第三話
「カルルは冴さんにも馴染んでるようだよ。」
重そうなビニールを手に、玄関から戻ってきた早瀬が声をかけた。
「やっぱり大地くんだったのか?」
和室から宮原笙子のハスキーボイスが問いかける。
いつもどおりのジーンズにざっくりしたニット、仕事中束ねている長い髪は、休暇中なので背中に垂らしている。
その傍らで、籐のスツールを和室に持ち込んで腰掛けていたエミリアが首をかしげる。
「ダイチはミヤコのところへ行ったの?」
「うん。さっき都ちゃんのところに行って、カルルと遊んできたそうだ。気立てがよい銀竜とはいえ、ずっと向こうで暮らしてた子だから心配だったけど……ああ、これは差し入れだって。」
「ビールとは気が利くね。」
「今朝走ったときに、笙子先生が来るといっておいたから。」と、肩に銀竜を乗せた竜杜。
「さすが、リカーハタノの跡継ぎだ。と、それなんだい?」
笙子は竜杜が手にしている紙袋を指差した。
いつもは大人しい彼の銀竜が、ねだるように袋を覗き込んでいたのだ。
「フェスへの差し入れだそうだ。」
名前を呼ばれた銀竜が喉を鳴らす。
「都のとこでカルルに甘栗をあげたら、えらく気に入ったんで、フェスにもだそうだ。」
「そういや竜杜くんも、子供の頃一袋空けたことあったよなぁ。」
「そんなことあったか?」あからさまに竜杜は顔をしかめる。
「子供が食べて大丈夫な物?」
「蜜をかけて焼いた木の実だから、別に毒はないさ。」
エミリアの心配に笙子は笑って答えた。
「ただ大人が目を離した隙にずいぶん食べたんで、早瀬のおじいちゃんが驚いたってだけ。」
まったく、とエミリアはため息をつく。
「私が知らないところで、おじいさまに心配かけていたのね。」
「だから俺は覚えてない。」
フェスに栗を渡しながら憮然とする息子に、早瀬は苦笑する。
「さすがの竜杜も、宮原には敵わないね。」
宮原笙子は早瀬の中学時代からの同級生で悪友、そして早瀬家の事情を知る共犯者。
彼女は最寄り駅から少し歩いた宮原医院の小児科医で、ちょうど二十七年前、生まれたばかりの竜杜を連れて早瀬がこの家に帰省したとき以来のホームドクターでもある。
もっと遡れば二十八年前、エミリアがショッキングな出来事から逃げるように、ケガをしたカルルを連れて家出同然に向こうの世界からやってきたときも、男所帯の早瀬親子を見かねて彼女の面倒を見てくれたのだ。そのときはまだ早瀬とエミリアは正式に契約を交わしていなかったので、笙子とエミリアは互いの言葉が通じていなかった。にも関わらずお互いを「友人」と呼んでいたのは、よほど気が合ったのだろう。
エミリアが向こうの世界へ連れ戻されたとき。呆然とする早瀬の背中を押したのもまた、宮原笙子だった。
「お前の知りたいって、そんな程度だったのか?ちっこい竜のことも彼女のことも。」
そんな売り言葉にまんまと乗って向こうの世界へ単身乗り込んだのは、今思えば無謀としかいいようがない。けれど彼が乗り込んだことで、竜に乗る者を統べる一族評議会は多くの事実を知ることになる。
それまで伝説でしかなかった門が存在したこと、そして門番である早瀬も一族の末裔であること。なにより門が未だに機能し、二つの世界が密かに繋がっていること。
それがどれほど重大かを早瀬が知るのは、しばらく経ってからのこと。当時は無我夢中で、よけいな事を考える暇はなかった。
というのも再会したとき、すでにエミリアは竜杜を身ごもっていて、彼女と一緒になるため、契約を交わすために、早瀬はどうしても一族として認められなくてはならなかったのだ。そのため竜を召喚し空を飛ぶ竜隊に入ったものの、異世界の基礎知識がない彼はゼロから勉強せねばならなかった。必死で歴史を学び文字を覚え、地理を見聞した。そうして竜杜が生まれる少し前に、やっと実務に就くことができたのだ。
