第十五話
不思議な場所だった。
繁華街から一歩入った路地の途中。小さな広場に面した石積みの二階建。看板はかろうじてあるが小さく、窓も小さいので一体何の店なのかわかりにくい。
「父が懇意にしてる店だ。」
「私も何度かお相伴させていただいてます。知る人ぞ知る名店ですよ。」
都の不安を見抜いたのか、マーギスも補足する。
扉を叩くと、ややあって中年女性が顔を覗かせる。彼女はリュートと二言三言なにやら交わすと三人を二階へ案内する。
通されたのは椅子が二脚だけ置かれた小部屋で、セルファ・アデルが待ち構えていた。
「公安のお仕事、無事に終えたようですね。」
言われて都は「はい」と頷く。
「それより、今日は他に誰が来るんですか?」
神舎からここまでの道すがら、「内々の宴」としか聞かされなかった。セルファは予想していたが、他に誰が来るのか皆目検討がつかない。
と、セルファが答えようとしたとき、外で声がした。
「噂をする前に……クラウディアです。」
「俺が行こう。」セルファにその場を任せると、リュートは素早く部屋を出て行く。
「マーギスさま、外套をお預かりしましょう。」
「自分で持って行きますよ。」
そんな言葉を交わしながら、セルファとマーギスが廊下を隔てた別室に向かう。
一人残された都は、何か叩く音に気づいて窓に近寄った。
「あ……」
窓の外で銀竜たちがホバリングしていた。慌てて窓の錠を開けようと手を伸ばしたそのとき。
背後に気配を感じた。
「わぁっ!」
何か柔らかいものが都の目を覆う。
そしてクスクス笑う声。
それも一人ではない。
考えるより先に手を伸ばし、両目を覆っているものに触れた。
柔らかな、細い指。それに微かな花の香り。
「……もしかして……ネフェルとリィナ?」
「あったりー!」
手が離れた。
振り返った都が見たのは、金色の髪に緑の瞳の背が高い少女、それに明るい茶色の癖毛の青い瞳の少女。
「驚いた?」
ネフェル・フォーン・オーロフが金色の頭をかしげる。
彼女らしい落ち着いた色の服に銀の耳飾り。都より背が高いせいか、たった一歳違いがずっと年上に見える。
「リィナが言い出したんだけど。」
「えーっ!ネフェルもやろうって言ったじゃない!」と頬をふくらませるのはリィナリエ・ダール。
ふんわりした巻き毛に透けるような肌、可愛らしい印象は相変わらず。都より一歳年下だが時折子供のようにふるまうのが、いかにも彼女らしい。
「その……二人ともどこから出てきたの?」
ネフェルとリィナは顔を見合わせる。
「えー!」
「気になるの、それなの?」
「だって……」
部屋の入り口から入ってきた気配はなかった。しかも予想する先には木の彫刻を施した壁が立ちはだかっている。
と、
「その壁、動くのよ。」
「えっ?」と振り返るとクラウディアが笑っていた。
一部始終を見ていたのだろう。彼女は大股で壁に歩み寄ると、その一部を軽々と横に動かす。
「ホントだ。引き戸?」
近づいてよく見れば、ところどころ縦線が入っていて、それが壁板の切れ目らしい。いわゆる間仕切り。しかも音もなくスムーズに動くのは何の用途なのか。
少なくとも今は目隠しだったと、都はやっと気づく。垣間見える隣の広い空間には大きなテーブルと、その傍らに集う人々の姿。
都は婚約者を振り返った。
「リュート、知ってて黙ってた?」
「都を驚かせたいと、セルファに言われたんだ。」
「充分びっくりしてる。」
「なら成功です。」セルファが嬉しそうに頷く。
彼に促され、リュートは都の手をると、待っていた人々の輪に彼女を誘った。
「今日も大変だったようだね。」
最初に声をかけてきたのは、昨日一昨日と都の弁護をしてくれたデレフ・オーロフ。
「お祖父さまから、とてもしっかりした受け答えしてたって聞いたわ。」
傍らに立った孫娘のネフェルにも情報は通じているらしい。
「リィナの両親に会うのは初めてだな。」
リュートに言われて、都は慌てて腰を落として挨拶する。
リィナと同じ青い瞳、明るい茶色の癖のある髪の華奢な女性が笑顔でそれに応えた。
「お噂は皆から伺ってるわ。リィナと仲良くしてくれてありがとう。」
「エミリアとも上手くやっていると、カズトから聞いてるよ。」
傍らに立つ彼女の夫は、そびえるような大柄な体躯に、黒髪。声もどことなくダール家の長男、オーディエ・ダールに似ている。
