四話 ハルと迷宮
ここは《骸遊びの迷宮》最上階。
生者を求め、【デミリッチ】のゾンビが至る所に徘徊する階層。
そんな階層の通路をおぼつかない足取りで歩く少女が一人。
少女を良く見ると、片足は真っ赤な血に染まり体重の半分を壁に預けて、表情はすでに満身創痍の様子だ。
その少女の名はハル=ハメルニーク。
モンスター討伐やギルドクエストを生業とする、栗色の髪に栗色の瞳をした、冒険者だ。
ふらふらとする意識の中ハルの記憶に新しいのは、はぐれた仲間達の事 。──ハルを置いていった仲間の事。
一人は魔法使いのメロディ。
小柄な体型の彼女は回復魔法以外なら何でも使えた。攻撃魔法も支援魔法も天才の彼女にかかれば呼吸と同じだ。そんなメロディの勇ましさにハルは何度も憧れた。
盾使いのボブ。
ハルには到底持てない頑丈な盾を持ち、大柄な身体を生かした大胆な盾さばきはいつもチームを守ってくれる。敵の気を惹きつけ、己の身を顧みない姿にハルはいつも感謝の念が絶えなかった。
二刀流剣士のジャイト。
右手にはとある名工が作った伝説の剣、左手にはとある遺跡で発見した幻の剣をひっさげ。繰り出される連撃はどんなピンチをも覆す、チームのエース。当時、同じ駆け出しのハルを笑顔で向かい入れてくれた事は今でも忘れない。
そして、ハル=ハメルニークは回復職だった。
ただし、僧侶、神官でもなければ、回復魔法の使い手でもない。
ハルは薬師。薬を作る事が仕事。
チームが望む薬を作る事が仕事。
そのために朝からなけなしのお金を持って市場に入り浸り、自家製の薬草を育て、それでも足りなければ一人で森へ採取をしに行く。
だが、それも仕方のない事だった。
メロディのような魔法も使えず。
ボブのような大盾を持つ力も。
ジェイトのような圧巻の武術もないハル。
戦闘中、非力なハルが彼らのためにできる事はない。
チームの回復は薬がする。
ハルが冒険中、彼らにできる事はせいぜいが応急手当て。それだって優秀なジェイト達は滅多な事で怪我をしない。
だからハルは頭を使った!
いらない子だと思われない様に必死になって頭を使った!
情報の不足は生死の分け目。
それをふまえ、今回の冒険で一番頭に入れなければならない情報があった。
“《骸遊びの迷宮》上層には絶対に手を出してはいけない魔物が二体いる!”
うち一体がかの【デミリッチ】!
そしてもう一体が大鬼の腐乱死体!
【デミリッチ】に関しては問題無い。
多くの冒険者からの情報で「こちらから手を出さなければ無害」との判定が出てる。分かりやすく言えばフロアボスと例えればいいだろう。この情報に間違いはない!
問題はシュタインオーガ!
こいつに関しては最悪の一言だ!
【デミリッチー】をフロアボスと例えるならばこちらはゲリラ豪雨!
フロア中のどこからともなく現れ数ある冒険者をその手で屠ってきた。
メロディの魔法も耐える魔法耐性、ボブに勝るガタイに腕力!
迷宮上層を徘徊し、生者とあらば躊躇無く襲って来る。
しかもアンデットの特性上疲れ知らず!
