宮川亜弥音の場合~1~
「SNIEの新曲聞いた?」
かなりの音量で言葉を発しなければ声が届かないくらい多くの人間同士の会話が溢れるスクランブル交差点はそんな会話で持ちきりだった。もちろん、清水りかこも例外ではなかった。
「もちろん。ギターがかっこよすぎたね、最高。」
当たり障りのない返事をする。りかこは新卒で入った会社の同期であり、明るく前向きでいい子なのだが、うんざりするほどミーハーなのだ。
「もう、本当にかっこよすぎるよ…。特にギターのともくん!あー、たまたまどこかで出会ったりしないかな…。」
流行のアイドルやバンドが世間をにぎわせるたびに聞くこの言葉に、いつも通りの苦笑いで返事をした。
SNIEは、最近人気急上昇のバンド名だ。ギターのとも、ボーカルのルイ、ベースのしょー、ドラムのゆきひろ4人バンドで音楽の実力もさることながら世間を騒がせるだけの容姿の持ち主の集まりでもある。音楽業界内ではインディーズ時代から注目されてはいたのだが、あまり世の中に知られることはなかった。
それもそのはず、SNIEのボーカルでもあり作詞も担当するルイはここ3年ほどスウェーデンに留学していたからである。バンドの顔でもあるボーカルがいないがために世間にお披露目したいにもできなかったのだ。
メジャーデビューしたいとずっとずっと言っていたギターのともはその3年間で何度脱退しようと試みたか…そのたびにベースのショーとドラムのユキヒロが必死に説得をしていたか、自由人のルイには興味もないことであろうが。
そして、なぜ私がこんなにSNIEの内部事情に詳しいかと言うと、SNIEのボーカルでもあり作詞も担当するルイ、本名宮川瑠偉は、私、宮川亜弥音の実の兄であるからだ。
家族の誰にも似なかったねと言われるほどの行動力、なおかつ身内でもいやになるくらい自由人の瑠偉は、大学時代の友達とバンドを組み、あまり実力もないうちから路上でライブ活動にいそしんでいた。もてそうだからと始めたバンド活動である。すぐに飽きると誰もが思っていたのだが身内だからこその盲点があった。瑠偉は世間一般的に非常に顔立ちが良かったのだ。それに加えて、瑠偉が集めたメンバーも一人残らず顔が良かったのだ。類は友を呼ぶとはよく言った物だとあれほどまでに感じたことはなかった。決してルイ出かけているわけではなく。さらに瑠偉は人を見る目がありすぎるらしく、SNIEメンバー楽器隊は瑠偉以外全員音楽経験者だった。それこそ実力はまだまだだったものの、路上活動を通して音楽に疎い私でも分かるほどのスピードで実力を付けていった。
そんな世間一般的に顔立ちが非常に整っている、さらに曲もまあまあなできといった4人が路上でライブをすると何が起こるか。そう、いとも簡単にファンがつくのだ。ファンはどんどん増え、ネットに誰かがライブの様子を投稿した。それからすぐにSNIEは音楽業界から声をかけられた。
ため息が出た。兄弟なのになぜこんなに違うのだろう。瑠偉の妹である私と言えば、しがないフリーライターである。りかこと新卒で入社した会社には何となくなじめず、2年でやめてしまった。今は仕事を頑張って見つけては、パソコンに向かう毎日だ。
「おいしそーなケーキ!」
りかこの声にはっとする。目の前には上品な大きさのイチゴのショートケーキが運ばれていた。ぼーっとしていたのがばれていたらしく、疲れてるの?と聞かれる。首を小さく横に振り、フォークを手に取った。
「でさ、亜弥音はどうなのよ。」
イチゴをほおばりながらこちらに目線を向けてくる。いちごは最初に食べる派なのだなあと思いながら聞き返す。
「なにが。」
さっきまでの話聞いてなかったでしょという顔をされる。ごめんて。全然聞いてなかったよ。
「だから、恋だよ、恋。恋愛、してないの。」
まるで女子高生の会話である。昔は恋バナなんて話題で一日中盛り上がれたものだが、この年になると恋だの恋愛だのそういう感じではなくなるだろうに。りかこは本当に同じ年なのだろうか。とはいうものの、実は絶賛片思い中なのだった。
「してないよ。」
咄嗟に嘘をつく。
「あ、嘘ついた。」
すぐばれた。なんで。
「今、何でばれたって思ったでしょ。顔に出すぎ。」
ぐうの音もでない。なんだかんだ4年の仲だ。たいていのことはお互い分かる。でも今回ばかりは相談も何もできないからとことんごまかす。
「いちご、最初に食べちゃうんだね。私、最後派。」
私が話したくないのだと分かると、やれやれと言った顔で諦めてくれる。こうなったらどんなに攻めてもはかないのを知っているからだろう。
「うん。だって、イチゴの甘さは生クリームの甘さに勝てないもん。」
ミーハーでうんざりすることが多くとも、長年つきあいを続けられるのはこういうところだな、と思う。
りかことばいばいして帰路につく。帰りにスーパーに寄ろう、夕飯何にしようかな。考えながら歩いていると、急に後ろから背中をつつかれ、ただでさえ背中が苦手な私は必要以上にびくっとなる。
「わ、そんなにらまないでよ。今帰り?」
へらへら笑っているであろうそいつは青いニット帽をかぶりマスクをしている。
「驚かせないでよばか。これから夕飯の買い物。」
「おーらっきー。着いていこっと。」
「騒がれますよ。」
「完璧に変装してるからね。余裕でしょ。」
そういいながらもニット帽を深くかぶり直す。顔がほとんど隠れていても容姿がいいと分かるぱっちり二重の目はいつ見ても羨ましい限りだ。
「早く行かなきゃ閉まっちゃう。今夜はハンバーグにしようよ。」
そう言ってどんどん先を歩き出す。変装とは言ってもニット帽にマスクのみで2人でスーパーに同行とは。鈴木ゆきひろに人気バンドのメンバーである認識はあまりないらしい。
「うーん、おいしいたまねぎの見分け方は…っと。」
スマートフォンに指を伸ばしている間に、私が適当なたまねぎをかごに入れる。
「あーーひどい、せっかく調べようと思ったのに。」
ゆきひろが年甲斐もなく頬をふくらませた。
「あのね、いちいち調べてたら、買い物に何時間もかかっちゃう。」
ちぇーっといいながら後ろを着いてくるゆきひろはまるで子どもみたいだ。
スーパーにあまり人がいなくて良かったなぁ、と思うと同時に、今日が日曜日であることを思い出す。
もうすっかり曜日感覚が狂ってしまっている。曜日にとらわれない仕事をしているからか、私も、彼らも。