それもだいぶハンデをもらった上で。
そのハンデの中には早瀬の世界への帰省も含まれていて、そのため竜杜が産まれて間もない頃から彼は息子を抱いて竜の背に乗って空を飛び、門を通ってこちらに戻っていた。
その折々に笙子は竜杜に会い、健康診断を行っていたのだ。
つまり、敵わないのは当然のこと。
しかし竜杜が成長するにつれ学業が忙しくなり、十六年前に早瀬の父……竜杜の祖父が亡くなると、自然、こちらの世界と疎遠になる。十二年前に早瀬が単身この家に戻って家業である喫茶店フリューゲルを継いだときには、竜杜はかつての早瀬と同じ、竜隊に所属する竜騎士になっていた。
もう、こちらの世界と関わることはないかと思われた三年前のある日、竜杜は一族評議会から特命を受け、父の住むこの世界へ来ることになる。日本の生活にブランクのあった竜杜にいろいろ教えてくれたのもまた、笙子とその夫の宮原栄一郎であった。
笙子より五つ年下の栄一郎は、イラストレーターときどき絵本作家、そして主夫として妻を支える縁の下の力持ち。初対面のときから竜杜のことも、相棒の銀竜フェスのことも笑顔で受け入れてくれた頼もしき共犯者である。
しかもあるとき、竜杜との交際を巡って保護者と喧嘩して家を飛び出した都を保護したことをきっかけに、今では銀竜シッターもを引き受けるほど彼女と仲がよい。竜杜と都が婚約したときには媒酌人にもなっており、ますます敵わないのは明白である。
「大地くんはわかんないけど、栄一郎くんは単純に銀竜が好きなんだよ。だからカルルに逃げられて、凄くしょげてた。」
「エーイチローが悪いわけではないの。カルルは人見知りが激しいから。」
昔、人から受けた暴力のおかげで心を閉ざしてしまったのだ。そのとき受けた傷がきっかけで今でもカルルは飛ぶことができない。
だから門の出口である喫茶店フリューゲルで飛び跳ねるカルルの姿を見たとき、竜杜は驚いたのだ。
「コギンを連れ帰るためとはいえ。カルルを代わりに連れてくるなんて。」
そういう竜杜に「あら」とエミリアは目を剥いた。
「私は何も言ってないわ。カルルが行きたいと言ったの。」
結局、コギンが不在の間、カルルが都の所に行ったおかげで銀竜シックに陥らずに済んだのだから感謝すべきなのだろう。
それにもっと驚いたのは、こちらの世界に来ることを禁じられていたはずの母親がいるという事実。
「それについては私から説明します。」
そう言ったのはセルファ・アデルだった。
エミリアの妹の息子……つまり彼女の甥にして竜杜の従兄。そして早瀬家と一族評議会との連絡役でもある彼が説明したのは以下のような内容だった。
そもそも今回セルファが来たのは、二つの世界を巻き込んだ「黒き竜」と呼ばれる古の竜の魂がちゃんと封じられたかどうかの確認であった。それに付随して事件の記録をまとめるため、関係者に会って事実関係を問う役目を一族評議会からおおせつかったのだという。
早瀬がその連絡を受けたのは、戦いに巻き込まれ衰弱した都がまだ入院している最中で、性急過ぎると返答したのだ。けれど評議会は、記憶が新しいうちに必要な作業だと言って譲らなかった。
「つまり尋問しろ、と。」
「あくまで聞き取りですよ。」
「同じだろう。」
「違います。なぜならこちらで起きたことは、向こうでも記録を取っていますから。まったくわからない状況ではありません。」
黒き竜。その魂を宿した男。そして二つを繋いだ巫女の血筋の少女の魂。
彼らと対峙した時の様子は、こちらの銀竜と向こうの銀竜が中継したおかげで、一部の人に筒抜けだったのだ。
もともと銀竜同士はテレパシーのような交信能力があり、竜杜や早瀬も婚約者や妻と離れているときはもっぱらそれを使って声を送りあっている。しかし通常は留守番電話のようなもので、リアルタイムでのやり取りは聞いたことがなかった。
