二話 勇者と迷宮
《骸遊びの迷宮》【死神】の階層再奥の間、その門前。
そこには、命知らずな男達五十余人が巨大な扉を前に二の足を踏んでいた。
巨大な扉から漂うは言葉にできない負のオーラ。扉を前にするだけで彼らは生きた心地がまったくしない。
扉の前でこれなのだ。
その中に入ってしまったらどうなるか……悪い方へ悪い方へと想像が進み。全員がごくりと生唾を飲み、その先へと足が進まない。
「みんな!」
そんな中、ある利発そうな一人の青年が立ち上がった。
「僕は王国の勇者として! 君達にお礼が言いたい! こんな若輩者の僕について来てくれてありがとう!」
彼は王国の勇者グリアス=カリバー!
生まれはただの村人であった彼だが、三年前、彼の内に眠っていた勇者の力が突如覚醒!
その力を人々の為に使い、瞬く間に王国屈指の剣士となったグリアスの名声は万を超え、今だとどまる所をしらない!
片田舎に生まれたはずのグリアスは幸運な事に容姿にも優れ!
数多の女性をその甘いマスク、時には思わせぶりな行動で悩殺する、生きる天然の女性キラーである!
しかしグリアス!
数々の女性のアプローチに全く気づかない天性の朴念仁っぷりを発揮!
特定の相手を決めない事からグリアスの競争率は凄まじく!
その水面下では激しい恋の戦が毎夜の様に繰り広げられていることを等の本人は知らない!
彼が一度外に出れば完成する女性人の恋の包囲網!
人はいつしかこれを“優柔不断な花園”、と密かに呼ぶようになったのである!
そんな勇者、グリアス=カリバーは集団の先頭で声を張り上げた。
「この扉の先は僕たちにとって未開の地だ! どんな強敵が待ち構えているかもわからない。さっきの【リッチー】のように上手く事が運ぶとは限らない!」
グリアスがたんたんと事実を述べる。
禍々しい負のオーラを放つ扉を前に、皆もそれは理解していた。
「下手をしたら怪我では済まないかもしれない。家族を置いて死んでしまうかもしれない。……だから引き返すなら今のうちだ。この中にそれを責める様な者はいない」
グリアスの言葉に皆が沈黙する。
だが、それだけだ。
彼らの中に臆病風に吹かれて帰るという選択肢は、ハナからないのだ。
「……ありがとうみんな。行方不明のジュリエッタ姫のために立ち上がってくれた事、心から感謝する!」
王国の姫ジュリエッタ=シア=デルジャン!
近年安定した王政を敷く王国。
彼女はその中でも王と民からトップクラスに人望が厚い麗しい美姫である!
ジュリエッタは勇者の力に覚醒したばかりの頃のグリアスを心優しく召し仕え!
[毎朝起こしに来て朝ご飯を作ってくれる 幼少期の頃からグリアスの世話焼き好きな超美少女幼馴染]の次に並ぶ“優柔不断な花園”古参メンバーの一人である!
そんな彼女がいったいなぜ、この迷宮へと足を踏み入れたのか、その理由は誰も知らない。
しかし、《骸遊びの迷宮》という死地にも等しい場所へ入ったジュリエッタ姫をグリアスが放っておくか、否! 放っておく訳がない!
危険が伴うこのジュリエッタ姫救出作戦を“優柔不断な花園”の全メンバーには黙って決断! 信頼できる国の兵士だけを連れ、姫を探索する事に決めたのだ!
「エリザベス姫を絶対に見つけ出すぞーーッ!」
「「「おおおおーーッ!!!」」」
そして、彼らは“優柔不断な花園”の主であるグリアスに忠誠を尽くし、かつ現在行方不明のジュリエッタ姫のために《骸遊びの迷宮》まで命をかけて探しに来るという忠誠心と愛国心を持った力強き兵士達である!(全員♂)。
「扉は僕が開ける! みんなは何が出て来てもいい様に構えててくれ!」
この先は未知──
考えられる一番危険な役割をグリアスが自ら担当した。
グリアスが扉を軽く押すと「来る者は拒まん」とばかりに扉が簡単に開いた。
見た目に反して軽い扉だが、開閉の音だけはやけに重苦しい。
それが地獄へと招待されている様で不気味さが増し、よりいっそう彼らの緊張を強固にする。
──そして、重々しい音を立てる重厚な扉の先は、足元も満足に見えない真っ暗な暗室だった。
本当に地獄の扉を開けたのではないか? そう錯覚するほど闇しかない。
武器を構えたまま扉の先へと慎重に足を踏み入れる。頼りになる光源はランプの光のみ。
一歩一歩に何分何秒かけるんだ? もし誰かが客観的に彼らを見ているのならそう思っただろう。どこから出てくるかも分からない敵に気を配りながらそんなスピードで彼らは進む。
極限の緊張状態の中グリアスや兵士達の額に大量の汗がつたい、息も詰まりそうになる。
ふと、緊張感で押し潰されそうだ……とグリアスが思ったその時──
──奴が【死神】が現れた。
「───よくぞ来た。愚かなる者達よ……」
闇の中でもわかる圧倒的な存在!
