でも売れ筋なんだよ。」
「それにこれ、うめぇ。」
お世辞抜きで、オエリデ好み味付けの昼食は、気がつけば彼一人でほとんど平らげていた。
「さすが働き盛り。」
「でもやっぱ、祖母ちゃんのが一番美味しいかな。」
「当たり前でしょ。アタシなんかよりすーっと長く料理作ってきたんだもん。」
「だよな。」
お茶をすすりながら、オエリデは「あのさ」と声のトーンを落とす。
「こないだの手紙だけど……」
「父さんにはお見舞いに行かれなくてごめん、って言っといて。で、ケガは?」
「やっと仕事復帰した、」
そう、とケィンはホッとする。
「ケガしたのが足だったから、動けなくてさ、本人より義母さんがイライラしちゃって、んで、姉ちゃんに状況報せろって。」
「アタシのこと苦手なのに……」呟いてから、ケィンはしまったという表情をする。
そんな姉にオエリデはそっと笑った。
「わかってっから、隠さなくていいよ。」
「父さんに聞いたの?」
「義母さんに聞いた……っていうか義母が父さんに話してるのこっそり聞いた。」大きくなってからだけど、と苦笑する。
「義理とはいえ母親に苦手だって言われたら、そりゃーいたたまれないよなーって思ったのと、親父、なんで義母さんに遠慮すんのかなーって。姉ちゃんたちと会わなくなったのって、義母さんがよく思わなかったからなんだろ?」
「アタシも詳しいことはわかんないけど……父さんと義母さんの問題だし。そういうのってよそからはわかんないことだよね。」
実の母親が自分と、生まれたばかりのオエリデを置いて自分の国に戻ってしまったことも。結局ケィンは父親の再婚相手と反目し続けて祖母に引き取られ、そこそこ上手くやってたオエリデは実家に残ったのだ。
「でもさ、子供としてはモヤモヤするわけじゃん。なんで姉ちゃんと会えないんだって思ってた。今はおれも実家出て、だから誰の許可もなく姉ちゃんに会えるわけだけど。」
そういえば、手紙が来るようになったのは二、三年前からだなとケィンは思い出す。
オエリデは空を見上げた。
「すげーいいとこだよなぁ。ここ。空高くて、北に来たんだーって実感する。おれさ、姉ちゃんが祖母ちゃんとこに来たの正解だと思う。」
「あ……ありがと。」
「仕事、忙しいんだろ?」
「アデル商会のお仕事もさせてもらってるからね。だから里帰りできない。お祖母ちゃんを長く一人にできないよ。」
「うん。だから、今度は父さん連れてくる。」
「は?」
思いも寄らない答えにケィンは目を丸くする。
だってさ、とオエリデは言った。
「おれはこうして姉ちゃんに会いに来られるけど、祖母ちゃんは息子に会いに行かれないじゃん。」
「でも父さんが、会いたいかどうか……」
「会いたいよ。」
「えっ?」
「会いたいと思ってる。義母さんには言わないけど。」
迷いのない肯定。
そっか、と呟いてから、はっとケィンは気付く。
「あんた、それ言いに来たの?わざわざこんなとこまで?」
「ガッセンディーアで用があるのはホントだよ。それに姉ちゃんに会いたかったのも。だって、味方は多いほうがいいじゃん。」
「思い出したぁ……あんた昔っからそういうとこ周到よね。やらしいくらい。」
「姉ちゃんが行きあたりばったりなんだよ。」
「子供だったんだから仕方ないでしょ!でも……」ケィンは視線を遠くに移す。
「実現したら、お祖母ちゃん喜ぶだろうな。だってあんたが来たただけで、あんなに元気になるんだもん。」
伏せることが多かっただけに、ここ数日の元気ぶりは目を見張るものがある。
「よーぉっし!」ケィンは立ち上がった。
「やるか。」
「そうこなくちゃ!」オエリデも立ち上がる。
二人顔を見合わせ、そして申し合わせたように拳を突き上げる。
「絶対、二人を合わせよう!」
「ていうか、あんたまた来るつもりなら、高いトコ馴れないと。」
「だから!空飛ぶの前提にすんなって言ってんの!」
次回更新は2018年4月16日を予定してます。