「わたしのほうこそ。いろいろリィナに教えてもらって助かってます。」
「長男は生憎来られないが、次男が君に会いたがっていてね。」
そう言ってヒューゲイム・ダールは背後に隠れていた人物を押し出した。
リィナと同じ癖のある茶色の髪に青い瞳の少年が、ぎこちなく頭を下げる。
「ショウライナ・ダールです。その……今回のこと、すみませんでした。」
へ?と都は目を丸くする。
「なんで謝るの?どちらかといえば巻き込まれたほう、ですよね?」
「でも……」
「お咎めはなかったんだろう。」と、リュート。
「そうだけど……ぼくがもっと早く気づいてれば、あんな騒ぎにならなかったかもしれない。呪術があるなんて知らなかったし……」
「影響を受けなかったのが奇跡的って、マーギスさまもおっしゃってるし……」都は後ろに控えている聖職者をチラと見る。
そのとおり、とマーギスは頷いた。
「それにショウライナが記録をとってくれたおかげで、複雑な説明しなくて済んだし。これから、気をつければいいんじゃないかな。」
「そおよ!」言ったのはリィナだった。
「だいたい兄さまもリュートも苦戦したのに、あんたが先回りなんてできるわけないでしょ!」
「だから!これからそうできるように勉強するんだよ!放課後は聖堂の書庫に通ってるし。」
「運がよければネフェルに会えるもんね。」
「余計なこと言うな!」
「リィナリエ。ショウライナ。」
静かだが有無を言わせない母親の声に、二人は瞬時に背筋を正した。
イナリサ・ダールはにっこり微笑む。
「他にも挨拶する方がいらっしゃるでしょう。」
その言葉を合図に顔見知り同士挨拶を交わし、一段落したところでテーブルについた。
窓で待機していたフェスとコギンとレイユも、店の配慮で小さなテーブルに専用席をしつらえてもらった。
大人に食前酒、年若い人たちに花の蜜を使った飲み物が振舞われたところで、セルファが「新しく一族になったミヤコのあいさつを」と切り出した。当然、そんな話は聞いていないので慌てて首をぶんぶん振る。
「わたし、そういうの苦手……」
「ですが今回はミヤコが主役です。」
「でも……」と隣に座るリュートに助けを求めるが即座に却下された。
「都が主役といわれたら、誰も代わりはできない。」
「リュート、冷たい。」
「本当のことだ。そもそも、たいそうなことを喋る必要もないだろう。今後の練習と思えばいい。」
「メラジェだって論文発表する前は、あたし相手に練習してるし。」と言ったのはクラウディア。
「私とて、儀式の前にはそれなりに練習しますよ。」と、マーギスも言う。
「ミヤコは苦手と言うが、分隊長や議長どのと渡り合ったのだから、不可能ではないはずだ。」
「そうよ!」祖父の言葉にネフェルも大丈夫、と微笑む。
「だってみんなミヤコがどれだけ努力してきたか知ってるもの。それに、ここで挨拶するより大変なこと、してきたじゃない。」
と、突然リィナとショウライナが顔を見合わせ笑った。
両親がたしなめると、
「ごめんなさい。」と頭を下げ、
「でも兄さまが言ってたことホントだなって思って。ミヤコのこと、自信があるのかないのかわからない。ときどき信じられないくらい度胸があるのに、控えめだって。ああ、悪い意味じゃないからね!」
「言いえて妙というべきかしら。」クラウディアも頷く。
結局逃げ切れず、都は請われるまま立ち上がった。
どうにでもなれ!と心の中でむくれながらテーブルを見回す。
ダール夫妻とショウライナ、リィナとネフェル、老オーロフにマーギス、そしてアデル家の姉弟。出会った時期はそれぞれだが、不思議な巡り会わせといえば不思議な出会いばかりだった。
ふと脳裏に浮かぶのは自ら選んだ印に刻んだ言葉。
都は小さく深呼吸すると言葉を探す。
「えっと……昨日、オーロフさんとメラジェ……ヘザースさんの立会いの下、一族になりました。ヘザースさんはお仕事に戻ってしまったけど、お二人にはお世話になりました。」ありがとうございました、とオーロフに向かって頭を下げる。
「もちろん、他の方にも助けていただいて、これからも助けてもらうことになると思います。わたし……」都は無意識に中指に嵌めた印に触れた。
