第十四話
「マーギスさま!」
「久しぶりですね、ミヤコさん。」
満面の笑みで迎えるガッセンディーアの司教に、都とリュートは会釈する。
「よく引き受けてくださいました。」
「それはこっちの台詞ですぜ。司教どの。」
公安の制服を着た四十がらみの黒髪の男が大股で入ってきた。日に焼けた赤銅色の顔の中、茶色の瞳がぎょろりと二人を見る。
「会うのは初めてだな、竜騎士。巡査長のオルフェルだ。カイエ巡査は当然知ってるな。」
オルフェルは遅れて入ってきた巡査を目で示した。
「物心つくころから遊んでましたから。」
リュートの言葉にキャデム・カイエ巡査の灰色がかった青い瞳が頷いた。
「リュート・ラグレスです。巡査長のことは父から聞いてます。」
オルフェルは頷く。
「そっちが婚約者どのだな。」
「ミヤコ・キジマです。」
「頼みを聞いてくれて感謝する。」
「役に立つかわからないけど……」
「見てくれるだけでいい……と言いたいところだが、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だと思います。」
公安が差し押さえているものを見てほしいと言われたのは昨夜。
一族への登記と、長に会う大仕事を終えぐったりしている都を、キャデムが訊ねてきたのだった。リュートの幼馴染で自身も公安巡査の彼が頼む以前から、リュートはその話を父親とセルファから聞いていた。しかし都には話していなかったのだ。
どうして?と不満顔をする都に、リュートはにべもなく言った。
「そんな余裕なかっただろう。それに話せば絶対了承する。」
カーヘルの神舎で不穏を感じた元凶……かもしれない物を確かめるなんて危険極まりない。もしまた何か起きたらどうするのか、と。
「でも黒き竜の魂はリラントの瞳にも戻ったんだし。わたしで役に立つなら……」
「だからだろ。」と言ったのはキャデム。
「呪術が絡むものは一族にとって鬼門、リュートはミヤコを呪術に近づけたくないんだろ。」
「でもあの時は大丈夫だったし……」
「カーヘルの神舎のときと、この間の事件のときでは、大気への影響が違うのは明白だ。今だって影響が完全に消えたかどうか怪しい。」
そんな問答を繰り返し、けれど最終的に都が押し切る形でリュートを渋々納得させた。
「マーギスさまも一緒なら、大丈夫だから」と言って。
そのことをキャデムが伝えたのだろう。
マーギスはリュートの心配を了解すると、
「何かあれば、すぐに戻ってきます」と約束した。
都は司祭服姿の司教と巡査長に導かれ、公安分署の地下へと向かった。石の階段を降りるとひんやり涼しく、薄暗い空間。神舎の地下にも似ているが、決定的に違うのは狭い通路の片側に頑丈な扉が並んでいること。
「昔は牢屋に使ってたが、今はただの倉庫だ。」
説明しながら、オルフェルは一番奥の扉にごつい鍵を差し込んだ。
きしみながら扉が開く。
大急ぎで物をどけたのだろう。
部屋の真ん中にぽっかり空間があり、小さな机が一つ。
その上に置いてある物を見た都は、ハッと息を呑む。
一歩二歩。近づく。
それは高さ十五センチほどの真っ黒な、何かの像。
全体が磨耗していて、一体どんな姿かたちだったのか判別できない。
しかもよく見れば黒いのは焼け焦げた跡で、過去にどんな扱いをされてきたのかと思う。
それだけでも特異だが、何より都を確信に導いたのはあの感覚。
かつて何度も経験した、黒き竜の魂を宿した男と同じ、言いようのない恐怖感。
「カーヘルの、神の砦の礼拝堂にあったものだと思います。」都は言った。
「開帳のとき……祭壇で見たときと同じ感じ。」
オルフェルが頷く。
「他に気づいたことはないか?」
しかし都は答えず、胸の下で組んだ手をぎゅっと握りしめる。
マーギスが彼女の肩に手を置いた。
「行きましょう。巡査長も、もうよろしいですね。」
オルフェルの返事を待たずに、マーギスは都を促した。もと来た道を辿り、リュートが待機している部屋に戻るとそっと都の背を押した。
ほとんど惰性で都はリュートの胸に飛び込む。すかさず、抱きしめられた。
そうすると氷が溶けるように、すっと力が抜けていくのがわかる。頭のてっぺんに優しいキス。顔を上げると心配そうな漆黒色の瞳が見つめていた。
「大丈夫か?」
「うん。もう……大丈夫。」
「やはり影響したようですね。」
「すみません。マーギスさまが引っ張ってくれなかったら、動けなかったかも……」
「一族てのは不便なもんだな。」一足遅れてオルフェルが戻る。
「私ですら、あまり良い感じはしませんでしたから……」
「司教どのまで感じるってぇのは、相当ヤバイな。その辺のことを書類にするから待っててくれ。」そう言ってオルフェルは皆に椅子を勧める。
都は訊ねた。
「あれ、神舎を乗っ取った人が持ってたんですよね?カーヘルの神舎から、誰がが持ち出したってことですか?」
「恐らく。」マーギスが頷いた。
