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第十二話

 ふぅ、と(みやこ)はため息をつく。

 ここに来て、もう何度目のため息だろう。

 そっと、傍らに立つ婚約者を見上げる。

 背が高いのはいつもどおり。こちらの世界に来る前に切ったばかりの黒髪は短く、それにノンディーア軍ガッセンディーア駐屯分隊の制服と相まって、いつもより精悍さが増している。

 漆黒色の瞳が都を見た。

「緊張してるのか?」

「いっぱいしてる。」

 去年の夏休みにこの聖堂に来たときは完全な物見遊山だった。なのに今日は「関係者以外立ち入り禁止」の評議会エリアにいるのだから、緊張しないわけがない。

 そもそも、州都ガッセンディーアの定宿であるアデル家に着いた今朝、一番に見せられたのが今着ている服だった。上着と揃いのくるぶしまである長いスカートはまごうことなくスーツ。共に光沢のある深い緑色で、いわく、こちらの世界では比較的軽くて柔らかい布で仕立てたらしい。

 衿の立ったブラウスの首元には乳白色の石のブローチ、髪も左右を後ろに流し、銀の髪留めで留めていおる。メイクも少々。足首まで覆う靴は踵が高く、それも都が緊張する所以。

 服をコーディネイトしたリュートの叔母、シーリア・アデルは都を鏡の前に引っ張っていくと言った。

「あなた自身をよく見せるため。どんな場所に出ても気後れしないための装備なの。」

 そこに映るのはいつもより大人びた、見たことのない自分の姿。

 最後に薄い革の手袋をすると、その上から出来上がったばかりの印を指にはめる。

「素敵よミヤコ。」シーリアがにっこり微笑む。

「姉さまに見せたいくらい。堂々としてらっしゃい。」

 そう言って彼女は優しく都を抱きしめ「行ってらっしゃい」と送り出してくれたのだ。

 しかしいざとなると緊張するのは当然。しかもフェスとコギンは万が一を考えてアデル家に預けてきたため、いっそう心もとない。

 またもやため息をつく都に、リュートは笑う。 

「まぁ……今回ばかりは俺も緊張気味だな。」

「えっ?」と都が言ったのと、案内人が「こちらへ」と言ったのが同時だった。

 二人は秘書官に指示された部屋に入る。

 待っていたのは背の高い初老の男と、リュートと同じ軍服姿の中年の男。

「リュート・ラグレス、ただいま戻りました。」

「大役ご苦労だった。」背の高い男は頷くと、都の前に立った。

「一族評議会議長のキルフェガ・ガイアナです。彼は分隊長のコーゼン。」

「どちらも俺の上司だ。」

 リュートに耳打ちされ、都は慌てて腰を落として挨拶する。

「木島都です。このたびはいろいろ配慮いただき、ありがとうございました。」

 本来なら事件の後すぐに報告しなければならなかったことを、ここまで引き伸ばしたのは議長の采配だと、都は聞いていた。だからまずお礼を言わなくてはと、シーリア相手に練習してきたのだ。

「こちらに来るのが遅くなってすみません。」

「あなたが進級試験に失敗したら、私はラグレス家どころか、アデルやオーロフにまで文句を言われるでしょう。」

「そんな……」

「それにあんな事件の後だからこそ、門の守りを強固にするべきだと新しい長も主張したんだ。」そのため、早瀬(はやせ)親子を向こうの世界に留めたのだと、コーゼンは言った。

