第一話
柏手が響く。
そのまま掌を合わせ、都は目を閉じた。
最後に礼をして次の人に場所を譲ると、石段を降りて深呼吸。
その大儀そうな様子に、並んで参拝していた竜杜が苦笑する。
「気合が入ってるな。」
「初詣ってなんか緊張するんだよね。今年はリュートも一緒だし……」
都はコートに淡いブルーのマフラー姿の婚約者を見上げた。
社務所でお守りを受け取ってから、思い出したように彼に問いかける。
「お参りとか、宗教的に大丈夫だった?」
「英雄は神じゃない。それに神社には、小さい頃から祖父さんと一緒に来てた。店にも神棚はあるし、問題ない。」
「そういえばそっか。」
「それにしても、結構人が来るもんだな。」
いつもは閑散としている小さな神社に、参拝客が集まっている様子が珍しいらしい。
「夜中……っていうか日付変わる頃のほうが、もっと多いかもしれない。」
そんな話をしながら鳥居の外に出たところで、ばったり顔見知りに出くわした。
「都ちゃん!竜杜くんも。」
「比奈さん、あけましておめでとうございます。」
日ごろデートで世話になっているレストランうさぎ亭の若夫婦に、都はぺこんと頭を下げた。
「あけましておめでとうございます。年末、具合悪かったって聞いたけど大丈夫?」
比奈は眉をひそめた。
「風邪、こじらそうになっちゃいました。でも、もう大丈夫。」
「そりゃよかった。フリューゲルさんは、今年もよろしくお願いします。」
頭を下げる夫の笠木誠司に「こちらこそ」と竜杜も頭を下げた。
「そういえば竜杜くんのお母さんが来てるんだって?」
「ええ。祖父の墓参りで。」
「時間があったらお店に来て、って言いたいところだけど……」
「こっちも正月休みだかんな。」
また今度があったらぜひ、と言付かって別れる。
そこから徒歩五分ほどの早瀬家に戻ると、都の保護者が二人を玄関に出迎えた。
スラックスにブラウス、カーディガンを羽織ったいつもと同じオフィススタイル。唯一違うのはいつもバレッタでまとめている癖のある髪を、そのまま肩に垂らしていること。それ以外、眼鏡も小さなピアスも普段仕様。
「早瀬さん、台所で手が離せないから。」自分が出てきたと説明する。
「手伝ったほうがよさそうだな。」
竜杜はコートを脱ぐと、居間に向かった。
玄関に残された都は、慣れないスカートの裾を気にしながらブーツを脱ぐ。その様子を見ながら冴が訊ねた。
「初詣、混んでた?」
「それほどじゃなかった。それより一人で荷物、大丈夫だった?」
「タクシーで来たもの。エミリアさんがお待ちかねよ。」
果たして、都が居間に行くと婚約者の母親が待ち構えていた。
「寒かったでしょう。」
「今日はお天気だし、風もないから。それにガッセンディーアに比べたら全然です。」
そう、とエミリアの漆黒色の瞳が微笑む。
いつも結い上げている茶色の長い髪は、今日は首元でゆったり束ねている。クリーム色のタートルニットにグレーのロングスカートはともにシンプルだが、彼女の魅力を損ねないほど上質な物だとわかる。アクセサリーはいつもの通り左手の指輪だけ。それでも、凛とした美しさは相変わらず、むしろカジュアルな服装のせいか二十七になる息子がいるとは思えないほど若々しい。
「揃ったね。」
早瀬加津杜が酒瓶を手に台所から出てきた。
こちらは丸襟のニットというラフな格好。白い物が混じった髪は切ったばかりなのか、息子の竜杜より短くさっぱりしている。唇の上に蓄えた髭も、いつもより短く見えるのは気のせいか。
彼の後ろにはグラスの載ったトレイを持った竜杜が続く。
促されて席につくと、大きなダイニングテーブルの真ん中に都と冴が用意したおせち料理が並んでいた。それを取り囲む大皿には、見た目も美しいオードブル。この家の主人である早瀬が用意したものである。
「母さんも日本酒でいいのか?」
グラスを置きながら竜杜がエミリアに尋ねる。
「合わなかったらワインも持ってきてますから。」と冴が気を利かせる。
「たぶん大丈夫。こう見えて、うちの奥さんお酒は強いから。」と早瀬。
「そういえばリュートも結構飲んでるよね。バーインヴァネスさんで。」
「あれは笙子先生に付き合ってるだけだ。」
言いながら、竜杜は都のグラスにティーソーダを注ぐ。
すべての準備が整うと竜杜は都の隣に、そして早瀬は上座に座った。
そして早瀬の音頭で「あけましておめでとうございます」の乾杯をする。
「おせち料理なんて二十年ぶりだよ。」
懐かしいね、と早瀬は塗のお重を覗き込む。
「ミヤコが作ったお料理はどれ?」
「一人で作ったのはこれと、これ……だけど。」
「どれも都ちゃんの手はかかってますわ。」
「大変だったでしょう。」
いいえー、と冴は手を振る。
「最近手抜きが多かったし、都ちゃんに教えるいい機会でしたから。」
「わたしも久しぶりにお正月料理手伝ったの、楽しかった。」
元日をぜひ一緒にと年末に誘われて、冴と都が協議したのは差し入れどうするか。