戦うという選択は論外、出会い頭に逃走が常識! の、はずだった……。
「あれがあのシュタインオーガか……」
「やれるかジェイト?」
「ああ、俺たちならな」
「ジェイト、ボブ、支援の魔法はまかせて」
「ああ頼んだぞメロディ」
なぜか、なぜかシュタインオーガと戦おうとする仲間達にハルは戸惑いを隠せない。
「待ってよみんな……考え直そう? シュタインオーガに私達が勝てるわけないよぉ……」
顔を青くしながらハルが言う。
調べた情報が確かならそれは確定事項だ。なんといってもチームの為に集めた情報だ。誤りなどあるわけがない。
だがしかし、三つの視線がまるで疎む様に、蔑む様にハルへと向けられた。
「お前はさ何様なの? 私達? 戦いもしないお前と同じにするんじゃねーよ」
ボブが吐き捨てる様に言ったその言葉は、グッサリとハルに突き刺さる。
特に、最近皆がお荷物を快く思っていないこと。それをなんとなく察していたハルは、チーム内で肩身の狭い思いをしていたのだ。
「やめなよボブ、ハルは私達のためを思って言ってるんだから」
「チッ……」
仲裁したメロディの優しさも心に刺さる。
以前、彼女の先輩だった頃の立場はもう今のハルにはない。
「ジェイトいけるか?」
「ああ、俺達はもう上級冒険者だ。シュタインオーガ位なら相手取れるはずだ」
そう自らを鼓舞するジェイト。
しかし、そんなジェイトの鼓舞が焦りからくる事をハルはよく知っている。
最近、彼らとハルに軋轢が生まれた原因は同じだ。
ジェイト、ボブ、メロディの三人が上級冒険者へ昇格したのはつい先日の事。そして、それに伴うチームの名声の向上。それ自体は喜ばしい。
少しはチームの役に立てているのかも、とハルも素直に嬉しかった。
だが、ジェイト達とハルは違った。
周りからの期待に答えるため成功を焦るジェイト達にやがて……ハルの体力が付いて行けなくなった。
結局、今も昔も変わらなかった。
上級冒険者の彼らに必死でついて行こうがシュタインオーガへ挑む三人に比べ、ハルはこれから先もチームのお荷物のままなのだ。
………………。
彼らとそして大鬼の腐乱死体の戦いは壮絶を極め──る事も無く。始終一方的に進み結果はジェイト達の惨敗で終わった。
文句のつけようの無いまごうことなき負け。それがシュタインオーガとの戦いの結末だった。
メロディの魔法も効かず。
ボブでも防ぎきれない怪力。
ジェイトの技術をも覆す圧倒的身体能力。
そんな強敵に敗北は必然。
故に、彼らが次に生き残る事だけを考えるのは道理だろう。それからジェイト達が逃走を決めるまでは早かった。
成りたてとはいえ上級冒険者である彼らは、ハル以上に実戦の引き際というのをわきまえていた。
のだが、──まさか……はちきれんばかりの筋肉を身に付けたゾンビが魔法を使ったと言うのは、誰もが知らない予想外の事だった。
地から蘇るゾンビらしい土の魔法。その魔法で生成されたこぶしだいの岩石は、魔法の力で一直線にハルへと向かって飛来し、片足に大きな傷跡を残す。
流血して痛む足を引きずるお荷物を連れながら、それでもチームがシュタインオーガから逃げ切ったのは、やはり運が良かったのだろう。
しかし彼らは思ってしまう。
お荷物の存在意義。
なぜ上級冒険者であるこのチームに彼女がいるんだ、と。
溢れ出るその疑問を「まだここは迷宮の中なんだぞ」となんとか飲み込み、彼らはしばしの休憩をとることにした。
ハルはお手製の痛み止めを服用しその後、バックを丸ごとジェイト達に渡し、中のポーションで自分よりチームの回復を最優先に務める。
と休み、回復しているこのタイミングでまたチームにゾンビ達が群がった!
チームは死屍累々! 体制の立て直しのため、一旦の戦略的撤退を決断する!
二刀流で道をこじ開けるジェイト!
ゾンビを寄せ付けない守りのボブ!
隙あらば魔法で牽制するメロディ!
そして──ッ!
