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クーは、手早く着替える。そして、黒眼鏡をかけると、船の食堂へと上がった。
食堂には、皆、集まっていた。食堂とは言っても、元は船室のひとつ。決して広いわけではない。集まっているのも、クーを入れて三人。これが、この船にいる全員だ。
「坊ちゃん。髪が、ぐしゃぐしゃですよ」
食堂での第一声が、レイハの、その言葉。クーの髪を染めた、その後片付けは、もう終わらせたらしい。クーが後片付けをやっていたら、たぶん、まだ終わっていない。
クーは、軽い敗北感を感じつつ、手櫛で髪を整える。
「ああ、そんなんじゃダメですよ……」
そう言い、レイハは、どこからか櫛を取り出すとクーの髪を整える。思わず憮然とするクー。そんなクーを、剃り上がった頭のゲンザが、ちらりと一瞥する。
「髪ぐらい、自分で……」
「出来てなかったですね」
クーは言うが、その言葉を、レイハは、そう引き継いで、にこりと笑う。
こうなると、クーには、事実なだけに反論できない。小さく溜め息をつくと、テーブルにつく。
「いっそ、剃っちまったら如何です?」
「嫌」
「絶対ダメですっ!」
ゲンザの言葉に、クーとレイハは、同時に、そう言い返した。
朝食を終え、出かけようと、船を降りるふたりに、レイハは声をかける。
「あの、坊ちゃんの毛染めが、もう無くなりましたので、新しいのを買ってきてくれますか?」
レイハの言葉に、ゲンザは顔をしかめて、自分の頭をぱちんと叩く。きれいに剃り上げられた頭だ。
「ああ、じゃあ、僕が買っとくよ」
「子供が毛染めなんか買ったら、不審に思われますよ」
クーの言葉に、ゲンザは、そう言う。無論、剃り上げた頭のゲンザが、毛染めを買っても同様に怪しまれる。買いに行くなら、レイハが妥当だが、万一を考えると船を空けるわけにはいかない。
「ん~……。じゃあ、今日は、出来るだけ早めに戻るから、それから買いに行こう」
少し考えてから、クーは、そう結論を出す。ダメなら、一日ぐらいは我慢する。その程度のことは、仕方がない。
「統連のこと、わたし、知らないですよ?」
「僕は知ってる。だから大丈夫」
戸惑ったようなレイハに、クーは、そう答えた。
レイハは、思わず笑顔になる。
「わかだんな~、はやく帰ってきてくださいね~」
レイハは、船の上から嬉しそうに手を振って、大きな声で、そう叫んだ。クーは、その声を聞いて、小さく溜め息をついて振り返る。
「ぼくは、だれ?」
大きな声で問うクー。その言葉を聞いて、レイハは、はっとしたような顔をする。
「申しわけありません。坊ちゃ~ん」
「秘密も、へったくれも、ありませんな……」
呆れたように言うゲンザ。
「まぁ、この程度なら、問題は無いと思うけどね」
ゲンザに言葉を返しながら、クーは、さりげない仕草で周囲を見回す。誰も、クーとレイハのやりとりを気にしている様子はない。
「当たり前だけど、ゲンザも気を付けてね」
「無論。もっとも、昨日は失敗しましたがね」
クーとゲンザは、小声で言葉を交わすと、港の雑踏へ向かって歩き出した。船の上では、まだ、レイハが手を振っていた。