それは全身が闇よりも黒く、両手には巨大な大鎌を持ち、人間の頭蓋骨を連想させる顔面は、まるで自分達の未来の姿を連想させる。
そんな存在を無視できるはずも無く、グリアスを含めた全員が恐怖でその場に凍りついた。
ゴゴゴゴッ……─── 。
「ゆ、勇者様! 扉が!?」
「なにっ!?」
扉が閉まる。最後列の兵士がそれに気づき、グリアス達が急いで振り返る。しかし、彼らが恐怖で動けなかった数秒──
たったその数秒で扉は完全に閉まりきってしまった。
「こ、これは……」
「勇者様……」
そう、これは迷宮ではよく聞く罠の一種だ。部屋の中に誘い出し、その中の主を倒すまで外には出られない。ありきたりだが、それ故に強力な罠である。
「ああ、もはや逃げ場は無い……。行きはよいよい帰りは怖い、たしかそんな言葉があったな……。くっ、迂闊だった……」
グリアスが顔を歪めながらポツリと言った。
目の前の化物と共に隔離される──まさに地獄のようだ……そう思うグリアスを含めこの状況に絶望しなかった者はいない。
そうして皆の緊張がピークに達する中【死神】は、悠然と彼らに語りかける。
「───私は【死神】……名をグリム この地を支配する者……」
そう名乗り出るグリムの圧倒的迫力。 五感で感じる圧倒的重圧。
並の存在では到底敵わない圧倒的強者!
【死神】が言ったこの地……つまりは、地獄を、死を、魂をも支配する神。神話などろくに知らない兵士でもそう理解した。否、死の神を前に頭が勝手にそう解釈した。
そんな兵士達をよそに【死神】グリムの口がまた動く。
「───まずは……貴様らに洗礼を行おう……。我が洗礼に耐えられた者のみ、我が袂まで来る事を許そう……」
グリムの言う事がまるで意味の分からない勇者と兵士達は、
「洗礼……?」
と、当然のごとく疑問を持った。その瞬間──実態の無いはずの闇が、風となって──彼らを襲った。
「───『ビアスマキ』……。耐えられるものなら耐えてみよ愚かなる者達よ……」
闇の風は荒れ狂う暴風へ、暴風から豪風へと、その風圧をどんどん強めていく。
──しかし、恐れる程では無い。両足を踏ん張れば耐えられる。グリアスはそう分析し、後ろの兵士たちの心配はしなかった。彼らはこんな風で飛ばされるほど柔では無い。
グリアスが背中を預けられる高い信頼を置いた兵士たちなのだから。
やがて豪風が止み、グリアスが後ろを振り返り──。
──彼は……絶望した。
立っている者が自分を含め、三人しかいなかった。
では、他の倒れた兵士達は……? 確認するまでも無い。
──その全員が魂の抜けたような、虚ろな表情で地面に横たえていた。
「なにがおこったッ!? いったいどういうことだこれはーーッ!」
混乱するグリアス。
その答えは生き残った二人の兵士からでは無く。
この惨状を引き起こした【死神】本人から帰って来た。
「───『ビアスマキ』魂を刈り取る闇の風……。洗礼には丁度よかろう……? まぁただのお遊びだがな……」
「おあそび……だと……?」
聞き返してからグリアスは、はたと気づく。
【死神】はもうグリアス達を見ていない。虚空をただじっと見つめている様に感じた。
もはやこいつにとって僕達は眼中にもないのか……。と、グリアス達は自分達との圧倒的な力量差を痛感する。
───『ビアスマキ』
【死神】グリムお気に入りの魔法兼、お遊びの闇魔法。
この魔法は光属性魔法、闇族性魔法のどちらかに適性が無い者の魂を刈り取る。
勇者グリアスは光魔法の適性に加えて聖剣のおかげで、生き残った兵士達二人は光か闇に魔法の適性があったおかげで助かった。無惨にも魂を刈り取られた兵士達にはどちらの適性も無い。
ではなぜ、この強力無慈悲な魔法が“洗礼”で“お遊び”なのか──それには深い訳がある。
