第十八話
「えーと。」
堀内葵は首をかしげた。
「婚約者ってことは、結婚の予定アリ?」
「卒業したらすぐに。」と、冴。
「都ちゃんまだ十代……ですよね?」
「あ、卒業式、来週。」と波多野。
「デキ婚、とか?」
「あたしが許さない。」
「ですよねー。」と言いかけた葵はハッと我に返る。
ぐいっとテーブルに身を乗り出し、
「じゃあどうして?」
「惹かれあった結果です。」
にっこり微笑んで、マクウェルが言った。
「ミスター・マクウェルもご存知なんですか?都ちゃんの相手!」
「とても真面目で頼もしい青年です。」
「年上?」
「九歳上ね。」
「若い子が好き、とか?」
「関係ないでしょ。あえていうなら都ちゃんが好き。」
「いやいやいやいや。それ絶対変ですって!ちゃんと身元確認したんですか?」
「あのさぁ、その言い方だと木島を好きになる男は変人ってことになるよね。」
「変わってるといえば、変わってるかもしれないけど……」
「ほらぁ!」
「異国育ちだから、ちょっと変わってるけど、でも僕の息子にしちゃ上出来だと思いますよ。」
「息子?」
鸚鵡返しに呟いた葵は、そのまま視線を上にずらす。
目が合った。
にっこり微笑むのは、髭を蓄えた白髪交じりの男性。黒いズボンにベストのいかにも喫茶店の店主といったいでたち。
手にした皿をテーブルの中央にコトリと置く。
「よろしければどうぞ。マクウェルさんのお好きな甘くないクッキーですよ。」
やた!と波多野が手を伸ばす。
「それとお客が切れたので、しばらく店休の札を下げておきます。」
すみません、と冴が頭を下げた。
ただ一人、わけがわからず戸惑う葵に、早瀬は名刺を差し出した。
「ご挨拶が遅くなりました。早瀬と申します。」
「都さんの婚約者、早瀬竜杜くんの父上で、ここ喫茶店フリューゲルのオーナーです。」
マクウェルが葵に耳打ちする。
「ああ、なるほど……って……ええっ!」
葵は目を丸くする。
うわーっ!と叫んだと思ったら、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「失礼いたしましたっ!決して悪意があって言ったわけじゃなくて……」
「寝耳に水でご心配なのはよくわかります。むしろご連絡が後手に回ってしまったこと、僕からもお詫びします。」
とんでもない!と葵は手を振る。
「不義理をしてたのはこっちも同じです。でもそのぉ……」
「もちろん経緯はご説明します。ただし、五分だけ待っていただけますか?」
電話をかけたいからという早瀬に倣って、冴とマクウェル、それに波多野も戻るのが遅れる旨それぞれ連絡を入れる。それが済むと、改めて早瀬と冴が都と竜杜の結婚が間近なことを説明した。
二人が二年近く前に知り合ったこと、当初は冴も反対したが、その後竜杜が店の修行に入ったことで、覚悟を知って懐柔したこと。
もちろん早瀬と冴、波多野は都の命が竜杜との契約によって繋がれたことを知っている。だがそのことは口外できないので、あくまで竜杜が都のドジっ子トラブルを助け、精神的な支えになってることを強調した。その上で、多忙な冴とこの先も暮らすより、早瀬家のほうが学業に専念できるのでは……という考えから婚約に至ったのだと話す。
「私が二人と知り合ったのはその頃ですが、最初からとても似合ってると思いました。」
「逆に木島が他の奴と付き合うとか、考えられねーもん。」
マクウェルの言葉を渡りに船とばかり、波多野も力説する。
「木島のために勉強して、店の紅茶メニュー増やすってのもすげーし。」
ああ、とマクウェルが微笑む。
「アールグレイ、ですね。」
「アールグレイって、朝子おばちゃんが好きだった銘柄よね?」葵はが冴に確認する。
「都ちゃんも好きよ。まっさかキィワードとは思わなかったけど。」
「キィワード?」
「コーヒー党の朝子が、どうしてアールグレイを好んだか?」
「美味しいから……じゃないんですか?」
「好きな男が好んで飲んでたんですって。」
「えっ?」
「そりゃあもう、色んなティーハウスの茶葉を買ってましたから。彼は。」マクウェルがニコニコしながら頷く。
「彼って、どなたですか?」
「十八年前に亡くなった私の友人です。」
「朝子の恋人だったんですって。」
「でもって木島の父親。」
冴と波多野が畳みかけるように告げる事実に、葵は耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待って!都ちゃんの父親って誰も知らなかったんじゃ……」
「それが判明したの。検査の結果も出てるわよ。」
