第十話
「せっかく家にいるのに、図書室にばかりこもっているのね。」
「いろいろ、やることがあってね。」
ペンを走らせながら早瀬は応える。
その姿に、書棚に本を戻していたエミリアは呆れる。
「結局、ダール家にもお伺いしなかったのでしょう。」
「向こうから会いにきてくれたからね。ちょっと待ってて。」
早瀬は自分が書いた手紙にざっと目を通す。「うん」と小さく頷くと末尾に署名をしてペンを皿に置いた。
肩越しに妻を振り返る。
「ダール家はオーディのこともあって大変らしい。それにリィナリエが神経質になってるらしくて……」
来訪したい旨をセルファが伝えた時点で、ヒューゲイム・ダールは「こちらから会いに行く」と言ったのだ。しかしまさか、聖堂で待ち伏せされるとは思わなかった。
「そういうところがヒューらしいけどね。」
「私はまだ、イナリサに会ってないのよ。」
「わかってる。だからオーディの契約の儀が済んだら、君と一緒に改めて挨拶に行くと言っておいた。」
「そういう話は、先にするものでなくて?」
一昨日の夜遅くラグレス家に帰ってきた早瀬だが、昨日も今日も、報告書や手紙を書くために、この書棚に囲まれた図書室に引きこもっていた。もちろん食事はエミリアと一緒だが、作業に集中していたので、確かに自分から話をした記憶がない。
「そういうところ、あなたもリュートも似ているんだから。」エミリアはため息をつく。
「悪かった。でも手紙も書き終えたし、残りの時間は君と過ごすよ。」
「明日の朝まで一日もないのよ。」
「でも僕と入れ替わりに都ちゃんが来るし。」
「それはそれ。これはこれ。」
新しいお茶を持ってきたイーサが、二人のやり取りを聞いて笑う。
「相変わらずですね。エミリアさまは、お手紙も羨ましいんですよ。」
早瀬は自分の手元に目を落とす。
今回の滞在中に会うことのできなかったトラン・カゥイ宛にしたためたのは、手紙というより報告書に近いもの。それが羨ましいとはどういうことか。
「ご自分もお友達に手紙を差し上げたいのに、言葉がわからないのがもどかしいんです。」
「ひょっとして宮原に、かい?」
しかしエミリアは背を向けてしまう。
妻の拗ねた様子に、早瀬は納得する。
「都ちゃんは、こちらの文字をだいぶ読めるようになったよ。それに宮原には文字じゃなくてもいいだろう。ほら、いつも描いてる花の絵とか。」
あからさまにエミリアは眉を寄せる。
「あれは栽培の記録よ。」
「僕が描くより綺麗だよ。それに宮原の夫君は絵書きだから、そういうほうが喜ぶと思う。宮原も絵を描くのは上手かった……少なくとも四十年前はね。」
中学高校の同級生が、音楽より美術を好んだのは本当のこと。
そう言うと、エミリアも渋々納得した。
早瀬は手紙をに封をすると、宛名を書いて書き物机の引き出しにしまった。そうしてイーサの淹れたお茶で一服する
その間にエミリアは、庭師に頼んでいたものを温室に取りに行く。戻ってきた彼女の手には植物の蔓で編んだ籠。中には綺麗に束ねた花と、銀竜のカルルがちょこんと入っていた。
外出の準備が整うと、二人はイーサと庭師の兄妹に見送られ、銀竜を連れて家を出た。
ラグレス家がある村は州都ガッセンディーアから少し北の所にある。丘陵地帯に囲まれた小さな村で、皆顔見知りという土地柄。そのため早瀬とエミリアが連れ立って歩けば、通り過ぎる人が皆声をかけていく。
“カズトじゃないか!”
“いつ戻ったんだ?”
“いつまでいるんだ?”