「ゲルズ司教が失脚したとき、多くの修士があの神舎を去りました。その中に神の影を敬う者がいたのでしょう。」
「その神の影を敬う信者を見抜くコツは、あるんですかね?」
さぁ、とマーギスは首を傾ける。
「私も方法があればぜひとも知りたいですな。」
「ガッセンディーアの礼拝堂を乗っ取ったのは自称異国の宗教者、でしたね。」
リュートが調書に目を通したのはこちらに来る前だが、それから進展があったとも聞かない。
「本人はそう言ってるが、神舎の薬師が、昔、村で司祭をしていた男だと証言した。」
「それって……マーギスさまの村にいた?」
マーギスの故郷で惨劇があったとき、村の外にいて生き延びた薬師のことはマーギスの手紙で知っている。彼が焼け落ちた村の神舎で発見された頭部のない遺体を、その神舎に仕える司祭と認めなかったことも。
「近いうちに本舎から、そのノイゼット司祭とやらを知ってる人間が来るそうだ。司法の専門家まで連れて、何をする気なんだか。」
どうやら巡査長にとっては面白くないらしい。
「赤毛の男はどうなった?」とリュート。
「いまだ黙秘してる。」
「ゼスィに似てるんですよね。」
「瓜二つといっていいでしょう。ネフェルも同じ意見でした。」
そんな話をしているところに、キャデムが書類を携えて戻ってきた。その場で内容を読み上げ、都とマーギスに署名を求める。
すべての手続きを終えると、彼はキャデムに皆の付き添いを命じた。
その命令に従ってキャデムの引率で一同ガッセンディーア神舎に移動する。そしてキャデムもマーギスの執務室に同行すると、辺りをきろきょろ伺う。
「大丈夫ですよ。」とマーギスが笑った。
「オウビとカフタには誰も部屋に近づけるなと言ってあります。それに窓はほら。」
「ぎゃう!」
「あ!」
見れば窓枠に銀竜たちが並んでいる。
分署の外で待機していたコギンとフェス、それに彼らを案内してきた神舎の銀竜。
都は窓辺に寄ると、ごく自然に手を差し出した。
羽根に古傷のある銀竜がふわりと飛び乗る。
「レイユ?」
「ぎゃう!」
「はじめましてだね。わたし都、コギンの主人だよ。」
「そういやコギン、元気になったんだな。」
「うきゅう!」コギンは応えるように鳴くと、キャデムの周りをパタパタ飛んでじゃれついた。
打ち解けた空気に、マーギスとリュートもホッとする。
マーギスの弟子が出してくれた茶を飲みながら一息ついたところで、キャデムが切り出した。
「ミヤコもリュートも、公安に付き合ってくれてありがとうな。」
「待たせた分、キャデムが何か言われたんじゃないのか?」
「ミヤコは大切な試験があるから動けない。そう言って通した。それに公安としても辺境のお客さんの証言より、聖堂に名を連ねる一族の証言のほうが信頼される。とと、別にミヤコが信用できないってわけじゃないからな。」
もちろん、わかっている。
余計なことも聞かれず、異国人であることも詮索されなかったのは、キャデムの采配なのだと。
「それとわかってると思うけど、この事件は解決しない。首謀者が本当のことを言ったとして、黒き竜の魂を復活させたとか、門を作ろうとしたなんて誰も信じないだろう。」
それは聖堂が門の存在、その先に繋がるもう一つの世界を認め公表しない限り、ただの夢物語でしかないのだ。
「まぁ、呪術が使われた事実は残るけどな。」
「それだけでも、神舎が本腰を入れるには十分です。」マーギスは言う。
「結果的に、お前を巻き込んだな。」
リュートに言われてキャデムは目をぱちくりさせ、そしてニヤリと笑った。
「自覚あるなら、今度奢れよ。うんといい酒をな!ミヤコは結婚したらこっちで暮らすのか?」
「向こうの大学に進学するから、行ったりきたりだと思います。」
「でもラグレスんちに来るのは増えるんだろ?すぐじゃないけど、オレもいずれ村に戻るから、そうしたらご近所さんだ。」
えっ、とリュートは驚く。
「キャデム、実家に戻るのか?」
「オレは最初からそのつもりだよ。祖父ちゃんが引退してからずーっと、あの村には公安がいないだろ。親父は別の仕事で村を離れてるし。」そう言って肩を竦める。
彼はぐいっとお茶を飲み干すと、まだ仕事があるからと言って席を立った。
入れ替わりに、大柄な修士が遠慮がちに部屋に入ってきた。
「ミヤコさんは初めてですね。彼はバセオ。私と同郷の薬師にして神に使える者。」
都は立ち上がって自己紹介した。
「お話は皆さんから伺ってます。本当に……あなたは……」
「バセオ。」マーギスが首を左右に振る。
「彼らは危険を顧みず呪術を阻止してくれた。それで充分ではないですか。」
「ええ、そうでしたね。」
失礼しました、と頭を下げるバセオに都は笑う。
「らしくないって言われるのはいつものことだから、大丈夫です。それより……」と、都は華奢な手提げから、小さな七宝のピルケースを取り出した。両手でマーギスに差し出す。