「まっさきにリラントの瞳を確認してもらいたいところだが、先に面談を済ませるよう長から言われている。」

「こちらとしてもそのほうが助かります。」

「そういえば……怪我は大丈夫なのか?」

 最後にガイアナと言葉を交わしたのは、この聖堂で襲われ左手を負傷した直後だった。  

 それでも早瀬家へ戻ろうとするリュートを、彼はひどく心配していたことを思い出す。

「幸い、祖父の形見が手首を守ってくれました。それに彼女が力を貸してくれたので、ひどくならずに済みました。」

「あの状況で契約の力を使ったと聞いて驚いた。」

「あ、あれはわたしじゃなくて、中の人……っていうか聖竜が勝手に……」

 口ごもる都に、ガイアナは「いやいや」と首を振る。

「契約の力は当人同士が望まなければ発揮しない。つまりラグレスの傷を癒したいと思ったのは君自身。だから大気が力を貸した。」

「そう言われたらそうなのかもしれないけど……よく、わかりません。」

 正直に答える都に、ガイアナは微笑む。

「皆が言うとおり、控えめで率直な方だ。ミヤコ、我々一族評議会はあなたを歓迎します。ですがそのためにいくつか確認したいことがあります。」

 そら来た、と都は背筋を伸ばす。

「ここから先は別々に面談を行う。ミヤコは私が担当する。」

 コーゼンの言葉に都は頷いた。

「ラグレスはここに残ってくれ。」

 リュートも了解する。

 都がコーゼンに従って別室に行くのと入れ替わりに、クラウディアが来た。

 少し遅れて書記官のアンガス・ケイリーが、怪我の後遺症が残る足を庇いながら登場する。

「向こうはオーロフとヘザースも揃いました。」

 どうやら都たちの様子を確認してきたらしい。

「ではこちらも始めるとしよう。」

 最初にこの場の記録をケイリーが逐一取ることを伝え、本題に入る。

「先だってカズトが来たときにこちらの記録を渡したが、それは見ているかね?」

「ケイリー書記官とショウライナ・ダールが記録したものなら目を通しました。」

「結構。なぜショウライナ・ダールなのか、と思っただろう。」

「ええ、実は。」リュートは白状する。

「たまたま居合わせたから、だそうよ。」と言ったのはクラウディア。

「学校で速記を習ってて、ほとんど考えずに手が動いたそうだ。おかげで私も助かった。なにしろ、何が起きてるのかもわからない状態だったから。」ケイリーも補足する。

 改めて、多くの知人を巻き込んだのだとリュートは実感した。

 小さく深呼吸すると記憶をあの日へと巻き戻す。

 この聖堂でサーフス議員に襲われ怪我をしたまま向こうへ戻ったこと。戻った向こう世界では、黒き竜の魂を宿した男が都と波多野大地(はたのだいち)を拉致していたこと。

 そして異変。

 こちらの世界で呪術が効力を発揮するのと同時に、向こうの世界の空が異変をきたした。さらに呼応するように黒き竜の魂を宿した男が力を増したとき、彼……リラントが現れたのだ。

「相手がリラントだと名乗って、すぐに納得したのかね?」

「いいえ。でもあのときの都は彼女であって彼女でなかった。」

 だから何か異変が起きているのはすぐ察した。その異変がリラントの魂の復活だとは思いもしなかったが、あの状況では他に信じるものがなかった。

「黒き竜の魂が罠を仕掛けた可能性もあっただろう。」

「もしそうなら、銀竜(ぎんりゅう)を繰ることはできません。それに先ほど議長が確認したとおり、契約の力は健在でした。」

 もちろん、窮地に現れた伝説の聖竜の名はにわかには信じがたかった。けれど英雄の魂を呼び起こしたのもまた彼女の意志なら、それもありうると思った。

 それは直前に読んだ彼女の父親からの手紙が、彼女が一族の末裔であることを示唆していたから。

「大昔、ご先祖は竜の背に乗って空を馳せていた。」

 その符号はリラントの名を信じるに値した。

 リラントの魂に呼応した銀竜たちは想像以上の働きをし、それと一族の長、アニエ・フィマージから預かったリラントの瞳の欠片、都の父親の形見の欠片を使って黒き竜を封じ、大気を沈めることができたのだ。

「黒き竜はもともとリラントと同じ、空を統べる一族だった。だが妻を人質に取られ、それを取り戻そうと呪術の力を借りた。そのことについてはどう思う?」

「彼らが言うのなら、そうだと思います。」

 結果、黒き竜の魂だけが門を通り、そのせいで黒き竜は己の理性も記憶も、名前すらも失って凶暴化した。もしそうだとして彼が最初から望んで自ら呪術を施したのか、あるいは誰かの口車に乗せられたのか、それは今となってはわからない。