「中継した銀竜が事件の関係者……しかもハヤセの家が懇意にしている人ばかりだったのは幸いでした。それに評議会の書記官が同席していたことも。」
彼が記録をとったおかげで、いったい現場で何が起きていたのか双方の世界で知ることができたとセルファは説明する。
「なので取り急ぎ行うのは、それが正しいかどうかの確認なんです。」
「それと母さんは関係ないだろう。」
「伯母上は私の代理人になります。私がいられる時間は明日まで。時間的にあなた方親子の話を聞くのが精一杯。他の人に関しては伯母上に任せるほかありません。なにしろあなた方は当事者で、その役目にはそぐわないので。」
「必要なら記録を提出する。」
「それはこちらの世界の道具で記録された物ですよね。」
竜杜は言葉に詰まる。
セルファの言うとおりたまたま都が持っていたボイスレコーダーが全てを記録していて、けれどそんな道具は向こうの世界に存在しない。
「それに伯母上は私と違ってこちらの言葉を理解することができます。」
「そういえば、通じてるわね。」と言ったのは、カウンター席でコーヒーをすすっていた冴だった。
冴いわく、セルファの言葉は不思議な音楽のような音に聞こえるらしい。
「そういえば亡くなった親父もそんなこと言ってたね。」と早瀬。
「僕はエミリアと最初から言葉が通じてたけど、親父は婿だったからその能力はなかったんだ。」
その能力があったゆえに、早瀬は一族の末裔とみなされたのだ。
「ええ。それにハヤセ・カズトの妻なら、こちらの人と接触しても違和感を持たれることはないでしょう。」
「母さんは……飛ぶことも門を通ることも禁じられていたんじゃないのか?」
「それは長老……前の長との決め事で、今回の人選は新しい長直々の指名です。」
えっ?と都が目を丸くした。
「新しい長って……アニエさん?」
「確かに、彼女にはその権限がある。」竜杜は唸った。
「しかしアニエだって長に就任してまだ数日だろう。」
「オーロフのおじさまと、ガッセンディーアの司教さまも、私が立ち会うことの有益性を口添えしたそうよ。」
それまで黙っていたエミリアが言った。
「ガッセンディーアの司教って……いつから聖堂は神舎と結託したんだ?」
「マイゼルがきみらと聖堂に乗り込んだ辺り、からじゃないかな?」
「そもそも、父さんが司教と知り合いなのが原因だろう。」
「僕とマーギスを繋いだのは都ちゃんだよ。」
えー!と都が声を上げる。
「それじゃ私が悪いみたい。」
「いいえ。ちっとも悪くないわ。むしろ感謝してもしきれないくらいよ。」
にっこりとエミリアは微笑んだ。
その言葉は滞在日数が増えるほど、実感を増していく。
「もう一度、この家に来ることができるなんて考えもしなかったもの。」
和室からダイニングテーブルに移ったエミリアは、隣に座る友人に微笑む。
笙子も大きく頷き、
「あたしもだ。エミリアとまた会えて、しかも言葉が通じるなんて。」
「それにやっと、早瀬の義父さまのお墓にお礼を言うことができた。」
「おじさんもきっと喜んでるよ。」
「心残りを挙げるとすれば、準備が何もできてないことかしらね。」
「準備?」
「契約相手を迎える準備です。まさか何もせずにミヤコに来てもらうつもり?」
ああ、と笙子は苦笑する。
矛先を向けられた竜杜は「またか」と呟いた。
「しかたないだろう。こっちだって忙しかったんだ。」
「ミヤコと相談する時間くらいあったでしょう。」
「まぁ都ちゃんもそれどころじゃなかったかも。日本の高校三年生は案外忙しくてね。」
そうなの?とエミリアは漆黒色の瞳を笙子に向ける。
「ショウコが言うなら、信じましょう。」
まったく、と竜杜は肩を落とす。
「頼むから、息子の言うことも信じてくれ。」
次回の更新は2017年3月24日(金)を予定しています。




