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第二話

「オレもお願いしたぜ。コギンが早く木島(きじま)んとこ戻れますようにって。それと、カルルが飛べますように、ってのもな。」

 波多野大地(はたのだいち)はフローリングに敷いた座布団に鎮座する小さな白い生き物の頭を指先でなでた。

 生き物は金色の目を細めると、鉤爪のついた小さな手で、持っていた甘栗の皮を二つに裂いた。中身を器用に取り出して両手で持っておいしそうに食べる。 

「あー、すっかり手なずけちゃったわね。」

 お茶の乗ったトレイをローテーブルに置きながら、(さえ)が言った。

「でも抱かせてくんないんですよねー。」

 残念、と言ってスポーツ刈りに近い頭を振った波多野は、大きな背中を丸めて冴の淹れたお茶をずずっとすすった。

「あこれ、うめぇ。香り、いいっすね。」

 高校生らしからぬ感想を述べた都の幼馴染に、冴は頷いた。

三芳(みよし)さんのお土産よ。」

「え、もう仕事してんの?あの人。」

「年末に仕事で金沢に行ってきたんですって。ちょっとお願い事したもんだから、その報告しに昨日、来てくれたの。」

 へぇーと波多野は感心する。

 しかしそういう彼自身、三が日が明けたばかりなのに(みやこ)が冴と暮らすマンションにわざわざ一升瓶を持ってきたのだから、ご苦労さまというしかない。

「そんなに気、遣わなくていいのに。」

 熨斗紙のついた一升瓶に恐縮する冴に、波多野は「全然」と手を振った。

「こないだの騒ぎのあと、冴さん速攻でうちに来て、オレが連絡取れなかった理由説明してくれたじゃないすか。おかげで助かったけど、内容が木島のおばさん絡みだったからうちの親達すげーびっくりして。お見舞い持ってけって。それにオレ、カルルに会いたかったらちょうどいい口実になったし。んとに、フェスと微妙に違うんだよなぁ。」

「うきゅ!」

「お!羽根広げた。」

 それはシルクのような光沢を持った、蝙蝠のような羽根。けれど蝙蝠でないのは明白。色が白いし尖った顔と鉤爪のついた指先、鋭い歯はまさに物語に出てくるドラゴンそのもの……ただし、大きさは子猫ほど。空を舞うとき白い身体が反射して銀色に見えるので「銀竜(ぎんりゅう)」と呼ばれている。

 もちろん、この世界の生き物ではない。

 そんな生き物を一介の女子高生が面倒見ている理由を辿れば、すべては木島都が早瀬竜杜(はやせりゅうと)と出会ったことが発端だった。

 今をさかのぼること二年前。都が高校二年に進級して間もない頃。

 当時、保護者の小暮(こぐれ)冴は自ら主催するインテリア設計事務所の仕事で国外に単身赴任していた。飛行機に乗ってしまえば数時間のアジア圏だし、都も高校生。いざとなれば自分の事務所スタッフに助けを求めればいいだろうと判断しての単身赴任だった。

 そんな保護者不在の折、ある日突然、都は黒い靄に襲われた。それを助けたのが早瀬竜杜だったのだ。

 もっともそのときは彼の正体もわからず。しかも男性が苦手な都は、どこか得体の知れない雰囲気の彼が怖かった。

「だって最初のとき、髪長かったし。なんか言うことも変だったし。」

「あーそれわかる。」波多野は同意する。

「オレもなんか独特な人だなぁって思ったもん。」

 保育園時代からの都の幼馴染、かつクラスメイトで同じ写真部員の彼の実家は、早瀬親子が営む喫茶店フリューゲルと同じ商店街の酒屋なのだ。だから早瀬が一人でフリューゲルを一人で切り盛りしていたときから彼に息子がいることも、妻のいる外国で暮らしていることも知っていた。

「まさか外国が異世界とは思わなかったし、木島が竜杜さんと付き合うなんて、思いもしなかったもんなー。」

「それは……自分が一番驚いてる。」

 けっして穏やかな始まりでなかった。

 再び黒い靄に襲われ、命を落としそうになった彼女を救うために竜杜が取った行動が「契約」だったのだ。

「契約」とは空の民である「竜」と地上に住む「人」とを繋ぐ「一族」と呼ばれる人たちの習わし。彼らは竜を召喚し、共に空を駆ける。その強靭な体と精神を血筋で伝えるため、伴侶と互いに命を支えあうために行うのが「契約」と呼ばれる関係。それは例えれば婚姻のようなもので、一度契約を行えば生涯にわたって継続され、いかなる理由でも反故にすることはできない。