「もしこの先、英雄ガラヴァルが記録したものが解読されれば、あるいは事実がわかるのかもしれません。」

「伝承と違って、黒き竜は悪しき竜じゃなかった可能性もあるのよね?」

 リュートは思い出す。

 黒き竜の魂が己の記憶の欠片を取り戻したとき。垣間見た雄雄しい金色の瞳を。

 屈強な黒い鱗の内から響く声が、目が潰れそうなほどの光から守ってくれた。

「目を閉じろ……と、そう黒き竜が言ったのかね?しかしそれは報告書にはなかったと思うが……」

「今まで忘れてました。」

 本当だった。

 あのときのことは何度も思い出し夢にまで見たのに、黒き竜の最後の言葉は今の今まで忘れていた。

「つまり、失われた記憶の欠片を取り戻して、正常になったということか?」

 リュートは一瞬考える。

 封じられる直前、確かに黒き竜はリュートを助け、リラントの言葉を受け入れた、しかしそれは従うというより、自ら望んでそうしたような気がする。

「あえて言うなら、戻るべき拠り所を取り戻した。ただの勘……ですけど。」

「竜騎士が言うんだ。きっとそうに違いない。」ケイリーが筆記する手を止めて頷いた。

「竜騎士の勘はただの勘ではない、か。議員も勘を養ってほしいものだ。サーフスの件は話したかね?」

 問われてクラウディアは頷いた。

「奴をどうするかは被害者のきみ次第だ。きみが望めば公安に引き渡す。なければ自宅謹慎のまま。」

「……考える時間をください。」

「できればこちらにいるうちに答えを出して欲しい。それと神舎からの依頼は聞いているか?」

「公安での立会いの件でしょうか。聞いてますが彼女にはまだ……」

「ガイアナ議長。」クラウディアが挙手した。

「彼女の立場を明確にしてからでないと、公安に出向く意味はありません。」

「わかってる。焦らせてすまなかった。」

 その後も質疑と応答が続き、やっと解放されたのは日が沈む頃だった。

 議長の執務室を辞したリュートは、足早にあてがわれた部屋に向かう。

 早瀬加津杜(はやせかずと)が議長に交渉して確保しておいた、今は使われていない議員用の執務室に飛び込む。

「遅くなった!」

「お疲れ。」

 そう言って迎えたのは、長椅子で寛いでいたメラジェ・ヘザースだった。

 彼の向かいに座るデレフ・オーロフの緑の瞳も微笑む。

「随分絞られたようだな。」

 祖父と懇意だった彼は、首筋で束ねた髪こそ白いがいまだ竜に乗る現役の竜騎士でもある。

「カズトもこの前、ずいぶんやられた顔をしていたぞ。」

「仕方ないといえば仕方ない……」と、そこまで言ってリュートは首をかしげる。

 二人がここにいる……ということは、面談はすでに終わっているはず。

 なのに都の姿が見えないのはどういうことか。

 リュートの疑問を察したメラジェが、部屋の隅を目線で示した。

 目を向けたリュートは「えっ?」と声を上げる。

 そこにいたのは、白い床の上に体育座りをする婚約者の背中。壁と向かい合っているので表情はわからないが、背中から漂う哀愁ははただごとでない。

「ミヤコ、どうしちゃったの?」

 遅れて部屋に入ってきたクラウディアも目を丸くする。

「一人になりたいんだと。」

「そんな大変な面談だったの?」

「おおむね上手くいった。質問にはちゃんと答えていたし、我々も滞ることなく援護した。」

「じゃあ、なんで?」

 うーん、とメラジェは腕組みする。

「思い当たるのは、アレしかないんだよなぁ。」

「だからアレってなによ!」

「けど、なんでかというと……」

「ちょっとメラジェ!」クラウディアはキッと夫を睨む。

「だから、ケイリー夫人。ユーリ・ネッサ・ケイリーだよ。」

遅くなりました。次回の更新は6月16日(金)を予定してます。

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