第十七話
「一族って登録制なんだ。」
コーヒーをすすりながら、波多野大地は「ふうん」と感心する。
「今回は特例だよ。新しく戸籍を作るのと同じだから、そう簡単なことじゃない。」
「おじさんも、特例なんだよね?」
そうだね、と早瀬はカウンターの中で同意する。
平日の喫茶店フリューゲル。昼と夕方の間の時間のせいか、客はカウンター席の波多と、奥の席でずっと喋ってる二人の年配の女性のみ。
と、入り口の扉につけたベルが鳴った。
入ってきたのは小暮冴だった。カウンターに程近いテーブル席を選ぶと、手にしていた重そうな紙袋を床に置いて、いつもどおりにコーヒーを注文する。
「現場だったんすか?」
自らコーヒーカップを手にした波多野が、冴の向かいに腰を下ろす。
「役所まわり。竜杜くんから連絡来たの、聞いた?」
「いまさっき。木島が正式に認められてよかったすね。」
「竜杜くんが一番ホッとしたでしょうね。お礼参りが忙しすぎて、二人だけの時間が取れないってボヤいてるみたいだけど。」
「マジすか?」波多野は眉間を寄せる。
「木島、大丈夫かな。」
「大丈夫でしょ。少し揉まれたほうがいいのよ。」
「うわぁ。厳し。」
「それより原ちゃん、来てる?」
「さっき母屋に行くの見ました。」
ならいいわ、と頷く。
「お手数かけてすみません。」
早瀬がすまなそうに言いながら、冴の前にアンティークのカップを置いた。
「おじさんが家壊したわけじゃないじゃん。」
「そうなんだけど、なにせ古い家だからね。リフォームであちこち剥がすたんびに不具合が見つかって、申し訳なくて」
「それがうちの仕事ですもの。担当の原ちゃんもいい勉強だわ。」
「うわぁ。部下にも厳しいでやんの。」
そお?と涼しい顔で冴はコーヒーを一口。あ、と思い出し早瀬を呼び止める。
「マクウェルさんがくると思うから……」
了解の意味をこめて早瀬は頷く。
冴は改めて波多野と向かい合う。
「で、都ちゃんの忘れ物だっけ?」
そうそう、と波多野は小脇に挟んでいた茶封筒を冴に差し出した。
「これ、木島が戻ったら渡してください。」
茶封筒の中身はポケットアルバムだった。
表紙の右下にマジックで日付と、通し番号が入っている。
「部室の荷物引き上げてきたんだけど、この二冊はたぶん木島のなんだよね。一年生んときの撮影会の写真だから、木島、回収忘れてることも忘れてると思う。」
「撮影会ってみんなで行ったんでしょ。誰の写真ってわかるの?」
「同じ学年の奴はわかりますよ。それに木島、こんときフィルムカメラだったから一目瞭然。あとね、珍しいもんが写ってるんすよ。」
波多野はアルバムのページをめくって見せる。
ほー、と眼鏡を押し上げて写真を見る冴に、波多野はそういえば、と訊ねる。
「マクウェルさんと打ち合わせなんすか?」
「そんな予定ないんだけど、急に連絡あったの。」
しかも相手は電車に乗る間際だったのか、駅のアナウンスに負けじと大声、かつ早口でただ一言。
「フリューゲルで待っててください」とだけ。
「なんか意味深だなぁ。普通、事務所に伺いますって言いません?」
「そーねぇ。でも事務所は横ちゃんが明日の締め切りで修羅場ってるし、あたしも一服したかったし。渡りに船ってやつよ。」
そんな話をしているところに。
ばたんっ!と音を立てて店の扉が開いた。
打ち付けられたベルが激しく鳴る。
首を伸ばして覗いた波多野の目に映ったのは、パンツスーツに春コートを羽織った姿のショートカットの年若い女性。肩に革バッグをかけたまま、キョロキョロと店を見回す。冴の姿を見つけると目を丸くした。
かつかつ、とヒールの音を立ててテーブルに歩み寄る。
「小暮さんっ!」
スーツ姿の女性が冴の顔を覗き込む。
「は?」
「あたしのこと、覚えてます?」