……よたよたとチームからはぐれてしまった怪我人。
ハルは彼らの背中を必死に追いかける。だが、必死にゾンビから逃げる彼らには到底追いつけなかった。
──遠ざかる彼らの背中にハルは叫ぶ。
「待ってよみんな! お願いお願いだからッ!」
その声は走り去る彼らには聞こえない。
「待ってよ……ねぇ、お願いっ……」
声からは震えが止まらない。
「──みんな……うそでしょ……?」
──ハルが一人、迷宮で置き去りにされた、その後も。
□■□
望みなし。
俗に言う絶望──
それが今、ハルの置かれている状況だった。
「……ぅ……くぅ……」
痛み止めはとうに切れ、再度服用しようにも薬はバックごと仲間に渡してしまった。
まさかはぐれるとは思っていなかったハルは、過去に戻ってあの時の自分を全力で止めたい気分だ。
「あぅ……はぁはぁ……」
壁にもたれ息もきれきれで歩く。
バックに入っていた地図を思い出し、じくじく痛む足を庇いながら迷宮の出口を目指す。
しかしその朦朧とする意識の中、正しい道なのかどうか当のハルにも区別はできない。
そのまましばらく歩くと。
ハルは微かな気配を感じ取った。ドタドタと、それが後から来る複数の足音だと分かると、
「……あっ!」
と、期待がこもる声を上げ、足音がする方を見やる。
それは「仲間が探しに来てくれた!」というハルの期待がそのまま行動に現れた、ほとんど衝動的なものだった。しかし、
「あ……うそっ……」
驚愕か、恐怖か。
いずれにせよ、期待とはかけ離れた小さな呟きがハルの口をついた。
ハルが感じた複数の気配。
──その正体は、生者を食らう生きる屍達の群れ。
淡い希望が崩れ、頭が真っ白になり。視界が暗転する。
もう望みはないのだろうか? ふとそんな考えがハルの脳裏をよぎる。
今までのハルに残されていものは、死にたくない! 諦めきれないっ! という確かな思いだけ。しかしその思いこそが、空白のハルを確実に前へと進めていたのである。
そんなハルが、ダッと怪我の痛みも忘れゾンビ達とは逆の方向に走りだせたのは、やはり生存の本能のおかげだったのだろう。
だがすぐに、カクンっと糸が切れた人形の様にハルの膝が地面に落ちる。
蓄積した疲労や痛みを無視した反射的な行動がここで、仇となったのだ。
「……ぅ」
考えろ! やだやだ、死にたくないッ! なら考えろっ!
そう自らを叱咤するハル。
今、自分にできる最適解を探す。
──逃げるのはもう無理。
──隠れのも無理。
──バックもないッ。
「だったら……っ‼」
ハルは、勢い良く腰のホルダーからナイフを抜き取り、涙が溜まった瞳で強く敵を見据える。
それは、死ぬくらいなら! というなけなしの意地だ。
近くの敵は五体!
───狙うは弱点、首ッ!
膝をついたままの姿勢でナイフを握りしめ、戦闘の開始から逃走までをイメージする。
例え、そのイメージがあり得ない妄想だろうと、もうこれしか生き残る道は無い。
今まで、人間はおろか魔物さえ手を掛けた事が無いハル。
「薬草を綺麗に取る時によく使う」程度にしかナイフを扱えず、最近は特に果物ナイフと化していた護身用ナイフを構える。
そして、
「……えっ……?」
──ポトリと、ハルは思わずナイフを落としそうになった。
そのありえないあまりの光景に、視界から景色の色が消えハルの神経全てが、彼女に注目するため、刹那的に無駄な色彩情報をぬぐい去ったのだ。
それは、迷宮にいるはずの無い少女が一人。
──ふんわりと。
ゾンビの群れからハルの前へと現れた。
その少女は長い金髪を揺らし金色の瞳でハルをじ〜っと捉える。
そして一言。
「ハジメ……マシテ……?」
その小首を傾げる、あまりにも場違いな少女の声だけがハルの耳にいつまでも残っていた。