都は「普通のおせち料理」を主張したが冴は最後まで「そんなんでいいの?」と懸念した。
が、こうして広げてみれば早瀬は日本での正月が二十年ぶりだし、彼の妻と息子にいたっては、まったく初めての正月ビギナー。
その選択が正しかったことに都は安堵した。
エミリアは箸で器用に料理を取ると、優雅に口に運ぶ。そして「おいしいわ」と満足げな顔をした。
それは竜杜も同じ。
「これ、面白い酒だな。」
「うん。日本酒なのに発泡してるんだ。リカーハタノさんのお勧めだよ。」
「オードブルも、おいしいです。お酒飲めなくても進んじゃう。」
そんな風ににぎやかな正月は、都にとっても久しぶりだ。三年前に母親を事故で亡くしてからは保護者役の冴と二人暮らしだし、高校に進学してからは忙しいを理由に略式で済ませていた気がする。
ひとしきり飲んで食べた後は、喫茶店フリューゲルの店長でもある早瀬が淹れたコーヒーで一息つく。
それでもなお酒をちびちび飲みながら談笑する中年を尻目に、都たちは籐椅子の置かれたに縁側に移動した。
昭和初期に建てられた早瀬家の母屋は基本的に日本家屋の体裁だが、一階がフローリングと一部和室、そして二階がほぼ和室の構成になっている。皆が集まっているリビングダイニングと庭に面した縁側はほとんど一続きで、その一部分に内包された和室がある。今日はその襖を閉めているので縁側がちょっとした小部屋のよう。
掃き出し窓の外に目を向けると、すでに夕暮れ色の日が差す冬枯れの庭。手入れされた庭を眺めながら、都は竜杜が作ってくれたデザートプレートをいただく。
「ん!このパウンドケーキ、柚子ジャム使ってる?もしかしてマスターが焼いたの?」
「夕べ、大慌てで。」
「アイスと一緒に食べるの、おいしい。」
幸せそうにデザートをほおばる恋人を、竜杜は満足そうに眺める。
ふと、都はテーブルで談笑する冴とエミリアを見た。
「母さんがいるの、不思議か?」
「あ、うん。」
彼女がこの家にやってきたのは突然だった。
その日、都は竜杜と年末デートを愉しんでいたのだが、冴からメールが入って慌てて喫茶店フリューゲルに駆けつけてみれば、そこには優雅にコーヒーを嗜むエミリア・ラグレスの姿。
「なんで母さんがいるんだ?」
驚く息子に、エミリアは平然と言った。
「あなた達の顔が見たかったから。」
もちろん都もエミリアと会えるのは嬉しいし、育ての親ともいうべき小暮冴に会ってもらえたことも良かったと思っている。
しかし、彼女がこの家に足を踏み入れたのは実に二十八年ぶり。何があったのかと勘ぐらない方がおかしい。
エミリア・ラグレスの名前が示すとおり、彼女は日本人ではない。
息子の早瀬竜杜も黒髪、漆黒色の瞳だが、よく見ればどことなく日本人離れした整った顔立ちをしている。
もっとも、明るい茶色の髪に白い肌の木島都も「外国の血が入っているのでは?」といつも言われてしまう。それが正しいと知ったのはつい最近。会ったこともない、彼女が生まれる前に他界した父親がドイツ人とのクォーターで、いわく、都は彼にとてもよく似ていたらしい。
らしい、と曖昧な言い方になってしまうのは、その事実を知ったのがほんの十日前で、しかもその直後に無理がたたって入院してしまい、詳しいことが聞けずじまいになっているから。
そんな自分と違い、竜杜は国籍こそ日本人だが異国で育ったことをちゃんと自覚している。
否。
正確には「異国」でなく「異世界」。
そこはどこか西洋のような、けれど「空の民」と呼ばれる竜が空を飛ぶ世界。
いつもはそこで暮らすエミリアがこちらに来たことにも驚いたが、たった数日で馴染んでいるのもまた、都には驚きだった。
「思ったより、なんか普通だなと思って。」
「もう一つの家に来るようなものだし。父親と結婚する前するに、この家に滞在してたから。」
「だよね。」
「ただ今回も、笙子先生には随分世話になった。」
「明日、一緒にお墓参り行くんだよね?」
「栄一郎さんが車を出してくれる。さすがに電車に乗れとは言えない。」
ため息を吐き出す恋人に、都はくすくす笑う。
「リュート、お義母に強く言えないもんね。」
「今回はいろいろありすぎたから、言う気もないし、言える立場でもない。」
「それ言ったら、わたしも同じだよ。みんなに迷惑かけちゃったし。」
「都のせいじゃないだろう。」
「そうだけど……」つとマグカップを持った手に視線を落とす。
「向こうのこと、心配か?」
「ちょっと……」
「セルファに任せれば大丈夫だ。それに俺もさっき祈ったから、悪いようにはならないだろう。」
え?と都は首をかしげる。
「祈ったって……初詣で?」
「ああ。コギンが早く元気になるようにって。」
お待たせしました。公言どおり、どうにか2月中にスタートでございます。
が、トップに書いたようにしばらく不定期更新になります。
次回は2017年3月9日(木)に更新予定。よろしくおねがいいたします。