「あ……いや……」と冴が口ごもっているところに、再び扉の開く音。
「マクウェルさんだ。」と波多野が呟く。
縦にも横にも大きな英国人は、肩で息をしながら早瀬に軽く会釈する。
見かけと違って流暢な日本語を繰る彼は、仕草も日本的なのだ。
「堀内さんっ!先に行かないでくださいと言ったでしょう。」
ん?と冴は首をかしげ、
「ほりのうち?」と、復唱する。
目の前の女性の顔をまじまじと見た。
大人びているが、ショートカットに強気な眼差しは見覚えがある。
「眼鏡、やめた?」
「高校のときからです!」
「ってことは……」ぴっと相手を指差す。
「葵ちゃん?」
相手の顔がみるみる笑顔になる。
「うわぁ、覚えててくれたんですね!」
「彼女のこと、ご存知なんですね?」
ジェイムス・マクウェルが汗を拭きながら念押しする。
「ご存知はご存知だけど……」
彼方に押し込めた記憶を手繰り寄せる。思い出すのは真っ黒に日焼けした少女と、姉妹のようにはしゃぐ都の姿。縁側でそれを眺めている思い出は、随分昔だ。あれは確か少女の母親が入院して、夏休みの数日、彼女を預かったとき。
「最後に会ったの、中学のときよね。十年前?」
「です。」嬉しそうに相手が大きく頷く。
良く見れば確かにあのときの面影はそのまま、感情豊かな快活な性格もそのままらしい。
ぷくっと頬を膨らませると、
「転居先ぐらい知らせてくださいよ!もー、心配してたんですよ!」
「木島さんちには知らせたわよ。」
「あの家、機能してないからだめです!」
二人のやり取りを聞いていた波多野がぽん、と手を打つ。
「木島の関係者!」
「えっ?ああっ!もしかして打ち合わせ中……とか?」
ようやく、彼女は波多野の存在に気がついたらしい。
まったく、と冴はこめかみを押さえる。
「そういう突撃なとこ、ホント朝子に似てるわ。」
「それ、お祖父ちゃんにも言われるんですよ!」
あー、はいはいと適当にあしらって、とにかく座りなさいと促す。
マクウェルも大きな背をかがめて冴の隣に座る。
タイミングよく水の入ったグラスが目の前に置かれる。冴は独断でコーヒーを追加注文すると「さて」と一同を見回した。
「順を追って聞きたいところだけど、まず紹介ね。彼は都ちゃんの幼馴染の波多野大地くん。保育園からの付き合いだから朝子のことも知ってるわ。彼女……葵ちゃんのお祖父さんと都ちゃんのお祖父さんがご兄弟なの。つまり……」
「木島都ちゃんのはとこ。堀内葵と申します。」
ふかぶかと頭を下げると、いつの間に取り出したのか両手で名刺を持って波多野に差し出した。
「あ、ども。不動産会社?」
「ご実家の仕事継いだの?」
いいえーと葵は手を振る。
「今は他の会社で修行中。まだ社会人一年生ですもん。」
「実はショウルームを兼ねた事務所を、彼女の会社に探してもらってるところなんです」マクウェルが言った。
彼は輸入家具を扱う会社を経営しており、最近取引先が増えてきたのを受けて、事務所を移転しようと考えていたのだ。そのため、適当な物件がないか、相談していたのが葵のいる会社だった、
「担当は別の人なんですが……」
「その先輩から、これ、もらったんです。」
葵がバッグから取り出したのはダイレクトメールだった。
来月からギャラリー無限大で行う写真家・木島朝子の回顧展で、もちろん冴も波多野もすでに目にしている。
「外出から戻ったら机の上にあって……」
周りの人に聞いたところ、内見に行っているマクウェル担当の先輩が置いていったと言う。
「私が絵とか写真とか好きなのはみんな知ってるから、案内とかチケットの余分とかそうやって置いてあることが多いんです。」
普段ならそのまま鼻歌交じりにデスクマットに挟むのだが、今回は「ええっ!」と大声を出した挙句に固まった。
「だって朝子おばちゃんの名前に、この写真!」