 そもそも「異世界」が存在すること。

 それが「門」と呼ばれる通路の向こうにあること。

 その「門」を代々守ってきたのが門番である早瀬の家であること。

 さらに早瀬加津杜(はやせかずと)はその門を通って向こうの世界へ行き、かの地の女性と結婚したこと。

 つまり竜杜は日本人「早瀬竜杜」であると同時に、一族の「リュート・ハヤセ・ラグレス」でもあるということ。

 どれも、あまりにも現実離れしすぎていた。

 それに一度も男性と交際したことがないのに「婚姻」の言葉を突きつけられ、混乱しないはずがない。

 それは彼女の命を救った竜杜も同じだった。

 他民族との契約が成立することはまれで、ましてこちらの世界で効力を発揮したのは異例中の異例。なにより命を助けたとはいえ都の一生を束縛してしまったことを後悔し、悩んでいた、と都は後に彼の近い人たちから聞いた。

「でも、さ、異世界っても、普通に人が暮らしてるんだろ?」

「雰囲気は昔の……歴史に出てくるヨーロッパっぽい感じ。マスターは地図にない外国って言ってる。」

「木島は言葉、通じるんだよな。」

 それもまた契約の産物。

「読んだり書いたりは無理だけどね。」

「早瀬のおじさんと契約してるから、竜杜母も日本語わかるってことだよな。セルファさんは全然通じなかったもんなー。」

「話すと普通だよ。面倒見のいいお兄さんって感じ。」

 そうやって向こうの人と接し行き来するうち、国があって人々が暮らしていることも、宗教があり、伝説や歴史が連綿と続くことも、こちらの世界と同じなんだとおぼろげに理解するようになってきた。

 唯一違うのは空に住む「竜」という種族がいること。竜は神話時代から存在し、人間が「地上の民」と呼ばれるのに対して「空の民」と呼ばれてきた。

「セルファさんも竜に乗るんだよな?」

「軍人じゃないけどね。男の人で髪が長くて、こう縛ってる人は竜に乗る人なんだって。」言いながら、都は肩を越すほど延びた真っ直ぐ癖のない髪を首筋で束ねて見せる。

「じゃあ、竜杜さんみたく短いのは珍しいんだ。」

「珍しいっていうか、少数派。」

「どっちにしろ、すげーよなぁ。オレのこと助けてくれた竜……っても気配しか感じなかったけど、なんかデカそうだったし。そういうので空飛ぶなんて、竜杜さん、似合いすぎだぜ。」

 竜杜本人が聞いたら不機嫌になりそうなほど、波多野は褒めまくる。

 実際、波多野は自分のことを「竜杜の弟子」と呼んでいる。竜杜が本当に弟子に取ったわけでないが、毎朝同じコースをランニングしているうちに竜杜が「只者でない」ことを感じ取っていたらしい。そのときは「どっかの諜報員かと思った」らしいが、竜騎士という正体を知った今では、その眼差しはますます尊敬を帯びている。

 一方の都は契約を告げられてもなお、そのことを実感できずにいた。

 あの日まで。

 三度目に襲われたとき、それまで実体のなかった影がはっきり竜の姿に見えたのだ。

 それは「黒き竜」と呼ばれる、かつて封印した竜の思念。遥か昔、「向こう」と「こちら」二つの世界を混乱に陥れた、悪しきもののなれの果て。

 伝説では一族の英雄ガラヴァル兄弟が、親友で空の民の長であった聖竜リラントの力を借りて、その魂を封印したのだという。その封印された魂が、長い年月をかけて復活し、一人の男に寄生していたのである。男の宿した邪悪な気配を目にしたとき、都はようやく「契約の力」と「向こうの世界」を意識した。