「いつ?」
「結果でたのは今年になってからね。」
マジで?と葵は頭を抱える。
「……驚くこと、多すぎなんですけど。」
「それだけ大変だったのよ。」
その言葉は、マクウェルも実感している。
若くして亡くなった親友の手紙を縁者に届けるべく、日本に来たのはもう数年前にこと。しかし病身の妻を看取り、幼い娘との生活基盤を立てている間に、肝心の島朝子はこの世を去っていた。それがどれほど彼を落胆させたか。そして木島都の中に友人の面影を見つけたとき、どれほど嬉しく思ったことか。
彼女がアールグレイの香りを愉しむ仕草が彼に生き写しで、思わずカミングアウトしそうになったと説明する。
「結局、フライングしてくれたけど。」
「すみません。」
その結果、都が衝動的に雨の中飛び出して肺炎寸前になったことを、彼は未だに悔やんでいるのだ。
しかし真実は手紙によって自分が英雄ガラヴァルの末裔と知った都が、黒き竜の魂を宿した男に拉致され、彼と対峙した結果に他ならない。だから冴と早瀬は「自分たちにも責任はあった。誰もが半信半疑だったから仕方ない。」と常日頃から言っている。
「むしろ都ちゃんを探し出してくれたことに感謝してると、竜杜は言ってますし。」
「受験も無事に乗り切ったんですもの。ご自分を責める必要ありませんわ。」
そんな言葉のやり取りから、葵はやっと状況を把握する。
「ホントに……大変だったんだ。」
「そう言ったでしょ。」
「葵さんさぁ、竜杜さんの写真見る?」
波多野が携帯を出して葵に見せた。
画面の中の竜杜は、年明け早々携帯を買い換えたときに試しに撮影したもの。店のカウンターの中でコーヒーを淹れる、フリューゲル三代目の姿。
その姿を見て、葵は納得した。
想像もできないほどいろいろなことがあったが、彼と、彼らを取り巻く人たちがずっと都を支えてきたのだと。そして彼女がちゃんと前に進んでいることも。
「都ちゃん、意外にメンクイだったんだ。」
「木島は顔で選んでないよ。」
「でも変人なんでしょ。」
「ちょっとズレてるだけだい!運動神経抜群だし、記憶力もいいし、オレの師匠だから。」
「ししょー?」
「おう!」
「大地くんが慕ってくれるのは嬉しいね。そんなわけで今週は奥さんの関係者にあいさつ回りしてるけど、来週には戻ります。」
「そしたらすぐ、堀内さんに連絡するわ。電話番号、教えてもらえる?」
「あ、はい。でも話は私がつけます。お祖父ちゃんとうちの両親に。」
「できる?」
冴は眉をひそめる
葵は大きく頷いた。
「します。っていうか、それ、私の役目だと思うから。私今、お祖父ちゃんとこに住んでるんです。」
「そうなの?」
「はい。お祖母ちゃん死んでから、お祖父ちゃん一人だったんだけど、腰の手術からこっちさすがに危ないから、お目付け役で一緒に住むようになったんです。だからお祖父ちゃんが都ちゃんのこと気にしてるのも、本気で探そうとしてるのも全部知ってるから……」
「ダイレクトメールに反応したわけか。」
なるほどね、と冴は納得する。
「そのダイレクトメール……つーか、木島と三芳さん繋いだのも竜杜さんだよ。」
波多野がハガキを指先で叩く。
「三芳さんって?」
「その写真展するギャラリーのオーナーカメラマン。」
「朝子の講師時代の教え子なのよ。」
これもまた偶然から繋がり、冴がもてあましていた木島朝子の遺品整理のみならず、回顧展まで開催するというのだから、縁とは不思議なものである。
「なんだっけ?そういうの。因果応報……じゃねーな。」
「縁……というのではないですか?」
首をかしげる波多野に、マクウェルが言葉を示す。
「えにし……」
呟いて、葵は改めて店内を見回した。
店に駆け込んだときは気づかなかったが、こうして見ると年月を経た空間だとわかる。
使い込まれたオイル仕上げの木の床に、象牙色の漆喰の壁。天井から下がったガラスの照明器具もレトロデザインで、それにレースのかかった掃き出し窓の向こうには、冬草色の芝生が見える。
「昔……夏休みにお泊りした古い家、思い出すな。」
「平屋の借家ね。今はもう、跡形もないけど。」
「ここも……戦前の建物ですか?」
店が大正、芝生越に見える母屋が戦前昭和と早瀬は説明する。
「喫茶店にしたのは戦後で、僕の父親が始めたんだけどね。」
「ステキだと思います。都ちゃんがお嫁に来るの、なんか納得。」
「そお?」
はい、と葵は笑顔で頷く。
「だって、都ちゃんすっごく好きそうだから。」
1日遅れの更新です。次回は2017年8月9日(水)を予定してます。