「遅くなってすみません。リラントの瞳の欠片です。」
受け取ったマーギスはそっと蓋を開いた。中には綺麗な布にくるまれた小さな石が一つ。カットを施された石の輝きに、マーギスは目を細めた。そして呟くように言う。
「お帰り、アンリルーラ。バセオ見てごらんなさい。」
差し出された七宝の小箱をバセオも覗き込む。ほのかに青い輝きは、まるで在りし日の幼い少女の瞳のようだった。
「もう一人、名前のわからない人も一緒だけど……」
結局、黒き竜の魂の依代となった男がどこの誰だったのか、最後までわからなかった。
けれどマーギスはそれでも構わないと言う。
「アンと彼がそう望んだのなら、きっとそれがよい結末だったのでしょう。」
「それにアンは寂しがり屋だった。自分もそのほうが良かったのだと思います。」安堵したようにバセオも微笑む。
「いずれ、故郷の墓地に埋葬しようと思ってます。両親の眠っているところなら、きっと安心でしょう。それにあそこなら誰にも邪魔されず、眠りに着くことができます。」
再度都に礼を言うと、マーギスはピルケースの蓋を閉じ、何事かをバセオに促す。
「先日、本舎に収監されているゼスィに再び面会に行ってきました。」バセオは言った。
「それは公安には……」
「言っていません。ですが自分にはその資格があります。」
突然のカミングアウトにリュートは身構えた。
それを見透かしたマーギスが説明する。
「バセオは本舎が認めた、法の遣いですよ。」
「あ……」
「ええ。以前リュートが言った神の僕でありながら、時には同じ神に仕えるものを捌く権限を与えられた者。それが法の遣い。」
「法律家ってことですか?」都が首をかしげる。
「神舎を守るために異端者や道理に外れたものを捌く……というほうが正しいでしょう。」
バセオが言うには、神舎にとっての不利益を防ぐのが第一の目的だが、その役目の中には今回のような異端者を取り締まることもあるという。具体的なことは言えないが、ある程度、軍や公安と情報を共有することもできるらしい。
「え、でも薬師さんって……」
「それも本当です。しかし今回はガッセンディーアの神舎の代理人でもあります。」
「じゃあ例の赤毛の男にも会ったんだな。その上でゼスィに会ってどう感じた?」
「他人とは思えませんでした。」
「本人たちはお互いのこと、知ってるんですか?」
「それはまだ伝えていません。ですが、本舎が介入すれば知らせることになるでしょう。」
「オルフェル巡査長が怒りそうだな。」
「本当に、双子なのかな?」
光の月と影の月。
この世界の空に、夜毎現れる月になぞらえた幼名。
銀竜を密売していた男とその妻が強盗に襲われ、その幼い双子が行方不明になる。
「もし神の影を敬う連中が組織的に、最初から駒として使うために別々に育てたとすれば、これ以上の適材はないでしょう。」
「駒?」
「ゲルズ司教のことは覚えてますか?彼が亡くなった理由が定かでないことも。」
マーギスに言われて都は頷いた。
「呪術は使った人に影響する。だからそのせいじゃないか、って。」
「自分が苦しまず結果を知りたいと思ったら、駒を使うのは当然でしょう。事実、ロムラ・イサザは門を開こうとしたとばっちりを受けています。」
バセオは彼が拘束されたとき、激しい目の痛みを訴えたことを話した。不思議なことに彼の両目は火傷を負っていて、いまなお治療を受けているのだと言う。
うわぁ、と都は思わず自分の目を両手で覆う。
「確かに呪術の呪いっぽい。」
「イサザと一緒にいた人物は?」
「ただの連絡屋だったようです。彼の教え子だったとか。」
「職権乱用か。」リュートは唸る。
つくづく、ショウライナ・ダールが巻き込まれなくて良かったと思う。
「しかし彼は先生が思うほど信心深くなかったようです。公安に保護されて両親が迎えにきたら、あっさり一部始終話したそうですよ。」
その供述に従って公安が裏付け捜査を行っているらしい。
「自分はやはり、中心にいるのはノイゼットだと思ってます。向こうは自分のことも村のことも微塵も覚えていませんでした。ですが時間をかけても、あの男から真実を聞きだします。少なくともマーギスさまが司教のうちは、その権力のおこぼれに預かることができますから。」
「私の権力など、大したことありません。むしろあなたが薬師としてここにいてくれるほうが、神舎にとってよい影響をもたらします。」
マーギスの言葉にバセオは素直に感謝の言葉で応えた。
と、扉から顔を覗かせたマーギスの弟子のオウビが、時間を伝える。
「もうそんな時間ですか。ではリュート、参りましょうか。」
「そうですね。」自らも懐の時計を引っ張り出したリュートが頷く。
「リュート、用事あったの?」
「ミヤコさんも一緒ですよ。」
「へっ?」
「なにしろミヤコさんが一族になったお祝いなんですから!」
次回更新は2017年7月6日(木)です。