 その場で再び悪しき魂を封印することはできなかったが、男と対峙した竜杜が無事だったことに心底安堵した。と同時に彼が見てきた空を見たい、と切望する自分に気づく。

 再び気持ちを問われたとき、都は契約を受け入れると告げたのだ。

 こうして都は「もう一つの世界」と、それを繋ぐ「門」と関わることになる。

 門は早瀬家の旧居である大正時代の文化住宅、現在の喫茶店フリューゲルの地下深くにあり、もとは西欧にあったものをご先祖が開国当時の日本に持ち込んだらしい。一見すると地下倉庫にしか見えないが、一族が道標を使えば、おのずと道が開かれる。

 その道標(みちしるべ)が銀竜なのだ。

 聖竜(せいりゅう)リラントがその白い身体を削って生み出したといわれる小さな生き物は、向こうの世界でも数が減っており、それゆえ密売の対象になることもあるという。都の所にやって来た銀竜は、竜杜のもう一つの実家、ラグレス家で孵った銀竜であった。まだ幼獣だったそれを「コギン」と名付けたのは都で、以来、学校に行っているとき以外は共に過ごす大切なパートナーだった。

「最初はびっくりしたけど、竜杜さんとこのフェスもすんげー利口だし、小さいのにしっかり竜なのがかっけーよな。」

「ていうか、波多野くんって猫派じゃなかったっけ?」

 写真部の講評会で出てくる彼の写真はいつも猫で、撮影会でも猫科の生き物にばかりレンズを向けていたことを思い出す。

「別にいいだろ。猫も好きだけど、銀竜も好き、で。」

「小さいのが好きってこと?」

「そゆこと。でもやっぱコギンのこと心配だよな。」

 都はそうだね、と呟く。

「でも……ずっと眠ってるの見てるのも、辛かったから。」

 それは二週間前の、黒き竜との四たびの対峙。

 無関係だったはずの波多野まで巻き込んだその騒動は、まるで天変地異のようだった。激しく歪みかけた大気を鎮めたのは、かつて黒き竜を封印した聖竜リラントの魂。遠い祖先である彼の声に呼応するように、都は言葉と声を彼に貸したのだ。

 そして都の銀竜も。

 コギンは黒き竜の魂を再度封印するため、聖竜の依代としてその身を挺して戦った。そのときの消耗は都以上に激しく、都が数日の入院を経て自宅に戻ってもなお、眠ったままだった。籠の中でうずくまり、時折都を探すように金色の目を見開く。そんな相棒に、都はどうすることもできなかったのだ。

 そんなとき、エミリア・ラグレスがやって来た。

 当初はラグレス家の法律顧問で、一族と早瀬家の連絡係を務めるセルファ・アデルが一人で来るはずだった。

 否。

 もちろん彼もやって来た。

 大量の用件と書類、それに伯母であるエミリア・ラグレスとラグレス家の古参の銀竜、カルルを伴って。 そのことも驚いたが、セルファから提案された内容に、都はもっと驚いた。

 セルファは再度コギンの容態を訊ねた上で、切り出した。

「私にしばらくコギンを預けてくれませんか?」

「預けるって……向こうに連れて行くってことですか?」

 ええ、と頷いたのはエミリアだった。

「しばらくラグレスの家で静養させるべきだと思うの。こちらの世界の希薄な大気では、回復するまで時間がかるでしょう。」

 それと同じ提案を、すでに都は早瀬から聞いていた。けれど躊躇していたのは離れがたかったから。かといって高校三年生の一月という大変な時期に、たとえ一週間でも自分が向こうに行くことは不可能。

 そんな都の心中を察してかセルファが言う。

「一週間ほど後、私は伯母上を迎えに来ます。その間だけでもコギンを預けてください。何よりガッセンディーアに戻れば、医者に見せることができます。」

「お医者さん?」都は目を丸くした。

「銀竜のお医者さんなんて……」いるのかと言いかけて、あっ、と思い出す。

「もしかして……ルーヴさん?」

 それは向こうの世界に初めて行ったときに世話になった、セルファの知り合いの薬師。

 あのとき具合の悪くなった竜杜の銀竜、フェスを診たことがきっかけで、彼は銀竜の薬を研究しているのだという。

 それでもなお、首を縦に振らない都にエミリアはにっこり微笑んで言ったのだ。

「コギンが不在の間、カルルを預かってもらえないかしら?」

次回の更新は2017年3月17日(金)の予定です。

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