見知った顔に出会うたび立ち止まり、近況を報告し、そのせいで目的地に着くまで時間がかかってしまった。
たどり着いたのは村はずれにある、うっそうとした森。
その一角。石を積んだ土台に建つ石柱の前まで来ると、早瀬は籠の中からカルルを抱き上げ地面に置いた。ついで花束を取り出すと一つをエミリアに、もう一つの束から数本花を抜き出しカルルの小さな鉤爪に渡す。残りを石碑の足元に置くと、自分の両親の墓前でそうするように目を閉じて手を合わせた。
となりに佇むエミリアの口から詩のような言葉が流れる。
竜の眠る大地に、共に還った竜騎士たちを弔う詩だと、早瀬は彼女から随分昔に教えてもらった。
声が途切れる。
顔を上げると、傍らで微笑むエミリアと目が合った。
「何を考えていたの?」
「君の両親に、ご無沙汰してしまったお詫びをね。それと竜杜が結婚することを報告した。」
石碑の下に眠っているのはエミリアの父と母。彼らはエミリアが二十歳の頃に相次いで亡くなった。だから早瀬は彼らに会ったことがない。
けれどラグレス家のいたるところに残る気配、旧知から聞く在りし日の彼らの様子を聞いて、どんな人たちだったのか知った。特にエミリアの父、ウォルドカーサ・ラグレスは銀竜についての造詣が深かったらしい。
「つくづく、会っていろいろ聞いてみたかったと。」そう思うのは今に始まったことではない。
「きっと父もそうしたかったと思うわ。」
二人は石碑に再度頭を垂れると、カルルを籠に入れてその場を離れた。
家に戻る途中、小高い丘に寄り道する。
そこからは村を一望することができ、後ろを振り返ればさきほどまでいた森を見ることができる。
エミリアはカルルを籠から出すと「遠くに行ってはだめよ」と言い含めて地面に降ろした。飛べない銀竜は、「うぎゃ」と鳴くと草むらをぴょんぴょん飛び跳ねる。
「いい風だ。」
早瀬は目を閉じる。
日本と季節が逆のこの地は昼間は暖かいが、それでも頬をなでる風は時折冷たく、季節が変わっていることを感じさせた。
早瀬は言った。
「オーロフの御大に会って来たよ。ネフェル嬢には会えなかったけど、都ちゃんがこちらに来ることは伝えておいた。」
「オーロフのおじさまは何て?」
「会うことは反対しないって。」
そう、とエミリアは安堵する。
昔、自分と早瀬が引き離されたように、都の正体が知れて仲の良い友人同士が引き離されないかと心配していたのだ。
「昔と今じゃ違うよ。門番は一族の末裔と認められたし、むしろ僕が心配だったのはネフェルが会ってくれるかどうかだったんだけど……」
「大丈夫だろう。」と言ったデレフ・オーロフの言葉を思い出す。
「むしろ彼女と会うべきだと、私は思っている。会わないでいるほうがネフェルは不安になる。」
その言葉に、早瀬は同意した。
「都ちゃんが門の向こうから来たことは驚いたらしいけど、それに触れたのは一度きり。むしろ都ちゃんが試験に合格できるかどうか気をもんでいたらしい。」
「試験のこと、どうしてネフェルが知ってるの?セルファが言ったのかしら?」
「マーギスから聞いたらしい。ネフェルはときどき神舎に顔出して、レイユと遊んでいくそうだ。」
「神舎に行って大丈夫なの?」
「その件は現当主のジェイス・キールも認めてるそうだ。神舎にはガッセンディーアの古い言葉を記した本があるから、勉強のためなら仕方ないって。まぁ訪問先がガッセンディーアの司教ともなれば、文句を言う人もいないだろう。」
「それ、あなたの言い訳じゃない。」
「僕の理由は友達に会いに行くことだよ。」
実際、神舎を訪問したとき、マーギスは早瀬の事を「大切な友人」と人々に紹介した。
二人は互いの無事を喜び、そして二つの世界が守られたことを再確認した。その上で、早瀬は近々息子たちがこちらの世界に来ることを伝えたのだ。
「ミヤコさんがこちらに……そうですか。」
「何か?」