桜の花が舞う古都の写真は、自分のお気に入り写真なのだと説明する。
「昔、雑誌に載ったの切り抜いて持ってたら、朝子おばちゃんがプリントしてくれて。ポストカードくらいの大きさのだけど、今でも春になると飾ってるんです。」
そんなこんなで葵が動揺しまくっているところに、内見を終えた先輩とマクウェルが戻ってきた。葵は先輩を捕まえ、ダイレクトメールの発信元がマクウェルだと聞き出すや否や「関係者に会いたい」と懇願したのだ。
「あんなふうにお願いされたら、嫌とは言えません。」
幸い、マクウェルも事務所に戻るだけだったのですぐに冴に連絡し、彼女を伴ってやってきたという次第。
「どういうお願いしたんだか。会社は?」
「早退したので、大丈夫です。」
「いやそれ、大丈夫じゃないでしょ。」
「ええ、でも彼女の話を聞けば、ずっと連絡が取れなかったというし、これはフリューゲルで会うしかないと思ったのです。」
「でも葵さんって木島さんじゃないんだ。」と、波多野。
「うちのお祖父ちゃん婿養子だから。都ちゃんのお祖父ちゃんが長男で、うちのお祖父ちゃんは次男。今の木島さんちは三男なの。」
長男夫婦が早くに亡くなったのと次男が婿養子に入ったので、遺産も墓も三男が引き継いだのだ。
「まーぁ、でもその時にひと悶着あってね。」
「朝子おばちゃんは育ててくれたお祖父ちゃん……えーと、私と都ちゃんの曾お祖父ちゃんと曾お祖母ちゃんが入院するまでお世話してたんです。それなのに三男木島がシングルマザーはだらしないとか変な言いがかりつけて……」
あ、と波多野が何か思い出す。
「そういや、木島のおばさんの葬式んときに、木島が具合悪かったよね?あれも親戚絡みとか?」
「なにそれ?具合悪かったって話、聞いてない!」
「親戚なのに?」
うん、と葵は頷く。
「朝子おばちゃん亡くなったとき、うちのお祖父ちゃん腰の手術受けたばっかで動けなくて。私が行くって行ったのに、親にダメって言われて……」
ああ、と冴は呟く。
「大叔父さんの具合が悪いとは聞いてたけど、そっか。」
「本当に不義理してすみませんでした。」
「仕方ないわよ。堀内さん、朝子が学生のうちは援助してたみたいだから、それも木島の家は癇に障ってたんだと思う。ご両親は葵ちゃんがそのことで何か言われるの、心配したんでしょ。葵ちゃん、口が先に出ちゃうから。」
「ああっそれはもう、言わないでください!これでも最近、自制してるんですっ!それよりその都ちゃんの具合って……」
「過呼吸の発作で救急車呼んだの。」
「えーっ!」
「と言っても三年前の話だし、原因は親戚の嫌味だけじゃなかったと思うから。今はもう全然だし。」
「うん。すげー元気。」
よかったーと葵は背もたれに身体を預ける。
「冴さん、一緒に暮らしてるんですよね。」
「もうじき、都ちゃんだけ引っ越す予定だけどね。」
「進学、ですよね?」
「大学は決まったけど、理由はちょっと違うかな。」
頭の上から「お待たせしました」と声が降って来た。
淹れ立てのコーヒーが置かれ、すっかりぬるくなった波多野と冴のカップを持って行く。
鼻先をくすぐる香ばしい香りにつられるように顔を寄せた葵はが「わ!」と声を出す。
「これ、ヴィンテージカップ?」
ほう、とマクウェルが呟く。
「古いものに詳しいのですか?」
「母親が好きで集めてるので……うん、おいしい。」
ブラックのまま一口飲んでから砂糖とミルクを入れる。もう一度口に含んで満足げな笑みを浮かべる。
「えーっとそれで、今日都ちゃんは?学校?」
「旅行……っていうのかね?」
「週末には戻ると聞いてますが。」
「卒業旅行かぁ。」
「じゃなくてあいさつ回り。今あの子、婚約者の実家行ってるのよ。」
「ああ、そう……って婚約者ぁ?」
次回更新は2017年8月1日(火)を予定してます。