まずは前提として、【死神】グリムは顔が怖い。
それはもう見た人間百人が百人恐怖する程に顔が怖い。
【堕天使】スノーモートの子。
ビアスとマキの二人も例に漏れず、初めてグリムの顔面を見た時は大泣きした。
それはもうグリムがスノーモートに恐縮する程に泣いたのだから、グリムの顔面の恐ろしさが分かると言うものだろう。
しかし、その時のグリムには彼だけの唯一の取り柄があった。それが後に『ビアスマキ』と名付け変える闇魔法だ。
グリムだけの取って置き、グリムが唯一ビアスとマキを喜ばせたそれは、
『ワレワレハァァッ〜〜〜!! シニガミダァ〜〜〜ッ!!』
カタカタと頭蓋骨、もとい顔面を揺らしながら彼らと大声を張り上げる事。
あの豪風がともなう闇魔法、その風向きに逆らって言葉を発すると、声がダブり、なんだか面白い事になる。(なお絶妙なバランスが必要)
その現象をお遊戯として、ビアスもマキも心底喜んだ。
それが嬉しくて堪らなくなったグリムは、闇魔法の名前を改名。
二人のための“お遊び”魔法、正式名称『ビアスマキ』となり。
今もなお二人を喜ばせまいとうずうずと待っているのだ。
実際『ビアスマキ』を洗礼と言ったのも単に使いたいからに限る。
お気に入りの魔法で敵を倒したい。ただそれだけの理由だ。
そして今、この戦場を"目玉"を通して巨大水晶で見ているであろう階層主達に向けて送ったのは、渾身のドヤ顔である。
『ビアスマキ』で大量に殺ってやったっす〜と階層主三人にドヤァ〜とドヤる。
実際、巨大水晶から中継された光景を見て、階層主三人は歯噛みする程に悔しがっていた。
自らが仕える主の子供達が好きな魔法。
その魔法で戦果をあげる。
それがいかに誉れな事か。
彼ら3人はそれが羨ましくて仕方が無いのだ。
"目玉"に無言のドヤ顔をきめ終わったグリムが勇者達に向き直る。
「───さて……私の洗礼を耐え抜いた者達よ……よかろう……かかって来るなら来い。相手になろう……」
これはグリムなりの上機嫌の現れ、裏を返せば『こないなら別に逃げてもいいっすよ』という意味である。
勿論、勇者グリアス達は表情を変えない頭蓋骨が顔面の機嫌など知ったことではないのはゆうまでもない。
「……一つ、聞きたい事がある……」
そう切り出したのはグリアスだ。
普段なら戯言と両断するグリムだが、今の【死神】は幸運な事に機嫌が良い。質問するならベストタイミングだと言える。
「───聞こう……なに用だ……?」
「僕はここへあるお方を探しに来た。そのお方の名はジュリエッタ=シア=デルジャン様。姫は先日、この迷宮へ向かったと情報がある。【死神】……ジュリエッタ姫を知らないか?」
客観的に──見方を九割死滅させた相手に何を呑気なことを……と思わずにはいられないだろう。
しかし、この呑気さこそがグリアスの真骨頂!
これほど図太くも鈍い鋼の神経が無ければ勇者も、そして“優柔不断な花園”など存在せず──今頃は酒池肉林の主である超弩級プレイボーイな卑猥勇者爆誕ッ!
という形で、かなりダメな方向の成人制限のかかる大惨事になっていたであろう!
清く、また朴念仁である勇者グリアスはまさに物語の主人公であると言わざるをえない!
さて、話は二人の会話に戻る。
グリアスの問いにグリムは即答する。
「───知っている……」
とそう答えたグリムの簡素な答えはグリアスに希望をもたらすのに十分だった。
「知っているのか!? 姫は、エリザベス姫は今どこにおられるのだ! 頼む、教えてくれ!!」
必死に頼むグリアスは知る由もない。
【死神】グリム。
地獄をそのまま具現化した様な死の神の心境が、
(その人間なら今ご息女様とベッドで寝てるっすよ! ケッ! マジ羨ましいっす……!)
で、あるということを……。