「彼女に頼みたいことがあるのですが……それを頼んでいいものかどうか。」マーギスは言いよどむ。
そんな彼を促し、聞き出した頼みごとの内容をエミリアに説明すると、彼女も眉を寄せた。
「きっと、ミヤコは引き受けると言うわ。」
「僕もそう言った。だから本来なら頼みたくないんだと、マーギスも言ったよ。」
「どうするの?」
「せめて立ち会うときはキャデムに同席してもらおうと思ってる。」
「思ってる、ではなく、そう手はずを整えて来た、でしょ?キャデムならうちにも来たわ。」
「聞いた。彼も聖堂に念書を書かされたそうだね。」
この村の出身でリュートと幼馴染の公安巡査は、早瀬の正体を知って驚いた反面「なんとなく納得した」とエミリアに言ったらしい。
「うちなら、そういうことが起こってもおかしくないと思えるんですって。」
「ハンヴィクも同じようなことを言ってたな。」
早瀬は竜隊時代の先輩にして竜仲間のコレクターを訪問したときのことを話した。
彼は、早瀬が門番であることを極秘にしていた事情を察してくれた。
「彼にはトランがこっちに来たら知らせて欲しい、とも言われてるんだ。」
「カゥイさん、お忙しいの?」
「新しい先生を迎える準備があるそうだ。ええと、向こうの家もちゃんと準備してるよ。」
「当然よ。ミヤコが来るのに何もしないなんて!」
「それに君が来ることも考えたら手を加えるべきだと思ったんだ。そう冴さんに言ったらあっという間に手はずを整えてくれてね。」
早瀬が戻り次第、リフォーム工事に入る予定だと説明する。
「ミヤコも希望通りの進学ができてよかった。」
「心置きなくこちらに来られると言ってた。そうだ。持ち出した君のお父さんの日記、すっかり忘れてしまったから竜杜に持たせるよ。」
「そんなもの、持ってらしたの?」
「竜杜が小さいとき、フェスが聖堂で地下に入り込んだのは覚えてる?」
「ええ。オーディも一緒だったときね。」
「コギンも同じようになったのが気になって、オーロフの御大に話したんだ。」
何気ない会話の中で、デレフ・オーロフは昔、ウォルドカーサ・ラグレスが銀竜の先祖がえりについて話してたことを思い出したのだ。
「先祖がえりと言われて僕も思い出したんだけど、最初にこちらに来たとき、ルーラはまっすぐ聖堂に僕を導いた。つまりリラントが生み出した銀竜は、彼ら英雄にゆかりがある場所に惹きつけられるんじゃないかと仮説を立てたんだ。」
「でもフェスはラグレスの家で孵った銀竜よ。」
「フェスの親竜を覚えてるかい?」
「ええ。祖父が若い頃からかわいがっていた古い銀竜。リュートがフェスを名付けて間もなく姿を消してしまったけど……」
それは銀竜の終焉の姿。人知れずひっそり生涯を終えるのは空を飛ぶ竜も同じだと言う。
「どうもその親竜、君のお祖母さんが嫁入りに連れて来た銀竜らしい。」
エミリアは目を丸くする。
「祖母は一族の血筋だったけど、南の出よ。銀竜なんていたのかしら?」
「お義父さんの覚書によると君のお祖母さんの実家は古い家柄で、そこで眠っていた銀竜を連れて嫁入りしたと、子供の頃に聞いたらしい。そういう銀竜は親の資質を受け継ぐことが多いともあった。」
銀竜が眠っていた家はとうの昔に途絶えているし、話した人も、話を聞いた人もすでにこの世にないので確認のしようがない。
「祖母は……一族だった母親を亡くして、継母に追い出されるようにこのガッセンディーアに来たの。祖父との縁談のために。」
「それは珍しいこと?」
「連合国になって百年も経ってない頃よ。女性が一人でよその土地に来るなんて……」
「もしかしたら、彼女は銀竜のために北に来たのかもしれない。少なくとも、僕はそうだったから。」
「まるで御伽噺だわ。」
でも、とエミリアは微笑む。
「そう信じたい。そうあってほしいと思うわ。」
早瀬は頷いた。
「僕もだよ。」
次回更新は2017年5月30日(火)を予定してます。