「たぶん一族であることが、まだよくわかってないと思います。大ガラヴァルの末裔なんて名乗っちゃいけないのかもしれない。なんだかいろいろありすぎて……リュートと出会ったことも、ネフェルやマーギスさまと知り合ったことも、いろんなことが偶然で必然で、そういうのって凄いなって思って。でもまだ進行形で、何をどういったらわからなくて。ただ、もしできるなら一族だったご先祖にお礼を言いたいんです。この世界に導いてくれてありがとう。それと……この世界にただいま……って。」
再び出会うとき。
印に刻んだ言葉をメラジェは「ミヤコにぴったりだ」と言った。あのときは深く気に留めなかったが、よく考えればその通りなのかもしれない。
「ご先祖が飛んだ空を飛べることは、凄く嬉しいし、大切にしたいと思います。ええとでも……その……いろいろわからないことあるので、これからもよろしくお願いします。」
ぺこんと頭を下げる。
そのままオーロフが音頭を取って杯を重ねると、たくさんの「おめでとう」と拍手に包まれた。
やっと座ったときには疲労困憊で、なにがどうなったのか記憶も定かではない。
ただリュートがそっと頬に口づけてくれたこと、そして「よかったぞ」と言ってくれたことは覚えている。
気がつけば順々に料理が供されて、にぎやかな宴席が始まっていた。
マーギスが名店というだけあって出てくる料理はシンプルでおいしい。しかも都の皿は明らかに量を控えめにしてくれているので、出てくる料理を全て味わうことができる。
出席者にもおおむね好評だったが、ある料理では状況がいささか違った。魚料理の味付けが「おいしいけど変わってる」というのである。
「香辛料が使われてるわけじゃないし……」言いかけてそういえば、と都は首をかしげる。
思い返せば、確かに出てきた料理の半分は違和感がなかった。否。なさすぎた。
そこでようやく、都は目の前の魚料理をじっくり検分する。
そっと鼻をひくつかせ、香りを確かめる。
はくっと食べて味を確かめる。
その結果導いたのは……
「これ……醤油使ってる……?」
まさかありえないと思いながら、都はリュートを振り返った。
「これって……」
そう言いかけたとき、例の仕切り扉の向こうから大柄な男性が姿をあらわした。セルファが立ち上がり紹介する。
「この店の主人で、料理長でもあるモルダ。」
モルダはうやうやしく頭を下げると挨拶をした。
「立派になったラグレスの坊ちゃんに食べていただけるとは、料理人冥利に尽きます。といいたいところですが、今日の料理、実はもう一人料理人がいまして……」
「まさか……」思わず都は身を乗り出す。
「ケィン……とか?」
料理長は肩を竦めると扉の向こうに声をかけた。
「嬢ちゃんの言うとおり、見抜かれてるぞ。」
「やっぱりですかー。」
赤毛のお下げを揺らしながら入って来たのは紛れもない、ラグレス家の料理人。
オーロフやダール夫妻は驚いたようだが、リュートとセルファ、クラウディアは一切動じてない……ということは……
「セルファさんが仕組んだんですよね?これ。」
「アデル商会からのささやかな贈り物です。」と、セルファは満面の笑み。どうやら作戦成功が嬉しいようだ。
「アタシ、今日一日、アデル商会に雇われてるんです。」
「せっかくの宴席なら慣れた味のほうがいいでしょう。」
「モルダ大将、お祖母ちゃんの知り合いで、学生時代はときどき手伝ってたんです。それで今回厨房をお借りして。」
「半分はケィンの料理ですよ。ミヤコさまはごまかせないかも、って言ってたが、その通りだったな。」
「どうりでミヤコさんが妙な顔をなさってるわけです。」マーギスも納得する。
「ラグレス家の料理人が優秀だと噂に聞いてましたが、確かにとてもおいしかったです。」
ありがとうございます、とケィンは一礼する。
「司教さまにそうおっしゃっていただけて光栄です。」
ハッと都はあることに気づく。
「ケィン、もしかして最初のあいさつとか……」
うふふ、とケィンは満面の笑みをたたえる。
「もちろん仕切りの向こうで全部きいてましたよぉ。すっごく良かったです。あ、帰ったらエミリアさまに報告しておきますから。イーサとビッドとおばあちゃんにもー」
「お願いだから控えめに……」
「しませんよー。だって素敵な演説でしたもん。引き続き大将の最後のお料理とアタシの食後のお楽しみ、お出しししますね!」
次回の更新は2017年7月20日(木)予定です。